1 / 25
1
しおりを挟む
「エミリー・フォン・アステリア! 貴様のような心の汚れた女との婚約など、本日この場を以て破棄させてもらう!」
王立学院の卒業記念パーティー。その華やかな音楽がピタリと止まり、会場の中央で第一王子ヴィルフリートが声を張り上げた。
シャンデリアの光を浴びて、王子の金髪が輝いている。その隣には、彼に守られるようにして震える男爵令嬢、リリアーヌの姿があった。
周囲を囲む貴族たちの視線は冷ややかで、中には勝ち誇ったような笑みを浮かべる者もいる。
まさに「悪役令嬢」の断罪シーン。しかし、当の本人であるエミリーは、全く別のものに心を奪われていた。
「…………信じられない」
エミリーの口から漏れた言葉に、ヴィルフリートは鼻で笑った。
「ふん、今さら絶望したところで遅い! リリアーヌへの度重なる嫌がらせ、証拠はすべて揃っているのだからな!」
「……信じられませんわ。まさか、あんなに『惜しい』サファイアがこの世に存在したなんて」
「は? 今、何と言った?」
ヴィルフリートが呆然と問い返す。しかしエミリーは、王子の顔など一瞥もせず、彼が突きつけている右手の「指輪」を凝視していた。
エミリーは流れるような所作で、夜会用の小さなバッグから何かを取り出した。それは、貴婦人が持つような扇でも香水瓶でもなく、銀色に光る金属製の「ルーペ」だった。
「ちょっと、その手を動かさないでいただけます? ピントが合いませんわ」
「貴様、何を……っ、おい! 近寄るな!」
「いいから黙って見せなさいな! ……ああっ、やっぱり! このサファイア、色は悪くないのに加熱処理が雑ですわ! おまけにこのカット、左右の対称性がわずかに欠けています。これでは宝石の『魂』が泣いていますわよ!」
エミリーは王子の手をガシッと掴むと、職人のような目つきで指輪を検品し始めた。
会場は静まり返った。婚約破棄を突きつけられた令嬢が、王子の手を掴んで宝石のダメ出しを始めるなど、前代未聞である。
「離せ! この無礼者が! 私はリリアーヌという真実の愛を見つけたと言っているんだ!」
力任せに手を振り払ったヴィルフリートが、隣のリリアーヌを抱き寄せた。
リリアーヌは「怖い」と言うように身をすくめ、潤んだ瞳でエミリーを見上げる。
「エミリー様……どうかヴィル様を責めないでください。悪いのは、ヴィル様を愛してしまった私なのですから……」
「あら、リリアーヌ様。あなた、先ほどからそのネックレスが気になってお話に集中できませんわ」
エミリーはルーペを構えたまま、リリアーヌの首元へ一歩踏み出した。
「な、なんですの……? これはヴィル様が、私に贈ってくださった大切な愛の証ですのよ?」
「愛の証? 冗談はおっしゃらないで。その屈折率、そして内部に見える気泡……。それは紛れもない『ガラス玉』ですわよ。着色されたただのガラスをルビーと偽って贈るなんて、王子教育はどうなっているのかしら」
「ガ、ガラス……!? そんなはずありませんわ! ヴィル様が最高級のルビーだと仰って……!」
リリアーヌの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
周囲の令嬢たちがヒソヒソと囁き始めた。「えっ、本物じゃないの?」「王子の贈り物がガラスだなんて……」と。
ヴィルフリートは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「貴様! リリアーヌを侮辱するか! それは我が王家に伝わる……」
「いいえ。王家に伝わるルビーのセットは、三代前の王妃様が不注意で紛失したと記録にありますわ。今あなたが彼女に持たせているのは、どこぞの露店で売っているような安物です。愛の重さもその程度ということですのね」
「ぐっ……、だ、黙れ! 婚約破棄だ! 今すぐこの場から叩き出せ!」
