カレに恋するオトメの事情

波奈海月

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1巻

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   第一章


 マナーモードにしたスマートフォンを上着のポケットから取り出し、表示されている時刻を確かめる。
 そろそろかな――
 とある休日。わたし、鹿島美咲かしまみさきは、リアル・クローズのイベントとして有名な【ファッション・ガールズ・フェスティバル】、通称ガルフェスの会場に来ていた。関係者招待席に座り、最終ステージの幕が上がるのを心待ちにしているところだ。
 ステージから張り出したランウェイを見つめていると期待が高まり、二十五歳のいい大人のくせに、子供のようにそわそわしてくる。アーティストのコンサートでもそうだけど、幕が上がる直前の高揚感は、結構好きだ。
 わたしは、隣に座る上司、人見和久ひとみかずひさ部長の様子をうかがう。四十歳でバツイチの部長は普段以上にスーツ姿が決まっている。かくいうわたしも、少し改まった雰囲気のワンピースを着ているんだけど。
 そう、わたしたちは仕事の一環でこの席に着いている。
 業界ではそれなりに名の通った『アドワークス創新堂そうしんどう』という広告代理店に就職して二年。部署は企画制作部で、紙媒体の広告をはじめ、テレビCMやプロモーションビデオなども制作する仕事にたずさわっている。夢は、企画・制作のかじを取るクリエイティブ・ディレクターになること。まだまだ道のりは遠いので、日々、勉強中だ。
 今日ガルフェスに来たのは、とあるモデルに挨拶あいさつするため。
 先日、アパレルメーカー大手の「鳴沢なるさわ」から、働く女性に向けた新ブランド【ZELAゼラ】のプロモーションビデオ制作の仕事を請け負った。起用モデルは、今をときめく茅野かやのアリサだ。彼女は、今日のショーにも出ている。そのアリサに挨拶に来たというわけ。
 わたしの膝の上には、会場に来る前に人見部長が買い求めた、大きな花束があった。バラのような多弁のトルコ桔梗ききょうを中心に、ポンポンマムとカスミソウでまとめたものだ。部長は、彼女が雑誌のインタビューで「好きな花はトルコ桔梗」と答えていたのを覚えていたとかで、迷うことなくその花を選んだ。
 そして部長は席に着いてからずっと、ガルフェスのパンフレットを熱心に眺めている。ちらりと見えたページは、出演モデルの一覧。メインモデルは顔写真入りで掲載されていて、部長の目はアリサの写真に向けられていた。実は、彼はずいぶん前から彼女のファンみたい。

「鹿島くん、茅野アリサってやっぱり美人だねえ」
「そうですね」

 部長に話しかけられて、わたしは頷く。
 現在、二十五歳のアリサ。彼女は雑誌の仕事を主にしていて、テレビなどにはあまり出演しない。けれど知的な容貌と表情の豊かさで人気を博し、ファッションリーダーとして活躍中。
 同じ二十五歳でも、まだまだ半人前のわたしとは大違い。比べたってどうしようもないものの、思わず溜め息が零れてしまう。

「ティーンエイジャー向けの雑誌モデルを経て、今じゃ押しも押されもせぬトップモデル。海外のコレクションに出演したこともある。今回の仕事、彼女にオファーできてよかったよ」
「はい、先方もアリサならって快諾かいだくでしたし。知的な彼女のイメージは、ブランドコンセプトにもぴったりだと思います」

 アリサを今回の仕事に推挙すいきょしたのは人見部長だ。ちょっと公私混同が見え隠れしているけれど、部長の意気込みは半端ない。大人気で前売り券が即完売するガルフェスなのに、その招待席チケットを入手してきたくらいだ。
 ただ、おかげで観覧してみたいと思っていたこのイベントに足を運ぶことができた。残業続きのわたしにとって貴重な休日を潰すことになってしまったけど、声をかけてくれた部長に感謝。

「あの、部長。このあと挨拶にうかがうなら、わたしじゃなくて久世くぜさんが来たほうがよかったのではありませんか?」

 こういう仕事がらみのイベントには、先輩の男性社員、久世さんが同行することが多い。まぁ、久世さん本人が「男同士でファッションショーに行くなんて寒すぎる」と早々に辞退したんだけど。

