9 / 28
9
しおりを挟む
「……ちょっと、メリル。仕事中だと分かっていますの? さっきから口が止まっていませんわよ」
活気に溢れる王都の市場。
私は視察のために足を運んでいたのだが、隣を歩く私の「秘書」は、仕事どころではないようだった。
「もぐもぐ……ふぉ、ふぉーいふ(はい)、もふ(ボス)! これは市場の物価調査、および民衆の幸福度を胃袋で測定する重要な業務の一環です!」
メリルは右手に串焼き、左手に揚げパンを持ち、頬をリスのように膨らませていた。
その食べっぷりがあまりに見事なので、通りすがりの客が「あの子が食べてるやつ、俺もくれ」と店に並び始めている。
図らずも宣伝効果を生んでいるのは、彼女の才能かもしれない。
「幸福度は分かりましたから、少しは『市場の流通量』にも目を向けなさいな。ほら、あちらの香辛料。以前より一割ほど値上がりしていますわ。王家が徴収を増やした影響でしょうね」
私が手帳にペンを走らせていると、人混みの向こうから一際目立つ一団が歩いてくるのが見えた。
洗練された黒い軍服に身を包んだ男たちが、周囲を威圧することなく、しかし確実に道を開けさせていく。
その中心にいたのは、眼鏡の奥に鋭い知性を宿した長身の男だった。
「……おや。このような雑多な場所で、アストレア公爵令嬢にお会いできるとは。今日は護衛も連れず、ピクニックですか?」
男は私の前で足を止めると、完璧な所作で一礼した。
隣国の特使、ゼクス・エルダール。
無愛想で実利主義だと噂される彼は、外交官というよりは冷徹な実業家のような雰囲気を纏っている。
「ごきげんよう、ゼクス様。見ての通り、私は新しい『従業員』の教育に忙しいのですわ」
「もぐもぐ……あ、お初にお目にかかります。ラーニャ様の懐刀(自称)、メリルです!」
メリルが口の周りにパン粉をつけたまま挨拶すると、ゼクスの視線がわずかに和らいだ。
「……なるほど。元、王子の婚約者候補でしたか。噂以上の食欲……失礼、生命力だ」
「あら、ご存じでしたの? 話が早くて助かりますわ」
私は扇子を広げ、ゼクスを近くのカフェのテラス席へと促した。
彼は嫌な顔ひとつせず、私の向かいに腰を下ろす。
「昨夜のパーティーでの立ち回り、隣国の我が耳にも届いていますよ。王子を一人残し、ヒロインを雇用し、さらに王家の財産を差し押さえる。……失礼ながら、笑わせていただきました。実に痛快だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、あれはただの準備運動に過ぎませんの。本番はこれから……つまり、この国の経済を王家から切り離し、独立させることですわ」
ゼクスの目が、面白そうに細められた。
「独立、ですか。公爵家が国を乗っ取るというわけではなく?」
「面倒な玉座など興味ありませんわ。私はただ、自分の資産を無能に食い潰されるのが我慢ならないだけです。そこで提案なのですが、ゼクス様。お互いの国を通じた『新しい流通網』、我が家が独占的に管理する形に興味はございませんか?」
ゼクスは椅子に深く背を預け、私の目をじっと見つめた。
そこに甘い誘惑の色などは微塵もない。
あるのは、互いの利益を天秤にかけるプロの目利きだ。
「……王家を通さず、アストレア家と直接取引をする、と。それは外交問題になりかねませんな」
「王家にはもう、他国との契約を維持する担保がありませんわ。今朝、あのアホ王子に差し押さえの追加通告を出したところです。彼、今は藁の上で寝ているはずですわよ」
「……ぶふっ」
ゼクスが、ついに堪えきれなくなったように吹き出した。
冷徹な特使が、肩を揺らして笑っている。
「……失礼。藁の上、ですか。あの方に最も相応しい寝床だ。いいでしょう、ラーニャ嬢。あなたのその『毒』、私は嫌いではありません。交渉の続きは、もう少し静かな場所でやりましょうか」
「あら、デートのお誘いかしら?」
「いいえ。これは『投資』ですよ。あなたの知性と、その……隣で三皿目のケーキを注文している彼女の胃袋に対してのね」
「わーい! ゼクス様、話が分かる! 一生ついていきます(今日だけ)!」
メリルの現金な声に、私は溜息をつきながらも、新しいビジネスの香りに胸を躍らせていた。
王子のいない世界は、なんと建設的で、美味しいものに溢れていることか。
私たちはそのまま、王子の泣き言など届かない場所へと歩き出した。
活気に溢れる王都の市場。
私は視察のために足を運んでいたのだが、隣を歩く私の「秘書」は、仕事どころではないようだった。
「もぐもぐ……ふぉ、ふぉーいふ(はい)、もふ(ボス)! これは市場の物価調査、および民衆の幸福度を胃袋で測定する重要な業務の一環です!」