激昂する王子に対し、エミリーは優雅にカーテシーを披露した。
「ええ、喜んで。こんな宝石を見る目のない方の側にいても、わたくしの審美眼が腐るだけですもの。ですが、一つだけ条件がございますわ」
「条件だと!? 罪人が何を図々しい!」
「罪人などと失礼な。わたくしが彼女を突き飛ばしたという証拠は? ドレスを切り裂いた証人は? ……どうせ、彼女が自分でやった狂言でしょう? そんなことより『慰謝料』のお話をしましょう」
エミリーの瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。
「わたくしとの婚約を一方的に破棄するのであれば、アステリア公爵家への誠意を見せていただかなくては。……そうですね、王家の宝物庫に眠っている『星空の涙』をいただけますかしら?」
「なっ……バカなことを言うな! あの30カラットのブルーダイヤモンドをだと!?」
「あら、たかが石ころ一つでわたくしとの縁が切れるのであれば、お安い御用ではありませんか? それとも、リリアーヌ様への愛は、そのダイヤよりも軽いのですの?」
「く……っ……!」
ヴィルフリートは言葉に詰まった。ここで拒めば、リリアーヌへの愛が偽物だと認めることになる。
何より、エミリーの背後に控える公爵家の影響力を考えれば、手ぶらで追い出すわけにはいかない。
「……わかった。持って行くがいい! その代わり、二度と我らの前には現れるな!」
「契約成立ですわね。それでは皆様、ごきげんよう。わたくしはこれから、最高のダイヤモンドを迎えに行く準備がありますので」
エミリーは一度も王子を振り返ることなく、軽やかな足取りで会場を後にした。
その頭の中は、これから手に入る伝説の宝石をどう磨き、どう愛でるかという妄想で埋め尽くされていた。
(ああ、楽しみですわ! あのブルーダイヤモンド……きっと屈折率も完璧で、カットのプロポーションも素晴らしいに違いないわ!)
こうして、帝国史上もっとも「ハッピーな」婚約破棄が成立したのである。
王立学院の卒業記念パーティー。その華やかな音楽がピタリと止まり、会場の中央で第一王子ヴィルフリートが声を張り上げた。
シャンデリアの光を浴びて、王子の金髪が輝いている。その隣には、彼に守られるようにして震える男爵令嬢、リリアーヌの姿があった。
周囲を囲む貴族たちの視線は冷ややかで、中には勝ち誇ったような笑みを浮かべる者もいる。
まさに「悪役令嬢」の断罪シーン。しかし、当の本人であるエミリーは、全く別のものに心を奪われていた。
「…………信じられない」
エミリーの口から漏れた言葉に、ヴィルフリートは鼻で笑った。
「ふん、今さら絶望したところで遅い! リリアーヌへの度重なる嫌がらせ、証拠はすべて揃っているのだからな!」
「……信じられませんわ。まさか、あんなに『惜しい』サファイアがこの世に存在したなんて」
「は? 今、何と言った?」
ヴィルフリートが呆然と問い返す。しかしエミリーは、王子の顔など一瞥もせず、彼が突きつけている右手の「指輪」を凝視していた。
エミリーは流れるような所作で、夜会用の小さなバッグから何かを取り出した。それは、貴婦人が持つような扇でも香水瓶でもなく、銀色に光る金属製の「ルーペ」だった。
「ちょっと、その手を動かさないでいただけます? ピントが合いませんわ」
「貴様、何を……っ、おい! 近寄るな!」
「いいから黙って見せなさいな! ……ああっ、やっぱり! このサファイア、色は悪くないのに加熱処理が雑ですわ! おまけにこのカット、左右の対称性がわずかに欠けています。これでは宝石の『魂』が泣いていますわよ!」
エミリーは王子の手をガシッと掴むと、職人のような目つきで指輪を検品し始めた。
会場は静まり返った。婚約破棄を突きつけられた令嬢が、王子の手を掴んで宝石のダメ出しを始めるなど、前代未聞である。
