婚約破棄された悪役令嬢は、自由になって最高にハイです。

ちゃっぴー

文字の大きさ
24 / 28

24

しおりを挟む
「……速い。速すぎる」

王城の執務室の隅で、雑巾がけをしていたジェラルド王子が、呆然と手を止めた。

彼の視線の先には、二つのデスクを並べ、阿修羅のような速度で書類を処理していく私とサイラス様の姿があった。

「決裁。次」
「却下。予算オーバーだ。書き直し」
「承認。ただし工期を三日短縮させろ」
「隣国への関税交渉、合意案作成完了」

会話は単語のみ。
書類が空を舞い、インクが乾く暇もなく次のページがめくられる。
その光景は、もはや事務処理ではなく「千手観音の演舞」のようだった。

「ねえジェラルド様ぁ。手が止まってるよぉ」

隣で窓を拭いていたミミが、のんきに声をかける。

「見てみろよ、ミミ。……あれが、この国を動かしている『実力』だ」

ジェラルドは雑巾を絞りながら、ポツリと漏らした。

「僕が玉座でふんぞり返って『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』なんて言っている間に、彼らはあんな速度で、何千もの決断を下していたんだ」

「ふーん? よくわかんないけど、すごいの?」

「すごいなんてもんじゃない。……勝てないよ。逆立ちしたって、僕には無理だ」

ジェラルドの肩が落ちる。
その背中には、これまで見せたことのない哀愁が漂っていた。

   ◇

昼休憩。
私とサイラス様は、サンドイッチを片手に次の議題(ゴミ処理場の拡張計画)について議論していた。
そこへ、お盆にお茶を乗せたジェラルドが近づいてきた。

「……茶だ。毒は入っていない」

「ありがとうございます、殿下。そこに置いてください」

私は書類から目を離さずに礼を言った。
しかし、ジェラルドは立ち去ろうとしない。
モジモジとエプロンの裾を弄っている。

「……何か? まだ雑巾がけのノルマが残っているはずですが」

「マーガレット。……少し、時間をくれないか」

ジェラルドの声が真剣だった。
私は手を止め、サイラス様と顔を見合わせた。
サイラス様が軽く頷く。
(聞いてやれ、という合図だ)

「いいでしょう。三分だけ差し上げます」

私は懐中時計をテーブルに置いた。

「単刀直入に聞く」

ジェラルドは、真っ直ぐに私を見た。
その瞳から、いつもの「甘え」や「自惚れ」が消えていた。

「君から見て……僕は、王に向いていると思うか?」

「……」

愚問だ。
即座に「いいえ、向いていません。転職をお勧めします」と言うべきところだ。
しかし、今の彼の表情を見て、私は少しだけ言葉を選んだ。

「……殿下。王の資質とは何だと思いますか?」

「え? そ、それは……民に愛されるカリスマ性とか、華やかなパレードが似合うとか……」

「違います」

私はバッサリと切り捨てた。

「王の仕事とは、『決断』と『責任』です。誰も選べない苦しい選択をし、その結果生じる批判や痛みを、一人で背負う覚悟。それが王です」

私は積み上げられた書類の山を指差した。

「この一枚一枚の紙切れが、誰かの人生を左右します。税率を一度上げれば、パンが買えなくなる家族が出るかもしれない。橋を架ける場所を変えれば、潰れる店が出るかもしれない。……貴方は、その重さに耐えられますか? 『みんなにいい顔』をしたい貴方に、非情な決断ができますか?」

ジェラルドは言葉を失った。
想像したのだろう。
自分がハンコを適当に押したせいで、誰かが泣いている姿を。

「……無理だ」

彼は震える声で呟いた。

「僕には……そんな覚悟はない。僕はただ、チヤホヤされたかっただけだ。キラキラした王冠を被って、みんなに手を振っていれば、それが王様だと思っていた」

「それが『偶像(アイドル)』です。王とは似て非なるものです」

「アイドル……」

「殿下。貴方は優しい方です。それは認めます。ですが、その優しさは『決断からの逃避』でもあります。誰にも嫌われたくないから、何も決められない。それが国を停滞させ、結果として民を苦しめるのです」

