たった一つの恋

hina

文字の大きさ
13 / 19

崩れ始めたもの

しおりを挟む
麗の祖母が亡くなって、あれから四年半の月日が経っていた。
それは家族で月命日の墓参りをした夜のことだった。

麗は婚約をした時と同じ料亭に優と祖父と三人で来ていた。
祖父の醸し出す神妙な雰囲気に、麗はまた悪い事が起きる予感がしてならなかった。

「ひ孫はまだなのか。」

祖父の第一声はそれだった。
一瞬で麗の顔は青冷め、優は目の前に倒れそうになった麗の肩を支えた。
祖父は麗の身体のことを知っているはずだった。

「跡継ぎが欲しいんだよ。本当の血筋の。」

愛する人に突然先立たれ年を重ねた祖父は、昔よりも利己的で頑固になっていた。
横暴な物言いについ口答えしたくなった麗を優が宥め、優が穏やかな口調で言った。

「私が年を取ってますからね。社長、私で不満足でしたらいつでも替えていただいて構いませんからね。」
「そんな優は立派な私の跡継ぎだよ。その後のことが私は心配で、年々不安になっているんだよ。」

そう言って祖父が嫌々と駄々をこねるこのやり取りは、結婚後何度したことだろう。
その度に、優は麗の身体のことを勿論知っていながらも子供ができないのは自分のせいだと優しく庇ってくれる。

子供どころか二人は、夫婦の夜の営みをしたことはなかった。
それは二人同意の下、約束したことだった。

しかしひ孫を期待している祖父にそんなとを言うわけにはいかないため、こんなやり取りが幾度となく繰り返されるのである。


酒に酔った祖父を見送り、麗と優は家路に着いた。
心労が祟った麗は深い溜息をつき、寝室のベッドに腰掛け首につけていた真珠を取った。

「おじいちゃん、本当にしつこいんだから。」
「まあまあ。いつかちゃんと分かってくれるさ。じゃあお休み。ちゃんと布団をかけて寝るんだよ。」
「ありがとう、優。」

そう兄のように優しく麗に声をかけた優は、優の寝室へと行ってしまった。
二人は夫婦の営みおろか、寝室も一緒にしていない。

愛のない偽装結婚をしてまで跡継ぎになりたいほど、穏やかな優は強欲には見えない。
きっと祖父に助けてもらった情が、ここまで優を不幸にさせたのだろうと麗は思う。

結婚して一年が経とうとしていた。
平穏に過ごす二人の偽装結婚だが、これから数年や数十年の月日を考えると息が詰まりそうになる。
しかしこうでもしなければ守らなかったものを、麗も優も持っている。

ただそれさえも容易く崩れ落ちていくことを、二人はまだ知らなかった。


次の日の昼過ぎのことだった。

大型連休が明け、麗は数日ぶりに静流と長電話をしていた。
だから携帯電話にキャッチが入っていたり、家の電話が鳴っていても出ようとしなかった。

電話を終えた麗は気持ちが充電され暖かい気持ちのまま、寝室のベッドに横たわっていた。
お腹も減っていなかったから、このまま気持ちの良いまま昼寝をするつもりだった。

しかし静かな部屋に、また家の電話のコール音が鳴り響く。
重怠い気持ちで子機を覗くと、祖父からだった。
また昨日の話の続きかと思い、出るのを拒みたかった。
しかしさすがに祖父の堪忍袋の尾が折れるだろうと、麗は祖父からの電話に出た。

「はい。お祖父ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの?じゃない!私と優でお前に何回も電話をかけていただろ。まさか…。まあそんなことはいい。」

まさに祖父は麗に激怒していたが、それ以上に慌てているようだった。

「優は仕事を早引きして金沢に帰ったよ。今朝お兄さんが交通事故にあって、亡くなったんだ。」
「え…。」
「私の用件が済んだ夕方にお前を迎えに行くから、二人で金沢に向かおう。」

祖父はそう言うと即座に電話を切り、麗は呆然としていた。
衝撃的な出来事で事態の重要性を飲み込むまで、少し時間がかかった。

優の兄は実家の家業を継いで、優しい妻と姉妹の子供がおり幸せに生活していた。
優の兄は弟を罵り犬猿の中であったため、麗は優の兄と結納と結婚式の二度しか顔を合わせたことはなかった。