「離せ! この無礼者が! 私はリリアーヌという真実の愛を見つけたと言っているんだ!」
力任せに手を振り払ったヴィルフリートが、隣のリリアーヌを抱き寄せた。
リリアーヌは「怖い」と言うように身をすくめ、潤んだ瞳でエミリーを見上げる。
「エミリー様……どうかヴィル様を責めないでください。悪いのは、ヴィル様を愛してしまった私なのですから……」
「あら、リリアーヌ様。あなた、先ほどからそのネックレスが気になってお話に集中できませんわ」
エミリーはルーペを構えたまま、リリアーヌの首元へ一歩踏み出した。
「な、なんですの……? これはヴィル様が、私に贈ってくださった大切な愛の証ですのよ?」
「愛の証? 冗談はおっしゃらないで。その屈折率、そして内部に見える気泡……。それは紛れもない『ガラス玉』ですわよ。着色されたただのガラスをルビーと偽って贈るなんて、王子教育はどうなっているのかしら」
「ガ、ガラス……!? そんなはずありませんわ! ヴィル様が最高級のルビーだと仰って……!」
リリアーヌの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
周囲の令嬢たちがヒソヒソと囁き始めた。「えっ、本物じゃないの?」「王子の贈り物がガラスだなんて……」と。
ヴィルフリートは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「貴様! リリアーヌを侮辱するか! それは我が王家に伝わる……」
「いいえ。王家に伝わるルビーのセットは、三代前の王妃様が不注意で紛失したと記録にありますわ。今あなたが彼女に持たせているのは、どこぞの露店で売っているような安物です。愛の重さもその程度ということですのね」
「ぐっ……、だ、黙れ! 婚約破棄だ! 今すぐこの場から叩き出せ!」
激昂する王子に対し、エミリーは優雅にカーテシーを披露した。
「ええ、喜んで。こんな宝石を見る目のない方の側にいても、わたくしの審美眼が腐るだけですもの。ですが、一つだけ条件がございますわ」
「条件だと!? 罪人が何を図々しい!」
「罪人などと失礼な。わたくしが彼女を突き飛ばしたという証拠は? ドレスを切り裂いた証人は? ……どうせ、彼女が自分でやった狂言でしょう? そんなことより『慰謝料』のお話をしましょう」
エミリーの瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。
「わたくしとの婚約を一方的に破棄するのであれば、アステリア公爵家への誠意を見せていただかなくては。……そうですね、王家の宝物庫に眠っている『星空の涙』をいただけますかしら?」
「なっ……バカなことを言うな! あの30カラットのブルーダイヤモンドをだと!?」
「あら、たかが石ころ一つでわたくしとの縁が切れるのであれば、お安い御用ではありませんか? それとも、リリアーヌ様への愛は、そのダイヤよりも軽いのですの?」
「く……っ……!」
ヴィルフリートは言葉に詰まった。ここで拒めば、リリアーヌへの愛が偽物だと認めることになる。
何より、エミリーの背後に控える公爵家の影響力を考えれば、手ぶらで追い出すわけにはいかない。
「……わかった。持って行くがいい! その代わり、二度と我らの前には現れるな!」
「契約成立ですわね。それでは皆様、ごきげんよう。わたくしはこれから、最高のダイヤモンドを迎えに行く準備がありますので」
エミリーは一度も王子を振り返ることなく、軽やかな足取りで会場を後にした。
その頭の中は、これから手に入る伝説の宝石をどう磨き、どう愛でるかという妄想で埋め尽くされていた。
(ああ、楽しみですわ! あのブルーダイヤモンド……きっと屈折率も完璧で、カットのプロポーションも素晴らしいに違いないわ!)
