7 / 10
交わる義の巨頭
しおりを挟む
ここは成都だったような場所。
都の喧騒はない。
だが、人の営みがあった痕跡だけが、確かに残る地。
瓦は低く、
道は広く、
遠くに山の稜線が横たわる。
その中央で、一人、刃を振るう者がいた。
青龍偃月刀。
常人であれば、持ち上げるだけで精一杯の大刀を、
男は無駄なく操る。
振る。
踏み込みは浅い。
振る。
だが、軸は一切ぶれない。
誰に見せるでもない。
誰に教えるでもない。
ただ、
腕が鈍っていないかを確かめるように。
関羽。
汗が、長い髭を伝って落ちる。
呼吸は深いが、乱れてはいない。
一振り、止める。
青龍偃月刀の切っ先を地に立て、
関羽は、ゆっくりと顔を上げた。
成都らしき方角。
山の向こう。
遥か彼方にあるはずの都を、
ただ“そこに在る”ものとして見つめる。
風が、髭を揺らす。
「……兄者」
声は低く、誰に届くでもない。
「いずこか……」
一拍。
「雲長は……
桃園の誓いを、守れなかった……」
その言葉は、刃より重く落ちた。
「国を得た今こそ、
傍に在るべき時であったやもしれぬ」
目を伏せる。
「だが……」
顔を上げる。
「義は、まだ折れてはおらぬ」
振り返った先には、
城壁も整っていない町。
武器を持たぬ民。
疲れ切った兵。
それでも――
彼らは、関羽の背を見ていた。
関羽は一歩、前に出る。
「雲長の義が、天下に轟けば――」
青龍偃月刀の切っ先が、空を指す。
「兄者が、必ず見つけてくださる」
一拍。
「翼徳もだ」
兵の中に、ざわめきが走る。
「我らは数で劣る」
「策もない」
「援軍もない」
関羽は、すべてを否定しない。
「だが――」
刀を地に打ち付ける。
「義はある」
「民を捨てぬ」
「背を向けぬ」
「逃げぬ」
「それが、雲長の戦だ」
誰かが、槍を握り直す。
誰かが、歯を食いしばる。
異形が、押し寄せた。
数は多い。
波のように、途切れない。
関羽は、退かない。
一振りで斬る。
二振りで薙ぐ。
青龍偃月刀の描く軌跡の内側に、
民が守られる。
「下がれ!」
「子を前へ出すな!」
「門を閉じよ!」
叫びながら、斬る。
斬りながら、守る。
だが――
一人だ。
時間が、義を削る。
腕が重くなる。
視界が、わずかに霞む。
「……まだだ」
異形を斬り伏せた、その直後。
膝が――沈んだ。
「……っ」
青龍偃月刀の柄が、地に触れる。
「関将軍!!」
若く、切迫した声。
関羽が、ゆっくりと顔を上げる。
血と埃にまみれた兵の列を割って、
一人の若者が駆け寄ってくる。
関平。
槍は折れ、
腕には深い傷。
それでも、前に出てくる。
「父上!
まだ――まだ終わっておりませぬ!」
その背後。
もう一つ、息を詰めた気配。
短刀を握り、歯を食いしばった影。
「……父上」
関銀屏だった。
鎧は簡素。
だが、その眼は逸れていない。
関羽は、一瞬だけ目を閉じる。
「……来るでない、と言うたはずだ」
関平が、首を振る。
「義は、父上だけのものではありませぬ」
関銀屏も、静かに言う。
「雲長の義が天下に轟けば、
劉備様も、張飛様も――必ず」
関羽の手が、わずかに震えた。
それは、痛みではない。
「……そうか」
低く、しかし確かに。
「雲長は……
独りではなかったか」
その瞬間。
――風が、変わった。
異形の動きが、止まる。
義とは異なる。
だが、義を否定しない、別の気配。
◆
霧の中で、上杉謙信は立ち止まっていた。
空は暗くも明るくもない。
地は、どこか踏み慣れぬ感触。
「……此処は」
戦場ではない。
だが、戦の匂いがする。
その背後で、軽い足音。
「止まれ。それ以上近寄るでない」
謙信は低い声で話し掛ける。
だが、その者を見て少し驚く。
「六文銭……真田家家中の者か」
謙信の言葉に、真田幸村は一瞬だけ足を止めた。
「……左様」
名乗らない。
だが、否定もしない。
信繁は、男を正面から見据えた。
鎧は古い。
装飾はない。
剣の握りも、どこか簡素だ。
だが――
立ち姿だけで、分かる。
「さぞかし名のある方でしょう」
「上杉謙信である」
「真田信繁と申しまする」
「……ほう?聞きたい事が山程あるが……真田家に連なる者ならば暫し付き合え」
「えぇ。私も疑問ばかりです。それに貴方様が誠に越後の軍神殿か分かりかねますからね」
「相分かった。お主とは後で相手してやろう。ただ今はあの向こうに。あちらで戦の臭いがしておる」
「気付いておられましたか」
「我は確かに死んだ。……いや死ぬくらいの頭痛があった。その後は記憶があやふやだが……今は良い。行くぞ」
都の喧騒はない。
