婚約破棄、ありがとうございます!引継ぎは完璧ですので。

ちゃっぴー

文字の大きさ
2 / 28

2

しおりを挟む
婚約破棄を宣告された翌朝。
王宮の執務室の重厚な扉を、シェリルは勢いよく蹴り開けた。


「おはようございます、元・婚約者殿! そして未来の王太子妃様! 清々しい朝ですわね!」


部屋の中では、目の下に隈を作ったジュリアンと、所在なさげに座るライラがいた。
二人の前には、昨日まではシェリルが数分で片付けていたはずの「緊急」の書類が、山となって積み上がっている。


「……シェリルか。貴様、昨夜あんな騒ぎを起こしておいて、よくもまあそんな晴れやかな顔で……」


ジュリアンが恨みがましい視線を向ける。
対するシェリルは、たっぷりと八時間睡眠をとったおかげで、肌のコンディションも最高だった。


「騒ぎを起こしたのは殿下の方でしょう? 私はただ、謹んでお受けしただけですわ。さて、約束通り、私の私物の回収と『引継ぎ』に参りました」


「ふん、引継ぎだと? ライラは愛に溢れた女性だ。貴様のような事務的な女と違って、心でおこなう公務を見せてくれるはずだ。引継ぎなど、一言二言あれば十分だろう」


ジュリアンの言葉に、隣のライラが「はいっ、頑張りますぅ」と小さく拳を握る。
シェリルはその微笑ましい光景を見て、今日一番の笑顔を浮かべた。


「そうですか。それは心強い。では、その一言二言……の代わりに、こちらをご確認くださいませ」


シェリルがパチンと指を鳴らす。
すると、部屋の外で待機していた屈強な運び屋たちが、次々と巨大な木箱を運び込んできた。


ドォォォォォン。


執務室の床が悲鳴を上げるような音を立てて、箱が積まれていく。その数、十箱。


「……な、なんだこれは。嫌がらせか?」


引きつった顔のジュリアンに、シェリルは手際よく一冊の目録を突きつけた。


「嫌がらせだなんて滅相もない。これが私の担当していた『王太子妃業務・完璧引継ぎセット(全三十巻)』です。一巻につき五百ページほどですので、読書家なら数日で読めますわよ」


「さ、三十巻……!? 一巻五百ページ……!?」


ライラの顔から血の気が引いていく。
シェリルは容赦なく、一番上の箱から一冊を取り出し、机の上に叩きつけた。


「第一巻は『王宮内の予算管理および裏金対策』。これまでの殿下の夜食代や、ライラ様へ贈ったプレゼントの経費処理方法も詳しく書いておきましたわ。もちろん、そのまま通すと会計監査で首が飛びますから、上手な『調整』の仕方もね」


「……ちょ、調整?」


「第二巻は『隣国との秘密外交および毒殺回避マニュアル』。今、我が国が輸入している小麦の価格が安定しているのは、私が隣国の公爵と毎週おこなっている『裏のお茶会』のおかげです。来週も予約が入っていますから、ライラ様、ぜひ代わりに行って毒見をなさってください」


「ど、毒見……!? そんなの聞いてませんっ!」


ライラが悲鳴を上げるが、シェリルのマシンガントークは止まらない。


「第三巻から第十巻までは『領地経営における治水工事と関税トラブル解決法』。第十一巻からは『不敬罪で捕らえた貴族の効率的な再教育および秘密警察との連携』。あ、第十五巻は特におすすめですよ。殿下の『脱ぎ散らかした靴下を侍従に見つかる前に回収するルートマップ』ですから」


「……待て。そんなことまで貴様がやっていたのか?」


ジュリアンが呆然と呟く。
彼は、王太子妃という存在が、ただ横に立って微笑んでいるだけの花飾りだと思っていたのだ。


「当たり前でしょう? 殿下が『今日は仕事をしたくない』と言って狩りに出かけている間、誰が代わりに決済印を押していたと思っているのですか? その指のタコは、装飾品ではなくペンだこですわ!」


シェリルは自分の右手中指を誇らしげに見せた。
しかし、それも今日からは過去の遺産だ。


「これらすべての業務、本日を以てライラ様に引き継ぎます。ああ、ご安心を。文字が読めなくても理解できるように、図解入りの資料も三箱分用意しましたから」


「う、嘘……。私、お花を飾ったり、殿下とダンスをしたりするだけだと思って……」


ガタガタと震え出したライラに、シェリルは慈愛に満ちた(ように見える)視線を向ける。


「大丈夫ですわ、ライラ様。愛があれば乗り越えられます。殿下もそうおっしゃっていましたものね? 事務的な私にはできなかった『心でおこなう公務』で、この山のような書類に真心(スタンプ)を込めてくださいな」


