とがはらみ

藍上央理

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シーン5

シーン5

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「うわああ……!」
 叶は、首に受けた衝撃に驚いて上体を勢いよく起こした。荒く息をつきながら、首元をさする。いまだに首に縄が食い込んだ痛みが残っている。
「大丈夫?」
 一夜が驚愕の表情を浮かべ、叶の背に手を当てた。女性も美千代の死を告げた途端、失神して倒れ込んだ叶に戸惑っている。
 叶は現状がつかめず、ひざまずいて自分を窺う二人を交互に見やった。
「美千代さんのことがそんなにショックだったの?」
 一夜が心配して、叶に訊ねた。
 叶は慌てて首を振り、一夜を見つめた。美千代の死も気になったが、美千代が亡くなったことをきっかけに、水葉の夢を見たのには意味があると思ったのだ。それに、水葉が異様に気にしていた事が気になった。
「一夜さん、咎の子を孕むって何ですか?」
 一夜は、複雑な表情で今まで黙っていたことを話した。
「美千代さんから聞いたんだけど、水葉さんの遺書に書いてあったと。水葉さんは婚儀の前から、文蔵さん以外にも複数の男性と交際していたと言っていた。首を吊ったときに子供を流産していた。残酷な話だよね。過ちを犯して、文蔵さんとの子ではない赤ん坊を妊娠していたわけだから。美千代さんも罪の子だ、咎の子だと言っていたよ」
 それを聞き、叶は体を起こし、横座りになった。
 美千代が文蔵に思いを寄せていたのは嘘なのだろうか。水葉が勝手に妄想していたのか。けれど、水葉の激しい憎しみの感情は本物だった。
 遺書には、『咎の子を孕んだ。もう神のかりはらではなくなった。こんな目に遭わせたやつが憎い。必ず末代まで祟り殺す』と、書いたのが水葉の目を借りて、叶の脳裏に浮かんだ。
「だれかが水葉さんを襲わせたんです。水葉さんは犯人を必ず見つけるって。一夜さんも言ってたと思うんですけど、宮司は子供が生まれたら離婚させられるんですよね? 水葉さんは離婚するつもりがないくらい、文蔵さんを愛していたって……。他に恋人がいたわけじゃなかったみたいでした」
 一夜が不思議そうに、
「それじゃあ、美千代さんが嘘を吐いていたってことなのか? なんでそんな嘘を……」
 叶は夢の中で、水葉と美千代の確執を目の当たりにした。全て水葉の感情だが、水葉が姉の美千代を蔑んでいたように、美千代も妹の水葉を妬んでいたと、水葉は察していたようだった。
 菟上家の巫女として誇りを持っていた水葉。そんな彼女を陥れる為には何をすればいいのか……? それで、美千代は何を手に入れたかったんだろう。そう考えてみて、叶は美千代が菟上家の何もかもを手に入れたかったのだと思い至った。
「……かりはらを全うしたら、必ず強い霊力を持つ娘が生まれてくる。だからこそ巫女にふさわしいと養父さんに聞いたことがある」
 一夜がぽつりと漏らした。
 叶は、水葉の恨みの根源が、『咎を孕む』という言葉に集約していることに気付いた。
 水葉はかりはらについてよく知っていたからこそ、レイプの末にできた子供を咎と呼び、神の子を宿せなかったことに絶望したのだろう。
「そうか……。私が見た鳥居の女は水葉だったんだ……」
 叶のつぶやきに、一夜が不思議そうな顔をする。
「男に乱暴された水葉さんが首を吊って死んだあと、犯人の男を探して彷徨っている……だから、『おまえか』ってあの女の霊は言ったんだ……」
 一夜にも叶が言いたいことが理解できたのだろう。
「夢で水葉さんは、末代まで祟り殺すと言ってました。しかも廃墟にあった祠のご神体を、祟り殺すって言いながら、叩き割ってました。そのあと、鳥居で首を吊って……。神様は死を嫌うんでしたっけ?」
 一夜が頷く。
死穢しえのことだね」
「水葉さんは首を吊った時に流産してるんです。血も嫌うって聞きました」
「まぁ、そうだ。血の穢ちのけがれだ」
