雨、晴れる時

サトウ・レン

文字の大きさ
2 / 20
第一部 雨と、僕たちのはじまり

久し振りの町に、彼女の気配がする。

しおりを挟む
 車内アナウンスが、次に停まる駅の名前を告げていた。

 気のせいだろうか。アナウンスに混じって、彼女の声が聞こえた気がした。久し振りに故郷に戻ってきた心が、彼女を求めて、敏感になっているのかもしれない、と一瞬そんなことを考えてしまったが、すぐに違う、と気付いた。

 春に、長く降る雨を、春霖、と教えてくれたひとがいた。
 彼女の気配を感じて、郷里へと向かう途中、降り出した雨がいつまでも続く様子を見ながら、僕はそんなことを思い出していた。窓の向こうのすこしぼやけた感じは、いまの僕の心模様にも似ている。未来が不透明で、漠然とした焦りと不安にさいなまれるような。

『帰ってくるの?』
 と実家に電話を掛けた時、驚いた声をあげていたのは、姉だ。大学に入ってから、ほとんど実家に帰ることのなかった僕にとって、生まれた場所に足を踏み入れるのは、本当に久し振りのことだった。

 僕がかつて住んでいた町は、周囲に海を持たない岐阜県の片田舎で、そんな類型的な物語でよく見るような、因習に鎖された、とまでは言わないけれど、それでも都心に比べれば、密接な人間関係が生み出す鬱屈とした雰囲気が根強く残る場所だった。決して家族との関係が悪かったわけではなく、そこに暮らす同世代の友人も多く、彼らが嫌いなわけではない。それでも帰りたいか、と聞かれれば、別に帰りたくはない、と即答できる。

 中学から高校に上がる頃、姉は、遠くへ行けば人生が変わる、と安易に考えてしまう僕の弱さを指摘したことがある。姉のことだから、そう考える僕の心を見透かしていたに決まっている。僕を知り尽くしている姉らしい反応だった。

「もしかして、結城ゆうき?」
 そろそろ電車は町に入った頃だろうか、と思った時、ふいに声が聞こえた。声のほうへと目を向けると、見覚えのある顔があった。高校時代の、同級生の男子だ。だけどすぐには名前が、思い出せず、とりあえず僕は、
「久し振り」
 と答えた。

「もしかして、俺のこと、覚えてない? ほら、俺だよ。お前とも仲が良かった城阪きさかと、よく一緒にいたの、思い出せない?」

 帰ってきてすぐに、一番聞きたくない名前を聞いてしまった。僕は内心で、ひとつため息をつく。城阪という名前が出てきたことで、芋づる式に、彼の名前を思い出す。

「……伊藤だよね。ごめん。ただのど忘れだから、気にしないでくれ」
 伊藤は同じクラスではなく、隣のクラスの男子で、いまは髪も黒くなっているけれど、高校の時は、髪を茶髪にしていて、一度廊下で髪型のことで先生と怒鳴り合っているのを見た記憶がある。

「ったく、同級生の名前くらい忘れるなよ。もしかして、お前も城阪のことで、帰ってきた感じ?」
 と伊藤が苦笑いを浮かべているが、理不尽だ、と思った。高校時代、彼と話したことは指で数えられるほどしかない。

「城阪のこと、って?」
「あっ、何も聞いてないのか……。なんかお前たち、やけに仲が良い記憶があったけど。結城は、城阪と相性が良さそうなイメージなかったから、すげぇ意外だな、って思って、さ」
「そんな特別、仲が良い、ってわけじゃないよ。いや悪くもなかったけど、ね。まぁあんなすくない人数で、ずっと同じクラスだったから、しゃべったりは、もちろんしたけど……。卒業してからは、一回も会ってないし」
 伊藤の表情は、明らかに納得がいっていない感じだ。

「本当に?」
「うん。なんで、こんなことで嘘、つくんだよ」
「いや、だって、さ。高校の時、城阪が、よく結城のこと、話してたよ。それ、好きか嫌いかは別にしても、興味がないと、そんなことしないだろ」
「どんな話?」
「正直たいした話じゃないから、あんまり覚えてないけど。あぁお薦めの小説を教えてもらった、とかは言ってた気がするな。ほら、俺と結城って、ほとんど話す機会もなかったけど、こうやって覚えてるの、って、たぶん城阪がよく話してたから、だと思うんだよね」

 城阪は高校三年間、僕と同じクラスで、どちらかと言えば目立つのを嫌って、学生生活を過ごしていた僕とは正反対の、目立つし、周囲から人気もあった男子生徒で、客観的に考えても、僕と仲良くなるタイプの生徒ではなかった。野球部のエースでもあり、プロも注目しているような選手だった。プロではなく、進学して東京六大学のどこかに行くのではないか、という本人発信ではない噂もあった。結局それはただの噂で、城阪はスポーツだけではなく、勉強の成績も良かったこともあり、地元の国立大学を受験していた。合格したかどうか、聞く機会には恵まれなかったが、彼の成績を考えれば、きっと受かっているだろう。天は、ひとに二物も三物も与えているのだ、と思わせる好例のようなやつだった。

 城阪との仲について、僕はひとつも嘘は言っていない。

 僕と城阪が、クラスメートとしてそれなりに話す関係だったのは間違いないけれど、他のクラスメートと比べて、頭ひとつ抜けて仲が良かったわけではない。ただ伊藤の勘が間違っているわけでもない、ということは、認めなければならないだろう。

 僕と城阪が、ひとりの女性を挟んで、ある種の特別な関係にあったのは事実だ。

「まぁ、いいか。じゃあ、結城は何も聞いてないわけだ。でも、そうだよな。離れて暮らしているやつのところになんて、気を遣って、連絡なんかいかないもんかもしれないな。俺なんかは、近くに住んでいるから知っただけで……」
「城阪に、何かあったの?」

 聞きながら嫌な予感はしていた。
 ひと呼吸おいて、伊藤が言った。

「……死んだんだ」
「死んだ? ……それって」
「事故、だって。転落事故」

 事故、と聞いて、似合わないな、と思ってしまった。人間の死に対して、ひどく不謹慎な感情だということは理解しているが、心にまで嘘をつくことはできない。もし自殺だったら、あるいは殺されたのだとしたら、まったく別の感覚が胸に萌したのだろうか。とはいえ仮定を体験することができない以上、答えはいつまでも見つからないままだ。

 事故の詳しい内容を、伊藤は教えてくれなかった。わざわざ口に出したくはない、と思ったのかもしれない。僕も聞かなかった。

 なぁ死んだひとのこと、いつになったら忘れられるのかな。

 彼がそう言ったのは、彼女が死んですこし経ったあとのことだ。その言葉を聞きながら、僕は彼を、卑怯だ、と思った。裏切られたような気分になった。だけど同時に羨ましい、とも感じていた。彼はいつか彼女を忘却の彼方に追いやることができる、と信じていたわけだ。卑怯で、羨ましい。だって僕は永遠に忘れることができないから。

 想い出の濃度や罪悪感の深さ、とか、もちろんそういう感情はいまでも持っているが、そんな話をしているわけではない。
 誰かに話したい、と相談してみたい気持ちはあるけれど、話す相手も見つからない。

「あっ、じゃあ俺は、ここで降りるから」
 と伊藤と別れて、周囲には誰もいなくなった。まだ降り続ける雨を見ながら、ちいさく息を吐くと、隣にひとの気配を感じた。

 男の姿があった。

 たった数年で、ひとの顔はそんなに変わらない。たぶんそれは、城阪、だ。死んだはずの男がすぐ近くにいる。驚いたり、怖がったりできるなら、どれだけ良いだろう。だけど僕は、そこに城阪がいることを、何ひとつ不思議に思っていない。

「久し振り」
 と声を掛けてみるが、返事はなかった。

 返事がなかったことに、ほっとしている自分がいる。
 車内のアナウンスが告げる。次に停まる場所の名を。

 そこは僕の生まれた不治見ふじみ町に、もっとも近い駅だ。僕が高校を卒業する直前くらいに改装がはじまり、いまではもうリニューアルが終わっている。広々とした綺麗な雰囲気で、特に変わったのが改札で、有人だった改札は、自動改札機に変わっている。

 駅を出ると、大きくひとつ伸びをする。

 また彼女の気配を、近くに感じる。
 久し振りの景色が眼前に広がり、それを見ながら僕は、懐かしい声に耳をそばだてていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...