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(13)俺と会うのやめるつもりでしょ
契約ではない。本当の恋人になってほしい。
澪の言葉に、こみあげるような痛みと熱さが喉を突いた。視界が涙で歪み、そこでようやく、青山君は嗚咽をこらえている自分に気づく。
「圭吾さんに会った後、いつも帰したくなくて、頭おかしくなりそうになる。今日も帰っちゃうんでしょ。やだよ、ずっと俺のところにいてよ」
澪の手が、青山君の顔の近くのシーツを固く握りしめていた。
だめだ、聞くな。青山君は手の甲で涙をぬぐう。
青山君が泣いていることに気づいた澪が息を呑む。それでも彼は止まらなかった。
「仕事もさ、もっとゆっくり探していいよ。……探さなくてもいいし。俺のそばにいてくれたら、不自由させない」
青山君はのろのろと上体を起こす。肩から毛布がすべり落ちた。
「……シャワー浴びてくる」
澪の顔を見ないように目を伏せ、ベッドから抜け出す。
床に足を下ろした途端、ガクリと膝から崩れ落ちそうになった。腰から下に力が入らない。
醒めた感慨が頭をよぎる。やはり男の身体は、あんなふうに足を開いてなにかを受け入れるようにはできていないのだ、と。
「圭吾さんっ……」
支えようとした澪の手を振り払う。
実は、青山君は澪を自分に従わせる魔法の言葉を知っていた。
「ついてきたら嫌いになる」
使いたくない言葉だった。
澪が傷ついた表情で身体を硬直させる。自己嫌悪で吐きそうだ。青山君はだるい身体を引きずりながら寝室を出た。
冷水を浴びても身体の熱がおさまらない。
行為のとき、澪のが欲しくて夢中で腰を動かしていた自分が、今は得体の知れない動物のように思えて恐ろしかった。
本当の恋人になってほしいという澪の言葉を聞いて、流れる涙の意味がわからなかった。
……自分が自分じゃなくなっていく。
シャワーに打たれながら浴室の床に両膝をついた。
「もうやめないと……」
澪と会うの、もうやめないと。引き返せなくなる。
脱衣場には青山君の下着とスウェットの上下セットが置いてあった。
澪が用意してくれたらしい。ひどい態度をとっているのに、まだ世話を焼いてくれる。
置いてあるのは今日青山君が着てきた服ではなく、澪から借りた部屋着だった。乾いた笑いがこぼれる。帰したくない、と言われているみたいだ。
澪は青白い顔をしてリビングのソファに座り、青山君を待っていた。唇を引き結んで目の前のローテーブルをじっと見つめている。
叱られる前の子供の表情。泣くのをこらえる幼子のいじらしさと、どんなに怒られようが絶対に自分の思いを遂げるクソガキのふてぶてしさが同居していて、たまらなく可愛い。
「俺の服、どこ?」
青山君が尋ねると、澪はしょんぼりとソファの片隅を指さす。青山君が着てきたニットとスラックスが畳んであった。
こちらが切り出す前に澪が言う。
「俺と会うのやめるつもりでしょ」
澪はかわいそうなほど勘が良い。
「さっきの話、忘れて。契約でいいからこれからも俺と会って」
消え入りそうな声だった。
「澪……」
「じゃあ圭吾さんの就職決まるまで。それまでの期間だけでも支えさせて」
青山君が断れないところまで要求を下げてきた。
それは本来ならば、青山君のほうが頭を下げて頼まなければいけないことだと思う。澪の援助がないと就職活動もままならないのだから。
この数年で慣れつつあった自分の甲斐性のなさが今、痛烈にくやしい。
澪は、青山君がただうなずくだけで良い状況にしてくれた。一度首を縦に振るだけですべて元通り。
それなのに青山君は突っ立ったまま動けない。
長い睫毛を震わせ唇を噛んでいる澪から目をそらす。自分よりでかい男が、なぜこうも儚く見えるのだろう。
こんなに綺麗なのに、どこへ行っても特別扱いで愛されそうな存在なのに、圧倒的に愛情が足りていなくて、心の中の何かが過剰で、何かが稀薄で、それがどうしようもなく魅力的な、澪という男。
このかわいそうで可愛くて恐ろしいガキを抱きしめたら、俺は終わる。
愛してるという免罪符のもと、骨一本残さず食い潰される。
そう自分に言い聞かせ、澪に手を差し伸べたくなる衝動に耐えた。
澪はそっとソファから立ち上がり、青山君の濡れた髪を一筋、指ですくう。まるで別れの挨拶のような、やるせない愛情に満ちた仕草だった。
「髪乾かしてあげる。そのまま帰ったら風邪引くよ」
寂しげな微笑とともに澪が言う。
澪に髪を乾かされているあいだ、青山君は一度も顔を上げることができなかった。
「……なんでそんなに優しいの?」
うつむいたまま尋ねる。
「俺が本当に優しかったら、もうとっくに圭吾さんのこと諦めて自由にしてあげてる」
遠慮がちに髪に触れてくる澪の指先から、彼の脆い覚悟を伝えられているような気がした。青山君に触れられるのはこれで最後かもしれない。そう思いながらも、絶対に最後にしたくないと祈っている手。
「……すぐ乾いちゃうね」
そうつぶやく澪の声に、また涙があふれそうになる。
青山君が部屋着から自分の服に着替えている途中で、澪が言った。
「クリスマス、連絡するから」
青山君は充電器に挿しっぱなしだったスマホに手を伸ばす。スマホは馬鹿みたいに熱くなっていて、まるで今の自分みたいだと思った。
青山君はようやく一言だけ澪に告げる。
「わかった。待ってる」
見送りは辞退して、青山君は一人でマンションを出る。
外はまだ少し明るかった。紫色の空の端に、わずかにオレンジ色の夕陽の残滓がある。
昼間からあんなことをしていたんだ……。
シャワーで念入りに洗い流したのに、身体の奥はまだ澪の指の感触が消えない。
この時間の駅前通りは人通りが多い。店の軒先にクリスマスツリーが飾られていたけど、行き交う人の誰の視界にも入っていないようだった。
ついさっきまで金と引き換えで男に身体を明け渡していたのに、今は素知らぬ顔で外を歩いている。
ビルのガラス窓に映った自分は、どこにでもいそうな退屈な人間に見えた。数十分前に青山君が何をされていたか、想像できる人はいないだろう。
そんなことを考えながら歩いていたので、突然後ろから声をかけられたとき、心臓が止まりそうになった。
「青山?青山だよな?」
懐かしい男の声だった。
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次回更新は8月28日(木)です
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