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崩れ始めたもの
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麗の祖母が亡くなって、あれから四年半の月日が経っていた。
それは家族で月命日の墓参りをした夜のことだった。
麗は婚約をした時と同じ料亭に優と祖父と三人で来ていた。
祖父の醸し出す神妙な雰囲気に、麗はまた悪い事が起きる予感がしてならなかった。
「ひ孫はまだなのか。」
祖父の第一声はそれだった。
一瞬で麗の顔は青冷め、優は目の前に倒れそうになった麗の肩を支えた。
祖父は麗の身体のことを知っているはずだった。
「跡継ぎが欲しいんだよ。本当の血筋の。」
愛する人に突然先立たれ年を重ねた祖父は、昔よりも利己的で頑固になっていた。
横暴な物言いについ口答えしたくなった麗を優が宥め、優が穏やかな口調で言った。
「私が年を取ってますからね。社長、私で不満足でしたらいつでも替えていただいて構いませんからね。」
「そんな優は立派な私の跡継ぎだよ。その後のことが私は心配で、年々不安になっているんだよ。」
そう言って祖父が嫌々と駄々をこねるこのやり取りは、結婚後何度したことだろう。
その度に、優は麗の身体のことを勿論知っていながらも子供ができないのは自分のせいだと優しく庇ってくれる。
子供どころか二人は、夫婦の夜の営みをしたことはなかった。
それは二人同意の下、約束したことだった。
しかしひ孫を期待している祖父にそんなとを言うわけにはいかないため、こんなやり取りが幾度となく繰り返されるのである。
酒に酔った祖父を見送り、麗と優は家路に着いた。
心労が祟った麗は深い溜息をつき、寝室のベッドに腰掛け首につけていた真珠を取った。
「おじいちゃん、本当にしつこいんだから。」
「まあまあ。いつかちゃんと分かってくれるさ。じゃあお休み。ちゃんと布団をかけて寝るんだよ。」
「ありがとう、優。」
そう兄のように優しく麗に声をかけた優は、優の寝室へと行ってしまった。
二人は夫婦の営みおろか、寝室も一緒にしていない。
愛のない偽装結婚をしてまで跡継ぎになりたいほど、穏やかな優は強欲には見えない。
きっと祖父に助けてもらった情が、ここまで優を不幸にさせたのだろうと麗は思う。
結婚して一年が経とうとしていた。
平穏に過ごす二人の偽装結婚だが、これから数年や数十年の月日を考えると息が詰まりそうになる。
しかしこうでもしなければ守らなかったものを、麗も優も持っている。
ただそれさえも容易く崩れ落ちていくことを、二人はまだ知らなかった。
次の日の昼過ぎのことだった。
大型連休が明け、麗は数日ぶりに静流と長電話をしていた。
だから携帯電話にキャッチが入っていたり、家の電話が鳴っていても出ようとしなかった。
電話を終えた麗は気持ちが充電され暖かい気持ちのまま、寝室のベッドに横たわっていた。
お腹も減っていなかったから、このまま気持ちの良いまま昼寝をするつもりだった。
しかし静かな部屋に、また家の電話のコール音が鳴り響く。
重怠い気持ちで子機を覗くと、祖父からだった。
また昨日の話の続きかと思い、出るのを拒みたかった。
しかしさすがに祖父の堪忍袋の尾が折れるだろうと、麗は祖父からの電話に出た。
「はい。お祖父ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの?じゃない!私と優でお前に何回も電話をかけていただろ。まさか…。まあそんなことはいい。」
まさに祖父は麗に激怒していたが、それ以上に慌てているようだった。
「優は仕事を早引きして金沢に帰ったよ。今朝お兄さんが交通事故にあって、亡くなったんだ。」
「え…。」
「私の用件が済んだ夕方にお前を迎えに行くから、二人で金沢に向かおう。」
祖父はそう言うと即座に電話を切り、麗は呆然としていた。
衝撃的な出来事で事態の重要性を飲み込むまで、少し時間がかかった。
優の兄は実家の家業を継いで、優しい妻と姉妹の子供がおり幸せに生活していた。
優の兄は弟を罵り犬猿の中であったため、麗は優の兄と結納と結婚式の二度しか顔を合わせたことはなかった。
優は兄とろくに言葉を交わさぬまま、麗の家の婿養子に入った。
しかし優の実家は、直径の血筋のものが代々家業の跡を継いでいる昔堅気の家だった。
そして夕刻になり、喪服に身を包んだ麗は祖父と共に新幹線で金沢に向かった。
夜更けになってしまったことで明日の朝一に優の実家に顔を出すことにした。
ホテルも別の部屋で、特に二人言葉を交わすこともなかった。
麗が想像した一抹の不安は、問題ないのかと思えた。
しかし翌朝顔を出しに行った二人を待ちかねていた義母の第一声は、酷なものだった。
「息子と離縁してください。」
もう一人の息子が顔掛けをし横たわる仏間で、義母はまっすぐに二人を見つめ冷ややかにそう呟いた。
義母の傍に座る義姉と子供たちは未だに泣いていた。
「どういうことですか?」
祖父は怒りで震えながらそう言った。
あれほど蔑ろにしていた息子を取り戻したい義母へ、優に深い情をかけていた祖父の悲痛の叫びでもあった。
「義母さん、親戚の方もいらしてるのだからその話は葬儀が終わってからにしよう。」
そうその場を宥めるように言ったのは、端の方で俯いて座っていた優だった。