こうして、帝国史上もっとも「ハッピーな」婚約破棄が成立したのである。
2
あなたにおすすめの小説
公爵家の養女
透明
恋愛
リーナ・フォン・ヴァンディリア
彼女はヴァンディリア公爵家の養女である。
見目麗しいその姿を見て、人々は〝公爵家に咲く一輪の白薔薇〟と評した。
彼女は良くも悪くも常に社交界の中心にいた。
そんな彼女ももう時期、結婚をする。
数多の名家の若い男が彼女に思いを寄せている中、選ばれたのはとある伯爵家の息子だった。
美しき公爵家の白薔薇も、いよいよ人の者になる。
国中ではその話題で持ちきり、彼女に思いを寄せていた男たちは皆、胸を痛める中「リーナ・フォン・ヴァンディリア公女が、盗賊に襲われ逝去された」と伝令が響き渡る。
リーナの死は、貴族たちの関係を大いに揺るがし、一日にして国中を混乱と悲しみに包み込んだ。
そんな事も知らず何故か森で殺された彼女は、自身の寝室のベッドの上で目を覚ましたのだった。
愛に憎悪、帝国の闇
回帰した直後のリーナは、それらが自身の運命に絡んでくると言うことは、この時はまだ、夢にも思っていなかったのだった――
※月曜にから毎週、月、水曜日の朝8:10、金曜日の夜22:00投稿です。
小説家になろう様でも掲載しております。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
逃げた先で見つけた幸せはずっと一緒に。
しゃーりん
恋愛
侯爵家の跡継ぎにも関わらず幼いころから虐げられてきたローレンス。
父の望む相手と結婚したものの妻は義弟の恋人で、妻に子供ができればローレンスは用済みになると知り、家出をする。
旅先で出会ったメロディーナ。嫁ぎ先に向かっているという彼女と一晩を過ごした。
陰からメロディーナを見守ろうと、彼女の嫁ぎ先の近くに住むことにする。
やがて夫を亡くした彼女が嫁ぎ先から追い出された。近くに住んでいたことを気持ち悪く思われることを恐れて記憶喪失と偽って彼女と結婚する。
平民として幸せに暮らしていたが貴族の知り合いに見つかり、妻だった義弟の恋人が子供を産んでいたと知る。
その子供は誰の子か。ローレンスの子でなければ乗っ取りなのではないかと言われたが、ローレンスは乗っ取りを承知で家出したため戻る気はない。
しかし、乗っ取りが暴かれて侯爵家に戻るように言われるお話です。
親友に恋人を奪われた俺は、姉の様に思っていた親友の父親の後妻を貰う事にしました。傷ついた二人の恋愛物語
石のやっさん
恋愛
同世代の輪から浮いていた和也は、村の権力者の息子正一より、とうとう、その輪のなから外されてしまった。幼馴染もかっての婚約者芽瑠も全員正一の物ので、そこに居場所が無いと悟った和也はそれを受け入れる事にした。
本来なら絶望的な状況の筈だが……和也の顔は笑っていた。
『勇者からの追放物』を書く時にに集めた資料を基に異世界でなくどこかの日本にありそうな架空な場所での物語を書いてみました。
「25周年アニバーサリーカップ」出展にあたり 主人公の年齢を25歳 ヒロインの年齢を30歳にしました。
カクヨムでカクヨムコン10に応募して中間突破した作品を加筆修正した作品です。
大きく物語は変わりませんが、所々、加筆修正が入ります。
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
婚約破棄を申し込むも、殿下の説得がガチすぎて詰む?
ちゅんりー
恋愛
公爵令嬢リペは、厳しい王妃教育と窮屈な未来から逃れるため、ある画期的な計画を思いつく。それは、世にも恐ろしい「悪役令嬢」になりきって、完璧な第一王子カイルに婚約破棄を叩きつけること!
さっそくリペは、高笑いと共に「不敬な態度」「無駄遣い」「嫌がらせ」といった悪行の数々を繰り出すが……。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる