婚約破棄? もちろん悲しみません。悪役令嬢ですもの。

ちゃっぴー

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「……閣下。一つ、確認してもよろしいでしょうか」

「なんだい、リコ。朝からそんなに怖い顔をして。眉間にシワが寄っているよ」

「誰のせいでこうなったと思っているんですか。この、私の左手首に繋がった『呪いのアクセサリー』の件です。……なぜ、ドレスを着る時まで外してくださらないのですか?」

私は、鏡の前に立つ自分と、その隣で平然とネクタイを整える魔王を見比べた。

今夜は王城で、近隣諸国の使節団を歓迎する大夜会が開かれる。

私の衣装は、シリウス様が特注したという、夜の森を思わせる深いミッドナイトブルーのドレスだ。

デザインは完璧。布地も最高級。

だが、その完璧なドレスの袖口からは、無骨な銀の鎖が伸び、隣の男の腕へと繋がっている。

「言ったはずだよ。これは君が私から離れないための、物理的な誓いの印だ」

「物理的すぎますわ! これでは私が貴方に捕まった犯罪者に見えるではありませんか!」

「おや、おかしいな。私には、浮気性の小鳥を逃がさないように繋ぎ止めている、慈悲深い飼い主に見えるけれど」

「飼い主を自称するのをやめてください!」

私は鎖をジャラリと鳴らした。

憤慨する私をよそに、シリウス様は満足げに私の腰を引き寄せた。

「安心するといい。今夜、君を犯罪者だなんて思う者は一人もいない。……皆、私に独占されている君を見て、恐怖と羨望に震えるだけだ」

「……その『恐怖』の部分が、私の今後のキャリアに響きそうで怖いですわ」

          ◇ ◇ ◇

豪華絢爛な夜会の会場。

私たちが姿を現した瞬間、それまで賑やかだった会場が、文字通り「水を打ったように」静まり返った。

貴族たちの視線が、一点に集中する。

正確には、私とシリウス様を繋ぐ『銀の鎖』に。

「な……なんだ、あれは……」

「リコ嬢と、宰相閣下が……?」

「本当に、繋がっている……」

ヒソヒソという囁き声が、さざ波のように広がっていく。

私は、いつもの『冷徹な悪役令嬢』の仮面を被り、背筋を伸ばして歩いた。

内心は恥ずかしさで爆発しそうだったけれど、ここで弱気を見せれば、ハイエナのような貴族たちに食い物にされるだけだ。

「ふふ、見なさい。皆、言葉を失っている。君が美しすぎるからだね、リコ」

「貴方の頭が可笑しすぎるからだと思いますわよ、閣下」

私が小声で毒づくと、正面から「リ、リコぉぉぉ!」という、聞きたくない声が響いてきた。

ギルバート殿下だ。

彼の隣には、なぜかキビキビとした動作で飲み物を配り歩いているミナ様の姿もある。

「リコ! その格好は何だ! 見苦しいぞ、宰相に鎖で繋がれるなど……公爵家の面汚しだ!」

ギルバート殿下が、顔を真っ赤にして指を指す。

私は冷ややかに鼻で笑った。

「面汚し、ですか。殿下、貴方にだけは言われたくありませんわね」

「何だと!?」

「殿下は先日の予算会議で、自分の個人資産まで差し押さえられたと聞きました。今着ているその衣装も、実は王室の備品からの借り物ではありませんか?」

「うっ……そ、それは……!」

図星だったらしい。

私はさらに追い打ちをかける。

「さらに言えば、殿下が先ほどから手に持っているそのグラス。それは、この夜会のために私が一割五分値切って仕入れた安物のワインですわ。……お味はいかが?」

「……っ、味が薄いと思っていたんだ!」

「それは貴方の舌が贅沢に慣れすぎているだけです。今の王室には、貴方が高い酒を飲む余裕などありませんのよ」

私がバッサリと切り捨てると、周囲の貴族たちからクスクスと失笑が漏れた。

かつては「悪役令嬢」として忌み嫌われていた私が、今や「国の財布を守る正義の味方」のように見られている。

不条理だけれど、気分は悪くない。

「閣下! 今すぐリコを解放しろ! そんな鎖、私が斬ってやる!」

ギルバート殿下が腰の儀礼剣に手をかけた。

その瞬間。

シリウス様の瞳が、凍りつくような冷たさを帯びた。

「……殿下。今、私の大切な婚約者に、何と言いました?」

「ひっ……」

シリウス様が、ただ一歩、前に出る。

鎖が短く鳴り、私も引きずられるように一歩前へ。

「この鎖は、魔法契約に基づいた正当なものです。これを斬るということは、私との契約を破棄し、さらには……私の『愛』を否定するということですよ?」

「あ、愛……!? 貴様、本気でこんな可愛げのない女を……!」

「ええ。本気ですよ。……誰にも渡したくないほどにね」

シリウス様は、私の肩を抱き寄せ、耳元で愛を囁くポーズを取った。

ただし、その目はギルバート殿下を殺さんばかりに睨みつけている。

「殿下、もう一度だけ言います。リコは私のものです。……たとえ国王陛下であろうと、彼女を私から引き離すことはできない」

会場が、再び凍りついた。

宰相による、事実上の独占宣言。

そして、暗黙の「王子への宣戦布告」だ。

「あ、あのぅ、ギルバート様ぁ」

沈黙を破ったのは、お盆を持ったミナ様だった。

「そろそろ次のお客様に飲み物を配りに行かないと、リコ様に『残業代カット』って言われちゃいますぅ。早く行きましょう?」

「ミ、ミナ……お前まで……!」

「はい、頑張りましょうねぇ! 社畜の夜は長いですよぉ!」

ミナ様は力強い腕力で殿下の袖を掴み、ズルズルと会場の隅へ引きずっていった。

……あの子、本当にリコ様信者としての道を極めつつあるわね。

「……さて。邪魔者はいなくなった」

シリウス様が、憑き物が落ちたような笑顔で私に向き直った。

「リコ。踊ろうか」

「……この鎖を付けたままですか?」

「もちろんだ。……君がどこへも逃げられないことを、改めてこの国の連中に刻み込んであげよう」

「最低のデモンストレーションですわね」

私は溜息をつき、彼の手を取った。

オーケストラの演奏が始まり、私たちは会場の中央へと進み出る。

ワルツの旋律に合わせて、二人の影が重なる。

鎖が触れ合い、チャリ、チャリと、まるで祝福の鐘のようには聞こえない、不穏な音を立てる。

「……シリウス様」

「何だい?」

「……少しだけ、鎖を緩めてください。足がもつれますわ」

「おや、それは困るね。……なら、もっと私に密着して踊ればいい。そうすれば鎖は弛む」

「……っ、確信犯!」

私は赤くなる顔を隠すように、彼の胸元に飛び込んだ。

周囲の視線は相変わらず突き刺さるようだったけれど。

彼の腕の中にいる時だけは、不思議と「仕事」のことも「逃亡」のことも忘れられそうな気がして。

私は、自分の合理性がどこかへ消えていくのを感じながら、不本意なダンスに身を任せた。

悪役令嬢と冷徹宰相。

繋がれた二人のワルツは、夜会が終わるまで、誰にも邪魔されることなく続いていった。
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