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それから、数年の月日が流れた。
王国は今、かつてないほどの繁栄の時を迎えていた。
財政は健全化し、外交関係は良好、国民の幸福度は過去最高を記録している。
その奇跡的な復興の影に、一人の女性の存在があることは、国民の誰もが知るところである。
「――どきなさい! そこ、通路で立ち話をしてないで手を動かす!」
王宮の廊下に、凛とした声が響き渡った。
その瞬間、雑談をしていた文官たちが「ひぃっ!」と悲鳴を上げて直立不動になり、蜘蛛の子を散らすように業務に戻る。
コツン、コツン。
威風堂々と歩いてくるのは、この国の宰相夫人であり、通称『王宮の裏番長』――マグナ・ノワール(旧姓ヴァイオレット)である。
「まったく。少し目を離すとすぐに気が緩むんだから」
私は呆れたように溜息をついた。
今日の私は、領地で収穫された最高級のジャガイモを王宮の厨房へ差し入れに来たのだが、ついでに廊下の掃除チェックと、若手文官への指導(喝)を行っていたところだ。
「お、奥様! お待ちしておりました!」
向こうから、少し白髪の増えた国王陛下が小走りでやってくる。
「陛下。廊下を走らないでください。転倒リスクがあります」
「す、すまん。だが、どうしてもマグナに相談したい案件があってな……。隣国との関税についてなんだが……」
陛下は今や、何かあるとすぐに私を頼るようになってしまった。
「陛下。私はただの主婦です。政治介入はしません」
「頼む! マグナの『鶴の一声』がないと、会議がまとまらんのだ!」
「はぁ……。わかりました。五分で終わらせますよ」
私は陛下に連れられて会議室に入り、揉めていた大臣たちを一喝し、ホワイトボードに最適解を書きなぐって、颯爽と退室した。
所要時間、三分。
「さすがだ……! やはりマグナは国の守護神だ!」
背後で大臣たちが拝んでいるが、私は知らん顔で出口へと向かった。
王宮の玄関を出ると、そこには一台の馬車が待っていた。
「お待たせ、クラウス」
馬車の窓から、さらに渋みと色気を増した夫、クラウスが顔を出した。
「お疲れ様、マグナ。……また陛下に捕まっていたのか?」
「ええ。寂しがり屋のおじいちゃん(陛下)の相手も楽じゃないわ」
私は馬車に乗り込んだ。
その時、私の腕の筋肉が、ドレスの上からでもわかるほど引き締まっていることに、クラウスが目を細めた。
「……相変わらず、いい筋肉だ」
「当然よ。毎朝、鍬(くわ)を振るっているもの。今の私は、素手でリンゴを握りつぶせるわ」
「頼もしい限りだ。私の護衛はいらないな」
私たちは笑い合い、馬車を出発させた。
行き先は、私たちの愛の巣――辺境の別荘だ。
「そういえば、今日手紙が届いていたぞ」
クラウスが一通の封筒を差し出した。
差出人は『レオナルド&ミナ工房』となっている。
「あら、あのお二人から?」
封を開けると、中には写真と手紙が入っていた。
写真は、髭面で逞しくなったレオナルド(元殿下)と、クマの毛皮をワイルドに着こなしたミナ様が、巨大な鮭を抱えて満面の笑みを浮かべているものだった。
『拝啓、マグナお姉様! お元気ですか? 私たちは最高に元気です! レオナルド様が木彫りの熊で賞を取りました! 今では「森の匠」と呼ばれています!』
「……適職を見つけたようね」
私は目を細めた。
手紙には続きがあった。
『ミナもすごいんだ。野生のクマを手懐けて、背中に乗って川を渡っている。彼女こそ真の「野獣使い」だよ。……僕たちは今、とても幸せだ』
レオナルドの筆跡は、昔のような弱々しさはなく、力強く、地に足のついた文字だった。
「良かったな。彼らもまた、自分たちの『王国』を築いたようだ」
「ええ。……人間、置かれた場所で咲くものね」
私は手紙を丁寧に畳んだ。
馬車は街道を進み、やがて懐かしい風景が見えてきた。
緑豊かな山々。
澄んだ空気。
そして、黄金色に輝く広大なジャガイモ畑。
「着いたわ」
私たちは馬車を降り、大地を踏みしめた。
「ただいま、私の聖域」
私が大きく伸びをすると、畑の方から元気な声が聞こえてきた。
「お母様ー! お父様ー!」
小さな影が走ってくる。
