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「……何ですか、この山のような手紙は」
夜会の興奮も冷めやらぬ翌朝。
私が宰相執務室のデスクに着くなり目にしたのは、いつもの殺人的な分量の書類――ではなく、色とりどりの封筒に包まれた手紙の山だった。
しかも、そのどれもが微かに香水の香りを漂わせ、凝った封蝋が施されている。
「おめでとうございます、リコ様! これ、全部リコ様宛のファンレターと、お見合いの打診ですぅ!」
朝から元気すぎるミナ様が、台車に乗せて追加の手紙を運んできた。
「ファンレター? お見合い? ……正気ですか? 私は婚約破棄されたばかりの元悪役令嬢ですよ?」
「それがですねぇ! 昨夜の夜会で、無能な王子をバッサリ切り捨て、国庫の無駄遣いを正したリコ様の姿が『なんてクールで格好いいんだ!』って話題沸騰中なんですぅ!」
ミナ様は目をキラキラさせて、手紙の一通を勝手に開封した。
「ほら見てください! 『リコ様の冷たい罵倒で目覚めたい』とか、『僕の家の家計も立て直してほしい』とか、求婚者が列をなしてますよぉ!」
「……最後のはただの他力本願でしょうが。全く、この国の貴族はどこまで堕落しているのかしら」
私は溜息をつきながら、手元に届いた見合い写真の一枚を手に取った。
隣国の公爵家の三男。顔立ちは優しそうで、何より「穏やかで静かな田舎暮らしを希望」という一文に心が動く。
(田舎暮らし……! そうよ、この忙しない王城から離れるチャンスじゃない!)
私は鎖で繋がれた左手首を見た。
シリウス様が側にいない今、鎖は長く伸ばされてデスクの脚に繋ぎ止められている。
今のうちに。
今のうちに「寿退社」の準備を進めれば、あの執着の塊から逃げられるかもしれない。
「ミナ様。これ、返事を出しておいて。……前向きに検討させていただきます、と」
「えぇっ!? リコ様、本気ですかぁ!? 宰相閣下が知ったら王城が消し飛びますよぉ!」
「知られなければいいのよ。これは私の個人的な再就職活動なんだから」
私が不敵な笑みを浮かべた、その時だった。
背後の扉が、音もなく開いた。
室温が、一気に氷点下まで下がる。
「――へえ。再就職活動、か」
「…………っ!」
心臓が跳ね上がった。
振り返らなくてもわかる。この、背筋を這い上がるような圧倒的なプレッシャー。
「シ、シリウス様……。おはようございます。今日は一段と足音がしませんわね」
私は平静を装って、見合い写真を素早く書類の下に隠した。
だが、シリウス様は優雅な足取りで近づくと、迷いなくその書類をどかし、写真を取り上げた。
「隣国の三男坊。趣味は読書。……ふむ、実につまらない男だ。リコ、君の趣味は『予算削減』と『他人の弱み握り』だろう? こんな草食動物のような男では、三日で飽きて君が絞め殺すのがオチだね」
「絞め殺しませんわ! それに、趣味は捏造しないでください!」
私は立ち上がり、写真を取り返そうとした。
しかし、鎖が短く鳴って動きを止める。
シリウス様は、私の目の前でその写真を指先から発した蒼い炎で燃やし尽くした。
「ああっ!? 私の、私の寿退社の希望が……!」
「寿退社? 面白い冗談だ。……リコ、君の定年は私が死ぬ時だと言ったはずだよ」
シリウス様が、私の腰を強引に引き寄せた。
鎖がチャリ、と音を立てて私たちの距離をゼロにする。
「ひ、離してください……! 仕事中ですよ!」
「仕事中だからこそ、部下の不穏な動きを監視する必要がある」
彼は私の髪を指先で弄りながら、低く冷たい声で囁いた。