辛辣かもしれない。
でも、これが最後の教育係としての務めだ。
嘘のない、冷徹な評価。

ジェラルドは俯き、拳を握りしめた。
長い沈黙が流れる。
ミミが心配そうに覗き込む中、やがて彼は顔を上げた。

「……わかった。ありがとう、マーガレット」

その顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。

「認めるよ。僕は無能だ。……いや、『王に向いていない』と認めることこそが、僕ができる唯一の『正しい決断』なのかもしれない」

「……殿下?」

「決めたよ」

ジェラルドはエプロンを脱ぎ捨て、本来の(薄汚れてはいるが)王族としての顔つきになった。

「父上に会いに行ってくる。……僕の進退について、話をつけてくる」

「進退……まさか」

「安心してくれ。もう『復縁してくれ』なんて泣き言は言わない。……ただ、僕の人生で初めて、責任を取ってくるだけだ」

ジェラルドは踵を返した。

「ミミ、行くぞ。君も一緒だ」

「えっ? どこへ? おやつは?」

「おやつは後だ。もっと大事な話がある」

ジェラルドはミミの手を引き、堂々と部屋を出て行った。
その背中は、昨日の夜会で泣いていた時よりも、ずっと大きく見えた。

部屋に残された私とサイラス様。

「……どう思いますか、サイラス様」

「ふん。……ようやく『へその緒』が切れたようだな」

サイラス様は、冷めたコーヒーを一口飲んだ。

「遅すぎる反抗期だが、ないよりはマシだ。……彼がどんな決断をするにせよ、我々はそれに対応する準備をしておくだけだ」

「そうですね。……退位、でしょうか」

「十中八九な。だが、問題は『次』だ。彼が降りれば、王位継承権第二位の人物が繰り上がる」

「第二王子……テオドール殿下ですね」

私は記憶の中の人物を思い出した。
ジェラルド殿下の弟。
兄とは正反対で、地味で、大人しく、本の虫。
存在感がなさすぎて、パーティーでも壁と同化しているような少年だ。

「……彼なら、少なくともポエムは詠まないでしょう」

「ああ。だが、コミュニケーション能力に難がある。引きこもりだからな」

「引きこもり……」

「まあ、暴走するバカよりは、制御しやすい。我々が補佐(操縦)すれば、名君に仕立て上げることも可能だ」

サイラス様は悪い顔で笑った。

「忙しくなるぞ、マーガレット。王太子の交代劇だ。書類の手続きだけで山ができる」

「望むところです。……でも、少しだけ寂しい気もしますね」

「何がだ?」

「あの『手のかかる大きな子供』がいなくなると思うと」

私はふっと笑った。
かつては胃痛の種だったが、手離れするとなると、教師としては少し感傷的になるものだ。

「……安心しろ。彼は王を辞めても、別の場所で騒動を起こす才能がある。我々の退屈を紛らわせる役には立つだろうさ」

「違いないです」

私たちは顔を見合わせて笑い、再び仕事に戻った。
ジェラルド王子が国王陛下に何を告げたのか。
その結果が国中に激震を走らせるのは、翌日のことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

【完結】その令嬢は、鬼神と呼ばれて微笑んだ

やまぐちこはる
恋愛
マリエンザ・ムリエルガ辺境伯令嬢は王命により結ばれた婚約者ツィータードに恋い焦がれるあまり、言いたいこともろくに言えず、おどおどと顔色を伺ってしまうほど。ある時、愛してやまない婚約者が別の令嬢といる姿を見、ふたりに親密な噂があると耳にしたことで深く傷ついて領地へと逃げ戻る。しかし家族と、幼少から彼女を見守る使用人たちに迎えられ、心が落ち着いてくると本来の自分らしさを取り戻していった。それは自信に溢れ、辺境伯家ならではの強さを持つ、令嬢としては規格外の姿。 素顔のマリエンザを見たツィータードとは関係が変わっていくが、ツィータードに想いを寄せ、侯爵夫人を夢みる男爵令嬢が稚拙な策を企てる。 ※2022/3/20マリエンザの父の名を混同しており、訂正致しました。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 本編は37話で完結、毎日8時更新です。 お楽しみいただけたらうれしいです。 よろしくお願いいたします。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

処理中です...