銀色の髪に、私譲りの目力を持った男の子だ。
私たちの息子、アレクである。
「見て見て! こんな大きなのが掘れたよ!」
アレクの手には、子供の頭ほどもある巨大なジャガイモが握られていた。
「おお、すごいなアレク! これは豊作だ!」
クラウスが息子を抱き上げる。
「将来は立派な宰相になれるぞ」
「やだ! 僕は世界一の農家になるんだ!」
「ふふっ、頼もしいわね」
私は二人の元へ歩み寄り、息子の泥だらけの頬を拭った。
「アレク。農家になるには、まずは計算ドリルよ。収支計算ができなきゃ、立派な農家にはなれないわ」
「えーっ! また勉強?」
「当然です。……さあ、帰りましょう。今日はこのジャガイモでコロッケよ」
「やったー!」
私たちは三人で手を繋ぎ、夕日の沈む屋敷へと歩き出した。
かつて、私は王宮という籠の中で、自由のない毎日を送っていた。
書類に埋もれ、理不尽に耐え、心を殺して生きていた。
けれど今、私の手の中には全てがある。
愛する夫。
可愛い息子。
裏切らない土。
そして、自分らしく生きられる「自由」。
「……ねえ、クラウス」
「ん?」
「私、今、最高に幸せよ」
私は立ち止まり、夫を見上げた。
クラウスは優しく微笑み、私の肩を抱き寄せた。
「知っているよ。……君のその笑顔を見ればわかる」
「そう?」
「ああ。君の笑顔は、この国のどんな宝石よりも輝いている」
「……口が上手くなったわね、元『氷の宰相』様」
「君という太陽に溶かされたからな」
私たちは顔を見合わせて、吹き出した。
「あはははは!」
「ふふふっ!」
私の豪快な笑い声が、辺境の空高くへと吸い込まれていく。
それは、かつての「悪役令嬢」の高笑いではない。
人生という冒険を勝ち抜き、自分の足で大地に立つ、一人の女性の勝利の凱歌だ。
風が吹き抜ける。
ジャガイモの葉がサワサワと揺れる。
私の物語は、これでおしまい。
でも、私たちの賑やかで、忙しく、そして愛に満ちた毎日は、これからもずっと続いていく。
さあ、明日はどの畑を耕そうか。
私は腕まくりをして、力こぶを作ってみせた。
「まだまだ、働き盛りよ!」
私の人生、定年退職なんてまだまだ先の話だもの!
王国は今、かつてないほどの繁栄の時を迎えていた。
財政は健全化し、外交関係は良好、国民の幸福度は過去最高を記録している。
その奇跡的な復興の影に、一人の女性の存在があることは、国民の誰もが知るところである。
「――どきなさい! そこ、通路で立ち話をしてないで手を動かす!」
王宮の廊下に、凛とした声が響き渡った。
その瞬間、雑談をしていた文官たちが「ひぃっ!」と悲鳴を上げて直立不動になり、蜘蛛の子を散らすように業務に戻る。
コツン、コツン。
威風堂々と歩いてくるのは、この国の宰相夫人であり、通称『王宮の裏番長』――マグナ・ノワール(旧姓ヴァイオレット)である。
「まったく。少し目を離すとすぐに気が緩むんだから」
私は呆れたように溜息をついた。
今日の私は、領地で収穫された最高級のジャガイモを王宮の厨房へ差し入れに来たのだが、ついでに廊下の掃除チェックと、若手文官への指導(喝)を行っていたところだ。
「お、奥様! お待ちしておりました!」
向こうから、少し白髪の増えた国王陛下が小走りでやってくる。
「陛下。廊下を走らないでください。転倒リスクがあります」
「す、すまん。だが、どうしてもマグナに相談したい案件があってな……。隣国との関税についてなんだが……」
陛下は今や、何かあるとすぐに私を頼るようになってしまった。
「陛下。私はただの主婦です。政治介入はしません」
「頼む! マグナの『鶴の一声』がないと、会議がまとまらんのだ!」
「はぁ……。わかりました。五分で終わらせますよ」
私は陛下に連れられて会議室に入り、揉めていた大臣たちを一喝し、ホワイトボードに最適解を書きなぐって、颯爽と退室した。
所要時間、三分。
「さすがだ……! やはりマグナは国の守護神だ!」
背後で大臣たちが拝んでいるが、私は知らん顔で出口へと向かった。
王宮の玄関を出ると、そこには一台の馬車が待っていた。
「お待たせ、クラウス」
馬車の窓から、さらに渋みと色気を増した夫、クラウスが顔を出した。
