婚約破棄、ありがとうございます!引継ぎは完璧ですので。

ちゃっぴー

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「シェリル・ノーザランド! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄させてもらう!」


王宮の華やかな夜会。
シャンデリアが輝き、バイオリンの音色が流れるその中心で、第一王子ジュリアンの怒声が響き渡った。


彼の腕には、今にも泣き出しそうな表情で寄り添う男爵令嬢、ライラの姿がある。
会場中の貴族たちが、憐れみ、あるいは嘲笑を込めた視線を、公爵令嬢シェリルへと投げた。


しかし。


「……えっ。今、なんとおっしゃいました?」


シェリルは扇子を閉じ、驚きに目を見開く。
その表情は、絶望に打ちひしがれているというよりは、宝くじの当選番号を確認する男のような、切実な期待に満ちていた。


「耳まで腐ったか! 貴様がライラに対して行った数々の悪逆非道な嫌がらせ……俺はすべて知っているぞ! 身の程を知らぬ悪女め、今日限りで王太子妃の座から引きずり落としてやる!」


ジュリアンが勝ち誇ったように言い放つ。
周囲の貴族たちが「そうだそうだ」「恐ろしい女だ」と、打ち合わせたかのようにヒソヒソと野次を飛ばした。


ところが、シェリルの反応は彼らの予想を斜め上に裏切った。


「……本当ですね? 一度吐いた言葉を飲み込んだりしませんよね? 後で『やっぱり冗談だ、あれはちょっとした演出だった』なんて言い出さないと、神に誓えますか?」


「な、なんだその態度は……! 誓うも何も、これは王家の決定だ! 貴様のような可愛げのない、仕事ばかりの鉄面皮に、次期王妃が務まるはずがないだろう!」


ジュリアンの罵倒を聞いた瞬間、シェリルの顔に、これまでの人生で一度も見せたことがないような、輝くばかりの満面の笑みが浮かんだ。


「……っ! あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」


シェリルは感極まった様子で、ジュリアンの両手を力強く握りしめた。
その瞳は、感動のあまり薄っすらと潤んでいる。


「な、なんなのだ貴様は……気味が悪いぞ、離せ!」


「いえ、離しません! 殿下、あなたは私の恩人です! この三年というもの、一日の睡眠時間は平均三時間、祝日はゼロ、公式行事の準備から予算の管理、果ては殿下の浮気調査(事後処理)まで……! それらすべての激務から、私は今、解放されたのですね!」


「浮気調査だと!? 人聞きの悪いことを言うな、これは真実の愛……」


「どっちでもいいです! 愛でも不貞でも趣味でも、私以外の誰かがその責任を取ってくれるなら、私はそれを全力で祝福します!」


シェリルは、握っていたジュリアンの手をゴミ箱に捨てるような勢いで放り出した。
そして、あまりの身軽さにその場でくるりと一回転し、夜会服の裾を翻した。


「ああ、素晴らしいわ。明日から、早起きして予算表を確認しなくていいのね。朝食を摂りながら、地方の関税トラブルの報告書を読まなくていいのね。夢のようですわ!」


「おい……シェリル。貴様、ショックで頭が沸いたのか? これは断罪の場なのだぞ? もっとこう、泣いて縋るとか、ライラに嫉妬して叫ぶとか……」


ジュリアンが毒気を抜かれたように、たじろぎながら尋ねた。
すると、それまで彼の影に隠れていたライラが、計算高くも可憐な声を上げた。


「シェ、シェリル様……。そんな、強がらなくてもよろしいのですよ? 私、殿下を奪ってしまって本当に申し訳なくて……。でも、愛は止められないんですっ!」


ライラが目尻に涙を浮かべて、シェリルに歩み寄る。
普段なら、ここからシェリルの厳しい「指導(お小言)」が始まるはずだった。


しかし、今のシェリルにとって、ライラはもはや不快な邪魔者ではない。
自分に代わって「王太子妃」という名の巨大なブラック企業に就職してくれる、尊い犠牲者(後任)である。


「いいえ、ライラ様。謝る必要なんてどこにありますの? むしろ私、あなたに感謝の印として金一封を差し上げたいくらいですわ!」


「……えっ? 金一封、ですか?」


「ええ。あなたが殿下の隣に収まってくれるおかげで、私の人生に『有給休暇』という概念が誕生したのです。これ以上の喜びはありません。どうぞ、その席は末永くあなたのものです。返品は一切受け付けませんので、あしからず」


シェリルは最高の淑女の礼(カーテシー)を見せた。
その動作は完璧でありながら、どこか軽やかで、解放感に満ち溢れている。


「さて、話がまとまったところで、私は失礼させていただきますわね。あ、殿下、最後に一つだけ」


「な、なんだ。やはり、まだ言い残したことがあるのか……」


ジュリアンが少しだけ期待したような顔をする。
やはり自分に未練があるのだろう、と。


だが、シェリルの口から飛び出したのは、甘い言葉ではなかった。


「私の私物……主に愛用していた羽ペンと、徹夜用のカフェイン錠剤、それから執務室のマイ枕については、明日の朝までに回収に伺います。あ、もちろん、殿下の身の回りのお世話についても『完璧な引継ぎ』を用意してありますわ」


「引継ぎ……?」


「ええ。私のやり残した仕事、ライラ様への教育、そして今後の外交スケジュール。すべては明日、お話ししましょう」


シェリルは、呆然とする二人と、ざわつく会場を背に、スキップでもしそうな足取りで出口へと向かった。


「それでは皆様、ごきげんよう! あーっ、最高! 今夜はビールを飲んで寝ますわ!」


公爵令嬢らしからぬ叫びを残し、彼女は嵐のように去っていった。
後に残されたのは、かつて見たことがないほど幸せそうな「悪役令嬢」の背中を見送る、困惑しきった人々だけだった。
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