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「パール・ド・ラ・メール公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
王城のきらびやかな大広間。
音楽が止まり、数百人の貴族たちの視線が一箇所に集中した。
その中心で、エドワード王子は隣に立つ小柄な少女、ルル・パフェ男爵令嬢の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったような顔で私を指さしている。
……ああ。
いいところだったのに。
私は、あと数センチで口に届くはずだった「極上A5ランク和牛(風)のロースト」をフォークに刺したまま、静かにため息をついた。
「……殿下、今なんとおっしゃいました?」
「聞こえなかったのか! 貴様のような、嫉妬に狂ってルルを苛めた悪女は、王妃の座にふさわしくないと言ったのだ!」
「いえ、その前の部分ですわ」
「婚約破棄だと言っている!」
「その次です」
「……この国から、追放だ?」
私は、震える手でフォークを皿に置いた。
ショックからではない。
あまりの歓喜に、指先の筋肉が痙攣しそうになったのを抑えるためだ。
(追放! ついに追放ですわね!?)
この王都は、美徳だの美容だのと称して、令嬢たちに「草」ばかりを食べさせる。
「淑女たるもの、食事は小鳥のように」というクソ食らえな家訓のせいで、私の胃袋はもう限界だった。
「パール……そんなにショックだったのね。ごめんなさい、私がエドワード様を愛してしまったばかりに……」
ルル嬢が、嘘くさい涙を浮かべて私に近づいてくる。
彼女の口元には、ついさっき食べたであろう高級バターの香りが残っている。
「ルル様、少し黙っていただけるかしら。今、人生で一番大事な計算をしているところなんですの」
「計算? 慰謝料の額かしら? 醜いわね」
エドワードが鼻で笑う。
違う、そんなはした金ではない。
(追放先は、確か王都から遥か北にあるベルフェゴール領……。あそこは、広大な牧草地が広がる、別名『肉の聖地』!)
私の脳内地図には、ベルフェゴール領から出荷される極上の仔羊肉、霜降り牛、そして野生の猪たちのイラストが躍っていた。
「殿下、確認ですが。追放ということは、私はもう、この窮屈な王都の食事制限に従わなくて良いのですね?」
「は? 何を言っている。貴様は罪人として北の果てへ行くのだぞ。二度と贅沢などできない生活が待っているのだ!」
「……贅沢」
私は思わず、口角が上がるのを止められなかった。
「そうですわね。あちらには、王都には出回らない『朝搾りたての新鮮な脂』や、熟成された『獣の肉塊』があると聞いています」
「おい、話を聞いているのか? 貴様がルルに行った悪行を認めろと言っているんだ!」
エドワードが顔を真っ赤にして怒鳴る。
悪行。
ああ、そういえばそんなことも言っていた。
「ルル様の教科書を隠した、という件ですか?」
「そうだ! ルルは泣いていたぞ!」
「あれは隠したのではなく、彼女が教科書に挟んでいた『最高級ベーコンの引換券』を、私が正当な理由で没収しただけです」
「没収!? それが嫌がらせだろうが!」
「殿下、あんなに脂身の少ないパサパサのベーコンを、育ち盛りの彼女が食べるのは教育上良くないと考えた、私の慈悲ですわ」
「何を言っているんだ貴様は……!」
周囲の貴族たちがざわざわと騒ぎ始める。
「パール様は、やはり頭がおかしくなったのでは」という声が聞こえるが、構うものか。
「他にもあるぞ! ルルのドレスにワインをかけただろう!」
「あれは、彼女が手に持っていた『フォアグラのパテ』を床に落としそうになったので、せめて赤ワインソースで味を整えて差し上げようと……」
「ドレスにかけたんだろうが! 味を整えるわけないだろう!」
エドワードのツッコミが冴え渡る。
しかし、私の心はすでにベルフェゴール領の、燃え盛るバーベキューコンロへと飛んでいた。
「もういい! 言い訳は聞き飽きた! 衛兵、この女を連れて行け! 今すぐ荷物をまとめさせ、明日の朝には北へ叩き出せ!」
「今すぐ、ですか?」
私は確認した。
「そうだ! 一刻も早く、私の目の前から消えろ!」
「承知いたしましたわ、エドワード殿下」
私はドレスの裾を華麗に持ち上げ、完璧なカーテシーを披露した。
これまでの人生で、一番心からの、最高に美しい礼だった。
「今まで、本当にお世話になりました。殿下のおかげで、ようやく私は『草食動物』から卒業できそうです」
「な……?」
「ルル様も、どうぞそのパサついたベーコンのような殿下とお幸せに。私、脂の乗った人生を歩んでまいりますわ!」
私は驚愕で口をあんぐりと開けるエドワードと、悔しさに顔を歪ませるルルを背に、大股で広間を歩き出した。
(急がなきゃ。まずは実家の地下倉庫にある、特注の『肉切り包丁』を回収しないと!)
