王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
「……なんだ、この紙の山は。嫌がらせか? 新手の暗殺計画なのか?」

王宮の執務室。
かつては豪華な調度品に囲まれていたこの部屋も、今や必要最低限の机と椅子があるだけだ。
そしてその机の上には、王子の視界を遮るほどの厚さで書類が積み上げられていた。

「嫌がらせではありません。殿下、それが本来の『第一王位継承者』がこなすべき一日の業務量ですよ」

壁際で時計を確認していた会計官のハンスが、感情の失せた声で告げる。

「嘘をつけ! 今までは、こんなものはなかったぞ! 私がここに来れば、いつも綺麗に整理された三枚ほどの報告書と、淹れたてのハーブティー、それに私の功績を称える詩集が置いてあったはずだ!」

「それはラーニャ様が、殿下が目を通す前にすべての書類を精査し、不備を突き返し、各部署への指示を済ませ、殿下でも読める『超簡略版』を作成していたからです」

「……何だと?」

王子は呆然として、目の前の山の一番上にある紙を手に取った。
そこには『農区における灌漑施設の老朽化に伴う予算配分および、水利権の再調整に関する陳述書』という、呪文のようなタイトルが躍っている。

「……読めない。文字が滑って、頭に入ってこないぞ。ハンス、これをいつものように三行にまとめろ」

「お断りします。私は会計官であって、あなたの家庭教師でも秘書でもありません。そして、その『三行にまとめる作業』のために、ラーニャ様は毎日睡眠時間を削っておられたのですよ」

「ラーニャが……? あ、あいつ、そんなことをしていたのか? だが、あいつはいつも『お茶が冷めますわよ』とか『早くサインをなさい』とか、文句ばかり言っていたじゃないか!」

「それこそが愛……いえ、義務感だったのでしょうね。今のあなたには、その文句を言ってくれる人すらおりませんが」

ハンスは冷たく言い放つと、さらに追加の書類をドサリと机に置いた。
重みで、机がミシリと悲鳴を上げる。

「待て! まだあるのか!? もういい、こんなものは後回しだ! それより朝食はどうした! さっきから腹が鳴って、集中できないんだ!」

「朝食なら、先ほど配膳室に届けておきましたよ。黒パン一つと、薄いスープです。あ、ご自分でお取りに行ってくださいね。現在、あなたの身の回りの世話をする使用人は、人件費削減のため一人も配置されておりませんから」

「……私が、自分で取りに行けというのか!? この私が!」

「ええ。行かなければ、ネズミに食べられるだけですよ」

王子は屈辱に震えながら、よろよろと立ち上がった。
藁布団で寝たせいで腰が痛い。
おまけに、自分で服を着ようとしてボタンを掛け違え、ひどく間抜けな格好になっている。

「……ラーニャ。ラーニャがいれば、今頃私はシルクのシャツを着て、温かいオムレツを食べていたはずなのに……」

「殿下。その『ラーニャ様』を、公衆の前で罵倒して追い出したのは、他ならぬあなたですよ」

ハンスの言葉が、王子の胸にグサリと突き刺さる。
だが、彼の脳構造は驚くべき自己防衛本能を備えていた。

「……わかったぞ。そうか、そういうことだったのか!」

「……何がですか?」

「ラーニャは、私に『独り立ち』を促しているんだ! 私が甘えすぎていたから、あえて突き放して、真の王としての資質を試しているに違いない!」

「……はぁ?」

ハンスがこれまでで一番深い溜息をついたが、王子は止まらない。
彼は瞳に怪しい光を宿し、ガタガタの椅子に座り直した。

「見ていろ、ラーニャ! 私はこの試練を乗り越えてみせるぞ! この程度の書類、愛の力で……愛の力で……えーと、この『灌漑』というのは、何と読むんだ?」

「……『かんがい』です」

「そうか、カンガイだな! よし、まずはこの文字の書き取りから始めるぞ!」

「……日が暮れますよ、殿下」

王子の前向きすぎる勘違いは、もはや病の域に達していた。
一方その頃、アストレア公爵邸では。
「王子、今頃漢字ドリルでもやってるかしら?」と笑うラーニャと、「ボス、この新作タルト、外側のパイ生地が最高です!」と口の周りを汚すメリルが、平和な午後のひとときを楽しんでいた。

王子の「日常」は、かつての贅沢がどれほど他人の犠牲の上に成り立っていたかを思い知る、地獄のロードへと変貌していたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

愛のない貴方からの婚約破棄は受け入れますが、その不貞の代償は大きいですよ?

日々埋没。
恋愛
 公爵令嬢アズールサは隣国の男爵令嬢による嘘のイジメ被害告発のせいで、婚約者の王太子から婚約破棄を告げられる。 「どうぞご自由に。私なら傲慢な殿下にも王太子妃の地位にも未練はございませんので」  しかし愛のない政略結婚でこれまで冷遇されてきたアズールサは二つ返事で了承し、晴れて邪魔な婚約者を男爵令嬢に押し付けることに成功する。 「――ああそうそう、殿下が入れ込んでいるそちらの彼女って実は〇〇ですよ? まあ独り言ですが」  嘘つき男爵令嬢に騙された王太子は取り返しのつかない最期を迎えることになり……。    ※この作品は過去に公開したことのある作品に修正を加えたものです。  またこの作品とは別に、他サイトでも本作を元にしたリメイク作を別のペンネー厶で公開していますがそのことをあらかじめご了承ください。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

処理中です...