「ご神体を壊したことと死と血の穢れで大蛟『みつちさま』をわざと怒らせて、その神の怒りを水葉さんの恨みや憎しみが取り込んで悪霊になったのかも」
「『おかみさま』は明治時代に神社と合祀されてご祭神になった神だからね、本当の信仰の対象じゃない。そのことは、講に集まる人の中でも特に古くから信仰しておられる方しか知らないはずだよ」
 一夜が叶に問いかける。
「みつちさんが龍神なら、なんのために人をおみず沼に引き込むの?」
「伝説では、龍神——大蛟は通りすがりの人間をおみず沼に引きずり込んでいたってありましたよ」
「でもなんで人の形を取って惑わすんだろうな」
 叶は、蔵での出来事を思い出して、背中に寒気が走る。
「私、実はずっとみつちさんらしきものが見えてたんです。蔵に閉じ込められたとき、多分、あれはみつちさんと思うんだけど、人間なかった。化け物……、異形だった。黒い靄のような塊で、黒っぽい着物——巫女装束を着た何か……」
「人によるけど、お面のような女の顔という人もいたらしいよ。声しか聞いてないとか、ね……。さてと」
 と、立ち上がり、叶を見た。
「葬儀の準備に戻ろう」
 叶は天水が美千代の死を告げに来ていたことを失念していた。
「一夜さん、私は構わないから菟上家に行ってきてください」
「本当を言えば、まだ、君のみつちさんの考察が聞きたいんだところだけど……君をここに一人きりにすると、また雨の中、出て行くかも知れないから、一緒に菟上家に来てほしいな」
 昨日、雨の中、菟上家の屋敷を飛び出して、みつちさんに魅入られて酷い目に遭った。さすがに、もう二度と雨の時に外に出るのは躊躇われる。
「さすがに、そんなことしませんよ。それに私、魅入られたままですもん」
「美千代さん、倒れたからね……。それにしても、通りすがりの人を引き込んでいたのに、さらに巫女も生け贄にしてたって、相当、悪い神だな」
「そうですね……。人身御供の巫女たちは納得ずくだったんですかねぇ……」
 大蛟である『みつちさま』が零落した存在であるみつちさんは、何故巫女の姿を借りるのだろう。
 水葉は、いずれ神様の元に行かねばならないと考えていたが——。
 そこで、叶は、自分がレポートで調べて書いた、おみず沼の人身御供伝説のことを思い出す。
『乙女をあまた捧げれば分けむ』と伝説には記してあった。叶はそれを人身御供として捧げよ、だと思っていた。おそらく、菟上家の人間も、皆、そう思っていたのだ。
 でも、それが全く違っていたら、どうなるのだろう。叶は大学助教の講義を思い起こした。
 助教は、『黒姫伝説』について話してくれた。龍神が人間の乙女に懸想し、結果、乙女は花嫁として龍神に捧げられるという話だ。
 この伝説は異類婚姻譚に分類される神婚説になる。『黒姫伝説』では、神に嫁ぐというよりも、生け贄に捧げる、という意味が強かった。
 もしも、それは間違いで、大蛟は花嫁を求めていたのだとしたら……?
 巫女である乙女たちは、大蛟である『みつちさま』に捧げられた。それを神は喜んだのだろうか。果たして、捧げられた巫女たちの死は報われていたのか。それとも、彼女たちの死は無意味だったのか、と叶は考え込んだ。
「どうしたの」
 いきなり黙りこくった叶に、一夜が心配そうに声を掛けた。
「あの、異類婚姻譚といって蛇や動物に人間の娘が嫁ぐ話があるんです」
「それが、みつちさんに何か関係あるの?」
 叶は持論を展開してみせた。
「『みつちさま』は、元々大蛟だった。でも美豆神社の淤加美神と合祀して、『おかみさま』となってから、『みつちさま』は忘れられてしまった。信仰を失った神は零落して妖怪になってしまうって、大学の先生が言ってました。みつちさんはもしかすると、昔、捧げられていた人身御供を失って、大蛟だった頃の性質が蘇ったんじゃないでしょうか」
「確か、昔話で、大蛟が人身御供を求めたってあったな……」
「そうです、そうです。菟上家の祖先が、おみず沼の大蛟から『水をわけてやる代わりに乙女をたくさん捧げろ』って言われた、あの話です。この言葉、ずっと人身御供に巫女を捧げろってことだと思ってたんですけど、本来、大蛟は花嫁が欲しかったんじゃないかって」
