昭和少年愚連隊 外伝

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外伝

伊藤所長

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私が二十歳のとき、ガソリンスタンドでバイトをしていた。
 

そのとき、伊藤所長がいた。
 

伊藤所長は、年末近く昇格し所長になった。
 
バリバリに働く人だった。
 
 
 
色々なアイディアを出し、
 
少しでも売上を上げようと いつも何かを考えていた。
 
 
 
そのアイディアの一つとは、タイヤワックス。
 
いまでは、1缶200円程度で買えるものだが
 
伊藤所長は1回500円という、とんでもない値段でのサービスを考案し実行した。
 
 
 
「お客さん、タイヤがきれいだと車がビシッと見えますよ」
 
30人ぐらいに声をかけると、珍しいもの好きの客がいて
 
「やってくれ」 と頼む者がいる。
 
どうやってやるのかと見ていると
 
まずタイヤをちょこちょこっと洗剤のついたブラシで洗う。
 
次にタイヤワックスをシューっトかける。
 
それだけ。
 
それだけで500円。
 
 
 
バイト仲間たちは、
 
「ありゃ、詐欺だな」
 
「俺だったら、絶対やんないな」
 
と陰口を言っていた。
 
 
 
しかし、なかなか売上が上がらず、
 
会社は対策として、営業のインストラクターを雇い入れた。
 
まさか、ガソリンスタンドのインストラクターが居るとは思わなかったが
 
ある日、インストラクターの岡田さんがやってきた。
 
 
 
何をするのかと思えば、売上の上がらないスタンドを渡り歩いていて
 
キャンペーンをやったり、エンジンルームチェックを率先してやったりする。
 
その営業の上手いこと。
 
岡田さんにかかったら、相当急いでいる人でない限り
 
エンジンルームを点検され、ガソリン以外のものをたっぷり売られてしまう。
 
オイル交換、 ラジエーター液、水抜き剤など

あっと言う間に万札が飛んでいった。



 
 
でも、伊藤所長は面白くなかった。
 
自分が一所懸命やっているのにインストラクターを送ってくる。
 
最初、ふて腐れていたのだが、岡田さんのおかげで売上が上がってくると
 
笑顔が戻ってきた。
 
そのうち、開き直って岡田さんの営業技術を盗もうとして
 
コバンザメのように付きまとい、太鼓持ちのようにヨイショして
 
どちらが所長かわからなくなった。
 
 
 
ある、土日に「キャンペーンをやろう」 ということになり
 
ガソリン20Lに「おまけ」として
 
「卵1パック」または「しょうゆ1本」 など数種類の品を用意していた。
 
 
 
中には、ちゃっかりした客がいて
 
20Lづつ数度に分けて給油する者がいた。
 
朝、昼、夕方と車を変えてまで3回も来るのだ。
 
一人一回などと言っていないので仕方がないが、なんかくやしい。
 
 
 
「あの客、また来ましたよ。これで3回目ですよ」と
 
岡田さんに言うと
 
「何?そうか、じゃあ俺が相手する」 と鼻息を荒げて行ったが
 
結局、なにか言いくるめられたうえに
 
怒られて「おまけの品」を余計に渡し、
 
「ありがとーうござーいまーしーたー」と車を見送っていた。
 
 
 
「いやー、まいった。まいった」
 
へこむわけでもなく、これだけ。
 
「さあ、次行こう!」 と切り替えの早いこと。
 
バイトの皆は、目を合わせて、笑いをこらえるのが精一杯。
 
しかし、この「根性」には頭が下がった。
 
 
 
さて、ガソリンスタンドは年末が忙しい。
 
今年の垢を落とすために、正月のガソリン給油のために
 
長蛇の列ができる。
 
 
 
そういうときに限って
 
この1年間、洗車したこともないような車を洗車する客が来る。
 
普通、ワックス洗車の後には、からぶきの雑巾が”スゥー”っとすべるのだが
 
こんな、1年も洗車していない車はザザザッとひっかかり
 
水滴をふき取るのにも一苦労。
 
なかには、拭いたら塗装が剥げる車もある。
 
 
 
でも、客は「きれいにしてくださいね」
などと言って、拭きあがりを待っている。
 
私は「もう少し、頻繁に洗車してくださいね」 と返す。
 
客はキョトンとしているが、自分で洗車したことなんかないんだろうな?と思う。
 
 
 
スタンドの洗車機は、普通、井戸を掘って洗車用の水を確保する。
 
そのほうが、安いからである。
 
しかし、年末の忙しいときは、その井戸が干上がってしまう。
 
ようするに水が出なくなる。
 
そりゃ、一気に水を上げればそうなるに決まっている。
 
かといって、水道に切り替えるわけにはいかない。
 
小一時間待てば、又、出るようになるのだが
 
客は長蛇の列。
 
どうしたかというと、水道のホースを井戸に突っ込んで
 
井戸に水を足した。
 
膨大な水道水が井戸に流されていく。
 
水道水は高いので損をする。
 
何をやっているのやら・・・
 
 
 
こうして、年末の大忙しが終わり
 
「明日から正月だ!」ってときに
 
熱い熱い伊藤所長は
 
「正月も店を開けるから手伝ってくれ!」 などとのたまわる。
 
 
 
もちろん皆、知らん顔だが、私の目を”ジッ”と見つめる伊藤所長の情熱に
 
「お年玉」付きを条件に1日だけ手伝うことにした。
 
 
 
正月元旦から働くことになった私は
「11時開店」の時間に余裕を持って行くと
 
すでに店は開いていて、客が入っている。
 
なんか、忙しそうだ。
 

熱い熱い情熱の伊藤所長は、10時から来ていて
 
こらえ切れずに店を開けた。
 
それで「てんてこ舞い」していた。
 
「勘弁してよ!」と思いながら、急いで着替えて店に出た。
 
元旦の午前中は、初詣に行く客たちで、なかなか忙しかった。
 
 
 
ところが、12時を過ぎると客足はピタッと止まった。
 
そりゃそうだ。
 
普通、正月の昼はおせちを食べて、酒飲んで、家族団欒である。
 
有名な寺社仏閣があるでも無し。
 
 
 
暇な時間が続き、15時ごろ
 
「もう、閉めようか」とT所長が言うので、急いで閉店の準備をした。
 
 
 
と、そこへ、1台のバンが入ってきた。
 
バンはいわゆる土方のおっちゃん達が相乗りするような
 
どう見ても土建業仕様。
 
 
 
「いらっしゃーい」伊藤所長が飛び出していった。
 
「今日やってるのか?助かったよ」と客。
 
給油をしながら伊藤所長と土方のおっちゃんが話をしていた。
 
 
 
客が帰り、終い支度をしている私に
 
「ああいう、お客さんが居るから、正月でも開けとかないとね」
 
などと笑顔で言った。
 
が、私は早く帰りたいので、無視していた。
 
 
 
結局、正月の2日、3日は伊藤所長も用事があるとの事で休み。
 

そして、事件は4日の昼過ぎに起こった。
 
 
 
4日昼過ぎ、突然1台の車がスタンドに勢いよく入って来た。
 
車に乗っていた男が伊藤所長を見つけ飛び出してくると
 
伊藤所長の胸ぐらをつかみ、叫んだ。
 
「この野郎ですよ!こいつですよ!」 と、もう一人の車の中にいた男に説明している。
 
のっそりと車の中から男が降りてきた。
 
いかにもヤクザ。
 
どう見てもヤクザ。
 
何事があったのかと、私とバイト仲間は遠巻きで見ていた。
 
「お前がやったのか?」とヤクザ男。
 
「??? 何のことですか?」と伊藤所長。
 
「ここじゃ話にならんから、事務所へ来い」とヤクザ男。
 
抵抗する伊藤所長。
 
すったもんだする二人に岡田さんが割って入った。
 
「どうしたんですか?」
 
「どうした? お前も事務所に来い!」 とヤクザ男が言った。
 
「いや、いや、まず、話を聞かせてください」
 
「ここではなんですから、奥へどうぞ」
 
さすが大人の岡田さん。
 
店前でもめているヤクザ男と最初に出てきたチンピラ君をスタンド奥の事務所に迎え入れた。
 
 
 
「何だろね?」
 
「どうしたんだろうね?」
 
バイト仲間は、興味津々。
 
しかし、そうこうしているうちにも、他のお客さんが来た。
 
バイト組は、そのお客の対応をし、一段落してスタンド内に入った。
 
 
 
ちょっと、事務所を覗いてみた。
 
伊藤所長と岡田さんが地べたに正座させられていた。
 
なんか、よく聞き取れないが罵声が飛んでいる。
 
「バカヤロー!」とか聞こえてきた。
 
ヤバイ!ヤバイ!とバイト組は外に出て
 
普段は寒いので進んでやらない 「外の水撒き」 とか 「洗濯」 とかをして
 
なるべく忙しそうに振舞った。
 
誰も、関わりたくなかった。
 
 
 
小一時間すると、ヤクザ男とチンピラ君が出てきた。
 
「じゃあ、わかったな! 明日18時に社長を連れて来いよ! いいな!」
 
ヤクザ男の声に伊藤所長と岡田さんは 「ハィイ。」 「ハィイ。」 と力なく頭を下げていた。
 
そして、ヤクザ男とチンピラ君は車に乗り帰っていった。
 
 
 
