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1巻

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   ■ プロローグ sideベアトリス


 私、ベアトリス・ランカスターはアルビオン王国の侯爵家に生まれました。
 アルビオン王国の歴史は、かつて大陸全土を統一していた大帝国が侵略戦争により崩壊した時に始まります。故郷を追われた私達の祖先がこの白き島、即ちアルビオンに移住し、先住民や他の部族を抑えておこしたのがアルビオン王国なのです。
 我がランカスター家は建国時よりアルビオン王国に忠誠を誓っております。私はそんな由緒正しきランカスター家の娘として生まれてきたことを誇りに思い、と同時にその責務を果たさねばとの重圧を感じています。
 果たさねばならない責務とは、やはり婚姻でしょう。他家にとついでその家と実家との結び付きを強め、実家のさらなる発展に貢献しなければなりません。逆に婿むこを迎える場合、優秀な方を家と結びつける役目があるのです。
 そんな責務をこれ以上はない形で果たしていた方といえば、私は迷わずお姉様を挙げるでしょう。
 ヴィクトリア・ランカスター。
 王太子殿下の婚約者となった私の姉を。


 私の一番古い記憶は何を隠しましょう、大はしゃぎして喜びをあらわにする幼いお姉様の姿です。
 その時お姉様が嬉しそうにおっしゃった一言を、私は今でも鮮明に思い出せます。

「私ね、運命の王子様に出会ったの」

 王宮に行った際、お姉様は偶然運命の王子様とやらと出会ったそうです。あいにく語り合いに熱中してしまったせいで彼の名前を聞けなかったと、お姉様は残念そうに肩を落としていました。
 お父様が詳しく調べましたところ、なんとその方はアルビオン王国の王太子殿下であると判明したのです。
 お姉様はすぐに王太子殿下の婚約者になると宣言しました。愛しの王子様と再会を果たすんだと意気込んで。
 お父様もそんなお姉様の決意を受け止め、娘の望む地位に相応ふさわしい厳格な教育をほどこしました。
 そうしてお姉様は他の多くの候補者を退しりぞけ、見事、王太子殿下の婚約者となったのです。
 お姉様は王太子殿下の婚約者に選ばれた後も慢心せず、ダンスに教養、礼儀作法など、あらゆる分野の知識を万遍まんべんなく磨いていました。非の打ちどころがない、と王宮の教養係が絶賛していたと聞いております。
 私は、そんなお姉様を尊敬し、あこがれました。
 なんて素晴らしい方なのでしょう。一途いちずな恋のために努力を惜しまないなんて、と。
 そんな婚約関係に陰りが見え始めたのは……そうですね、あの方が学園に通い始めてからでしょうか。
 この国では、貴族の子は社交界デビューする年を迎えるまでに王立学園で数年間学ぶことが義務付けられています。お姉様や私はおろか、王族である王太子殿下もその例に漏れません。
 私より一足先に入学したお姉様は、多くのご令嬢方からしたわれていたそうです。当家以上の名門出身の方もいらっしゃるそうですが、そうしたご令嬢とも敵対せず友好関係を築いたとお姉様自身も語っていました。
 順風満帆じゅんぷうまんぱんだったと申しましょう。
 誰もが、このままお姉様が王太子妃になるのだと疑いませんでした。周囲は勿論もちろん、お姉様や王太子殿下ご自身、さらには国王王妃両陛下もそんな未来を思い描いていたはずです。
 それがくつがえってしまいました。

