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(10)親愛なるルカへ、君がいつか美しい犬を伴侶にできることを祈っています
しおりを挟むアイルランドにいる祖父が死んだのは、ルカが十八歳のときだった。多額の遺産をルカ一人だけに相続させるという遺書を残し、彼は死んだ。理由はたった一行だけ。
「ルカが一番私に似ているから」
海の向こうでは結構な相続争いが起きたらしい。
両親はルカを守ってくれた。ルカの父親と叔父が玄関先で言い争うのを何度も聞いたことがある。温厚な父、ルカを可愛がってくれた叔父。ルカは家の奥で母に抱きしめられながら、二人の荒々しい声を聞いていた。
「最期まであの人の面倒を見たのは俺と俺の妻ですよ。なのにどうして……」
叔父が疲れきった声で言う。
どうして、とルカも胸の内で彼と同じ言葉を重ねた。
どうしてお祖父様は、俺の本性を見抜いたのだろう。
最後に祖父に会ったのは、ルカが八歳の頃だった。
夏の休暇だったと思う。首都ダブリンから少し離れた町にある祖父の家の、庭を臨めるささやかなテラス。英国式庭園にしても野放図が過ぎる、草花が気ままに生い茂る景色が好きだった。
東京の夏よりずっと過ごしやすくて、外遊びに夢中になったのを覚えている。ルカは日本から持ってきたポータブルゲーム機をほったらかして庭の探索をして、探索に疲れたらテラスでくつろぐ祖父の膝に甘え、昔話をせがんだ。
ルカの祖父は聡明で退屈そうな目をした人だった。ルカと同じグレイッシュブルーの瞳。もともと内向的な性格だったのが、祖母の死以降のここ数年はほとんど笑顔を見せなくなったと後から聞いた。
日ごろの彼の冷淡さを知っている大人たちは、ルカが屈託なく祖父に抱きつくのをはじめて見たとき、肝を冷やしたそうだ。しかし意外にも、祖父はルカを気に入った。
その日もルカは、祖父と庭のテラスにあるラタン製の椅子に座っていた。早咲きのヒマワリはすでに枯れかけている。重たい頭を垂れてうなだれるひまわりが、燦々と明るい夏の庭に突如あらわれた亡霊みたいで面白い。ルカはそれを眺めながら、祖父の膝に乗り、とりとめのないおしゃべりをする。
「僕、結婚しないと思う。犬と暮らしたいから」
「ルカは不思議なことを言うね。結婚しても犬は飼えるよ」
祖父は本を片手にわずかに愛好を崩す。彼が読んでいたのはヘミングウェイだったと思う。
ルカは日本の友人の前で何度も宣言した持論を、英語に直して祖父にも伝えた。
「でも、お嫁さんよりも犬を大事にしたら、お嫁さんに悪いから。犬だけにする」
記憶にはないが、ルカにはかつて飼い犬がいた。正確には母の犬だけど。
母が独身時代から飼っていた雌のボーダーコリーだ。赤ん坊だったルカの横に寝そべる犬の、白と黒のつやつやした毛並みの背中を写真で見たことがある。ルカが三歳になる前に老衰でこの世を去った、賢くて美しい子。
母からよく思い出話を聞かせてもらった。あの子がいかにルカを愛していたか。最期もルカの隣で眠るように息を引き取ったらしい。その話はいつもルカを幸福に、そして少し寂しくさせた。ルカは写真や母の話から愛犬の存在を感じるだけで、そのぬくもりを思い出せないのだ。
「いつか、僕だけの犬を見つけて一生大事にするの」
変なの、と友達からは笑われたけど、ルカは本気だった。祖父はルカの夢を笑わなかったので、ルカはますます彼を好きになった。
テラスのテーブルに置いたティーセットと、ルカのために用意されたノンアルコールのミントジュレップ。グラスの中の氷がカランと音を立てる。ふと会話が途切れ、ルカはいつか出会えるはずの自分だけの犬のことを空想して唇をほころばせた。
日本育ちのルカの英語は、祖父には拙く聞こえたことだろう。ルカも祖父の地方訛りのある英語は少し難解に聞こえた。
ルカの幼さも相まって、祖父との交流は流暢だったとはいえない。だからこそ祖父は、ルカに生涯最大の秘密を打ち明けたのだと思う。
「私の初恋はね、向かいの家に住む男の子だったんですよ」
それは罪の告白だったかもしれない。だけどルカは祖父の膝の上で眠そうにビスケットをかじっていた。猫のようにふてぶてしいルカの姿に、祖父は愉快そうに目を細める。
「二番目の恋も、その次も、相手は男の子でした」
ルカは庭をひらひらと横切る大きな蝶を見ながら、祖父に尋ねる。
「どうして?」
なにもかもが不思議だった。
どうして男が男を好きになるの?それなのにどうしてお祖母様といっしょになったの?どうしてそれを僕に教えてくれたの?