「花嫁を? でも、仮に花嫁だとしても、大蛟の住処はおみず沼の水底じゃないか。嫁だろうと人身御供だろうと、結局は死ぬんじゃ?」
 そこで、叶は聞きかじった話を一夜に説明した。
「巫女が大蛟と同じ場所に行く必要はないんです。例えば、異類婚姻譚には、よく知られているところで蛇婿というのがあって、人間の娘に懸想して通い詰めた美男子が、実は蛇だったとか」
 全部、助教の受け売りだったが、初めてこの話を聞く一夜には充分興味深い内容だったようだ。
「蛇か……。大蛟は龍だって聞いたことがある。雨乞いの神様だけあって、龍神らしいよ」
 その龍神を祀っている菟上家の巫女が雨乞いを得意とするのは、偶然ではない。
 叶は得意げに続ける。
「蛇や龍は昔から神聖視されて神として祀っているところもあります。その蛇と人間の娘との婚姻を神婚と言うらしいです。この類話では、女が妻問いする——要するに夜這いです——男の正体を知ろうと、針を男の衣の裾に刺して糸を辿って行き、そこで血を流して女を恨む蛇を見つけるんです。結局、女は蛇に殺されてしまう。でも、神婚が成立する場合があるんです。菟上家の巫女にも同じ事が起きたんじゃないかって思うんです。そうじゃなかったら、神様のかりはらって口伝があるはずがないでしょう? しかも、水葉さんはそれを誇りに思っているようだったし」
 一夜が叶の見解を聞いて感嘆のため息をつく。叶の言葉を半ば信じてくれている。
「へぇ……、じゃあ、霊力がある巫女は、『みつちさま』の子供を宿すってことなの?」
 昔は単純に結婚せずに子を成すことが憚られたのではないか。
 だから、「形式的に結婚し、神のかりはらとなって子を成し、その後、宮司とは離婚する」という因習を繰り返してきたのだ。しかし、因習にしても何かしら意味があるはずだ。
「思うんですけど、宮司と巫女の両者が結婚して一緒になるのは意図的で、偶然じゃないのかも……」
 叶は考え込むように呟いた。
「それじゃあ、君は宮司と巫女が結婚する事で、神婚が成り立つって言いたいの?」
 一夜の言葉に、叶は苦笑いを浮かべる。
「私が思うに、菟上家は大蛟、『みつちさま』の神意を勘違いして、巫女を人身御供にしてきたんじゃないかってことです」
 すると、一夜が眉根を寄せる。
「かりはらで自分の子を産ませておいて、なんで自分が産ませた子供を生け贄にされても祟らなかったんだ?」
「そのループを『みつちさま』は望んでいた? もしかして、水葉さんが悪霊になったのは、必然だったんじゃ。悪霊は、『みつちさま』によって純粋培養されてた祟りと融合したとか?」
「俺には分からない。巫女しか知らないことだからね。ほら、もうそろそろ葬儀の準備が始まるし、今度は君が斎主になるから、一緒に本家の屋敷に戻ってくれる?」
 確かにまだ振り袖を着たままでいた叶は、そろそろ慣れない着物に疲れてきていた。しかし、着替えるにはまたあの屋敷に戻らねばならない、と叶は嘆息する。
 それを見て一夜が苦笑いを浮かべる。
「安心して。だめになったタイヤは交換出来てると思う。いつでも好きなときに帰られる。だから警戒しないでほしい。俺と一緒に屋敷に戻ろう」
 一夜にそう言われて、叶は立て続けの葬儀に渋々参列することになった。


 一夜の運転する車に乗って、叶は再び菟上家に戻ってきた。
 曇天の下、屋敷には湿気を含んだ重たい空気が垂れ込めているように感じる。何か得体の知れないものが、屋敷に覆い被さり、のし掛かっているように見えた。
 希の葬儀のあと、追うようにして美千代が亡くなり、考えたくもないが、叶は菟上本家の唯一の生き残りとなった。
 今度は、叶が葬儀の斎主となるらしい。
 どこかしら、菟上家の生き残りが一人になったことを喜んでいる存在がいる。それが屋敷全体を包み込んでいるように思えた。叶が今から乗り込む場所は、異形の腹の中かも知れない。
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