メリルは右手に串焼き、左手に揚げパンを持ち、頬をリスのように膨らませていた。
その食べっぷりがあまりに見事なので、通りすがりの客が「あの子が食べてるやつ、俺もくれ」と店に並び始めている。
図らずも宣伝効果を生んでいるのは、彼女の才能かもしれない。
「幸福度は分かりましたから、少しは『市場の流通量』にも目を向けなさいな。ほら、あちらの香辛料。以前より一割ほど値上がりしていますわ。王家が徴収を増やした影響でしょうね」
私が手帳にペンを走らせていると、人混みの向こうから一際目立つ一団が歩いてくるのが見えた。
洗練された黒い軍服に身を包んだ男たちが、周囲を威圧することなく、しかし確実に道を開けさせていく。
その中心にいたのは、眼鏡の奥に鋭い知性を宿した長身の男だった。
「……おや。このような雑多な場所で、アストレア公爵令嬢にお会いできるとは。今日は護衛も連れず、ピクニックですか?」
男は私の前で足を止めると、完璧な所作で一礼した。
隣国の特使、ゼクス・エルダール。
無愛想で実利主義だと噂される彼は、外交官というよりは冷徹な実業家のような雰囲気を纏っている。
「ごきげんよう、ゼクス様。見ての通り、私は新しい『従業員』の教育に忙しいのですわ」
「もぐもぐ……あ、お初にお目にかかります。ラーニャ様の懐刀(自称)、メリルです!」
メリルが口の周りにパン粉をつけたまま挨拶すると、ゼクスの視線がわずかに和らいだ。
「……なるほど。元、王子の婚約者候補でしたか。噂以上の食欲……失礼、生命力だ」
「あら、ご存じでしたの? 話が早くて助かりますわ」
私は扇子を広げ、ゼクスを近くのカフェのテラス席へと促した。
彼は嫌な顔ひとつせず、私の向かいに腰を下ろす。
「昨夜のパーティーでの立ち回り、隣国の我が耳にも届いていますよ。王子を一人残し、ヒロインを雇用し、さらに王家の財産を差し押さえる。……失礼ながら、笑わせていただきました。実に痛快だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、あれはただの準備運動に過ぎませんの。本番はこれから……つまり、この国の経済を王家から切り離し、独立させることですわ」
ゼクスの目が、面白そうに細められた。
「独立、ですか。公爵家が国を乗っ取るというわけではなく?」
「面倒な玉座など興味ありませんわ。私はただ、自分の資産を無能に食い潰されるのが我慢ならないだけです。そこで提案なのですが、ゼクス様。お互いの国を通じた『新しい流通網』、我が家が独占的に管理する形に興味はございませんか?」
ゼクスは椅子に深く背を預け、私の目をじっと見つめた。
そこに甘い誘惑の色などは微塵もない。
あるのは、互いの利益を天秤にかけるプロの目利きだ。
「……王家を通さず、アストレア家と直接取引をする、と。それは外交問題になりかねませんな」
「王家にはもう、他国との契約を維持する担保がありませんわ。今朝、あのアホ王子に差し押さえの追加通告を出したところです。彼、今は藁の上で寝ているはずですわよ」
「……ぶふっ」
ゼクスが、ついに堪えきれなくなったように吹き出した。
冷徹な特使が、肩を揺らして笑っている。
「……失礼。藁の上、ですか。あの方に最も相応しい寝床だ。いいでしょう、ラーニャ嬢。あなたのその『毒』、私は嫌いではありません。交渉の続きは、もう少し静かな場所でやりましょうか」
「あら、デートのお誘いかしら?」
「いいえ。これは『投資』ですよ。あなたの知性と、その……隣で三皿目のケーキを注文している彼女の胃袋に対してのね」
「わーい! ゼクス様、話が分かる! 一生ついていきます(今日だけ)!」
メリルの現金な声に、私は溜息をつきながらも、新しいビジネスの香りに胸を躍らせていた。
王子のいない世界は、なんと建設的で、美味しいものに溢れていることか。
私たちはそのまま、王子の泣き言など届かない場所へと歩き出した。
0
あなたにおすすめの小説
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?
きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。
しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~
tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!!
壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは???
一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる