婚約破棄?大いに結構ですわ!悪役令嬢は微笑む。

ちゃっぴー

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「……閣下。プロポーズのお言葉、承りましたわ。ですが、ビジネスでも結婚でも、口約束ほど不確実な負債はありません」

私はゼイド閣下の胸元からそっと離れると、どこからともなく一束の羊皮紙と魔法ペンを取り出しました。
感動的な余韻に浸っていたはずの閣下が、わずかに目を見開きます。

「シュメロ……。君は、その……常に筆記用具を携帯しているのか?」

「当然ですわ。チャンスと契約の機会は、いついかなる時も『予告なし』に訪れますもの。さあ、今すぐこちらの『婚約及び婚姻に関する基本合意書』の条項をご確認ください」

私はテラスのテーブルに羊皮紙を広げ、月明かりの下でペンを走らせました。

「まず第一条。資産の統合について。ガトー公爵家とグラン大公領の経済的シナジーを最大化するため、双方の帳簿を完全に公開。不採算な個人支出は、私の承認なしには認められません」

「……厳しいな。だが、君の管理下であれば資産が増える一方だ。異論はない」

ゼイド閣下は苦笑しながら、私の隣で書類を覗き込みました。
私は構わず、第二条へと進みます。

「第二条。リスクマネジメント。万が一、閣下が他国の令嬢などと『不適切な投資(浮気)』を行った場合、閣下の全個人資産の九割を私への慰謝料として計上。さらに、私が隣国を経済的に封鎖する権利を有します」

「九割か……。実質的な社会的死だな。だが、私にとって君以上の『優良銘柄』は存在しない。これもサインしよう」

「よろしい。……そして、ここからが重要ですわ。第三条、『感情的インフラの維持』について」

私は一瞬だけペンを止め、少しだけ咳払いをしました。

「……共同生活を円滑に進めるため、日々のコミュニケーションにかかるコストを惜しまないこと。具体的には、週に一度の戦略的デート、一日に一回以上の『精神的充足のための接触(ハグやキス)』を義務付けます」

ゼイド閣下が、ふっと息を呑む気配がしました。
私はわざと事務的な口調を崩さずに続けます。

「……これらは、閣下と私の間の信頼残高を維持し、長期的なパートナーシップを安定させるための『定時メンテナンス』ですわ。効率的な愛情表現は、仕事のパフォーマンス向上にも寄与しますもの」

「シュメロ」

閣下の低い声が、私の名前を呼びました。
気づけば、彼は私の背後から回り込み、羊皮紙を押さえる私の手に、自分の手を重ねていました。

「その『定時メンテナンス』だが、一日に一回では不足しているとは思わないか?」

「え……? そ、それは、過剰な供給は市場価値の下落を招く恐れが……」

「いや。投資における複利効果と同じだ。愛情表現の頻度を高めれば、それだけ幸福の利息は雪だるま式に膨れ上がる。……私は、毎朝と毎晩、そして隙があるたびに、君という資産を慈しむ時間を要求したい」

ゼイド閣下の手が私の腰を引き寄せ、耳元で熱い吐息が漏れます。
私の計算機のような頭脳が、過熱して処理落ち寸前です。

「……カ、閣下。それは、スケジュール管理が非常に困難に……」

「君ならできるだろう? 世界一の財務官なんだから。……それとも、私との時間に『無駄』が生じるのが怖いのか?」

「無駄ではありませんわ! それは……ええい、分かりましたわよ! では、条項を『双方の合意がある限り、上限を設けない』と修正いたします!」

私は顔を真っ赤にしながら、震える手で羊皮紙を書き直しました。
その様子を眺めていたゼイド閣下は、満足げに私の手からペンを取り上げ、最後に流麗なサインを書き込みました。

「契約成立だ、シュメロ。……これで君は、名実ともに私の生涯の支配者だ」

「……支配者ではなく、最高経営責任者(CEO)と呼んでいただけますかしら」

私はサインの入った書類を大切に抱え、ようやく深く溜息をつきました。
婚約破棄から始まった波乱の転職活動でしたが、どうやら私は、世界で最も「高収益」で「情熱的」な職場を手に入れてしまったようです。

「さて、閣下。契約を結んだからには、さっそく今夜分の『メンテナンス』の予備実施を……」

「ああ、望むところだ。夜明けまで付き合ってもらおう。君の時給は、私の愛で全額支払わせてもらうよ」

ゼイド閣下の唇が、私の言葉を遮るように重なりました。
夜風は冷たいはずなのに、今の私には、どんな豪華な暖炉よりも熱い情熱が体を駆け巡っていました。

私の人生の貸借対照表。
そこには今、「愛」という名の計り知れない資産が、最高値を更新しながら刻み込まれていたのでした。
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