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第3章 東雲学園編 九重流と文化祭

112 苗の『マニフェスト』

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 真也が秘密を知った翌日、朝の挨拶を済ませた真也は、苗の選挙事務所となっている多目的室の一つに居た。

 何人もの選挙補助が出入りする中、真也とまひる、同じく選挙補助の二年生である北田雄基は苗とともにテーブルを囲み、苗からA4の用紙が配られる。

 その紙の見出しには、『政見放送台本』と書かれていた。

「政見放送台本……」

 選挙まで、あと3日。
 そして投票の前日に『政見放送』として、苗を含む4人の生徒会長候補たちの主張を発表する場が訪れる。

 この台本は明後日には発表される、苗の生徒会長としての主張……『マニフェスト』が書かれたものだ。

 それは選挙補助である真也も知っていた。
 しかしながら、真也は、台本の上に並ぶ言葉たちの意味を全くと言っていいほど理解できなかった。

 本来、選挙ともなれば有権者に分かりやすく発表することが求められるため、噛み砕いた言葉にする必要があるのだが、ここは日本有数のエリート士官高校『東雲学園』。
 その生徒たちが『理解するレベル』で、かつ『簡潔に』まとめられた文章は、平均的な高校生たる真也に理解するには難しすぎた。

「……どうでしょう? 真也さん」
「は、はあ……」

 苗から信頼されて、この台本を見せてもらっている。その事実が、真也の口から『わかんないです』の一言を遠ざける。
 しかし、下手に意見を言うこともできず、真也は必至に政見放送台本を何度も見返すが、それでも何かが理解できるわけではない。

 そんな真也に、苗はさらに詰め寄る。

「ど、どうですか? 真也さんの目から見て……」
「いや……あの、えーっと」

 キラキラとした目で苗が真也に詰め寄る。
 昨日の今日で急に態度の変わった苗に、真也は朝から静かに混乱していた。
 昨日は『これまでと変わらずに付き合ってくれるか』と言ってきた先輩は、どう考えても昨日と違った態度で真也に話しかけてくるのだ。しかもなぜか、真也から見て、昨日までよりも親密に。

 真也と苗が昨日別れる時に言われた言葉……『肌を綺麗と言われて嬉しかった』という言葉が起因しているのだろうとは予想できたが、しかしそれでも『この変化』は急すぎるだろう。

 普段は薄く儚げなコンタクトを通した茶色の瞳は、いまや大きく見開かれ、答えを求めるようにじっと真也を見つめていた。
 もはや、信頼を裏切るとしても、分からないなりに『いいと思います』と言ってしまおうかと魔が差しかけた時だった。

「苗先輩」

 共にテーブルを囲んでいたまひるが、上半身を乗り出して苗に話しかける。

「なんでしょう、まひるさん」

「な ん で 、 お 兄 ち ゃ ん の こ と 、 名 前 で 呼 ん で る ん で す か ?」

 まひるの口調と口元はいつものように明るいが、目は完全に座っていた。
 苗は、そんなまひるにニコリと『微笑み返す』。

 そうして苗はまひるではなく真也の方を向き、上目遣いに質問する。

「だめですか?」

 年上の先輩が可愛らしく首を傾げる様子に、真也は心臓が高鳴った。
 可愛いから、ではない。彼女の目が……カラーコンタクトの奥にある金眼が、縦に伸びたような気がしたのだ。

 まるで、獲物を前にした捕食者のように。

「アッ……ハイ……」
「お 兄 ち ゃ ん ?」

 真也が苗に恐怖を感じる中、横からも容赦のない声が飛んでくる。
 昨日はレイラの家に泊まった妹は、今朝学校で落ち合った時からどこか苗に対して攻撃的だった。

「ハイ……」

 すぐ横のまひるの様子は分からず、声だけしか聞こえてこない。
 しかもその声は、『笑みを伴った声色』。だからこそ、より真也の恐怖はより増した。


 5秒。それが、真也が思考を回し、そして放棄するまでにかかった時間であり、彼が耐えられた沈黙の秒数だった。


「い、いえ……大丈夫で……す……はい。先輩の、あの、お好きにドウゾ……」

 なるべくまひるを視線に入れぬようにしながら、消え入るような語尾で返事を返すのが精一杯だった。

 言質を取った苗は、まひるに微笑みかける。

「だ、そうですよ?」

 苗の視線をまっすぐと受けたまひるは、微笑んだまま。まるで、薄氷のように薄く貼り付けられた笑顔は、微動だにしなかった。
 少しでも表情筋を動かせば、中から様々なものが溢れ出る。それを押しとどめているような顔だった。

「……お兄ちゃんがいいなら、いいです。『今は』」
「『妹さん公認』ですか。なら、良かったです」

 お互い微笑みのまま、視線を交え続ける。先に目線を外したのは苗だった。

「……で、どうですか? 真也さん」
「え?」
「台本です。これで行こうかと思ってるんですけど……」
「えっと……いいと、思います」

 真也は、一足先に考えることを放棄していたため、するりと心にもない言葉がこぼれ出た。 

「本当ですか!?」

 苗の表情が、花が咲いたようにほころぶ。

「本当はお兄ちゃん分かってないですよ」
「ま、まひる!」
「へーんだ!」

 唇を尖らせ、真也に対して分かりやすく『怒っている』とアピールするまひる。
 先ほどまでの恐ろしい笑顔でなくなっていただけ、真也は少しホッとした。

「さすが苗さん、革新的な部分が多いね」

 雄基は真也と違い、台本に書かれている苗の主張を理解しているようだった。
 さすが先輩、と雄基に対して尊敬を覚えながら、真也は彼の言葉の続きを待つ。

「特に、ここ。パンフには載せてなかったよね?」
「はい。政見放送で、自分の言葉で伝えなければ、誤解を受けそうだと思いまして」
「……たしかに。最強の一手だと思うけど、取り違えられたら致命的。純東雲生には特権廃止の最たるものだ」
「……ええ。それをいかに上手く伝えるか……私も苦心していますが、なかなか……」
「北田先輩、ど、どこですか?」
「ああ、生徒会の持つ権利の一部放棄の中、生徒会主導の軍務廃止と、学園軍務への変更願い提出」

(せいとかいしゅどうのぐんむはいし? へんこうねがいていしゅつ?)