「何を言ってるんだい、鹿島くん。ファッションショーだよ? 野郎やろう同士で来ても面白くないじゃないか」
「っ!」

 わたしは思わずき出しそうになるのを、必死にこらえた。二人とも同じことを言っている。

「それにね、言うまでもないが、これからバックスクリーンに流れる映像をよく観ておきなさい。クリエイターにとって、良い勉強になると思うよ」
「部長――」

 そうか。ファッションショーを観られることに浮かれていたけど、そういう目的もあったんだ。
 良いものを見せて部下を育てようとしてくれる部長の心遣いは、とても嬉しかった。
 社内には、マイペースすぎる部長を苦手にしている人がいるみたい。でもわたしにとって、人見部長はなんでも相談できる理想の上司だ。
 わたしが今の部署に配属されたのは、部長の口添えがあったからだと聞いている。専門学校時代、デザインコンペに応募したわたしの作品を評価してくれたのだとか。
 だからこそ期待にこたえるべく、仕事一筋の毎日。そのせいで「恋人いない歴イコール年齢」を更新しているわけだけど、今はこれでいいと思っている。
 そりゃ、わたしも一応女子だし、恋愛に興味だってある。でも、相手を気遣ったり気遣われたり、こまめに連絡を取り合ったり……というのが面倒になってしまって、なかなか恋に発展しない。わたしは、きっと恋愛に向いていないのだろう。
 こんなわたしにも、唯一、心を許せた男性がいる。といっても彼との間にあったのは友情以外の何ものでもなく、彼を恋愛対象として考えたことはない。女友達よりも気の置けない、あとにも先にもたった一人の親友だ。
 さっき部長は、アリサが「海外のコレクションに出演したこともある」と言っていたけど、実は、その親友もよく似た経歴を持っている。違うのは、現在モデルとして活躍していないところだけ。
 わたしは膝の上の花束に目を落とし、親友の顔を思い浮かべて、そっと微笑ほほえむ。
 ねえ、優真ゆうま。あなたは今、どこで何をしているの?
 連絡もくれないし、あなたはもうわたしのことなんて忘れてしまったかもしれない。でもわたしは、今でもあなたのことを大切な親友だと思っているんだよ。

「お? いよいよか」

 彼のことを考えていたわたしは、部長の声でハッと顔を上げた。
 照明が徐々じょじょに落とされ、非常口のライトを残して会場全体が暗くなる。ブザーが鳴り響くと、客席は一気に静まり返った。【ファッション・ガールズ・フェスティバル】最終ステージのはじまりだ。
 ズドン――
 会場全体に重低音が響き、それがわたしの体にも伝わる。バスドラムの音がつらなってリズムになり、バックスクリーンには【Fashion Girls Festival】の文字が映し出される。スポットライトが流れるように客席を照らし、オープニングムービーがはじまった。それにともなって曲はアップテンポなものに変わり、スクリーンには過去のショーのハイライトが次々と映し出されていく。どんどん盛り上がる中、今年のショーを象徴する画像がいくつも浮かび上がり、ふたたび重低音がズドンと響いた。
 一瞬の暗転。そして映像が切り替わり、ブランド名がスクリーンに映し出された。

「すご……い……」

 曲調はがらりと変わり、ブランドの服を身にまとったモデルたちがにこにこと登場した。声援を送る観客に手を振り、ランウェイを楽しそうに歩いていく。
 モデルだけではなく、彼女たちをアップで映し出すバックスクリーンにも目を向ける。華やかで目まぐるしく変わるショーステージは、どこを見るべきか迷ってしまう。
 そうやってせわしなく目を動かしていたけど、しばらくすると観方みかたがわかってきた。別にショーのレポートを書くわけではいのだから、自分の感性に任せて好きに観ればいいのだ。映像が流れるバックスクリーンを中心に、ショーを楽しむことにする。

「あ、アリサだ」

 部長の声が聞こえた。わたしも、ステージの袖から出てきた彼女に視線を向ける。
 これは、じっくり観なければ。それこそ一挙一動、見落としなどないように。アリサに仕事を依頼するのだから当然だ。
 ステージの中央で一度ポーズを決めたアリサが、ランウェイを歩きはじめる。
 会場の空気がなんとなく変わったような気がした。他にもモデルがいるのに、彼女に目がいってしまう。すごい存在感だけど服がかすんでしまうことはない。それだけで、彼女がトップモデルであることを実感した。
 アリサはにっこりと微笑ほほえんでステージに戻り、新たに出てきたモデルと並んだ――
 その瞬間、わたしはアリサではなく、隣のモデルに目が釘づけになった。