さて、バイト組は興味津々。
 
「どうしたんですか?」
 
「なにがあったんですか?」
 
目をギラギラさせながら事の真相を聞きだした。
 
 
 
元旦に店を開けたとき。
 
最後の「土建業仕様」の車が来たが
 
その車の持ち主がヤクザ男。
 
チンピラ君はその車に乗っていた奴。
 
伊藤所長は、そのとき間違えて 「ガソリン車」に「軽油」を入れてしまったらしい。
 
「土方仕様」の車のなので、もちろん 「軽油車」と思い
 
間違えても仕方のない状況だったが
 
確認しなかったこちらが悪いのは、言うまでも無い。
 
それで、車が動かなくなり
 
昨日、一昨日と来たが、店は休み。
 
今日、あらためて「 ご挨拶」に来たというわけ。
 
「なるほど~~」と皆、真相がわかりホッとした様子。
 
しか~し。
 
相手が悪い。
 
相手は、土建業を営む、れっきとしたヤクザなのである。
 
伊藤所長は 「これから会社に行って、社長に事情を話してきます」 と言い
 
いそいそと出かけていった。
 
 
 
残った岡田さんは
 
「まー、仕方ねえな。ガソリンタンクとエンジン洗浄して。それで何とかなるかな?」
 
と、またもやへこむでもなく、話をしている。
 
私は 「間違えたのが、俺じゃなくて良かった」 と胸を撫で下ろした。
 
 
 
さて次の日。
 
16時ごろ専務が来た。
 
そして、スタンド奥の事務所で伊藤所長と、岡田さんと、専務で
 
なにやら作戦会議が始まった。
 
そして、17時半。
 
専務と伊藤所長と岡田さんはヤクザの事務所へ車を走らせた。
 
 
 
20時。
 
3人は帰ってきた。
 
浮かない顔。
 
「どうなりました?」 聞いてみた。
 
 
 
専務が言った。
 
「ありゃぁ、本物のヤクザだね。
 
 部屋の壁には「任侠」とか掛け軸が貼ってあって
 
 日本刀とか飾ってあったよ。」
 
「うん、うん。」
 
「それで? それで?」
 
もう、バイト組は聞きたくて聞きたくて仕方が無い。
 
「まあ、結論的に言うとね・・・」
 
専務がタバコに火を点けた。
 
ああ、じれったい!
 
早よ、しゃべらんかい! と、専務に言う勢い!
 
「結論的に言うとね・・・」
 
なに、繰り返してんじゃい!
 
「結論的に言うとね、車を買って返せってことになってね。」
 
「ええ~~~っ!」
 
「だって、洗浄すれば直るんでしょ?」
 
「イヤ、イヤ。その道理が効かない相手でね。いくら言っても駄目なんだよ」
 
ああ、そうか。
 
敵はヤクザ。
 
普通のことを言っても、聞き入れるはずがない。
 
「じゃあ、買うんですか?」
 
「仕方ないね」
 
伊藤所長は、隅っこでうなだれている。
 
専務は「まあ、バイト諸君もこんなことがあるかもしれないから、気をつけてくれたまえ」
 
そう言うとタバコをもみ消し
 
「今日は帰るから」と言って店を出て行った。
 
バイト組は頭を下げて見送った。
 
帰り際、伊藤所長に
 
「明日、朝、会社に直行するように」 と一声かけた。
 
 
 
バイト組たちは
 
「伊藤所長の弁償かな?」
 
「まさかぁ。会社で出すんだろ」などと詮索した。
 
私は「 神様、どうぞ、一緒にいた私に火の粉が降りかかりませんように」 と祈った。
 
 
 
それからしばらくして
 
専務は2度と来なかったが、ヤクザには車を買って弁償したということを
 岡田さんから聞いた。
 
伊藤所長の弁償になったかどうかはわからない。
 
ただ、岡田さんはこうも言った。
 
「伊藤所長はハリキリ過ぎたんだよな
 アイデアを出して、売上を上げるのはいいけど
 儲かっていると見ると、ああいう輩が出てきて
 金をせびっていく。
 
 「はめられた」のかもしれないな。
 
 正月ぐらい、ゆっくり休めばよかったんだよ。
 24時間働けなくてもいいじゃない。」 と最後は洒落っぽく締めくくった。
 
 
 
私は、自分の短気を治し、そうだね「ゆっくり行こう。」と思ったが
 
未だに短気は治っていない。
 
情けねぇ。
 
 
 
 
 
 
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