どうしてだろうね、と祖父は遠くの空を見た。
「恋が叶ったことは一度もないんだ。お前のお祖母様だけが私のことを真に愛してくれたんだよ。あの人は私の天使様です」
「天使様と結婚したの?」
「最高の幸せでしょう?」
「うん」
よくわからなかったけど、深いしわが刻まれた祖父の顔があまりにも柔らかく微笑むので、ルカもあたたかい気持ちになった。お砂糖がたっぷり入った紅茶を飲んだときみたいに。
庭に群生する薄紫色の花のひとつに蝶がとまった。黒い羽根がひらりと揺れる。ルカは蝶を指さして言った。
「あれを捕まえたい」
「いいよ、行っておいで。ルカは自由な時代に生まれたから、かならず捕まえられるよ」
あの日の蝶は空高く舞いあがって、結局ルカのものにはなってくれなかった。ルカは唇を尖らせながら軽やかに遠ざかる黒い羽を見送る。
遊んでも遊んでもずっと太陽が沈まない、幼いルカには途方もなく長く感じた夏の午後。木漏れ日や小鳥の声がきらめく美しい庭で、ルカは蝶が飛び去った空を見上げる。
……ルカが一番私に似ているから。
祖父の遺言はルカを震えあがらせた。彼は見抜いていたのだ。ルカが自分の同類であることを。
男の硬い身体を組み敷きたい。両親にすら隠し通しているルカの秘密。
遺書の最後はルカにしか伝わらない一文で結ばれていた。
親愛なるルカへ、君がいつか美しい犬を伴侶にできることを祈っています。
ルカを家のしがらみから逃がすために、両親は一人暮らしのマンションを用意してくれた。憧れの一人暮らしがこんな形で実現するとは。ルカは段ボールから出した本を本棚に並べながら苦笑する。
そして十八歳の夏、ルカははじめて自分の欲望を嘲笑うのをやめ、男を抱いた。これでいいんだろ、と死んだ祖父に吐き捨てながら。
もう自分を偽ることができなかった。少しだけアイルランドの血が入っているルカの容姿は、学校の女の子たちからはしばしば王子様と評される。この顔はそちらの世界でもそれなりに通用した。相手に困ったことがない。
特定の相手は作らなかった。セックスは一晩だけルカを満たしてくれる。でも、それだけだ。誰を抱いても、あの夏の日の蝶々はルカの記憶の中の空から墜ちてきてくれない。
月島君を見つけたとき、ルカはひさびさにある感情を思い出した。悔しさだった。この人がまだ自分の手に墜ちていないなんて。許せない。
あれから何度、月島君がルカのバイト先のショットバーに来ただろうか。ルカが焦がすほど強く見つめても、月島君は文庫本をめくる手を止めない。文字を追う横顔を隠すように、彼のゆるやかにウェーブのかかった黒髪がひらりと揺れた。いつか、絶対にこれを捕まえる。
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