婚約破棄? もちろん悲しみません。悪役令嬢ですもの。

ちゃっぴー

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
「……はぁ。やっと終わりましたわ。一日でこれほどハンコを押したのは人生で初めてです」

深夜の宰相執務室。

私はデスクに突っ伏し、重い溜息を吐き出した。

予算会議の後も、各部署からの「相談(という名の泣きつき)」が殺到し、気づけば窓の外は真っ暗。

「お疲れ様、リコ。君の采配のおかげで、この国の財政はあと数年は安泰だよ。……さあ、約束の『ご褒美』だ」

隣で涼しい顔をしていたシリウス様が、私の手首をクイッと引く。

鎖がチャリ、と鳴り、私は彼の膝の上へ……ではなく、強引に立たされて隣のプライベートダイニングへと促された。

「ご褒美って、ただの食事でしょう? 私は今、豪華なフルコースより、静かな部屋での十時間睡眠を欲しているのですが」

「まあそう言わずに。君の好きなものばかりを用意させたんだ。……ほら、座って」

案内されたテーブルには、キャンドルの火に照らされた絶品料理が並んでいた。

フォアグラのパテ、白身魚のポワレ、そしてメインは最高級牛の赤ワイン煮込み。

食欲をそそる香りに、私のお腹が小さく鳴った。

「……負けました。いただきますわ」

私はナイフとフォークを手に取ろうとした。

しかし、左手首が鎖で繋がれているため、どうしても動きが制限される。

「……シリウス様。食事の間だけでも、この手錠、外せませんか? これではお肉が上手く切れません」

「いいや、外さない。逃亡の隙を与えるわけにはいかないからね」

「食事中にどうやって逃げるんですか。窓から飛び降りろと?」

「君ならやりかねない。……代わりに、私が切ってあげよう。はい、あーん」

シリウス様が、手際よく切り分けたお肉を私の口元へ運んできた。

……またこれだ。

「……自分で食べられます」

「拒否権はないよ。君は疲れているんだろう? 甘えるのも仕事のうちだ」

「どんなブラック校則ですか、それは」

私は屈辱に頬を染めながら、差し出されたお肉をパクりと口にした。

……美味しい。悔しいけれど、とろけるような絶品だ。

「美味しいかい?」

「……素材がいいだけです」

「ふふ、素直じゃないね。……次はこれだ」

その後も、シリウス様は甲斐甲斐しく私に食事を運び続けた。

一口ごとに「いい子だ」「よく噛んで」などと、まるで子供かペットを扱うような言葉を添えて。

「……閣下。いい加減にしてください。私はこれでも公爵令嬢ですのよ。こんな……恥ずかしい……っ」

「恥ずかしがる必要なんてない。ここは二人きりだ。……それとも、もっと情熱的な『ご褒美』の方がよかったかな?」

シリウス様が、不意に私の顔を覗き込んできた。

至近距離。

彼の氷の瞳に、困惑した私の顔が映り込んでいる。

「な、何を……」

「リコ。君は自分がどれだけ愛されているか、本当に理解していないようだ」

彼は空いている方の手で、私の頬をそっとなぞった。

指先の熱が、冷え切った私の肌にじわりと染み込んでくる。

「……私は、君が欲しくてたまらなかった。殿下の隣で、死んだような目で書類を捌いている君を見るたびに、その首に鎖を繋いで、私の元へ連れ去りたいと願っていたんだ」

「……っ」

冗談だと思っていた「執着」の言葉が、重みを伴って胸に刺さる。

「君を追放した殿下には感謝しているよ。おかげで、こうして君を私の支配下に置くことができた」

「支配下……。貴方は、私の能力が惜しかっただけでしょう?」

「能力? ああ、それも素晴らしい。だが、私が一番欲しかったのは、その不敵な微笑みと、私を罵倒するその唇だ」

シリウス様の顔が、さらに近づく。

逃げようとしても、鎖がガチャリと音を立てて逃げ道を塞ぐ。

物理的にも、精神的にも、私はこの男の網の中にいた。

「リコ……。逃がさないと言っただろう? 一生、私の隣で、私のために知恵を絞り、私だけを見つめていればいい」

「……傲慢ですわ、宰相閣下」

「傲慢で結構。私は欲しいものは必ず手に入れる主義なんだ」

彼の唇が、私の耳元をかすめる。

「明日は休暇を与える。……ただし、私のベッドの上で過ごしてもらうことになるがね」

「…………はい?」

思わず素っ頓狂な声が出た。

「な、何を仰って……! 仕事が山積みですわよ! 休暇なんて取っている暇は……」

「仕事は私が終わらせておいたよ。君はただ、私に甘やかされていればいい」

シリウス様は満足げに微笑むと、私の首筋に軽く唇を落とした。

背中をゾクゾクとした戦慄――いや、甘い痺れが駆け抜ける。

(……まずいわ。この男、本気で私をダメにする気だ……!)

ブラック労働からの解放を願っていたけれど、代わりに待っていたのは、逃げ場のない「溺愛」という名の監獄。

私は熱くなる顔を隠すように、シリウス様の胸板を弱々しく押し返した。

「……最低ですわ。貴方のような執念深い男、お断りです」

「嫌よ嫌よも、好きのうち……だろう?」

鎖が甘い音を立てて鳴る。

夜はまだ始まったばかり。

私の「自由」への戦いは、どうやら方向転換を余儀なくされたようだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...