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(7)ずっと犬を飼いたかった
しおりを挟む眠ったのか気を失ったのか曖昧な暗転の果てに、静かな雨の音で目がさめた。
寝室にルカの姿はない。昨夜剥ぎ取られた月島君の服が、ベッドの横の椅子の上に畳まれていた。
窓の向こうの空は白く明るい。雨はすぐに止みそうだ。昨夜は灯りをつけずにもつれ込んだ寝室を改めて見渡す。壁の一面が本棚になっていた。
月島君は起きあがろうとして、腰にまとわりつくけだるさに気づく。抱かれた翌日の満たされた疲労感を数年ぶりに味わった。月島君は少々気恥ずかしいような、まだどこか夢うつつな心地で服に袖を通す。
ベッドから出て本棚の前に立つと、古い紙とインクの匂いがした。文学小説を中心に、洋書も混じっている。相当な読書家の本棚だった。
そういえばルカは、月島君が店で読む本の内容をいつも知っていた。おぼろげながらもルカの恋心の根拠を知ることができた気がして、背中がむず痒くなる。
ベッドよりも本棚のほうが主役の顔をしているルカの寝室は、月島君の部屋と少し似ていた。そのせいか、はじめて来る部屋なのに妙に居心地が良い。
紙の匂いや手触りが好きだ。きっとルカも同じだろう。久しく感じたことのなかった浮ついた気分になる。だけどその想いに名前をつけたくなかった。
「読みたいのあった?」
いつのまにか寝室に戻ってきていたらしいルカが、月島君に声をかける。
振り返ると、部屋の扉の前にルカが立っていた。店で見るのと変わらぬ穏やかな様子の彼に、月島君も表情をやわらげる。
はじめて明るいところでルカを見た。窓から差し込む柔らかな光が、彼の髪や瞳の色をよりいっそう淡くする。
夜の住人ではないルカの姿は、少年のような透明感と隠しきれない濃密な艶が同居していて、見る者を混乱させる色気があった。
「ルカ……」
彼の名前を呼びかけたところで、急に息苦しさに気づく。喉が締めつけられるような……。咄嗟に首に手をやると、そこには革と金具の冷たい感触があった。首輪だ。
ルカがにっこりとほほえんだ。
「言ったでしょう、ずっと犬を飼いたかったって。首輪も用意してるって」
ルカが何度も口にしていたことだ。ずっと犬を飼いたかった。黒い癖毛で、細身で、寂しそうな目をした子。
「ヒッ……」
月島君は呼吸を引きつらせながら自らの髪に触れる。緩いウェーブがかかった黒髪。
「やっぱりこれ、すごく似合ってる。可愛い」
これ、とルカが手を伸ばして月島君の首輪をなでた。その手から逃れようと後ずさっても、月島君の痩せた背中はすぐに本棚にぶつかる。
「ルカ君、犬って……」
店での会話と、昨夜のルカの言葉が、月島君の脳裏で交互に再生される。
ずっと葵さんのことが好きでした。ずっと前から欲しい子がいるんですけど。女の子にしたいです。俺が抱くほうでいい?早く連れて帰って、たくさん可愛がってあげたいな。俺が慰めてあげる。葵さん。気づいてなかったの?
「犬の話はね、葵さんにひとつだけ逃げるチャンスをあげたつもりだったんですけど。俺が飼いたがってる“犬”が誰のことなのか、気づいて逃げられちゃったら、俺は葵さんのことを諦めようと思ってた」
「そんなの、知らない……」
弱々しく首を振る。気づくどころか、月島君はルカに飼われる犬を少し羨ましいとすら思っていた。
ルカは満ち足りた表情で頷く。
「うん。俺はそういう可愛い葵さんが好き」
ひゅ、と喉の奥からかすれた吐息がこぼれる。青ざめて首をかきむしる月島君を、ルカはきょとんとした表情で見つめていた。
美しいグレイッシュブルーの瞳に、首輪をつけられた月島君が映っている。
「首輪少しきつかったね。直してあげるからおいで」
すでにルカの喋り方は、バイト先の常連である年上の男に対する態度ではない。まるで迎えたばかりの仔犬をあやす口調だ。
ただその声の温度だけは、昨夜耳元で聞かされたのと同じだった。
ルカの声が好きだった。店で本を読んでいるとき、不意にささやかれるといつも身体が震えた。酔いのせいだと思おうとしていた。
その声で名前を呼ばれると、頭の奥がじわりと痺れる。だからルカに名前を教えたくなかったのだ。月島君は形骸化した恋を盾にずっとこの想いから逃げて、そしていつか捕まりたいと願っていたのかもしれない。
本棚に背をはりつけたまま動けなくなった月島君を、ルカが甘ったるい声で叱る。
「葵さん、俺が呼んだらすぐ来なきゃだめだよ。……躾が足りなかったかなぁ」
つ、とルカの人差し指が月島君の腹を縦になぞる。へその下、昨日の夜、ルカがいた場所。
身体の奥深くを揺さぶられた躾の記憶が蘇る。彼に触れられた箇所が熱を孕むのがわかった。誘うような響きでルカが尋ねる。
「もっと躾けたほうがいい?」
月島君の足がふらりとルカのいるほうへよろめく。この身体は、月島君の精神よりも一足早く自らの居場所を見つけてしまった。ルカはその細い身体を抱きとめ、恭しく首輪に手をかける。
雨の音、インクの匂い、ルカの体温。この部屋で眠ってしまえば、もう二度と悲しいことは起こらない。首につけられた枷が安寧を保障してくれる。
ルカの腕の中に閉じ込められた月島君は、彼のものになった証をつけた喉を震わせた。
「恋はいつか終わるから……」
たったそれだけで、ルカは月島君の言いたいことを理解したらしい。
「わかってる、一生飼ってあげる。愛してるよ」
ルカは恋愛によく似た、しかしあきらかに違う永遠を誓う。
一番欲しい言葉をもらえた月島君はゆっくりと目を閉じる。それはキスを待つ恋人の顔のようでありながら、飼い主からご褒美をもらいたい犬の媚態だった。
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