「メ、メアリー・チューダーです。よろしくお、お願いしますっ!」

 メアリーの出現によって――



   □ 処刑前 断罪日当日


 私、ヴィクトリア・ランカスターはアルビオン王国の誇り高き侯爵の娘だ。
 多くの貴族令嬢同様、次世代の王妃になるべく教育を受け、見事に王太子様の婚約者に選ばれた。ゆくゆくは国母になる――これ以上ない成功が約束されている……はずだったのだ。
 暗雲が立ち込めたのは、間違いなく男爵令嬢のメアリーが現れたから。
 男爵家の娘である彼女は他の貴族令嬢と比べて多くの点で至らない。仕草は洗練されていないし教養もない。煽情的せんじょうてき体躯たいくでもないため容姿に華もない。さらには、何も落ちていない場所で転んだり教材を家に忘れてきたり。
 けれど……そんな欠点を補って余りあるほど、彼女は多くの人をきつけた。誰にでも優しく接し、侮蔑ぶべつ嘲笑ちょうしょうの中でも微笑ほほえみを絶やさず、純粋ないつくしみの心をそなえている。薄気味悪いぐらいに。
 何より彼女は相手の想いを感じ取るすべけていた。真摯しんしに悩みを聞いてくれるメアリーに、相手は自分を分かってくれていると感じるのだとか。
 だからなのか。びへつらい……もとい、社交辞令にまみれた貴族社会に染まっていなかった平民同然の小娘が、王太子様の目に魅力的に映ったのは。彼は次第に婚約者の私をないがしろにするようになってしまった。
 王太子様の伴侶になる以外の生き方を考えもしていなかった私は、強い嫉妬しっとに駆られた。
 それでも最初は、メアリーの至らない点を指摘する程度に留めていたのだ。なのに彼女は、なおも王太子様に近づく。その上、それを王太子様が許容する日々が続いた。
 私の心の奥底で、徐々に黒い炎が渦巻うずまき出す。
 どうして王太子様は、私をほったらかしにしてメアリーと楽しそうに会話するの?
 そんなに彼女に笑いかけるの?
 なぜ、本当の自分をさらす相手が私ではないの……!
 私はメアリーに、それはもう陰湿な嫌がらせをしたものだ。お茶会では仲間外れにしたし、誹謗中傷ひぼうちゅうしょうも当たり前。やがて直接危害を加えるようになり、身のほどを思い知らせようと精神的にも追い詰める。王太子様に二度と近寄らないように。
 けれど……彼女は強かった。王太子様の好意を裏切りたくないと言って聞かなかったのだ。
 そしてとうとう、嫉妬しっとを憎悪に変貌へんぼうさせた私は、メアリーをけがしてやろうとたくらむ。
 あの女の心に一生えぬ傷を付けてやりたかった。身も心もけがれ尽くした女を目にすればさすがに王太子様も目が覚める。
 そんな思い込みから、私は人として決して許されない罪を犯してしまった。
 私の悪意からメアリーを守ったのは、王太子様と、彼女と親しいご友人方だ。彼らは侯爵家の娘であり王太子様の婚約者である私の罪をあばき出し、メアリーの前から排除しようとした。
 大切なメアリーを守りたい、という一心で。
 愛しのメアリーを害する悪女など許せない、との正義感で。


 ――それは、王立学園の卒業生の送別会でのこと。

「ヴィクトリア、お前との婚約は破棄させてもらう!」
「殿、下……?」

 私の目の前で婚約破棄を宣言したのは、婚約者である王太子様ご本人だ。
 彼は今、メアリーを大切そうに抱擁ほうようしている。彼が私に向ける眼には、もはや情の欠片かけらもない。掛け替えのない存在を害す敵への憎悪で、ゆがんでいる。
 学園から羽ばたいていく卒業生との時間を在校生達が惜しんでいる最中さなか、突然、この場を借りて言いたいことがあると叫び出した彼。なんて無粋ぶすいな、と思う余裕なんて私にはなかった。

「なぜ、ですか……!? 私ほど殿下に相応ふさわしい女はおりませんのに!」


 王太子様がメアリーに誘惑されたことは百歩譲って認めてやらなくもない。だが最後には、私のもとに戻ってくる。だって私こそが婚約者なのだから。
 そんな自信に満ち溢れていた私は愕然がくぜんとする。
 どうしてメアリーが王太子様の隣にいる?
 私が愛されていたはずなのに……っ!

「王太子に、だろ?」
「君はいつだって二言目には王太子としか言わないものな」

 メアリーの周りにいるのは王太子様だけではない。
 私が異議を唱えた途端に冷たい言葉を浴びせてきたのは、エドマンド。王国を代表する大将軍のご子息で、剣の腕前は学園随一ずいいちだ。
 そして私を嘲笑ちょうしょうしたのはエドワード・ヨーク。王国の政治をになう宰相の子息で、学園でも一、二を争う頭脳明晰ずのうめいせきな方。
 エドマンドは、危険にさらされておびえるお姫様をその身をていして守らんとする騎士さながら、私と対峙たいじしている。エドワードはかけていた眼鏡を指で持ち上げ、怒りを込めた鋭い視線を私に投げかけた。
 そして王太子様は、メアリーを抱く腕の力を強める。彼を見上げるメアリーは、頬を染めて瞳を輝かせた。

