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王都を追放されてから、三日が経過した。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は窓の外に広がるのどかな風景を眺めていた。
追放された令嬢というものは、普通なら絶望に打ちひしがれ、涙で頬を濡らすものらしい。
けれど、今の私の頬を濡らしているのは、涙ではなく期待による「よだれ」だ。
「……お嬢様。失礼ながら、一点よろしいでしょうか」
御者台から小窓越しに、御者のトムが困惑した声をかけてくる。
彼はラ・メール公爵家に長年仕えるベテランだが、今の私の様子が理解できないらしい。
「なあに、トム。あと少しで領地との境目かしら?」
「いえ、そうではなく……お嬢様、三日前からずっと、その手に持った『肉図鑑』を読みふけっていらっしゃいますが。そんなに熱心に見て、何が書いてあるのですか?」
「これ? これはね、ベルフェゴール領に生息する希少な『野牛』の部位解説よ。見て、このイチボの張り! 素晴らしいと思わない?」
「……左様でございますか。お嬢様がこれほどまでに、その、精肉に造詣が深いとは存じませんでした」
トムの引きつった笑い声が聞こえる。
無理もない。かつての私は、公爵令嬢としての体面を保つため、人前ではサラダの葉っぱ一枚を三十分かけて食べるような生活を送っていたのだから。
「トム、止めてちょうだい! あそこよ!」
「えっ? まだ宿場町ではありませんが……。あそこの、あの小汚い……失礼、年季の入った食堂ですか?」
「そうよ! 看板を見て!」
街道沿いにポツンと立つ、石造りの質素な食堂。
そこには、煤けた看板に力強い筆致でこう書かれていた。
『名物:冒険者の骨付き塊肉(在庫限り)』
「これよ……。これこそが、私が夢にまで見た『マンガ肉』の正体だわ!」
「まんが……? お嬢様、何を仰っているのですか?」
「いいから止めてちょうだい! さあ、早く!」
馬車が止まるが早いか、私はドレスの裾をひるがえして飛び降りた。
王都の淑女が見れば気絶するような、はしたない動きだろう。けれど今の私には、マナーよりも優先すべきタンパク質がある。
食堂の扉を勢いよく開けると、中にはガタイの良い冒険者や商人たちが数人、昼食を摂っていた。
きらびやかなドレス姿の令嬢――泥はねで少し汚れてはいるが――の登場に、店内の空気が一瞬で凍りつく。
「い、いらっしゃい……。お嬢ちゃん、道に迷ったのかい?」
カウンターの奥から、熊のような大男の店主が顔を出した。
「いいえ。看板にあった『骨付き塊肉』を二つ……いえ、三つくださいな!」
「はあ? 三つ? おいおい、あれは一本で一キロはあるんだぞ。一人で食える量じゃねえ」
「あら、ご心配なく。私の胃袋は、今、広大な草原のように空いておりますの」
私はカウンターに金貨を一枚、パチンと置いた。
「お釣りはいりません。その代わり、一番大きくて、一番脂の乗ったところを焼いてくださる?」
「……へっ、威勢がいいね。分かったよ、座ってな!」
数分後、私の前に運ばれてきたのは、まさに「伝説」だった。
中央に太い骨が通り、その周りを黄金色の脂が滴る肉の塊が、完璧な楕円形を描いて包み込んでいる。
立ち上る香ばしい煙と、肉汁が弾けるパチパチという音。
「……美しい。なんて、神々しいフォルムかしら」
「お嬢様、本当に召し上がるのですか? ナイフとフォークをお借りしましょうか?」
心配そうについてきたトムが尋ねるが、私は首を横に振った。
「いいえ、トム。この肉に対して、刃物を入れるなんて失礼だわ。これは、こうして……」
私は両手でしっかりと骨の端を掴み、大きく口を開けた。
「……いただきますわ!」
ガブリ、と。
野性味あふれる歯ごたえと共に、濃縮された肉の旨味が口いっぱいに弾け飛んだ。
「――っ!!」
美味しい。
王宮の、あのちまきのような一口サイズの肉料理とはわけが違う。
噛めば噛むほど、自分が生きているという実感が湧いてくる。
肉汁が頬を伝い、ドレスの襟を汚すが、そんなことはどうでもいい。
「ふふ、ふふふ……。最高ですわ。エドワード殿下、見ていらっしゃいますか? 私は今、あなたとダンスを踊っていた時より、一千倍は幸せですわ!」
「……お嬢様、涙が出ていますよ」
「これは肉の輝きが目に染みただけよ、トム」
周囲の冒険者たちが、あんぐりと口を開けて私を見ている。
一人の男がボソリと呟いた。
「おい……あの姉ちゃん、公爵家の紋章が入った馬車に乗ってなかったか?」
「ああ。なのに、あの食いっぷり……。見てみろよ、骨の周りの一番美味いところを、一切残さず削ぎ落としてやがる」
「すげえな。ありゃあ、本物の『狩人』の目だぜ」
褒め言葉として受け取っておきましょう。
私は二本目のマンガ肉に手を伸ばしながら、これからの生活に思いを馳せた。
目的地であるベルフェゴール領は、もう目と鼻の先だ。
あそこには、このマンガ肉を供給している巨大な牛たちが、群れをなして歩いているという。
「待ってなさい、ベルフェゴール公爵……ガイ様、だったかしら?」
野獣と恐れられるその領主がどんな人物かは知らない。
けれど、これだけ素晴らしい肉を産出する土地を治めているのだ。
きっと、私以上に肉を愛する、話のわかる御仁に違いないわ。
私は最後の一口を飲み込み、満足げに口元を拭った。
「ごちそうさまでした。さあ、トム! 出発よ! 私の肉園(エデン)へ!」
「……かしこまりました。なんだか、お嬢様が本当に悪役令嬢だったのか、怪しくなってきましたよ」
馬車は再び、北へと走り出す。
その胃袋に、確かな重みと希望を詰め込んで。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私は窓の外に広がるのどかな風景を眺めていた。
追放された令嬢というものは、普通なら絶望に打ちひしがれ、涙で頬を濡らすものらしい。
けれど、今の私の頬を濡らしているのは、涙ではなく期待による「よだれ」だ。
「……お嬢様。失礼ながら、一点よろしいでしょうか」
御者台から小窓越しに、御者のトムが困惑した声をかけてくる。
彼はラ・メール公爵家に長年仕えるベテランだが、今の私の様子が理解できないらしい。
「なあに、トム。あと少しで領地との境目かしら?」
「いえ、そうではなく……お嬢様、三日前からずっと、その手に持った『肉図鑑』を読みふけっていらっしゃいますが。そんなに熱心に見て、何が書いてあるのですか?」
「これ? これはね、ベルフェゴール領に生息する希少な『野牛』の部位解説よ。見て、このイチボの張り! 素晴らしいと思わない?」
「……左様でございますか。お嬢様がこれほどまでに、その、精肉に造詣が深いとは存じませんでした」
トムの引きつった笑い声が聞こえる。
無理もない。かつての私は、公爵令嬢としての体面を保つため、人前ではサラダの葉っぱ一枚を三十分かけて食べるような生活を送っていたのだから。
「トム、止めてちょうだい! あそこよ!」
「えっ? まだ宿場町ではありませんが……。あそこの、あの小汚い……失礼、年季の入った食堂ですか?」
「そうよ! 看板を見て!」
街道沿いにポツンと立つ、石造りの質素な食堂。
そこには、煤けた看板に力強い筆致でこう書かれていた。
『名物:冒険者の骨付き塊肉(在庫限り)』
「これよ……。これこそが、私が夢にまで見た『マンガ肉』の正体だわ!」
「まんが……? お嬢様、何を仰っているのですか?」
「いいから止めてちょうだい! さあ、早く!」
馬車が止まるが早いか、私はドレスの裾をひるがえして飛び降りた。