私の足取りは、羽が生えたように軽かった。
「お父様! お父様はどこかしら!」
出口付近で固まっていた父、ラ・メール公爵を見つけると、私は満面の笑みで駆け寄った。
「パール……。お前、正気か? あんなに酷いことを言われて、なぜそんなに嬉しそうなんだ」
「お父様! それより、北の別荘の鍵をください! あと、私専属のシェフ……いえ、 butchers(解体職人)を雇う許可を!」
「……お前、本当に王子に未練はないのか?」
「未練? そんなもの、鶏の軟骨ほどもありませんわ!」
父は呆れたように肩を落としたが、すぐにフッと笑った。
「……まあいい。私もあのお調子者の王子には嫌気がさしていたところだ。ベルフェゴール公爵には私から連絡を入れておこう。あそこは……ふむ、確かに肉は美味いからな」
「お父様、大好きです!」
私は父に抱きつかんばかりの勢いで感謝を述べると、自分の部屋へと走り出した。
(待ってなさい、ベルフェゴール領! 待ってなさい、牛さん、豚さん、羊さん!)
こうして、史上稀に見る「お祝いムード全開」の婚約破棄劇は幕を閉じた。
これが、後に伝説となる「肉食令嬢」パールの、最初の一歩である。
王城のきらびやかな大広間。
音楽が止まり、数百人の貴族たちの視線が一箇所に集中した。
その中心で、エドワード王子は隣に立つ小柄な少女、ルル・パフェ男爵令嬢の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったような顔で私を指さしている。
……ああ。
いいところだったのに。
私は、あと数センチで口に届くはずだった「極上A5ランク和牛(風)のロースト」をフォークに刺したまま、静かにため息をついた。
「……殿下、今なんとおっしゃいました?」
「聞こえなかったのか! 貴様のような、嫉妬に狂ってルルを苛めた悪女は、王妃の座にふさわしくないと言ったのだ!」
「いえ、その前の部分ですわ」
「婚約破棄だと言っている!」
「その次です」
「……この国から、追放だ?」
私は、震える手でフォークを皿に置いた。
ショックからではない。
あまりの歓喜に、指先の筋肉が痙攣しそうになったのを抑えるためだ。
(追放! ついに追放ですわね!?)
この王都は、美徳だの美容だのと称して、令嬢たちに「草」ばかりを食べさせる。
「淑女たるもの、食事は小鳥のように」というクソ食らえな家訓のせいで、私の胃袋はもう限界だった。
「パール……そんなにショックだったのね。ごめんなさい、私がエドワード様を愛してしまったばかりに……」
ルル嬢が、嘘くさい涙を浮かべて私に近づいてくる。
彼女の口元には、ついさっき食べたであろう高級バターの香りが残っている。
「ルル様、少し黙っていただけるかしら。今、人生で一番大事な計算をしているところなんですの」
「計算? 慰謝料の額かしら? 醜いわね」
エドワードが鼻で笑う。
違う、そんなはした金ではない。
(追放先は、確か王都から遥か北にあるベルフェゴール領……。あそこは、広大な牧草地が広がる、別名『肉の聖地』!)