「うそ、でしょ――?」

 小さなつぶやきがこぼれる。
 信じられない思いで、そのモデルを目で追う。
 小さな頭、ほっそりとした体、しなやかに伸びた手足。
 まさか? でも?
 ううん、見間違えるはずなんてない。フレアの入ったスカートの裾をひるがえし、ピンヒールで危なげなくランウェイを歩いていくあのモデルは――YUMAユマ
 そう、わたしの親友の優真だった。


 広戸ひろと優真。
 わたしが彼と出会ったのは、高校一年のとき。彼とは、同じクラスだった。
 優真は顔を半分隠すように前髪を伸ばしていて、メガネをかけていた。ちょっと暗そうで、話しかけられると答えるけど、自分から会話をすることはない。ともすると、いるのかいないのかわからないほど存在感が薄かった。
 でもある日、その印象が大きく変わった。
 今でも、はっきり覚えている。わたしが優真と話すきっかけとなった出来事。
 一学期の最後の行事――期末テストあとの球技大会。わたしは一大決心をして、憧れていた先輩に勇気を振りしぼって告白した。わたしと同じ写真部に所属する三年生の彼は、夏休みを前に部活を引退する。ここで告白しなければ、それまでのようには会えなくなってしまう。
 競技の合間に彼を呼び出したのだけど――結果は玉砕ぎょくさい
 いつも優しかった先輩に、「好きなら告白する前に、相手の立場や状況をもっと気遣うべきだ」と言われた。それが思いやりじゃないのか、と。
 わたしは頭をがつんとなぐられたようなショックを受けて、絶句した。
 先輩の言葉は、もっともだ。先輩は大学受験を控えていたのに。
 自分のことしか考えていなかったと思い知らされて、わたしの初恋は終わった。
 あとで写真部の別の先輩から、彼の模試の結果がかんばしくなく、志望校の合格ラインには届いていないらしいと聞いた。とても誰かと付き合うような余裕など、なかったのだった。
 先輩に振られた直後、自己嫌悪のあまり立ち尽くしていると、ふいにタオルが頭にばさりとかけられた。気がつけば、優真が目の前にいた。学校指定の体操服に、グレイのジャージのズボン。袖からのぞく細い手首は白く、男子というよりも少女っぽさを感じさせる。

『そのタオル、下ろしたばかりの新しいヤツだから』
『え?』

 相変わらず前髪は顔半分をおおうように下ろされていて表情を隠していたが、思いのほか優しい声だった。

『とりあえず、もっと泣いとけば?』
『……うん』

 そのとき、わたしは自分が涙を流していたことに気がついた。
 わたしの告白&玉砕シーンにたまたま遭遇そうぐうしてしまった優真。彼は、泣いていたわたしを放っておけなかったらしい。

『あーあ、みっともないとこ見られちゃった』

 わたしはばつが悪くて、彼のタオルで涙をぬぐい、なんとか明るい口調で言った。

『何も見てないから。ここ通りかかったら、目にゴミが入った鹿島さんが泣いてただけだし』

 そんなことをさらりと言われ、ますます涙があふれてきた。

『じゃあ俺、行くから。男子バレー、そろそろ試合なんだ』

 そう言って体育館に向かって歩き出した優真だけど、すぐに足を止め、わたしに向き直り手を差し出してきた。

『鹿島さん、体育のときに髪を縛ってるよね。ヘアゴム、貸してくんない?』
『貸してって、このゴム?』

 わたしは不思議に思いながらも、手首にはめていた黒いゴムを外して優真に渡す。

『前が見づらいと、ボールが飛んできたとき危ないかなって思ってさ』

 ゴムを受け取った優真は、その場で自分の前髪をくくった。

『広戸くん?』

 わたしは、このときはじめて彼の顔をまともに見た。メガネはかけていたけど、レンズ越しの奥二重の目はとても綺麗な色をしていて、ついじっと見つめてしまう。

『そんなに変な顔してる? 俺、自分の顔、コンプレックスなんだよね。見られたくなくて、前髪下ろしてたんだけど』
『い、いやゼンゼン。むしろ美人?』

 気まずそうに言った優真に、わたしは慌てて首を振った。
 その顔がコンプレックスって、どういうこと? と問い返したいくらいだった。中性的な顔立ちをしているから、男子としては劣等感れっとうかんを覚えてしまうのかもしれないけど――

『……サンキュ。そうストレートに言われると恥ずかしいね』

 少し曖昧あいまいな笑みを浮かべた優真は、今度こそ体育館に向かった。先ほど先輩の後ろ姿を見送ったときとは違い、わたしの胸はほわんとあたたかかった。
 それから顔を洗いにいき、体育館には向かわず教室に戻った。しばらくして、うちのクラスの男子バレーチームで優真が大活躍し、三年生チームを相手に一セットも落とさず勝ったことを知った。その三年生チームには例の先輩がいたらしい。
 スポーツができる男子は、それだけでもててしまう。加えて美形なら、もう言うことなし。これまで優真をえないメガネ男子とスルーしていた女子たちは、彼を話題に出すようになった。でも優真は相変わらず前髪を下ろしていて、周囲が騒ごうと我関われかんせずという態度を取っていた。
 そうこうしているうちに、夏休みに入った。
 休み中のある登校日。放課後は写真部の活動に参加し、下校前、教室に寄った。買ったばかりの雑誌を忘れたことに気づいたからだった。
 誰もいない教室には、優真がひとりでいた。それもわたしの席に座り、机に広げた何かを熱心に眺めている。

『あれ? 広戸くん、帰ったんじゃなかったの?』
『鹿島さん……っ』

 びっくりしたように顔を上げた優真。わたしは彼に近づき、机の上に自分の忘れものが広げられていることに気づいた。ティーンエイジャー向けのファッション誌だ。

『エッチな本でも見てるのかなって思ったら、わたしの雑誌じゃん』
『あ、ごめん、勝手に見て』
『別にいいよ? ファッション、好きなの?』
『……ま、まあ……、そんなところ……なんだけど』

 優真は、まずいところを見られてしまったと言わんばかりに言葉をにごした。

『おかしい……よね。男がこういう雑誌を見るのって』
『好きならいいんじゃないの? わたしだって少年マンガ読むし』
『いや、女子が少年マンガ読むのとはちょっと違うよ』

 いったい何を気にしているのか、優真の声には覇気はきがなく、やがてうつむいてしまった。
 わたしは優真をじっと見つめた。さらさらの髪、日焼けとは無縁の白いうなじ、男子にしては少し華奢きゃしゃな肩と細い腕。大人になる前の、アンバランスな少年の体躯たいくをしている。
 そのとき、わたしの脳裏で何かがはじけた。

『ねえ、ちょっと頼まれてくれないかな。写真のモデル、やってほしい』

 この日の部活では秋の文化祭に向けて話し合いをし、例年どおり各部員が作品を発表することに決まった。文化祭後、それらの作品は市が主催する学生作品コンクールに出展される。
 わたしは他の部員と違って高機能のカメラを持っていなかった。ただコンピューターグラフィックスに興味があったので、デジタル加工をほどこした作品にしようと考えていた。今にして思えば大したものじゃないんだけど、当時のわたしはすごい作品になるんじゃないかってドキドキしていた。

『モデル? 俺が?』

 優真はかなり驚いたみたいで、声が裏返っていた。

『わたし、写真部でさ。文化祭に作品を出すんだけど、他の部員みたいに良いカメラも技術も持ってなくて。だったらアイデアで勝負するしかないじゃない? モデルといっても、たぶん想像しているのとはまったく違うものになる』

 優真は自分の顔がコンプレックスだと言っていたから、断られるかもしれない。
 そんなことを思いながら、わたしは作品の構想を彼に説明した。背景や人物、イラストなどをコンピューターでコラージュしたものにしたいと。すると――

『わかった。そういう話なら面白そうだね』

 引き受ける条件として優真が出したのは「モデルが誰なのか決してわからないようにする」こと。
 モデルの正体をわからないようにする――それはデジタル加工について考えることより、わたしをわくわくさせた。その日、わたしたちは下校時間ぎりぎりまでアイデアを出し合い、行きついた先が「女装」だった。
 彼は、さして抵抗することなくそれを受け入れた。

『もしかして広戸くん、こういうのに興味があった?』
『……かもしれない。女の子って服装だけで変身しちゃうじゃん。ちょっといいなあって思ってた。顔だって、メイクで変えられるし』
『自分の顔、きらい?』
『女顔すぎてキライ』
『今はそうでも、大人になったら変わるかもよ?』

 高校一年生。早生まれの優真はまだ十五歳で、これから大人になるのだから。
 その日以降、わたしたちはたくさん話すようになった。
 連絡先を交換し、夏休み中には撮影をさせてもらったり、作品について相談に乗ってもらったりした。教室内では寡黙かもくな優真だったけど、意外にも話題は豊富で、作品のことだけじゃなく、好きなファッションやスイーツ、アイドルなど女子が好む話もどんどん振ってくれる。なかったのは恋の話ぐらいかな。
 そのせいか優真を異性として意識することはなかった。撮影を終えて作品が完成するころには「親友」と認め合い、「優真」「美咲」と名前で呼ぶようになっていた。
 そして迎えた文化祭。わたしの作品は他の部員たちから、「こんなの写真作品じゃない。展示できない」とブーイングをらった。変化球だと自覚はしていたけれど、たまたま部に顔を出した例の先輩にも苦言を呈されて、少し胸が痛かった。
 顧問の先生が仲裁してくれて作品は展示してもらえたのだけど、それがあらぬところで評判になった。市が主催する学生作品コンクールで賞を取ってしまったのだ。これを機に、部員たちとの間にますますみぞができてしまい、わたしは写真部を辞めた。
 でも後悔はなかった。写真を撮るのは好きだけど、写真部での活動が自分のやりたいこととは違っていると気づいたからだ。それに、優真がそばにいてくれたことも大きい。
 彼は、学校では少し暗めのメガネ男子として過ごしていた。けれど休日、わたしと出かけるときに女装をするようになった。ショッピングモールや映画館、雑誌に紹介されたスイーツ店……いろんなところに出かけて、いろんなことを話し、時間はあっという間に過ぎていった。
 季節が変わり、高校二年生になったわたしたち。
 同じクラスになった男子から交際を申しこまれたりもしたけど、お付き合いをする気になれず、断ってしまった。だって、恋をするよりも優真と過ごすほうが楽しかったから。
 そんなある日、モデルにならないかと優真がスカウトされた。
 いつものように二人で出かけた際、雑誌のロケ隊に偶然出くわして、声をかけられたのだ。その雑誌は、わたしが愛読しているガーリー系のティーンズファッション誌。
 もちろん、わたしは賛成した。女装が板につき、とても男子には見えないくらい綺麗になった優真には、もっと相応しい世界があるんじゃないかと感じていた。でも優真は本来の性別を隠してやっていけるわけがないと、正直に自分のことを告げて断った。
 ただ先方もねばり強く、一回でいいから読者モデルとして出てほしいと交渉してきた。結果、優真は折れて撮影に応じた。性別は秘密、どこの誰か決して身元を明かさないことを条件にして。
「街で見かけたおしゃれ美人」と誌面で紹介された優真は、たちまち人気が出てしまった。
 どこかミステリアスで、少年のような少女――
 もっと優真を載せてほしいと読者の要望が高まったらしく、雑誌の編集部の方が彼を訪ねてきた。はじめは断っていた優真だけど、やがてその熱意に負けて、首を縦に振った。
 こうして、プロフィール不詳のファッションモデル「YUMA」がデビュー。
 モデルの仕事をはじめて忙しくなった彼とは、以前みたいに出かけることはなくなった。でも、メールや電話で連絡を取り合った。わたしは親友の成功が嬉しかったし、彼を心から応援した。
 高校を卒業するころ、彼は専属モデルとして誌面のトップを飾るほどになった。
 その後、わたしと優真はそれぞれ別の大学に進学。
 たまに会ってはいたものの、互いに忙しい日々を過ごしていた。
 そして二十歳を迎えたある日、優真から呼び出され、イギリスに留学すると聞かされた。

『ちょっと……いっぱいいっぱいになっちゃったから、日本を離れることにした』

 当時、彼はデビューしたティーンズ誌を卒業し、モード系の雑誌に活躍の場を移していた。YUMAのミステリアスなイメージを、よりかすために。
 ショーモデルとしても名が売れ出し、人気が絶頂のころだった。