 真也がぽかんと口を開けたまま固まっている様子に、雄基は言葉を重ねる。

「えーっと、いままで、生徒会も国疫軍から下請けして、学園とは別口で軍務を引き受けていたんだ。
 それを廃止して、学園主導の軍務に足してもらう、ってこと」
「生徒会からの軍務……そんなのがあったんですね」
「まあ、今年に入ってからは生徒会の引き継ぎのためになかった軍務だけど、去年の二学期と三学期はあったよ。
 そしてそれは、優先的に『純東雲』に割り振られていたんだ。実際そのような言葉はなかったけど、現実はそうだった」

 軍務を、純東雲に多く回していた。

「それって……」
「ああ。純東雲生の方が多くの軍務をこなし、国疫軍への貢献度が上がりやすかった、ってこと。
 過去選挙において掲げられたこのマニフェストは、純東雲生たちの心を鷲掴みにして、それ以降ずっと継続していたのさ」

 純東雲はこんなところでも贔屓されていたのか、と真也はえも言われぬ怒りを覚えながら、それでも『選挙補助』として意見する。

「その内容だと、むしろ票が減るんじゃ……」
「そんなことないよ。これこそが、苗さんが当選するための秘策だと思う。うまく伝われば最強の一手さ」
「そうなんですか?」

 真也の言葉に、雄基は頷く。

「まず、候補が4人いるでしょ? その中で、純東雲生でないのは苗さん1人。
 これによって、選民思想の強い純東雲生からの票は得にくい。ここまではいいね?」
「……はい」
「お兄ちゃん! み、みんながみんなそうじゃないよ!」
「まあまあ、おちついて、まひるちゃん」

 雄基は焦るまひるをなだめると、言葉を続ける。

「そうして、逆に純東雲生でない、編入組からの票は?」
「得やすい……んですかね?」
「その通り。間宮くんは知らなかったらしいけど、純東雲と編入組の確執は、深い。
 中3からの編入組である苗さんが純東雲贔屓廃止を訴えれば、編入組からの票は確実に得られる。これで全生徒の25%」
「でも、25%じゃ……」
「思い出して、間宮くん。候補は『4人』だ。25%の票がすでに取れているのは、かなり強いんだよ」
「……なるほど」
「さらにそこから、この『生徒会主導の軍務廃止』によって、特権を享受しきれていない東雲生の票を取るのさ」

 雄基は興奮気味に弁を振るうと、苗へと視線を向ける。

「そうだよね、苗さん」

 雄基の視線を受けた苗は、静かに頷き、言葉を継ぐ。

「間宮さん、現状AクラスとFクラスでは軍務実績に大きな差が出ているというのは、ご存知ですか?」
「……はい。合宿で同じ班だった子が、そう言ってました」
「差が生まれているのは、学園のせいではありません」
「じゃあ誰が?」
「生徒会主導の軍務、それが問題なのです。生徒主導のため『危険度の低いもの』しか委託がありません。
 それを生徒会が『純東雲』に回す事で……強度や実力の低い生徒たちが受けることのできる軍務がそちらに流れているのです」
「え……」
「間宮さん、404大隊で大岳営巣地へ行ったことを覚えていますか?」
「は、はい」
「一昨年から大岳営巣地のパトロール軍務は、Bクラスの純東雲生たちの多い部隊が担当していました」
「え? 大岳営巣地って、G指定ですよね?」
「ええ。強度3以上の生徒であれば可能な軍務ですが、彼らの平均強度は、6,8。
 彼らはもっと他の軍務を遂行できるのにもかかわらず、低危険度軍務をこなしていたのです」

 唖然とする真也に、雄基が畳み掛ける。

「さて、間宮くん。その分、強度の低い子たちはどうしてたと思う?」
「危険な軍務をしていたんですか!?」

 雄基は、真也の言葉に首を振る。

「違う。何もできなかった。軍務を受けない期間だけが、伸びていった」

「え……そんな……」

 『AクラスとFクラスでは、世界が違う』

 合宿の際に秋斗の零した言葉を、真也は思い出した。
 配される軍務の量が違うために、彼らは無理をしてでも、失点を恐れた。
 その結果、彼らは巣穴へと独断で突入し……真也が間に合ったから良かったものの、命を落とす危険性すらあったのだ。

「そしてそれは、下位クラスの強度の低い『純東雲生』にとっても、同じこと。
 彼らも『生徒会主導の軍務』がなくなり、学園による『実績率を加味した軍務振り分け』が増えることで、軍務参加率が上がるのです」
「そう。低強度の純東雲生たちの票だって、獲得できるのさ」
「……もし、これがうまくいけば、Fクラスの人たちが焦るような必要だって、なくなるってことですか」
「はい。これは、純東雲とか編入生とかではなく、学園にとって必要な……」

 苗は、再度台本へと視線を向ける。

「兄には正せなかった、東雲学園の持つ歪みを正す一手です」

 その眼差しは、台本というよりも、もっと大きな『何か』に向けられているように、真也には感じられた。

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