「お疲れ様、マグナ。……また陛下に捕まっていたのか?」
「ええ。寂しがり屋のおじいちゃん(陛下)の相手も楽じゃないわ」
私は馬車に乗り込んだ。
その時、私の腕の筋肉が、ドレスの上からでもわかるほど引き締まっていることに、クラウスが目を細めた。
「……相変わらず、いい筋肉だ」
「当然よ。毎朝、鍬(くわ)を振るっているもの。今の私は、素手でリンゴを握りつぶせるわ」
「頼もしい限りだ。私の護衛はいらないな」
私たちは笑い合い、馬車を出発させた。
行き先は、私たちの愛の巣――辺境の別荘だ。
「そういえば、今日手紙が届いていたぞ」
クラウスが一通の封筒を差し出した。
差出人は『レオナルド&ミナ工房』となっている。
「あら、あのお二人から?」
封を開けると、中には写真と手紙が入っていた。
写真は、髭面で逞しくなったレオナルド(元殿下)と、クマの毛皮をワイルドに着こなしたミナ様が、巨大な鮭を抱えて満面の笑みを浮かべているものだった。
『拝啓、マグナお姉様! お元気ですか? 私たちは最高に元気です! レオナルド様が木彫りの熊で賞を取りました! 今では「森の匠」と呼ばれています!』
「……適職を見つけたようね」
私は目を細めた。
手紙には続きがあった。
『ミナもすごいんだ。野生のクマを手懐けて、背中に乗って川を渡っている。彼女こそ真の「野獣使い」だよ。……僕たちは今、とても幸せだ』
レオナルドの筆跡は、昔のような弱々しさはなく、力強く、地に足のついた文字だった。
「良かったな。彼らもまた、自分たちの『王国』を築いたようだ」
「ええ。……人間、置かれた場所で咲くものね」
私は手紙を丁寧に畳んだ。
馬車は街道を進み、やがて懐かしい風景が見えてきた。
緑豊かな山々。
澄んだ空気。
そして、黄金色に輝く広大なジャガイモ畑。
「着いたわ」
私たちは馬車を降り、大地を踏みしめた。
「ただいま、私の聖域」
私が大きく伸びをすると、畑の方から元気な声が聞こえてきた。
「お母様ー! お父様ー!」
小さな影が走ってくる。
銀色の髪に、私譲りの目力を持った男の子だ。
私たちの息子、アレクである。
「見て見て! こんな大きなのが掘れたよ!」
アレクの手には、子供の頭ほどもある巨大なジャガイモが握られていた。
「おお、すごいなアレク! これは豊作だ!」
クラウスが息子を抱き上げる。
「将来は立派な宰相になれるぞ」
「やだ! 僕は世界一の農家になるんだ!」
「ふふっ、頼もしいわね」
私は二人の元へ歩み寄り、息子の泥だらけの頬を拭った。
「アレク。農家になるには、まずは計算ドリルよ。収支計算ができなきゃ、立派な農家にはなれないわ」
「えーっ! また勉強?」
「当然です。……さあ、帰りましょう。今日はこのジャガイモでコロッケよ」
「やったー!」
私たちは三人で手を繋ぎ、夕日の沈む屋敷へと歩き出した。
かつて、私は王宮という籠の中で、自由のない毎日を送っていた。
書類に埋もれ、理不尽に耐え、心を殺して生きていた。
けれど今、私の手の中には全てがある。
愛する夫。
可愛い息子。
裏切らない土。
そして、自分らしく生きられる「自由」。
「……ねえ、クラウス」
「ん?」
「私、今、最高に幸せよ」
私は立ち止まり、夫を見上げた。
クラウスは優しく微笑み、私の肩を抱き寄せた。
「知っているよ。……君のその笑顔を見ればわかる」
「そう?」
「ああ。君の笑顔は、この国のどんな宝石よりも輝いている」
「……口が上手くなったわね、元『氷の宰相』様」
「君という太陽に溶かされたからな」
私たちは顔を見合わせて、吹き出した。
「あはははは!」
「ふふふっ!」
私の豪快な笑い声が、辺境の空高くへと吸い込まれていく。
それは、かつての「悪役令嬢」の高笑いではない。
人生という冒険を勝ち抜き、自分の足で大地に立つ、一人の女性の勝利の凱歌だ。
風が吹き抜ける。
ジャガイモの葉がサワサワと揺れる。
私の物語は、これでおしまい。
でも、私たちの賑やかで、忙しく、そして愛に満ちた毎日は、これからもずっと続いていく。
さあ、明日はどの畑を耕そうか。
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