悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!

ちゃっぴー

文字の大きさ
12 / 28

12

しおりを挟む
「……はぁ。昨日のバラの件といい、あの王子の脳内構造を解析するだけで脳のカロリーを無駄に消費しましたわ」

私は相談所のデスクに突っ伏し、数字だらけの帳簿を眺めていた。
すると、背後から「よっこらしょ」という、およそ騎士団長らしからぬ掛け声と共に、私の視界が遮られた。

「おい、アクア。そんなに眉間にシワを寄せてると、せっかくの三白眼がさらに凶悪になるぞ。ほら、今日は市場に行く予定だっただろ」

見上げると、そこには私服姿のゼノが立っていた。
今日は珍しく、いつもより少しだけ質の良さそうな麻のシャツを着ている。
……あ、あのシャツ。去年の冬のセールで私が『絶対にお買い得よ』と無理やり買わせたやつですわね。

「……覚えていたのね、ゼノ。でも今は、リールの書いた『王子のポエム撃退マニュアル』の校閲が……」

「そんなもん後回しだ。今日は騎士団の買い出しじゃなくて、お前の『息抜き』が目的だ。……ほら、行くぞ」

ゼノは私の腕を掴むと、拒否する暇も与えず外へと連れ出した。
まったく、この男の強引さは私の計算外ですわ。
でも、その腕の力が少しだけ心地よいと思ってしまう自分に、私はこっそりと「疲れのせいよ」と言い訳をした。

王都の市場は、今日も人々の活気と「安売りの叫び」に満ちていた。
その音を聞いた瞬間、私の仕事モードがスイッチオンになる。

「ゼノ! 見てください、あちらの八百屋。キャベツが三玉で銀貨一枚ですわ! 一玉あたりに換算すると通常より二割も安い……あっちの店に並びますわよ!」

「おい、待てアクア! 今日はそういう買い出しじゃないって……あぁもう、足が速いな!」

私は人混みを縫うようにして、獲物を狙う鷹のように市場を突き進んだ。
手に取ったキャベツの重さを確かめ、芯の太さをチェックする。
これこそが、私の生きる喜び。

「……よし、完璧ですわ。ゼノ、これを持っていてくださる?」

「……お前、本当にデートを荷物運搬作業に変える天才だな」

ゼノは呆れながらも、渡されたキャベツの袋を軽々と片手で持った。
その太い腕の血管が浮き出るのを見て、私は不覚にも「……機能的な筋肉ね」と見惚れてしまった。

「……な、何を見てるんだ。キャベツの鮮度でも確認してるのか?」

「いえ、あなたの筋肉の収縮効率が素晴らしいと思っただけですわ。……さて、次はあちらの装飾品店へ行きましょう。あそこの店主、値切り交渉に弱いんですの」

私はゼノを引っ張って、小さなアクセサリーショップの前に辿り着いた。
そこには、色とりどりのガラス細工や、安価な宝石が並んでいる。
私は値札を一つずつチェックし、心の中で「原価率」を計算し始めた。

「……アクア。これ、どう思う?」

ゼノが指差したのは、青い小さな石がついたシンプルな髪留めだった。
私の瞳の色によく似た、深い青色。

「……あ、これ。石のカットが甘いですわね。あと、土台の金具の強度が足りませんわ。金貨二枚? 高いですわね、銀貨五枚が妥当ですわ」

私が即座にダメ出しをすると、ゼノは苦笑いをして店主に声をかけた。
「……これを一つくれ。値切りはなしだ」

「えっ、ちょっとゼノ!? 私の交渉術を使えばもっと安く――」

「いいんだよ。これは俺がお前に買うんだから。……交渉で勝ち取った戦利品じゃなくて、ただの『贈り物』だ」

ゼノは代金を支払い、包んでもらった小さな箱を私に差し出した。
……贈り物。
その言葉の響きが、なぜか胸の奥をチクりと刺す。
私は慌てて、脳内の計算機を再起動させた。

「……ゼノ、無駄遣いですわ。この金額があれば、もっと実用的な……例えば、高品質な砥石とかが買えたのに」

「砥石を贈って喜ぶ令嬢がどこにいるんだよ。……ほら、つけてやる。じっとしてろ」

ゼノが大きな手で、私の髪にそっと触れた。
彼の指先が耳に触れるたび、そこから熱が伝わってくる。
私の冷徹な頭脳が、「心拍数上昇につき、冷却が必要です」と警告を発している。