「ミナ嬢。その手紙の山、全て私の私室へ運びなさい。送り主のリストを作成し、全員の領地に抜き打ちの会計監査を入れる。……私の婚約者に色目を使った代償は、高くつくことを教えてあげよう」
「わ、分かりましたぁぁ! 速攻で運びますぅ!」
ミナ様は恐怖に顔を歪めながら、脱兎の如く手紙を回収して走り去った。
裏切り者ぉ! と心の中で叫んだが、もう遅い。
執務室には、私と魔王の二人きり。
「シリウス様……、公私混同が過ぎますわ。伯爵や公爵たちを敵に回して、この国がどうなっても知りませんよ」
「国がどうなろうと、君さえ隣にいれば再建できる。……だが、君が誰かのものになるという未来だけは、いかなる理由があっても認めない」
シリウス様の手が、私の頬に添えられる。
その瞳は、いつになく真剣で、そして危うい独占欲に満ちていた。
「リコ。……そんなに見合いがしたいなら、私が相手になろう。毎日三食、場所を変え、衣装を変えて、一生君に求婚し続けてあげるよ。……それで満足かい?」
「……全く、満足できませんわ。それはただの拷問です」
私は顔を背けたが、耳元まで赤くなっているのは隠せなかった。
執着の仕方が、もはや常人の理解を越えている。
けれど、これほどまでに必要とされ、追いかけられる感覚。
それを「最悪だ」と罵りながらも、どこかで誇らしく思ってしまう自分が、一番最悪なのかもしれない。
「さあ、見合いの話は終わりだ。……仕事に戻ろうか、リコ」
「…………はいはい。分かりましたわよ」
私は諦めて椅子に座り直した。
シリウス様は満足げに私の隣に座り、再び私たちの手首を短く繋ぎ直した。
「……あの、せめてあと十センチだけ、余裕をいただけませんか?」
「ダメだ。……君の温もりを感じられないと、筆が進まない」
「…………詐欺師。仕事中毒。変態宰相」
「ありがとう。君に褒められると、今日も一日頑張れそうだ」
私たちは再び、沈黙の中でペンを走らせ始めた。
寿退社の夢は、一瞬で灰になったけれど。
隣で私を離すまいと繋がれた鎖の感触が、今は少しだけ、昨日よりも重く、温かく感じられた。
(……いつか必ず、慰謝料ふんだくって逃げてやるんだから)
そんな負け惜しみを心の中で呟きながら、私は新たな予算案に『承認』の印を叩きつけた。
夜会の興奮も冷めやらぬ翌朝。
私が宰相執務室のデスクに着くなり目にしたのは、いつもの殺人的な分量の書類――ではなく、色とりどりの封筒に包まれた手紙の山だった。
しかも、そのどれもが微かに香水の香りを漂わせ、凝った封蝋が施されている。
「おめでとうございます、リコ様! これ、全部リコ様宛のファンレターと、お見合いの打診ですぅ!」
朝から元気すぎるミナ様が、台車に乗せて追加の手紙を運んできた。
「ファンレター? お見合い? ……正気ですか? 私は婚約破棄されたばかりの元悪役令嬢ですよ?」
「それがですねぇ! 昨夜の夜会で、無能な王子をバッサリ切り捨て、国庫の無駄遣いを正したリコ様の姿が『なんてクールで格好いいんだ!』って話題沸騰中なんですぅ!」
ミナ様は目をキラキラさせて、手紙の一通を勝手に開封した。
「ほら見てください! 『リコ様の冷たい罵倒で目覚めたい』とか、『僕の家の家計も立て直してほしい』とか、求婚者が列をなしてますよぉ!」
「……最後のはただの他力本願でしょうが。全く、この国の貴族はどこまで堕落しているのかしら」
私は溜息をつきながら、手元に届いた見合い写真の一枚を手に取った。
隣国の公爵家の三男。顔立ちは優しそうで、何より「穏やかで静かな田舎暮らしを希望」という一文に心が動く。
(田舎暮らし……! そうよ、この忙しない王城から離れるチャンスじゃない!)
私は鎖で繋がれた左手首を見た。
シリウス様が側にいない今、鎖は長く伸ばされてデスクの脚に繋ぎ止められている。
今のうちに。
今のうちに「寿退社」の準備を進めれば、あの執着の塊から逃げられるかもしれない。
「ミナ様。これ、返事を出しておいて。……前向きに検討させていただきます、と」
「えぇっ!? リコ様、本気ですかぁ!? 宰相閣下が知ったら王城が消し飛びますよぉ!」
「知られなければいいのよ。これは私の個人的な再就職活動なんだから」
私が不敵な笑みを浮かべた、その時だった。
背後の扉が、音もなく開いた。
室温が、一気に氷点下まで下がる。
「――へえ。再就職活動、か」
「…………っ!」
心臓が跳ね上がった。
振り返らなくてもわかる。この、背筋を這い上がるような圧倒的なプレッシャー。
「シ、シリウス様……。おはようございます。今日は一段と足音がしませんわね」
私は平静を装って、見合い写真を素早く書類の下に隠した。
だが、シリウス様は優雅な足取りで近づくと、迷いなくその書類をどかし、写真を取り上げた。
「隣国の三男坊。趣味は読書。……ふむ、実につまらない男だ。リコ、君の趣味は『予算削減』と『他人の弱み握り』だろう? こんな草食動物のような男では、三日で飽きて君が絞め殺すのがオチだね」
「絞め殺しませんわ! それに、趣味は捏造しないでください!」
私は立ち上がり、写真を取り返そうとした。
しかし、鎖が短く鳴って動きを止める。
シリウス様は、私の目の前でその写真を指先から発した蒼い炎で燃やし尽くした。
「ああっ!? 私の、私の寿退社の希望が……!」
「寿退社? 面白い冗談だ。……リコ、君の定年は私が死ぬ時だと言ったはずだよ」
シリウス様が、私の腰を強引に引き寄せた。
鎖がチャリ、と音を立てて私たちの距離をゼロにする。
「ひ、離してください……! 仕事中ですよ!」
「仕事中だからこそ、部下の不穏な動きを監視する必要がある」
彼は私の髪を指先で弄りながら、低く冷たい声で囁いた。
「ミナ嬢。その手紙の山、全て私の私室へ運びなさい。送り主のリストを作成し、全員の領地に抜き打ちの会計監査を入れる。……私の婚約者に色目を使った代償は、高くつくことを教えてあげよう」
「わ、分かりましたぁぁ! 速攻で運びますぅ!」
ミナ様は恐怖に顔を歪めながら、脱兎の如く手紙を回収して走り去った。
裏切り者ぉ! と心の中で叫んだが、もう遅い。
執務室には、私と魔王の二人きり。
「シリウス様……、公私混同が過ぎますわ。伯爵や公爵たちを敵に回して、この国がどうなっても知りませんよ」
「国がどうなろうと、君さえ隣にいれば再建できる。……だが、君が誰かのものになるという未来だけは、いかなる理由があっても認めない」
シリウス様の手が、私の頬に添えられる。
その瞳は、いつになく真剣で、そして危うい独占欲に満ちていた。
「リコ。……そんなに見合いがしたいなら、私が相手になろう。毎日三食、場所を変え、衣装を変えて、一生君に求婚し続けてあげるよ。……それで満足かい?」
「……全く、満足できませんわ。それはただの拷問です」
私は顔を背けたが、耳元まで赤くなっているのは隠せなかった。
執着の仕方が、もはや常人の理解を越えている。
けれど、これほどまでに必要とされ、追いかけられる感覚。
それを「最悪だ」と罵りながらも、どこかで誇らしく思ってしまう自分が、一番最悪なのかもしれない。
「さあ、見合いの話は終わりだ。……仕事に戻ろうか、リコ」
「…………はいはい。分かりましたわよ」
私は諦めて椅子に座り直した。
シリウス様は満足げに私の隣に座り、再び私たちの手首を短く繋ぎ直した。
「……あの、せめてあと十センチだけ、余裕をいただけませんか?」
「ダメだ。……君の温もりを感じられないと、筆が進まない」
「…………詐欺師。仕事中毒。変態宰相」
「ありがとう。君に褒められると、今日も一日頑張れそうだ」
私たちは再び、沈黙の中でペンを走らせ始めた。
寿退社の夢は、一瞬で灰になったけれど。
隣で私を離すまいと繋がれた鎖の感触が、今は少しだけ、昨日よりも重く、温かく感じられた。
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