だが、人の営みがあった痕跡だけが、確かに残る地。
瓦は低く、
道は広く、
遠くに山の稜線が横たわる。
その中央で、一人、刃を振るう者がいた。
青龍偃月刀。
常人であれば、持ち上げるだけで精一杯の大刀を、
男は無駄なく操る。
振る。
踏み込みは浅い。
振る。
だが、軸は一切ぶれない。
誰に見せるでもない。
誰に教えるでもない。
ただ、
腕が鈍っていないかを確かめるように。
関羽。
汗が、長い髭を伝って落ちる。
呼吸は深いが、乱れてはいない。
一振り、止める。
青龍偃月刀の切っ先を地に立て、
関羽は、ゆっくりと顔を上げた。
成都らしき方角。
山の向こう。
遥か彼方にあるはずの都を、
ただ“そこに在る”ものとして見つめる。
風が、髭を揺らす。
「……兄者」
声は低く、誰に届くでもない。
「いずこか……」
一拍。
「雲長は……
桃園の誓いを、守れなかった……」
その言葉は、刃より重く落ちた。
「国を得た今こそ、
傍に在るべき時であったやもしれぬ」
目を伏せる。
「だが……」
顔を上げる。
「義は、まだ折れてはおらぬ」
振り返った先には、
城壁も整っていない町。
武器を持たぬ民。
疲れ切った兵。
それでも――
彼らは、関羽の背を見ていた。
関羽は一歩、前に出る。
「雲長の義が、天下に轟けば――」
青龍偃月刀の切っ先が、空を指す。
「兄者が、必ず見つけてくださる」
一拍。
「翼徳もだ」
兵の中に、ざわめきが走る。
「我らは数で劣る」
「策もない」
「援軍もない」
関羽は、すべてを否定しない。
「だが――」
刀を地に打ち付ける。
「義はある」
「民を捨てぬ」
「背を向けぬ」
「逃げぬ」
「それが、雲長の戦だ」
誰かが、槍を握り直す。
誰かが、歯を食いしばる。
異形が、押し寄せた。
数は多い。
波のように、途切れない。
関羽は、退かない。
一振りで斬る。
二振りで薙ぐ。
青龍偃月刀の描く軌跡の内側に、
民が守られる。
「下がれ!」
「子を前へ出すな!」
「門を閉じよ!」
叫びながら、斬る。
斬りながら、守る。
だが――
一人だ。
時間が、義を削る。
腕が重くなる。
視界が、わずかに霞む。
「……まだだ」
異形を斬り伏せた、その直後。
膝が――沈んだ。
「……っ」
青龍偃月刀の柄が、地に触れる。
「関将軍!!」
若く、切迫した声。
関羽が、ゆっくりと顔を上げる。
血と埃にまみれた兵の列を割って、
一人の若者が駆け寄ってくる。
関平。
槍は折れ、
腕には深い傷。
それでも、前に出てくる。
「父上!
まだ――まだ終わっておりませぬ!」
その背後。
もう一つ、息を詰めた気配。
短刀を握り、歯を食いしばった影。
「……父上」
関銀屏だった。
鎧は簡素。
だが、その眼は逸れていない。
関羽は、一瞬だけ目を閉じる。
「……来るでない、と言うたはずだ」
関平が、首を振る。
「義は、父上だけのものではありませぬ」
関銀屏も、静かに言う。
「雲長の義が天下に轟けば、
劉備様も、張飛様も――必ず」
関羽の手が、わずかに震えた。
それは、痛みではない。
「……そうか」
低く、しかし確かに。
「雲長は……
独りではなかったか」
その瞬間。
――風が、変わった。
異形の動きが、止まる。
義とは異なる。
だが、義を否定しない、別の気配。
◆
霧の中で、上杉謙信は立ち止まっていた。
空は暗くも明るくもない。
地は、どこか踏み慣れぬ感触。
「……此処は」
戦場ではない。
だが、戦の匂いがする。
その背後で、軽い足音。
「止まれ。それ以上近寄るでない」
謙信は低い声で話し掛ける。
だが、その者を見て少し驚く。
「六文銭……真田家家中の者か」
謙信の言葉に、真田幸村は一瞬だけ足を止めた。
「……左様」
名乗らない。
だが、否定もしない。
信繁は、男を正面から見据えた。
鎧は古い。
装飾はない。
剣の握りも、どこか簡素だ。
だが――
立ち姿だけで、分かる。
「さぞかし名のある方でしょう」
「上杉謙信である」
「真田信繁と申しまする」
「……ほう?聞きたい事が山程あるが……真田家に連なる者ならば暫し付き合え」
「えぇ。私も疑問ばかりです。それに貴方様が誠に越後の軍神殿か分かりかねますからね」
「相分かった。お主とは後で相手してやろう。ただ今はあの向こうに。あちらで戦の臭いがしておる」
「気付いておられましたか」
「我は確かに死んだ。……いや死ぬくらいの頭痛があった。その後は記憶があやふやだが……今は良い。行くぞ」
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる