王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

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「……はぁ、天国。ここは間違いなく天国ですわ、ラーニャ様」

翌朝。アストレア公爵邸の客間……改め、私の秘書室兼寝室で、メリルは天蓋付きのベッドにくるまりながらうわ言のように呟いていた。

「いつまで寝ているのですか、メリル。もう日は高いですよ。早く起きて着替えなさい」

「無理です……。このシーツの肌触り、シルクですよシルク! 男爵家ではゴワゴワの麻布だったのに。私、もうこの布の一部になりたい……」

「給料を減らしますわよ」

「おはようございますボス! 今すぐ働きます!」

『給料』という単語を聞いた瞬間、メリルはバネのように跳ね起きた。
現金なやつ、という言葉は彼女のためにあるのかもしれない。
私は呆れながらも、執事のセバスが運んできた朝食のワゴンを指した。

「まずは腹ごしらえをなさい。今日は午前中から、非常に『忍耐力』を試される仕事が待っていますから」

「忍耐力? 重労働ですか? それとも、公爵閣下の厳しい特訓とか?」

「いいえ。もっと精神を削られる、不快な作業ですわ」

メリルが首を傾げながら、焼きたてのクロワッサンを口に運ぶ。
その瞬間、「んふー!」と幸せそうな鼻鳴らしが聞こえたが、私は無視してテーブルの上に一通……いえ、数十通の手紙の束を置いた。

「……ラーニャ様。これ、全部同じ封蝋(ふうろう)ですね。この、無駄に凝った金細工の百合の紋章……」

「ええ。あのアホ王子からですわ。今朝、一時間おきに使いが来ましたの」

メリルは死んだ魚のような目で、一番上の手紙を手に取った。

「読んでいいんですか、これ?」

「ええ。あなたの初仕事は、その手紙の検閲です。必要な情報があれば抜き出し、なければ破棄。……まあ、おそらく後者でしょうけれど」

メリルが溜息をつきながら、封を切る。
中から出てきたのは、香水がキツすぎるほど振りかけられた、これまた無駄に厚手の便箋だった。

「えーと……『愛しきラーニャ。昨夜の君は、まるで夜の闇に咲く一輪の薔薇のように棘があった。だが、その棘さえも僕への愛の裏返しだと分かっている』……。おえぇ……」

「……次を読みなさい」

「『君の怒りは、僕への期待の現れだ。さあ、今すぐ王宮へおいで。君がいなければ、僕の朝食は味がしないんだ』……。あの、ラーニャ様。この人、バカなんですか?」

「バカなのは知っていましたけれど、ここまでだとは思いませんでしたわね。昨日、あんなにハッキリと『おひとり様で楽しめ』と言ったはずですのに」

メリルは次々と手紙を開封していく。
しかし、その表情はどんどん険しくなり、最終的には般若(はんにゃ)のような顔になった。

「……ボス。これ、読み続けるとIQが下がりそうです。全部同じです。『君は僕に嫉妬している』『僕が許してやるから帰ってこい』『ところでアストレア家からの請求書の件だが、あれは冗談だろう?』……」

「最後の一文が本音ですわね。結局、自分の財布が空っぽになったことへの焦りを、脳内変換して愛だの嫉妬だのと書き連ねているだけですわ」

「救いようがないですね。……あ、これなんて凄いです。『メリルを秘書にしたそうだが、彼女は僕に愛を誓った女だ。君に仕えるはずがない。彼女を人質に取っても無駄だぞ』だって。……私、人質扱いですよ」

メリルは手紙をクシャクシャに丸め、部屋の隅にあるゴミ箱へフリースローを決めた。
ナイスシュート。

「メリル。そのゴミ……失礼、手紙の中に、返済計画に関する具体的な数字はありましたか?」

「一文字もありません。あるのは、ポエムと、自己陶酔と、現実逃避だけです」

「そう。なら、すべてシュレッダーにかけておきなさい。返信は不要です」

「承知いたしました! ……ところで、さっきから窓の外で誰かが叫んでいるような気がするんですが」

メリルが窓の外を指さした。
私は溜息をつきながら、窓を開ける。

公爵邸の正門前には、護衛の騎士たちに阻まれながら、必死に門を叩く一人の男がいた。
……ウィルフレッド王子である。
彼は一応王族のはずだが、今の格好はひどいものだ。
昨日の夜会の格好のままで、髪は乱れ、瞳にはクマができている。

「ラーニャーー! ラーニャ、そこにいるんだろう! 出てきてくれ! 僕の請求書が間違っているんだ! あと、僕の馬車が差し押さえられたんだ! 早くなんとかしてくれ!」

「……聞こえました?」

メリルが呆れたように私を見る。

「聞こえませんわね。ただの騒音ですわ。セバス、あの『騒音』を早急に排除してちょうだい。近所迷惑ですわ」

「かしこまりました。バケツ一杯の水と、憲兵への通報、どちらがよろしいでしょうか?」

「両方でいいわ。あの方は、少し冷え冷えとした現実を味わうべきですもの」

「御意」

セバスが静かに退室し、数分後。
門の外で「冷たっ! 貴様、何をする! 僕は王子だぞ……うわああ、憲兵!? 待て、話を聞け!」という絶叫が響き渡った。

「……ふぅ。静かになりましたわね」

私は優雅に紅茶を啜った。

「ラーニャ様、これ、毎日続くんですかね……?」

「いいえ。あの方のプライドが、いつまで持つかしら? あるいは、王家が完全に破産するのが先か。……さて、メリル。次は隣国の特使、ゼクス様との面会準備ですわ。王子よりも、ずっと重要で、実りのあるお仕事ですわよ」

「了解です! お菓子さえ出れば、私、どこまでもついていきます!」

こうして、居候秘書メリルの本格的な一日が、王子の悲鳴と共に幕を開けた。
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