優は兄とろくに言葉を交わさぬまま、麗の家の婿養子に入った。
しかし優の実家は、直径の血筋のものが代々家業の跡を継いでいる昔堅気の家だった。


そして夕刻になり、喪服に身を包んだ麗は祖父と共に新幹線で金沢に向かった。
夜更けになってしまったことで明日の朝一に優の実家に顔を出すことにした。
ホテルも別の部屋で、特に二人言葉を交わすこともなかった。

麗が想像した一抹の不安は、問題ないのかと思えた。
しかし翌朝顔を出しに行った二人を待ちかねていた義母の第一声は、酷なものだった。

「息子と離縁してください。」

もう一人の息子が顔掛けをし横たわる仏間で、義母はまっすぐに二人を見つめ冷ややかにそう呟いた。
義母の傍に座る義姉と子供たちは未だに泣いていた。

「どういうことですか?」

祖父は怒りで震えながらそう言った。
あれほど蔑ろにしていた息子を取り戻したい義母へ、優に深い情をかけていた祖父の悲痛の叫びでもあった。

「義母さん、親戚の方もいらしてるのだからその話は葬儀が終わってからにしよう。」

そうその場を宥めるように言ったのは、端の方で俯いて座っていた優だった。
麗は優の隣に座り、泣きそうな彼の背中を摩った。
偽装結婚であれ、これまで大切にしてくれた優の計り知れない心労を労ってのことだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白椿の咲く日~遠い日の約束

紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに姉の稚子(わかこ)と会う。真由子の母、雪江は妻を亡くした水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。実之には俊之、稚子、靖之の三人の子がいた。 稚子が話す庭の白椿のことを聞くうちに、真由子は雪江と白椿に何か関係があることに気がつき…… 大人の恋物語です。

君までの距離

高遠 加奈
恋愛
普通のOLが出会った、特別な恋。 マンホールにはまったパンプスのヒールを外して、はかせてくれた彼は特別な人でした。

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

結婚はするけれど想い人は他にいます、あなたも?

灯森子
恋愛
度重なる不幸で家族を亡くし、一人ぼっちになってしまった少女エレノア。女手ひとつ歯を食いしばって領地を守ってきた。 その能力を買われどうしてもと言うから、断りきれずに公爵家へと嫁いだ。 切望されて嫁いだはずだったのに。 式当日の朝、新郎は迎えにこない。誓いのキスはくちびるではなくおでこだし、結婚披露パーティーのダンスはあなたとは踊れないと言われてしまった。え?踊らないって?わたしたち主役ですけど、どうするの? どうやら夫レオンはこの結婚を望んでいなかったらしい。 ま、いいか。わたしにも想い続けている人がいますから。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

【完結済】春を迎えに~番という絆に導かれて~

廻野 久彩
恋愛
辺境の村から王都の星環教会へやってきた研修生アナベル・ウィンダーミア。 門で出会った王族直属騎士団副団長ルシアン・ヴァルセインと握手を交わした瞬間、二人の手首に金色の光が浮かび上がる。 それは"番"——神が定めた魂の半身の証。 物語の中でしか聞いたことのない奇跡的な出会いに胸を躍らせるアナベルだったが、ルシアンの口から告げられたのは冷酷な現実だった。 「俺には……すでに婚約者がいる」 その婚約者こそ、名門ルヴェリエ家の令嬢セレナ。国境の緊張が高まる中、彼女との政略結婚は王国の命運を左右する重要な政治的意味を持っていた。 番の衝動に身を焼かれながらも、決して越えてはならない一線を守ろうとするルシアン。 想い人を諦めきれずにいながら、彼の立場を理解しようと努めるアナベル。 そして、すべてを知りながらも優雅に微笑み続けるセレナ。 三人の心は複雑に絡み合い、それぞれが異なる痛みを抱えながら日々を過ごしていく。 政略と恋情、義務と本心、誠実さと衝動—— 揺れ動く想いの果てに、それぞれが下す選択とは。 番という絆に翻弄されながらも、最後に自分自身の意志で道を選び取る三人の物語。 愛とは選ぶこと。 幸せとは、選んだ道を自分の足で歩くこと。 番の絆を軸に描かれる、大人のファンタジーロマンス。 全20話完結。 **【キーワード】** 番・運命の相手・政略結婚・三角関係・騎士・王都・ファンタジー・恋愛・完結済み・ハッピーエンド

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

処理中です...