悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!

ちゃっぴー

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婚約破棄から一夜明けた、ラズライト公爵家の朝。
私は自室の机に向かい、昨夜のパーティーで消費した馬車の維持費と、ドレスのクリーニング代を帳簿に叩きつけていた。

「……やはり、あの王子から毟り取れる慰謝料に、精神的苦痛代を三割ほど上乗せすべきですわね」

ペンを走らせる私の背後で、メイドのシャーリーが震えながら紅茶を差し出してくる。
彼女の目には、婚約破棄されてショックで荒れている令嬢に見えているのだろう。
心外ね。私はただ、今後のキャッシュフローを最適化しているだけですわ。

「あ、あの、アクア様。……お客様、いえ、闖入者(ちんにゅうしゃ)が……」

「闖入者? そんな騒々しい生き物は、門番に頼んで肥料の材料にでもしておきなさいな」

「それが……リル・コットン様が、門の前で『アクア様に会うまでここを動かない!』と座り込んでいらっしゃいまして……」

私は思わずペンを止めた。
リル。昨夜、王子の隣で守られていた、あの「か弱い(設定の)」男爵令嬢。
普通、婚約破棄をさせた側の女が、翌朝一番に相手の家に来るかしら?

「……面白いわ。通しなさい。ただし、絨毯が汚れるから靴の泥は三回落とさせてね」

数分後、応接室に現れたリルさんは、昨夜の華やかなドレスとは打って変わって、地味な……というか、もはや修道女のような質素な格好をしていた。
そして彼女は、私を見るなり床に膝をつき、深々と頭を下げたのだ。

「アクア様! 昨夜は……昨夜は、本当に申し訳ありませんでした!」

「あら。謝罪なら、まずその頭を上げてくださる? あなたのつむじと会話する趣味はありませんの」

「ひっ……! ああっ、その冷徹な言い回し……やはり本物ですわ……!」

リルさんが顔を上げると、そこには申し訳なさそうな表情ではなく、なぜか恍惚とした笑みが浮かんでいた。
……嫌な予感がする。

「誤解しないでください。私は、殿下の味方ではありません! 私はただ、アクア様があのバカな王子に不当に扱われるのが耐えられなくて……!」

「待ちなさい。あなたは昨夜、殿下に守られて『アクア様が怖い』と泣いていたはずですけれど?」

「あれは演技です! あんな風にしないと、アクア様の『ゴミを見るような素晴らしい瞳』を引き出せないではありませんか!」

私は思わず、隣に控えていたゼノに視線を送った。
いつの間にか部屋の隅に立っていた騎士団長は、額を押さえて深いため息をついている。

「……ゼノ。近衛騎士団の権限で、この子を精神鑑定に連れて行って差し上げたら?」

「無理だ、アクア。こいつ、これでも成績優秀でな。……ただ、重度の『お前ファン』なだけだ」

「ファン……?」

耳を疑った。
この、国中から「悪役」と恐れられている私のファン?
しかも、私から婚約者を奪おうとしたヒロインが?

「アクア様! 私は、殿下との結婚なんて一ミリも望んでおりません! あんな鏡を見るたびにポーズを決める男、維持費がかかるだけでメリットがありませんわ!」

「……それは同意しますけれど」

「私はただ、アクア様の隣に立ちたかったのです! アクア様に罵倒され、その鋭い知性で論破され、最終的に踏みにじられる……そんな光栄な日々を夢見ていたのです!」

リルさんが私の手を取り、熱っぽく語る。
その瞳は、特売のタイムセールに並ぶ私と同じくらい、ギラギラと輝いていた。

「……ねえ、リルさん。一つ確認させて。あなたは、私に嫌がらせをされたから殿下に泣きついたのではないの?」

「嫌がらせ? とんでもない! 教科書を噴水に投げ捨ててくださった時は、あまりの光景に涙が出ました! 『これで私、アクア様と共通の思い出ができたわ!』って!」

「……噴水に捨てたのは、私の指が滑っただけですわよ。あとで新しいのを自腹で買おうと思っていましたの」

「ワインを頭から浴びせてくださった時は、もう一生お風呂に入りたくないと思いました! あのヴィンテージの香りとアクア様の叱責……最高のご褒美です!」

カオスだ。
この世界は、私の計算をはるかに超えた異常事態に陥っているらしい。

「……で。そんな熱心な……その、変質的なファンであるあなたが、私に何の用ですの?」

「はい! アクア様が婚約破棄されたと聞き、今こそチャンスだと思いまして! 私、リル・コットンは、アクア様の『悪役令嬢相談所』の第一号助手として、志願しに参りました!」

「相談所なんて、まだ開設していませんわよ」

「これから作るのでしょう? 昨夜、ゼノ様とそうお話しされていましたわよね? 私、耳だけは良いんです!」

リルさんは鼻をフンスと鳴らし、どこから取り出したのか、分厚い履歴書を机に置いた。
そこには「趣味:アクア様の観察」「特技:アクア様の罵倒を録音すること(心の中で)」といった不穏な文字が並んでいる。

「……ゼノ。どう思う?」

「……勝手にしてくれ。だが、こいつを野放しにするよりは、お前の手元で飼い慣らした方が被害が少ないかもしれないぞ」

ゼノのアドバイスは、的確すぎて腹が立つ。
私は履歴書をパラパラとめくり、最後のページに書かれた「無給で構いません。むしろお支払いします」という一文を見つけた。

「……合格よ」

「本当ですか!?」

「ええ。ただし、私の指示には絶対服従。それから、そのキラキラした目で私を見ないこと。目がチカチカして計算間違いをしたら、あなたの貯金を削りますわよ」

「はい! ありがとうございます、お姉様!!」

「お姉様はやめて。鳥肌が立ちますわ」

こうして、私のアクア・ラズライトの新しい人生に、なぜか「元ヒロインの狂信的な助手」という、最も計算外なコストが発生することになったのである。

……まあ、無料(どころか金を取れる)の労働力と考えれば、悪くない投資かもしれませんわね。
私は冷めた紅茶を一口飲み、これからの波乱に満ちた日々を予感して、少しだけ口角を上げた。
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