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馬車がゆるやかな丘を越えた瞬間、私の視界は「天国」にジャックされた。
「……ああ。なんという、なんということでしょう」
「お嬢様、落ち着いてください。身を乗り出しすぎです!」
トムが必死に私の腰を掴んでいるが、止まれるはずがない。
窓の外には、地平線の果てまで続くエメラルドグリーンの草原。
そしてそこには、王都では見たこともないほど巨大で、丸々と太った牛たちが、のんびりと草を食んでいた。
「見て、トム! あの肩肉の盛り上がり! あの一頭だけで、何人分のサーロインが取れるかしら!」
「……普通、令嬢は牛を見て部位の計算はしません」
「あの子なんて、歩くたびに脂が揺れているわ。素晴らしい……。あそこはまさに、脂身の貯蔵庫ですわね!」
私は感動のあまり、ハンカチで目元を拭った。
追放されて良かった。
エドワード殿下、私に自由をくれて本当にありがとう。
心の中で、元婚約者のナルシストな顔に感謝のメンチを切っておいた。
やがて馬車は、草原の真ん中にそびえ立つ、黒い石造りの無骨な屋敷へと到着した。
華やかさのかけらもないが、質実剛健。
まるで「ここでは飾りではなく、命を味わえ」と言っているような、素敵な佇まいだわ。
馬車から降りると、一人の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
(……えっ。熊? それとも、直立歩行するタイプの新種の牛かしら?)
そこにいたのは、人間離れした体躯の男だった。
背丈は二メートル近くあり、はち切れんばかりの筋肉が、泥に汚れたシャツの下で躍動している。
無精髭を生やし、鋭い眼光は獲物を狙う猛獣のようだ。
彼が、この辺境を統べる「野獣公爵」ガイ・ベルフェゴールに違いない。
「……あんたが、王都から放り出されたっていう公爵令嬢か」
地を這うような低い声。
普通の令嬢なら、この威圧感だけで腰を抜かして泣き出すだろう。
現に、後ろでトムが「ひいいっ」と小さく悲鳴を上げている。
けれど、私の目は彼の顔ではなく、彼が右肩に担いでいる「何か」に釘付けだった。
「…………それは、猪ですか?」
「ああ? ああ、これか。庭で暴れてたから、一発殴って仕留めてきたところだ。今日の飯にするつもりだったが……令嬢のあんたには、もっとマシなもんを用意させる」
ガイ様は、獲物の猪をドサリと地面に投げ捨てた。
鮮血が少しだけ私の靴に飛んだが、そんなことはどうでもいい。
「……一発で、その巨体を?」
「……不快だったか? 野蛮で悪かったな」
ガイ様がフンと鼻を鳴らし、去ろうとする。
私は反射的に、彼の太い腕をガシッと掴んだ。
「素晴らしいわ……!!」
「……は?」
「その無駄のない動き、獲物に対する敬意、そして何より、この新鮮な食材! ガイ様、あなたこそ私が求めていた『肉の求道者』ですわ!」
私はガイ様の大きな手を両手で握りしめ、キラキラとした瞳で見上げた。
ガイ様は、石像のように固まった。
「……おい。あんた、自分が追放されたって分かってるのか? ここは王都みたいな華やかな夜会も、ドレスもねえんだぞ」
「そんなもの、胃袋の足しにもなりませんわ! ドレスよりもロース! 宝石よりも牛タン! 私は、ここであなたの育てる最高級の肉たちと共に、骨を埋める覚悟です!」
「…………」
ガイ様が、見たこともないほど困惑した表情を浮かべた。
頬がほんのりと赤くなっているのは……怒りの前兆かしら?
それとも、私の情熱が伝わった証?
「……変わった女だ。噂じゃ、冷酷で高慢な氷の令嬢だって聞いてたが」
「氷? ああ、それはきっと、生肉を鮮度良く保つために私が常に冷気を纏っていたからでしょうね。誤解ですわ」
「……鮮度。そうか、鮮度か……」
ガイ様は、呆れたようにため息をつくと、地面の猪を再び担ぎ上げた。
「……いいだろう。とりあえず、腹が減ってるんだろ。中に入れ。この猪、一番美味いところを食わせてやる」
「はい! 喜んでお供いたします、旦那様!」
「旦那様って呼ぶな! まだ結婚してねえだろ!」
「あら、いずれなる予定ですもの。予行演習ですわ」
「……この女、本当に大丈夫か?」
ガイ様が独り言を呟きながら屋敷へ向かう。
私はその広い背中を追いかけながら、心の中でガッツポーズをした。
(決まりましたわ。私の新しい婚約者は、あの猪を一撃で仕留める『筋肉の塊(歩くご馳走)』で決定です!)
空腹の限界を迎えた私の胃袋が、期待に満ちた大きな音を鳴らした。
「……ああ。なんという、なんということでしょう」
「お嬢様、落ち着いてください。身を乗り出しすぎです!」
トムが必死に私の腰を掴んでいるが、止まれるはずがない。
窓の外には、地平線の果てまで続くエメラルドグリーンの草原。
そしてそこには、王都では見たこともないほど巨大で、丸々と太った牛たちが、のんびりと草を食んでいた。
「見て、トム! あの肩肉の盛り上がり! あの一頭だけで、何人分のサーロインが取れるかしら!」
「……普通、令嬢は牛を見て部位の計算はしません」
「あの子なんて、歩くたびに脂が揺れているわ。素晴らしい……。あそこはまさに、脂身の貯蔵庫ですわね!」
私は感動のあまり、ハンカチで目元を拭った。
追放されて良かった。
エドワード殿下、私に自由をくれて本当にありがとう。
心の中で、元婚約者のナルシストな顔に感謝のメンチを切っておいた。
やがて馬車は、草原の真ん中にそびえ立つ、黒い石造りの無骨な屋敷へと到着した。
華やかさのかけらもないが、質実剛健。
まるで「ここでは飾りではなく、命を味わえ」と言っているような、素敵な佇まいだわ。
馬車から降りると、一人の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
(……えっ。熊? それとも、直立歩行するタイプの新種の牛かしら?)
そこにいたのは、人間離れした体躯の男だった。
背丈は二メートル近くあり、はち切れんばかりの筋肉が、泥に汚れたシャツの下で躍動している。
無精髭を生やし、鋭い眼光は獲物を狙う猛獣のようだ。
彼が、この辺境を統べる「野獣公爵」ガイ・ベルフェゴールに違いない。
「……あんたが、王都から放り出されたっていう公爵令嬢か」
地を這うような低い声。
普通の令嬢なら、この威圧感だけで腰を抜かして泣き出すだろう。
現に、後ろでトムが「ひいいっ」と小さく悲鳴を上げている。
けれど、私の目は彼の顔ではなく、彼が右肩に担いでいる「何か」に釘付けだった。
「…………それは、猪ですか?」
「ああ? ああ、これか。庭で暴れてたから、一発殴って仕留めてきたところだ。今日の飯にするつもりだったが……令嬢のあんたには、もっとマシなもんを用意させる」
ガイ様は、獲物の猪をドサリと地面に投げ捨てた。
鮮血が少しだけ私の靴に飛んだが、そんなことはどうでもいい。
「……一発で、その巨体を?」
「……不快だったか? 野蛮で悪かったな」
ガイ様がフンと鼻を鳴らし、去ろうとする。
私は反射的に、彼の太い腕をガシッと掴んだ。
「素晴らしいわ……!!」
「……は?」
「その無駄のない動き、獲物に対する敬意、そして何より、この新鮮な食材! ガイ様、あなたこそ私が求めていた『肉の求道者』ですわ!」
私はガイ様の大きな手を両手で握りしめ、キラキラとした瞳で見上げた。
ガイ様は、石像のように固まった。
「……おい。あんた、自分が追放されたって分かってるのか? ここは王都みたいな華やかな夜会も、ドレスもねえんだぞ」
「そんなもの、胃袋の足しにもなりませんわ! ドレスよりもロース! 宝石よりも牛タン! 私は、ここであなたの育てる最高級の肉たちと共に、骨を埋める覚悟です!」
「…………」
ガイ様が、見たこともないほど困惑した表情を浮かべた。
頬がほんのりと赤くなっているのは……怒りの前兆かしら?
それとも、私の情熱が伝わった証?
「……変わった女だ。噂じゃ、冷酷で高慢な氷の令嬢だって聞いてたが」
「氷? ああ、それはきっと、生肉を鮮度良く保つために私が常に冷気を纏っていたからでしょうね。誤解ですわ」
「……鮮度。そうか、鮮度か……」
ガイ様は、呆れたようにため息をつくと、地面の猪を再び担ぎ上げた。
「……いいだろう。とりあえず、腹が減ってるんだろ。中に入れ。この猪、一番美味いところを食わせてやる」
「はい! 喜んでお供いたします、旦那様!」
「旦那様って呼ぶな! まだ結婚してねえだろ!」
「あら、いずれなる予定ですもの。予行演習ですわ」
「……この女、本当に大丈夫か?」
ガイ様が独り言を呟きながら屋敷へ向かう。
私はその広い背中を追いかけながら、心の中でガッツポーズをした。
(決まりましたわ。私の新しい婚約者は、あの猪を一撃で仕留める『筋肉の塊(歩くご馳走)』で決定です!)
空腹の限界を迎えた私の胃袋が、期待に満ちた大きな音を鳴らした。
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