「……よし、似合ってる。やっぱりお前には、あの王子のバラより、こういう質素だけど強い石の方が似合う」

ゼノが満足げに笑った。
その笑顔は、どんな高価な宝石よりも眩しくて、私は思わず視線を逸らしてしまった。

「……あ、ありがとう。……この貸しは、次回の相談業務の際に、手数料の割引として返しますわ」

「……お前、本当に可愛げがないな。だが、まぁ……そこがいいんだが」

ゼノが小声で呟いた言葉は、市場の喧騒にかき消された。
……はずなのに、私の耳にははっきりと届いていた。

その時、後方から大きな馬車が無理やり人混みをかき分けて進んできた。
「危ない!」
ゼノが瞬時に私の腰を引き寄せ、自分の胸の中へと抱き込んだ。

「っ……!」

鼻先をかすめる、ゼノの香りの。
鉄の匂いと、微かな石鹸の、清潔で力強い匂い。
私の顔は、彼の胸板に押し付けられ、耳元でドクドクと力強い鼓動が聞こえる。

「……怪我はないか、アクア」

上から降ってくるゼノの声が、いつもより低くて、震えているように聞こえた。

「……え、ええ。大丈夫ですわ。……それよりゼノ、近い、ですわ……」

私は真っ赤になった顔を隠すように、彼の胸から離れた。
三白眼の視界が、なんだかふわふわと滲んでいる。
計算できない。
今のこの状況、私の損失なのか、それとも、莫大な利益(ときめき)を得たのか。

「……アクア。顔が真っ赤だぞ。やっぱり日差しが強すぎたか?」

「……ち、違いますわ! これは、その、急に動いて血流が良くなっただけですわ! ……さ、さあ、帰りましょう! 卵のタイムセールに遅れてしまいますわ!」

私はゼノの手を振り切り、逃げるように歩き出した。
心臓がうるさすぎて、歩くたびにそのリズムが脳内に響く。

「……おい、待てよアクア! 卵は明日でもいいだろ!」

追いかけてくるゼノの足音。
私は自分の髪に触れた。
そこには、彼がくれた小さな青い石が、確かに留まっている。

……金貨二枚の、贈り物。
私の計算では「割に合わない」はずのその小さな石が、今は何よりも重く、価値のある資産のように感じられてしまった。

「……ったく。あんなに熱心に口説かれたって、時給は上げませんわよ……」

私は独り言を呟き、緩みそうになる口元を必死に引き締めながら、夕暮れの市場を駆け抜けた。
恋という名の投資。
その損益分岐点を、私はまだ、見極められそうにありませんでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~

鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。 私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。 公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。 だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読? そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため! 王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。 アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる! すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため―― 「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは? 痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド! 破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!

悪役令嬢は間違えない

スノウ
恋愛
 王太子の婚約者候補として横暴に振る舞ってきた公爵令嬢のジゼット。  その行動はだんだんエスカレートしていき、ついには癒しの聖女であるリリーという少女を害したことで王太子から断罪され、公開処刑を言い渡される。  処刑までの牢獄での暮らしは劣悪なもので、ジゼットのプライドはズタズタにされ、彼女は生きる希望を失ってしまう。  処刑当日、ジゼットの従者だったダリルが助けに来てくれたものの、看守に見つかり、脱獄は叶わなかった。  しかし、ジゼットは唯一自分を助けようとしてくれたダリルの行動に涙を流し、彼への感謝を胸に断頭台に上がった。  そして、ジゼットの処刑は執行された……はずだった。  ジゼットが気がつくと、彼女が9歳だった時まで時間が巻き戻っていた。  ジゼットは決意する。  次は絶対に間違えない。  処刑なんかされずに、寿命をまっとうしてみせる。  そして、唯一自分を助けようとしてくれたダリルを大切にする、と。   ────────────    毎日20時頃に投稿します。  お気に入り登録をしてくださった方、いいねをくださった方、エールをくださった方、どうもありがとうございます。  とても励みになります。  

悪役令嬢の逆襲

すけさん
恋愛
断罪される1年前に前世の記憶が甦る! 前世は三十代の子持ちのおばちゃんだった。 素行は悪かった悪役令嬢は、急におばちゃんチックな思想が芽生え恋に友情に新たな一面を見せ始めた事で、断罪を回避するべく奮闘する!

お前との婚約は、ここで破棄する!

ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」  華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。  一瞬の静寂の後、会場がどよめく。  私は心の中でため息をついた。

下級兵士は断罪された追放令嬢を護送する。

やすぴこ
恋愛
「ジョセフィーヌ!! 貴様を断罪する!!」  王立学園で行われたプロムナード開催式の場で、公爵令嬢ジョセフィーヌは婚約者から婚約破棄と共に数々の罪を断罪される。  愛していた者からの慈悲無き宣告、親しかった者からの嫌悪、信じていた者からの侮蔑。  弁解の機会も与えられず、その場で悪名高い国外れの修道院送りが決定した。  このお話はそんな事情で王都を追放された悪役令嬢の素性を知らぬまま、修道院まで護送する下級兵士の恋物語である。 この度なろう、アルファ、カクヨムで同時完結しました。 (なろう版だけ諸事情で18話と19話が一本となっておりますが、内容は同じです)

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

処理中です...