「やれメアリーは王太子に相応ふさわしくないだの、吊り合わないだの。家柄ばかりを口にするお前にはうんざりだ! 誰にも優しく人の心が分かるメアリーのほうが、はるかに私の伴侶に相応ふさわしい!」
「王太子様……」

 私は見世物になった恥辱ちじょくに加え、メアリーをけがそうとした計画が失敗した事実に怒りを覚えた。それをかろうじて表に出さないようこらえる。

「私共の婚約は王家とランカスター家が取り決めました。勿論もちろん、私に至らぬ点は多々ございますが、失格の烙印を押されるほどではないと自負しております。どんな大義があっての破棄なのか、ご説明いただけますか?」
「よくもまあ平然と……。ならば、お前の罪を皆の前で明らかにしようではないか。ルイ!」
「お任せを。ヴィクトリア嬢、貴女あなたはメアリーに許しがたい罪を重ねているね」

 王太子様の指名によって私をきゅうだんし始めたのは、ルイ・ウィンザー。彼は若いながら数少ない公爵家の一つで当主を務めている方だ。先のエドマンドやエドワード同様、殿下と親しい。
 彼は私の犯した罪とやらをしるした書類をたたいてこちらをにらみつけてくる。

「まずはメアリーの些細ささいな間違いを大勢の前に小馬鹿にした点だ」
「私は彼女を注意したにすぎません。男爵位であろうと彼女は貴族の娘。社交界では相応の品格が求められますもの。善意での指摘であり、馬鹿にも侮辱ぶじょくしてもおりません」
「なら彼女の私物を壊し、捨て、燃やしたのはどう説明するつもりなんだ?」
「どなたがそのような陰湿なことをされたのかは存じませんが、私はむしろ、そうして筆記具や制服を失った彼女にお金や物を恵んでいたではありませんか」
「まだあるぞ! メアリーを孤立させただろうっ!」
「人聞きの悪いことおっしゃらないでください。メアリー嬢は誰とでも親しくなれると申せば聞こえは良いですが、殿方への振る舞いが節度に欠けております。それは、この場のご令嬢誰もが同意なさることです。ご自分の婚約者にれしい娘とどうして仲良くしようと思います? ルイ様方は女心を分かっておりません」

 落ち着けと自分に言い聞かせながら、私はルイが並べ立てる罪状とやらに一つ一つ反論していった。感情的にわめけば、自分の立場を悪くするばかりだもの。
 もっとも、実際にやったことまでやっていないととぼけるつもりはない。あくまでも私にだって言い分がある、と主張するだけだ。

「だったらお前と親しくする令嬢がメアリーに暴力を振るったりおどしたりしたのはどうなんだ!?」
「それは私のあずかり知らぬ件、かと。きっと私をしたってくださるどなたかが、メアリー嬢に警告したのでしょう。監督が行き届いていないときゅうだんなさるのならその通りですが……」
「お前がメアリーを階段の踊り場から突き落としたのを見た者が、大勢いるんだぞ!」

 私が舌先三寸で罪をのがれようとしていると考えたのか、ルイに代わってエドマンドが声を荒らげ、私が関わっていない事件を挙げた。

「それはおかしいですね。貴方達は示し合わせて私を見たとおっしゃいますが、当のメアリー嬢ご本人は犯人の具体的な名前を申していなかったと記憶しています。彼女が並べた特徴に該当する者は私以外にもおりましょう。実際に現場にいた彼女の証言が、間違っているというのですか?」

 私以外にもメアリーを快く思っていない令嬢は大勢いるし、実際にいじめも行っているのにね。すでに彼らの頭の中では、私こそが諸悪の根源だと決まっているのだろう。
 私を攻めきれなかったエドマンドは、ぐうの音も出せず押し黙る。王太子様とルイは、私が開き直っていると怒声を上げいきどおりで顔をゆがませた。
 そんな中、エドワードだけが冷静さを保ちつつ、眼鏡を光らせて私を見据みすえた。

「じゃあつい先日メアリーが暴漢に襲われそうになった件は知っているかい?」
うわさでは聞いておりますが、なんの関係が? まさかこの私が加担していると?」
「実行犯共を尋問したら白状したよ。君が依頼者なんだってね」

 確かに私はメアリーに暴漢を差し向けた。一生残る傷を心身共に付けてしまえ、と。

「何を戯言ざれごとを……。私に罪を被せようとでっちあげているのでは?」

 けれど雇ったのは金で動くならず者などではなく、裏社会のギルドに所属する専門家。依頼人を明かすほど口の軽いやからを選定した覚えはない。そもそも何名も仲介人を挟んで細工しているのだから、私に行きつくのは不可能だ。

「いいや、この自白は正式な証拠として認められている。残念だったね」
「……は?」

 私にはエドワードの言葉が理解できなかった。

「お前の専属執事が我々に告白してくれた内容と、事件が一致したのだ。お前が笑いながら人の道を外れた恐ろしい計画を立てていた、とね」

 私の執事が? 王太子様達に打ち明けた? 何を?
 決まっている。私の憎悪を、だ。

「メアリーをかばった王太子殿下があやうく命を落としかけた。これは立派な大逆罪だよ」
「メアリーに嫌がらせをしていた令嬢達の証言で、ヴィクトリア嬢から強要されたとの裏付けは取れています」
「階段で突き落としたのを見ていたのは私だ! もはやのがれはできぬと知れ!」

 エドワードにエドマンド、そして王太子様が激しい口調で次々と私を責める。
 そこで私はようやく気付いた。察してしまった。
 決定的証拠があろうとなかろうと、私が関わっていようがいまいが、関係ない。無理やり私と結び付け、証拠を捏造ねつぞうすればいい。
 大事なのは私の排除、私の破滅なのだと――!

「王太子殿下! そこまでして私を遠ざけたかったのですか!? こんなにも貴方様をおしたい申し上げていますのに!」
「ふんっ、ヴィクトリアにそう想われていると考えるだけで虫唾むしずが走る」
「お待ちください! 今一度調べていただければ、私は潔白だと分かります!」
「衛兵、何をぐずぐずしている! 早くこの大罪人を連れていけ!」

 警護のために会場の端で待機していた王国兵が、仰々ぎょうぎょうしく私に近付いてくる。そして、愕然がくぜんとして膝から崩れ落ちていた私を引っ張り上げた。
 あまりにも乱暴に掴まれ、痛みで顔がゆがむ。
 身をよじっても思いっきり腕に力を込めても、屈強な兵士達の手からはのがれられない。私はそのまま引きずられ、会場を後にする。
 王太子様達を除き、誰もが驚きと混乱の眼差まなざしでこちらを見ていた。

「殿下、殿下ぁぁっ!」

 必死の訴えもむなしく、私と王太子様をへだてるように会場の扉がおごそかに閉まる。
 どうしてこうなってしまったのか。私は何を間違えたのか。
 考えれば考えるほど深みにはまるばかり。
 ただ、なおも現実が信じられない私にも、もはや自分を救うすべがないことだけは確信できた。誰も彼もが私から遠ざかっていくのだと……
 ふと、思い出したのは、幼少の頃、初恋の思い出。
 私は王宮の庭園で運命のお方と出会った。お父様に調べていただき、なんとその方が王太子様だと分かる。
 そこから私は奮闘する。未来の国王に相応ふさわしい淑女になるために。そして今や、自他共に認める素晴らしい女性に成長した。
 だが、教養は無価値に、美貌びぼうは無用となり、誇りは無意味に変わり果てる。
 私は全てを失ったのだ。
 助けてくれる者などいない。

「助けて、王子様……」

 だから私は、私の全てだった運命の王子様に救いを求めてしまう。
 それがどんなにおろかな希望かは、知っている。
 けれどあまりに悲しく、私は王太子様があの時の方だと思いたくなくなっていた。
 ――私には運命の王子様なんていなかったんだ。



   □ 処刑まであと31日


 裁判は異例の速さで進められた。
 私の罪状はメアリーに対する恐喝きょうかつ侮辱ぶじょくと殺人未遂みすい。メアリーを貴族社会から追い出すよう令嬢に働きかけた罪、それから王太子様に対する大逆が挙げられる。
 でっちあげられた証拠が並び、審議の場は私を一方的に責め立てる舞台でしかない。
 お父様は、私がとらわれたと知るやいなや、私を侯爵家より勘当した。
 王太子様に婚約破棄された挙句に大逆の罪に問われた娘など、もはやランカスター家にとって害でしかない。当主としては賢明な判断だ。けれど見捨てられた私は、絶望するほかない。
 お父様ばかりではなく、友人と思っていた方も、したっていると言ってまとわりついていた者も、誰も彼もが私を見放した。
 国王陛下は無慈悲にも我関せずをつらぬき、王妃様は黙して語らない。大罪人に仕立て上げられた私に味方など、誰一人残っていなかった。
 無理もない。上辺のものとはいえ、私が罪を犯した証拠は出揃っている。王族にやいばを向けたおろかな娘の肩を持ったら自分にまで破滅が降りかかってしまう。それを承知で私をかばう義も情も、皆には存在しないのだろう。

「判決。被告人、ヴィクトリアには死刑を申し渡す」

 私は最悪の結末を受け止め、憔悴しょうすいしていった。


 そして今、私は馬車に揺られている。
 目隠しされた状態のせいで、どこを走っているのかは分からない。耳に入る音と激しい揺れから、かろうじて街から離れた舗装ほそうされていない道をひた走っていると予想できた。
 馬車の乗り心地は侯爵家のものに遠く及ばない。罪人が逃げ出さないよう、頑丈さのみを追求した無骨な代物しろものだし、当然か。
 左右では屈強な兵士が私を見張っている。

「はっ、散々好き放題した悪女の末路ってか?」

 兵士達が嘲笑あざわらう。私には、もはやいきどおる気力すら残されていなかった。

「侯爵様のところで贅沢ぜいたくに暮らしていたんだろう?」

 それまで職人がすいらし上質な布地で仕立て上げたドレスをまとっていたこの身は、くすんだ色の薄いころも一つを着るのみ。首飾りや指輪など、装飾品が許されるはずもない。靴も取り上げられて裸足はだしだ。

「ちやほやされてきた貴族令嬢の行きつく先があそことはな」

 私が護送されるのは、重罪人が収容されている監獄だそうだ。不可抗力とは言え、王太子様を危機におとしいれた者に相応ふさわしいと納得する反面、これまでとの雲泥うんでいの差にどうしても涙を禁じ得なかった。

「あそこじゃあテメエが受けてきた高尚な教育とやらは、なんの役にも立たないぜ」

 ええ、兵士達の言うとおりだ。これまで心血を注いだ教養なんて牢屋の中では無駄でしかない。王太子様の婚約者だとか侯爵令嬢だとかの誇りが、一体どうやって私を救ってくれるだろうか?

「しっかし処刑まであと一ヶ月だったか? 監獄にぶち込むとか悠長なこと言わねえで、さっさと首をねちまえばいいのに」
「そう言うなって。公開処刑ともなれば、大がかりな準備が必要になるんじゃね? 罪を悔い改める時間を与えるとの温情もあるらしいぜ」
「かーっ。元貴族のご令嬢サマは国に守られてるねぇ。見ろよ、このれた身体に整った顔、上玉じゃねえか。どうせ死ぬんだから少しぐらい手ぇ出しても問題ないよなぁ」

 下品な声に恐怖を感じて思わず身を震わせる。目をおおわれているので、その手がいつこちらに伸びてくるのか分からない。助けてくれる人は、もうどこにもいないのだ。

「やめておけ。あえて危険を冒さずとも俺達は真面目に職務をまっとうすればいい。どうせコイツは監獄で相応ふさわしい処遇を受けるだろうからな」
「分かってるって。冗談だよ」

 結局、私は延々と兵士達のくだらない話を聞かされながら監獄に連れていかれた。


 目隠しを外され代わりに足枷あしかせ手枷てかせをつけられた私は、引きずられるように連行される。護送を担当した兵士達は監獄の兵士達に引き継ぎを行い、私の身柄は監獄に預けられた。