『仕事が忙しくてプライベートな時間がないから、疲れちゃったのかもしれないね』

 わたしが言うと、優真は少しさびしげな笑みを浮かべた。

『美咲の応援があったから、頑張れたんだよ。ありがとう。俺も、美咲をずっと応援してる。自分のやりたいことをやれよ。高校のとき、俺をモデルにして作品制作したみたいにさ』

 わたしは大学に進学したものの、自分のやりたいことが見つけられず、ずっと悩んでいた。
 写真、グラフィック、ファッション、映像。気になるものに手を出してはいたけれど、どれも中途半端になっている。

『優真――』

 高校一年の夏を思い出す。大人になっていく時間の中で、初心をすっかり忘れていた。
 わたしは前進するために大学を辞め、デザインの専門学校に入学し直した。
 優真がイギリスに旅立ったあと、しばらくは連絡を取り合っていたけど、二年ほど経つと手紙もメールも途絶えがちになった。
 ある日、課題の制作に追われていたわたしは、手にしたファッション誌で優真のことを知った。
 ロンドンのコレクションで、日本人モデルが話題沸騰ふっとうという見出しがついていた。
 そしてその記事を最後に、ファッション誌が優真の活躍を伝えることはなくなった。


「誰だい、あのモデル。パンフレットに名前はあるのかな」

 隣から聞こえた声で、ハッと我に返る。ちらりと視線を向ければ、人見部長がステージをじっと観ていた。
 ステージでは、YUMAとアリサが先ほどとは違う服を着てステージ上に立っている。
 部長、おそらくパンフレットには載っていないはずです。しっかり確かめたわけではないが、わたしが「YUMA」という名前に気づかないわけがない。おそらくイベントを盛り上げるための「シークレット・モデル」だったのだろう。

「すごいな、アリサと並んでもまったく引けを取らない」

 二人のモデルは、笑顔を振りまきながらランウェイを歩く。まるで仲のいい姉妹が休日のショッピングを楽しむように、ときに顔を寄せて、見つめ合って、腕を組んで……
 そういう演出なのだろうけれど、アリサと笑みを浮かべて歩く彼に違和感があった。
 彼はティーンズ誌でモデルをしていたときから誰かと一緒に写ることは少なく、モード系の雑誌に移ってからはほとんど一人のショットだった。そして、口を開けて笑うことなんてまずない。「笑わないモデル」とも言われていたのだ。

「彼女、いいね。存在感がある。それに、なんて綺麗に歩くんだ。ウォーキングでここまでせるモデルも、そうそういないな。あ、そうか、あいつが言っていたのは彼女のことか」
「部長?」

 人見部長は、ひとり納得したように頷いている。なんのことだろう。

「いやね、この席のチケットを手配してくれた知人が言っていたんだよ。今回のショーに、かつてロンドンのコレクションで大活躍した日本人モデルが出るってね――って鹿島くん? どうしたんだい!?」

 部長は、目をまたたかせてわたしを見た。

「な、なんでもない……です……」

 わたしは慌てて首を横に振る。
 部長の話を聞いていたら、どういうわけか鼻の奥がつんとして、視界がぼやけてきたのだ。

「なんでもないって言われてもねえ。胸を貸してあげたいのはやまやまだが――ってこんなことを言うと、セクハラになるかな? 悪いが、これで我慢してくれ。ショーが終わるまでには、平常運転に戻ってくれよ」
「……すみません。大丈夫です、すぐ止まります」

 わたしはぐすっとはなをすすり、部長が差し出してくれたハンカチを受け取って顔をおおった。
 みっともない。まったく、どうして涙なんか出てくるかな。

「もしかして、アリサと一緒にいたモデルに感動した? 観客を泣かせてしまうなんて、すごいモデルだね」
「そ、そういうわけじゃないんですけど」

 わたしは言葉をにごしながら答える。
 部長はどう思うだろう、わたしと優真の関係を知ったら……
 ――優真。日本に戻ってきているなら、連絡くれればいいのに。メールアドレスも携帯番号も、変わってないよ。いや、わたしからすればいいのか? ショー観たよ、カッコ良かったって。
 けれど、久しぶりに優真を見て心がはずんだわたしの脳裏にふと不安がよぎる。


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