麗は優の隣に座り、泣きそうな彼の背中を摩った。
偽装結婚であれ、これまで大切にしてくれた優の計り知れない心労を労ってのことだった。
それは家族で月命日の墓参りをした夜のことだった。
麗は婚約をした時と同じ料亭に優と祖父と三人で来ていた。
祖父の醸し出す神妙な雰囲気に、麗はまた悪い事が起きる予感がしてならなかった。
「ひ孫はまだなのか。」
祖父の第一声はそれだった。
一瞬で麗の顔は青冷め、優は目の前に倒れそうになった麗の肩を支えた。
祖父は麗の身体のことを知っているはずだった。
「跡継ぎが欲しいんだよ。本当の血筋の。」
愛する人に突然先立たれ年を重ねた祖父は、昔よりも利己的で頑固になっていた。
横暴な物言いについ口答えしたくなった麗を優が宥め、優が穏やかな口調で言った。
「私が年を取ってますからね。社長、私で不満足でしたらいつでも替えていただいて構いませんからね。」
「そんな優は立派な私の跡継ぎだよ。その後のことが私は心配で、年々不安になっているんだよ。」
そう言って祖父が嫌々と駄々をこねるこのやり取りは、結婚後何度したことだろう。
その度に、優は麗の身体のことを勿論知っていながらも子供ができないのは自分のせいだと優しく庇ってくれる。
子供どころか二人は、夫婦の夜の営みをしたことはなかった。
それは二人同意の下、約束したことだった。
しかしひ孫を期待している祖父にそんなとを言うわけにはいかないため、こんなやり取りが幾度となく繰り返されるのである。
酒に酔った祖父を見送り、麗と優は家路に着いた。
心労が祟った麗は深い溜息をつき、寝室のベッドに腰掛け首につけていた真珠を取った。
「おじいちゃん、本当にしつこいんだから。」
「まあまあ。いつかちゃんと分かってくれるさ。じゃあお休み。ちゃんと布団をかけて寝るんだよ。」
「ありがとう、優。」
そう兄のように優しく麗に声をかけた優は、優の寝室へと行ってしまった。
二人は夫婦の営みおろか、寝室も一緒にしていない。
愛のない偽装結婚をしてまで跡継ぎになりたいほど、穏やかな優は強欲には見えない。
きっと祖父に助けてもらった情が、ここまで優を不幸にさせたのだろうと麗は思う。
結婚して一年が経とうとしていた。
平穏に過ごす二人の偽装結婚だが、これから数年や数十年の月日を考えると息が詰まりそうになる。
しかしこうでもしなければ守らなかったものを、麗も優も持っている。
ただそれさえも容易く崩れ落ちていくことを、二人はまだ知らなかった。
次の日の昼過ぎのことだった。
大型連休が明け、麗は数日ぶりに静流と長電話をしていた。
だから携帯電話にキャッチが入っていたり、家の電話が鳴っていても出ようとしなかった。
電話を終えた麗は気持ちが充電され暖かい気持ちのまま、寝室のベッドに横たわっていた。
お腹も減っていなかったから、このまま気持ちの良いまま昼寝をするつもりだった。
しかし静かな部屋に、また家の電話のコール音が鳴り響く。
重怠い気持ちで子機を覗くと、祖父からだった。
また昨日の話の続きかと思い、出るのを拒みたかった。
しかしさすがに祖父の堪忍袋の尾が折れるだろうと、麗は祖父からの電話に出た。
「はい。お祖父ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの?じゃない!私と優でお前に何回も電話をかけていただろ。まさか…。まあそんなことはいい。」
まさに祖父は麗に激怒していたが、それ以上に慌てているようだった。
「優は仕事を早引きして金沢に帰ったよ。今朝お兄さんが交通事故にあって、亡くなったんだ。」
「え…。」
「私の用件が済んだ夕方にお前を迎えに行くから、二人で金沢に向かおう。」
祖父はそう言うと即座に電話を切り、麗は呆然としていた。
衝撃的な出来事で事態の重要性を飲み込むまで、少し時間がかかった。
優の兄は実家の家業を継いで、優しい妻と姉妹の子供がおり幸せに生活していた。
優の兄は弟を罵り犬猿の中であったため、麗は優の兄と結納と結婚式の二度しか顔を合わせたことはなかった。
優は兄とろくに言葉を交わさぬまま、麗の家の婿養子に入った。
しかし優の実家は、直径の血筋のものが代々家業の跡を継いでいる昔堅気の家だった。
そして夕刻になり、喪服に身を包んだ麗は祖父と共に新幹線で金沢に向かった。
夜更けになってしまったことで明日の朝一に優の実家に顔を出すことにした。
ホテルも別の部屋で、特に二人言葉を交わすこともなかった。
麗が想像した一抹の不安は、問題ないのかと思えた。
しかし翌朝顔を出しに行った二人を待ちかねていた義母の第一声は、酷なものだった。
「息子と離縁してください。」
もう一人の息子が顔掛けをし横たわる仏間で、義母はまっすぐに二人を見つめ冷ややかにそう呟いた。
義母の傍に座る義姉と子供たちは未だに泣いていた。
「どういうことですか?」
祖父は怒りで震えながらそう言った。
あれほど蔑ろにしていた息子を取り戻したい義母へ、優に深い情をかけていた祖父の悲痛の叫びでもあった。
「義母さん、親戚の方もいらしてるのだからその話は葬儀が終わってからにしよう。」
そうその場を宥めるように言ったのは、端の方で俯いて座っていた優だった。
麗は優の隣に座り、泣きそうな彼の背中を摩った。
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