王都の淑女が見れば気絶するような、はしたない動きだろう。けれど今の私には、マナーよりも優先すべきタンパク質がある。
食堂の扉を勢いよく開けると、中にはガタイの良い冒険者や商人たちが数人、昼食を摂っていた。
きらびやかなドレス姿の令嬢――泥はねで少し汚れてはいるが――の登場に、店内の空気が一瞬で凍りつく。
「い、いらっしゃい……。お嬢ちゃん、道に迷ったのかい?」
カウンターの奥から、熊のような大男の店主が顔を出した。
「いいえ。看板にあった『骨付き塊肉』を二つ……いえ、三つくださいな!」
「はあ? 三つ? おいおい、あれは一本で一キロはあるんだぞ。一人で食える量じゃねえ」
「あら、ご心配なく。私の胃袋は、今、広大な草原のように空いておりますの」
私はカウンターに金貨を一枚、パチンと置いた。
「お釣りはいりません。その代わり、一番大きくて、一番脂の乗ったところを焼いてくださる?」
「……へっ、威勢がいいね。分かったよ、座ってな!」
数分後、私の前に運ばれてきたのは、まさに「伝説」だった。
中央に太い骨が通り、その周りを黄金色の脂が滴る肉の塊が、完璧な楕円形を描いて包み込んでいる。
立ち上る香ばしい煙と、肉汁が弾けるパチパチという音。
「……美しい。なんて、神々しいフォルムかしら」
「お嬢様、本当に召し上がるのですか? ナイフとフォークをお借りしましょうか?」
心配そうについてきたトムが尋ねるが、私は首を横に振った。
「いいえ、トム。この肉に対して、刃物を入れるなんて失礼だわ。これは、こうして……」
私は両手でしっかりと骨の端を掴み、大きく口を開けた。
「……いただきますわ!」
ガブリ、と。
野性味あふれる歯ごたえと共に、濃縮された肉の旨味が口いっぱいに弾け飛んだ。
「――っ!!」
美味しい。
王宮の、あのちまきのような一口サイズの肉料理とはわけが違う。
噛めば噛むほど、自分が生きているという実感が湧いてくる。
肉汁が頬を伝い、ドレスの襟を汚すが、そんなことはどうでもいい。
「ふふ、ふふふ……。最高ですわ。エドワード殿下、見ていらっしゃいますか? 私は今、あなたとダンスを踊っていた時より、一千倍は幸せですわ!」
「……お嬢様、涙が出ていますよ」
「これは肉の輝きが目に染みただけよ、トム」
周囲の冒険者たちが、あんぐりと口を開けて私を見ている。
一人の男がボソリと呟いた。
「おい……あの姉ちゃん、公爵家の紋章が入った馬車に乗ってなかったか?」
「ああ。なのに、あの食いっぷり……。見てみろよ、骨の周りの一番美味いところを、一切残さず削ぎ落としてやがる」
「すげえな。ありゃあ、本物の『狩人』の目だぜ」
褒め言葉として受け取っておきましょう。
私は二本目のマンガ肉に手を伸ばしながら、これからの生活に思いを馳せた。
目的地であるベルフェゴール領は、もう目と鼻の先だ。
あそこには、このマンガ肉を供給している巨大な牛たちが、群れをなして歩いているという。
「待ってなさい、ベルフェゴール公爵……ガイ様、だったかしら?」
野獣と恐れられるその領主がどんな人物かは知らない。
けれど、これだけ素晴らしい肉を産出する土地を治めているのだ。
きっと、私以上に肉を愛する、話のわかる御仁に違いないわ。
私は最後の一口を飲み込み、満足げに口元を拭った。
「ごちそうさまでした。さあ、トム! 出発よ! 私の肉園(エデン)へ!」
「……かしこまりました。なんだか、お嬢様が本当に悪役令嬢だったのか、怪しくなってきましたよ」
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その胃袋に、確かな重みと希望を詰め込んで。
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