神の盤に抗う者

デンデンムシ

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義は、独りにあらず

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霧の中を進みながら、
信繁は、ふと過去を思い出していた。

上杉景勝。

多くを語らぬ主だった。

軍議の席でも、
感情を表に出すことは少なく、
家中からは「分かりにくい」と囁かれることもあった。

だが――
信繁は知っている。

あの沈黙が、
迷いから来るものではなかったことを。

決める前に語らず、
決めた後も語らない。

ただ、
すべてを自分の背に載せてから、前に立つ。

命を出す前、
いつも一瞬だけ伏せられた目。

あれは、
誰かに委ねるための間ではなかった。

(……覚悟を、整えておられたのだ)

霧の前を行く背中を見る。

剣を携え、
だが、戦を誇示しない姿。

威を張らず、
理を説かず、
ただ、折れぬ位置に立ち続ける背。

信繁の胸に、言葉が浮かぶ。

(……この軍神の背中)

(だからか)

(だから、景勝殿は――
 多くを語らなかったのか)

同じではない。
だが、同じ型で生きてきた者。

義を掲げるのではなく、
義を“背負って”前に立つ者。

信繁は、自然と歩幅を落とした。

前に出る気はない。
この男の隣に並ぶ必要もない。

(今は――)

(このお方の背後を、守る)

それでいい。

前を行く背が折れぬ限り、
義は、ここで潰えない。

信繁は、静かに槍を構え直した。

声は出さない。
合図も要らない。

ただ、
背後に立つ。

それが、
自分が選んできた戦い方だった。

霧の向こうで、
刃の音が、さらに近づく。

信繁は、もう迷わなかった。



霧の向こうで、
金属が擦れる音が、重なった。

異形が、数を揃えて迫っている。

信繁は、前を行く背がわずかに速度を落としたのを見た。

(……近い)

一歩先。
霧が切れた瞬間――
視界が開ける。

そこにいたのは、
青龍偃月刀を支えに立つ大男。

関羽。

肩で息をしながらも、
なお刃を離していない。

異形が、左右から迫る。

「――っ」

関羽が踏み込もうとした、その刹那。

謙信が、前に出た。

構えはない。
気負いもない。

ただ、
抜いた。

一閃。

音は遅れて落ちた。

迫っていた異形の一体が、
刃を振るう姿勢のまま、崩れ落ちる。

もう一体。

謙信は踏み込まない。
腕だけで、切り払う。

異形の首が、
血を噴く前に地に落ちた。

関羽の目が、見開かれる。

「……?」

言葉はない。

だが、
助けられたことだけは、分かった。

謙信は、何も言わずに関羽の前に立つ。

背中を向ける形だ。

「退け、とは言わぬ」

低く、短く。

「だが――
 今は、刃を休めよ」

関羽は、一瞬迷い――
次の瞬間、青龍偃月刀を支え直した。

「……借りる」

それだけを返す。

その背後で、
信繁が動いた。

霧の中から現れる異形に対し、
槍を低く構える。

前に出ない。
追わない。

ただ、
背後を切り捨てる位置に立つ。

一体、また一体。

謙信の刃が、前を断ち、
信繁の槍が、背を守る。

関羽は、その中央で、呼吸を整えた。

(……なるほど)

(これは――)

関羽は、謙信の背を見る。

威を張らぬ。
だが、退かぬ。

(義を、折らせぬ者だ)

関羽は、再び一歩、前に出た。

今度は、膝が沈まない。

青龍偃月刀が、再び唸る。

三人の間に、
言葉は要らなかった。

誰が主でもない。
誰が従でもない。

ただ――
役割が、自然に定まっていた。

霧の中で、
異形の動きが、明らかに鈍る。

盤の上で、
三つの駒が、初めて並んだ。

義は、
一人で立つものではなかった。

幾許もしない内に異形の霧は居なくなった。

「助太刀、感謝致す。もてなしもできぬが、再建している建物の中で一番ましな所へ案内致す」

「気遣い無用。この場が何かは未だ我は分かっておらぬ。ただ、お主が並の武人でない事は分かった。かつての強敵(とも)とは違う何かをお主からは感じる」

「関雲長と申す。ここは我が兄弟で偉大なる兄者が都とした成都………のようなところ」

「……関羽、雲長」

謙信は、一歩、距離を詰めた。

「唐土の書では、
お主は義の象徴として記されている」

「我を知るとは其方等は何者だ!と言いたい所だが悪い者ではない事が分かる。そして今手負いの状態で其方と殺り合うのは愚策……いや、争いたくない」

「そう聞こえたのなら謝ろう。我が儘は言わぬ。暫し邪魔させてもらう。真田の。我が背中を任せるに十分な働きであった。かつての弥太郎のような安心感があったぞ」

「鬼小島弥太郎殿ですか。畏れ多い」

「謙遜するでない。あの異形な者が何かは分からぬがこの場を見れば分かる。また背中を任せるぞ」
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