「シェ、シェリル……。少し、話が急すぎるのではないか? せめて一ヶ月ほど、ライラの横について指導を……」


ジュリアンが、すがりつくような目でシェリルを見た。
だが、シェリルの決意は岩よりも固い。


「一ヶ月? 冗談。私の有給休暇……いえ、隠居生活は今この瞬間から始まっているのです。一秒たりとも延長は認めませんわ」


シェリルは自分の私物が入った小さな鞄を手に取った。
中身は愛用の羽ペンと、いくつかの魔導具、そして大量の解熱剤だけだ。


「それでは殿下、ライラ様。書類の不備についての問い合わせは一切受け付けませんので、あしからず。ああ、そうだ。もし一週間以内にこれらが片付かない場合、王都の物流が止まりますけれど、まあ、愛の力でなんとかしてくださいませ」


「ま、待て! 行くなシェリル! これは命令だ!」


ジュリアンの叫びを背中に浴びながら、シェリルは軽やかな足取りで部屋を出た。


廊下に出ると、そこには一人の男が壁に寄りかかって立っていた。
鉄の鎧に身を包んだ、近衛騎士団長のウォルフだ。


「……派手にやったな、公爵令嬢」


「あら、見ていらしたの? 騎士団長様。ご苦労さまですわね、これから大変な主君を支えることになって」


ウォルフは表情を一つも変えず、だがその瞳には確かな呆れと、わずかな敬意が混ざっていた。


「命令系統が混乱するのは目に見えている。俺の仕事が増えるのも確定だ。……お前、本当に後悔しないのか?」


「後悔? まさか! 私はこれから、鳥のように自由になって、昼間からお酒を飲んで、死ぬまで二度寝を楽しむつもりですわ!」


「……だろうな。お前の性格ならそう言うと思った」


ウォルフがフッと鼻で笑う。
シェリルは彼に軽く会釈をすると、王宮の出口へと走り出した。


「さらば、ブラック王宮! 私は私の幸せを、効率的に掴み取らせていただきますわ!」


外には、彼女が手配した爆走用の高速馬車が待機している。
御者に「全速力で領地へ!」と告げると、シェリルは背後の豪華な城を一度も見返ることなく、自由という名の荒野へと旅立つのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。 豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。 ――食事が、冷めているのだ。 どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。 「温かいごはんが食べたい」 そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。 地下厨房からの高速搬送。 専用レーンを爆走するカートメイド。 扉の開閉に命をかけるオープナー。 ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!? 温かさは、ホッとさせてくれる。 それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。 冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、 食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ! -

婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~

ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」 義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。 父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。 けれど―― 公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。 王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。 さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。 そして下されたのは――家ごとの褫奪。 一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。 欲しがったのは肩書。 継いだのは責任。 正統は叫びません。 ただ、残るだけ。 これは、婚約を奪われた公爵令嬢が “本当に継がれるべきもの”を証明する物語。

婚約破棄された宰相です。 正直、婚約者も宰相も辞めたかったので丁度よかったです

鍛高譚
恋愛
内容紹介 「婚約破棄だ! そして宰相もクビだ!」 王宮の舞踏会で突然そう宣言したのは、女性問題を繰り返す問題王太子ユリウス。 婚約者であり王国宰相でもあるレティシアは、静かに答えた。 「かしこまりました」 ――正直、本当に辞めたかったので。 これまで王太子の女性問題の後始末、慰謝料交渉、教会対応、社交界の火消し…… すべて押し付けられていたレティシアは、婚約も宰相職もあっさり辞任。 そしてその瞬間―― 王宮が止まった。 料理人が動かない。 書類が処理されない。 伝令がいない。 ついにはトイレの汚物回収まで止まり、王宮は大混乱。 さらに王太子の新たな女性問題が発覚し、教会は激怒。 噂は王都中に広がり、王宮は完全に統治不能に。 そしてついに―― 教会・貴族・王家が下した決断は、 「王太子廃嫡」 そして。 「レティシア、女王即位」 婚約破棄して宰相をクビにした結果、 王宮を止めてしまった元王太子の末路とは――? これは、婚約破棄された宰相が女王になるまでの 完全自業自得ざまぁ物語。

《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。

ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」 その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。

婚約破棄された幼い公爵令嬢、目覚めたら絶世の美女でした

鍛高譚
恋愛
『幼すぎる』と婚約破棄された公爵令嬢ですが、意識不明から目覚めたら絶世の美女になっていました 幼すぎる、頼りない――そんな理由で婚約者に見限られた公爵令嬢シルフィーネ。 心ない言葉に傷ついた彼女は、事故に遭い意識不明となってしまう。 しかし一年後、彼女は奇跡的に目を覚ます。 そして目覚めた彼女は――かつての面影を残しつつも、見る者すべてを惹きつける絶世の美女へと変貌を遂げていた! 周囲の反応は一変。婚約破棄を後悔する元婚約者、熱視線を送る他家の令息たち、さらには王太子からの突然の縁談まで舞い込み――? 「もう、誰にも傷つけられたくない。私は私の幸せを手に入れるの」 これは、冷たく突き放された少女が美しく咲き誇り、誇りと自由を手に入れる、ざまぁ&逆転恋愛劇。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

処理中です...