私の脳内地図には、ベルフェゴール領から出荷される極上の仔羊肉、霜降り牛、そして野生の猪たちのイラストが躍っていた。
「殿下、確認ですが。追放ということは、私はもう、この窮屈な王都の食事制限に従わなくて良いのですね?」
「は? 何を言っている。貴様は罪人として北の果てへ行くのだぞ。二度と贅沢などできない生活が待っているのだ!」
「……贅沢」
私は思わず、口角が上がるのを止められなかった。
「そうですわね。あちらには、王都には出回らない『朝搾りたての新鮮な脂』や、熟成された『獣の肉塊』があると聞いています」
「おい、話を聞いているのか? 貴様がルルに行った悪行を認めろと言っているんだ!」
エドワードが顔を真っ赤にして怒鳴る。
悪行。
ああ、そういえばそんなことも言っていた。
「ルル様の教科書を隠した、という件ですか?」
「そうだ! ルルは泣いていたぞ!」
「あれは隠したのではなく、彼女が教科書に挟んでいた『最高級ベーコンの引換券』を、私が正当な理由で没収しただけです」
「没収!? それが嫌がらせだろうが!」
「殿下、あんなに脂身の少ないパサパサのベーコンを、育ち盛りの彼女が食べるのは教育上良くないと考えた、私の慈悲ですわ」
「何を言っているんだ貴様は……!」
周囲の貴族たちがざわざわと騒ぎ始める。
「パール様は、やはり頭がおかしくなったのでは」という声が聞こえるが、構うものか。
「他にもあるぞ! ルルのドレスにワインをかけただろう!」
「あれは、彼女が手に持っていた『フォアグラのパテ』を床に落としそうになったので、せめて赤ワインソースで味を整えて差し上げようと……」
「ドレスにかけたんだろうが! 味を整えるわけないだろう!」
エドワードのツッコミが冴え渡る。
しかし、私の心はすでにベルフェゴール領の、燃え盛るバーベキューコンロへと飛んでいた。
「もういい! 言い訳は聞き飽きた! 衛兵、この女を連れて行け! 今すぐ荷物をまとめさせ、明日の朝には北へ叩き出せ!」
「今すぐ、ですか?」
私は確認した。
「そうだ! 一刻も早く、私の目の前から消えろ!」
「承知いたしましたわ、エドワード殿下」
私はドレスの裾を華麗に持ち上げ、完璧なカーテシーを披露した。
これまでの人生で、一番心からの、最高に美しい礼だった。
「今まで、本当にお世話になりました。殿下のおかげで、ようやく私は『草食動物』から卒業できそうです」
「な……?」
「ルル様も、どうぞそのパサついたベーコンのような殿下とお幸せに。私、脂の乗った人生を歩んでまいりますわ!」
私は驚愕で口をあんぐりと開けるエドワードと、悔しさに顔を歪ませるルルを背に、大股で広間を歩き出した。
(急がなきゃ。まずは実家の地下倉庫にある、特注の『肉切り包丁』を回収しないと!)
私の足取りは、羽が生えたように軽かった。
「お父様! お父様はどこかしら!」
出口付近で固まっていた父、ラ・メール公爵を見つけると、私は満面の笑みで駆け寄った。
「パール……。お前、正気か? あんなに酷いことを言われて、なぜそんなに嬉しそうなんだ」
「お父様! それより、北の別荘の鍵をください! あと、私専属のシェフ……いえ、 butchers(解体職人)を雇う許可を!」
「……お前、本当に王子に未練はないのか?」
「未練? そんなもの、鶏の軟骨ほどもありませんわ!」
父は呆れたように肩を落としたが、すぐにフッと笑った。
「……まあいい。私もあのお調子者の王子には嫌気がさしていたところだ。ベルフェゴール公爵には私から連絡を入れておこう。あそこは……ふむ、確かに肉は美味いからな」
「お父様、大好きです!」
私は父に抱きつかんばかりの勢いで感謝を述べると、自分の部屋へと走り出した。
(待ってなさい、ベルフェゴール領! 待ってなさい、牛さん、豚さん、羊さん!)
こうして、史上稀に見る「お祝いムード全開」の婚約破棄劇は幕を閉じた。
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