「じゃあな嬢ちゃん。せいぜいここの連中に可愛がってもらうんだな」

 おどしとも忠告とも取れる一言を残して、護送担当の兵士は立ち去る。彼らと私とをへだてる巨大で分厚い門が固く閉ざされた。
 監獄を囲う壁は、王都を守護する城壁に匹敵するほど高くそびえている。誰一人としてここから逃がさない、と圧迫しているようだ。
 私は再び目隠しされた。どうやら脱獄を防止すべく出口までの道順を覚えられないようにするためらしい。
 暗闇の中を追い立てられ、不安と恐怖があおられる。周りからは品のない野次やじと王国にあだなしたおろか者への罵声ばせいが上がっていた。耳をふさぎたくても手枷てかせの鎖がそれを許さない。耐えるしかなかった。

「おや、彼女が今日から収容されるうわさの囚人ですか」

 そんな中で唐突に頭上から聞こえてきたのは、張りのある男性の声だ。その人物はどうも私を観察したらしく、うなり声を一つ上げる。頭上から、と感じたのは彼が私より頭二つか三つほど背が高いからみたいだ。彼が言う。

「主は最後まで貴女あなたを見守っておいでです。祈りなさい」

 祈る? 神に?
 祈ったところで私は救われない。すでに判決は下された。後はただ最期さいごの時を待つばかり。
 何をしたって無駄でしかない。
 嫉妬しっとの果てに身を滅ぼしたおろか者にも、神様は奇蹟きせきをもたらして救いをほどこすとでも? お伽噺とぎばなしでもあるまいし。
 彼に反応することなく、私は足を動かす。

「あ、護送ご苦労様です」

 どれだけ奥に進んだだろうか。階段も結構上った気がする。疲れを感じ始めた頃聞こえてきたのは、まだ声変わりしていない中性的な声だった。声の主は鍵束か何か、金属同士がぶつかる音を立てて扉をいくつも開いていく。どれだけ厳重なんだろうか。

「ここは政治犯が収容されている階層です。おとなしくしている限り安全は保証されますのでご安心を」

 鉄格子の扉を三つくぐった後、木がきしむ重々しい音を響かせて、また扉が開かれる。そこで私は、目隠しをとられた。ようやく自分が収容される部屋までたどり着いたらしい。
 冷たい石造りのそこには、何もなかった。何に使うかも想像したくないつぼと、簡素でけがらわしい寝具しかない。窓も申し訳程度にもうけてあるのみで、手を伸ばしても届きそうになかった。まさに、幽閉に相応ふさわしい最低限の物品しかそなえられていない部屋だ。
 無惨。それ以外どう言い表せるだろうか?

「こんな所に住めって言うの? この私に……?」
「つべこべ言わずに早く入れ!」

 愕然がくぜんと立ち尽くす私の背中を誰かが突き飛ばす。抵抗する体力も気力も残されていない私は、踏み止まれなかった。器用に受け身を取る発想もなく、勢いのまま部屋の壁にたたきつけられる。
 星が散った。
 何が起こったかも分からない。気が付くと私の身体は床に崩れ落ちていた。突き飛ばしただろう今まで私を連行してきた兵士が、顔色を変えて私に駆け寄ろうとする。それを視界に映しつつも、どういうことなのか、考えられもしない。

「そっちの君、すごい音がしたが大丈夫か?」

 ふいに壁の向こうから理知的な声が聞こえてきた。けれど、それも頭に入ってこないくらい身体に力が入らない。
 嗚呼ああ、処刑どころかこんな形で私の人生は終わるのか。
 お父様、お母様。罰すら受けずに旅立つ私をお許しください。お兄様とお姉様。ご迷惑おかけしました。ベアトリス。私を反面教師として立派な淑女となるのよ。
 けれど……みんな少しくらい私をかばってくれても良かったんじゃない?
 王太子様。死んでもお怨みいたします。婚約破棄したいのでしたら、もっと賢いやり方がありましたでしょうに。貴方があの女に笑顔を見せると思うだけで怒りが込み上げます。いっそ軟禁してしまえば、私だけを見てくださったのかしら?
 そして……メアリー。絶対に許さない。無垢むくな天使と呼ばれていても、貴女あなたは殿方をたぶらかす悪女よ。処刑されたって地獄に行かずにお前をたたってやる。お前のような女が幸せになるなんて許されてたまるか――!

「おい君、しっかりしたまえ……!」

 私はそこまで考え、意識を手放した。


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