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閑話 そして、彼の過去……
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村を出たパウロを待っていたのは、気楽な一人旅……などでは断じてなかった。
事前に準備を整えていた訳じゃない。
衝動的に村を飛び出したのだから、必要なものなど碌に用意などしていなかった。
それでも、パウロは持てるだけの荷物を持って村を出たのだった。
そこでパウロが見たのは、苛烈なまでの生存競争の社会だった。
適当に仕事を見つけて金を貯めて、そうしたらまた次の町を目指そう……そんなパウロが描いていた青写真は脆くも破れ去った。
パウロは村の外の世界を、まるで知らなかったのだ……
村を出て数日もしないうちに、持っていた食料は底を突いてしまった。
食べ物を買おうにも金などない。
金を得るために仕事を探そうにも、何処も人手は十分と雇ってはくれない……
結局、ありつけた仕事と言えば、日雇いで低賃金な重労働ばかりだった。
それでも、働かねば金は得られず、金がなければ食う事も出来ない。
パウロは必死に働いたが、そんな無茶が長続きするはずもなく……
パウロは倒れた。
それも周りに何も無い街道でだ。
近くの町で、男手を集めていると言う話を聞いたので、試しに向かっていた最中だった。
街道で行き倒れて、助かる確率は高くない。
まず、往来する人間が少ないのだ。
これでは、生きている間に発見してもらえるかどうかが怪しい。
縦んば、発見してもらえても、その人物が助けてくれるとは限らないのだ。
仮に、パウロが身なりのいい格好でもしていれば、謝礼目的で助けてくれる者が現れる可能性は無くは無いのだが、生憎とその時の服装は何処からどう見てもだだの貧乏にのそれだった。
最悪、助けるどころか身包みを剥がされて放置……と言う事も十分にあり得たのだ。
まぁ、剥ぐ物など何も持ち合わせてはいなかったが。
“こんなところで死ぬのか……”
と、パウロは薄れいく意識の中で、自分の滑稽さに笑いが込み上げてきた。
自分は、何がしたくて村を飛び出したのか……
少なくとも、こんな所で野垂れ死ぬ為ではなかったはずだ。
悔しいとか……辛いとか……悲しいとか……
そういう感情よりも、ただ“情けない”と、そう思った。
結局自分は、何一つ成し遂げる事無く死ぬのだと……
パウロはそんな感情を胸に、ただ静かに意識を失っていったのだった……
パウロがまず初めに見たのは、見慣れない天井だった。
そもそも天井を見上げて目を覚ます、と言う事自体この時のパウロにはとても珍しい事だった。
宿屋に泊まる金など無い。
だから、いつもボロの布切れに包まって野宿をしていた。
街中にいる時は軒下で、運が良ければ納屋で眠りに就いた。
ボーっと天井を眺めていると、どうやら自分は何処かに運ばれたらしい事に気がついた。
身の回りを確認してみる。
寝かされているのはやわらかいベッドで、着ていた服も自分の物ではなくなっていた。
ベッドの近くには、村を出た時に持ち出したボロのバッグが転がっていた。
中身は……無くなって困るものなど入っていないので、どうでもよかった。
それだけの時間を使って、パウロはようやく自分が助かった事を理解したのだった。
それは、ただの偶然。
そして、ただの幸運でしかなかった
しばらくボーっとしていると、パウロの下に白いアゴ髭をたっぷりと蓄えた小柄な老人がやって来た。
パウロを拾ったのは、木工業……特に大工仕事を専門に行っている者たちの集団だった。
とは言え、大体10人前後の小さな集団だったが。
彼らは、定期的に近場の町や村を巡っては、僅かばかりの食料、僅かばかりの金銭と引き換えに建物の修繕などを請け負って生活をしていた。
たまにだが遠出をする事もあった。そして、パウロを拾ったのはまさにそんな遠出の最中の事だった。
老人は、その集団の頭目だった。
パウロは老人に助けてもらった事に礼を言うと、これ以上迷惑をかけぬ様すぐさま立ち去ろうとしたのだが、老人にそれを止められてしまった。
そして、老人はパウロになぜあんな所で行き倒れていたのかと、それ以外にも根掘り葉掘りと尋ねて来た。
正直煩わしいと思ったが、命を救ってもらった手前パウロは聞かれるがまま全てを話した。
育った村に居づらさを感じていた事、父親と喧嘩をして村を飛び出した事、割の良い仕事が見つからず日雇いの仕事で食い繋いで居た事、そして、体力が尽きて行き倒れた事……
パウロの話を一通り聞いた老人は、大きな声で豪快に笑うとパウロに“ならば、ウチでお前を雇ってやる”と、パウロを仲間に誘ってきたのだった。
なぜ自分を……?
そんな気持ちが強かったが、この時のパウロに断る理由などなかった。
パウロは渡りに舟とばかりに、その話に飛びついた。
そして大工仕事のいろはを、パウロはこの老人から学んでいった。
パウロの大工としての技能知識は、この時に身に付けたものだ。
パウロ自身、この大工仕事と言うものが気に入っていたからなのか、または余程パウロに向いていたからのか、彼は周りが驚くような速度でその技術を習得していった。
今まで、何も残せなかったこの手が……何も成し遂げられなかったこの手が……
そんな手から、次々と形あるものが作り出されている。
そして、それを皆が喜んでくれていた。
パウロはその事に、喜びを通り越して感動すら感じていた。
パウロが老人の集団に仲間入りしてからの数年は、実に充実した日々を送っていた。
決して暮らしは楽ではなかったが、気心の知れた仲間と肩を並べて食べる食事はたとえ貧相なものであったとしても何故か美味く感じられた。
彼らに帰る特定の場所はなかった。
定住していないからだ。
彼らの住居はその移動手段として用いている箱型の馬車だった。
馬車で眠り、馬車で起き、そして馬車で移動していた。
さながら、回遊職能民とでも言うべき生活を送っていたのだ。
パウロが助けられた時に寝かされていた場所は、彼らの目的地であった農村の民家だった、と言う訳だ。
誰が、どんな理由でこの場にいるのかパウロは知らない。
パウロだけではない。
皆知らないのだ。
互いに詮索はしない。それが集団の中の暗黙のルールだった。
全てを知っているのは、頭目である老人ただ一人。
ただ皆に共通している事と言えば、この老人によってこの場にいる、と言う事実だった。
しかし……
そんな生活は、ある日突然終わりを迎えた。
町での建物の建築、修繕に類する行為のその一切が“組合制”になったのだ。
“組合”に属していない者がこれらの行為を行った場合、厳しい罰則の対象とされた。
また、金銭を受け取っての家具の製造や補修もまた、同じく処罰の対象となっていた。
“組合”に加入さえすれば済む話ではあったが、“組合”に加入するためには膨大な入会金を支払わねばならなかった。
とてもパウロたちに払える金額ではない。
これによって、パウロたちの収入は激減することになった。
町での仕事は言わば書き入れ時だ。
建物が多く、また飲食店などからはテーブルやイスの修繕依頼が多く舞い込んだ。
その一切が禁止とされてしまっては……
村からの小口の依頼だけでは、到底生活など送れるはずもなかった。
不運……いや、不幸は重なるのが世の常だ。
町での仕事が一切出来なくなった年の冬……頭目である老人が倒れた。
病に侵されたのだ……
医者に見せようにも金は無い。薬を買おうにも金は無い。
助けを求めたが、誰も彼もが自分の事で手一杯で、他人に差し伸べる余裕なんてありはしなかった……
老人は、途方に暮れる皆を前にただ穏やかに息を引き取った。
……世を恨んではいけない、人を恨んではいけないと、そう言い残して。
それが、パウロにとって近しい人との初めての死別だった。
この集団は、良くも悪くも老人を中心にした集団だった。
老人亡き後、集団からは一人、また一人と離れていった。
今更誰かが新しい頭目になって、集団を率いる……と言う気には、誰もなれなかったのだ。
誰かが一人離れるたび、手元に残った僅かな物を形見分けの様に分け与えていった。
時には箱馬車を売って、金銭に換えてそれを分け与えた。
結局、最後まで残っていたのはパウロだけだった。
そして、パウロに残されたものは、老人が使っていた大工道具一式だけだった。
それでよかった……いや、それがよかった。
パウロは老人の道具を手に、当て所なく歩き始めた。
ただ、昔のような焦燥感はまるで感じていなかった……
老人からは、生き方を教わった、生きる術も教わった。
もう、村を飛び出したばかりの頃とは違うのだ。
あの頃の何も出来ない自分とは……
今にして思えば、あの頃の自分は子どもだったのだと思いしらさせれる。
何も知らず、何も出来ず、ただうまく行かない事にイライラしているだけの子どもだったのだと。
村に手紙を書こう……
それは、パウロなりのけじめだった。
内容は何でもいい、今自分が何をしているか、何処にいるか、そして必ず書こう……
すまなかった……と。
パウロはもう、村に帰るつもりはなかった。
だから、手紙だ。
でもいつか……
いつの日か、自分の言葉で伝えたいとも思っていた……
そうして、パウロの誰にも頼らない自分の一歩を踏み出したのだった。
その後、数年をパウロはアストリアス王国を放浪する事に使った。
目的なんて無かったが、世界を見て回ろうと思ったのだ。
殆どが徒歩の旅だ。
国中を歩く事は出来なかったが、少しでも多くのものを見たいと思った。
旅は思いの外苦労は少なかった。
特に食うには困らなかった、と言うのが大きいだろう。
パウロは僅かばかりの食料と引き換えに、建物や家具の修繕をして旅を続けていたのだ。
“組合”制度が禁止にしているのは、あくまで“金銭のやり取り”であって食料は含まれてはいなかったのだ。
町では何度か役人にしょっぴかれそうになったが、この理屈を武器に逃げ回っていた。
お蔭様で、現在では文面が改定されており“金銭に類するもの”とされ、同じ理屈は通用しなくなってしまっていたが……
あと、この“組合”制度が農村部に適応されていないのも助かった。
以前のような大所帯で村に居つくのには無理があったが、今は自分一人しかいない。
小規模程度の村なら、家や家具の修繕などの引き換えに食料を分けてもらいながら生活することは無理ではなかった。
そんな旅を続けているうちに、パウロはふと自分が故郷のラッセ村の近くまで来ている事に気がついた。
しばらくの間は、この村にいるつもりだったので、ついでという気持ちで村に手紙を書いた。
初めて手紙を書いてから、随分と時間が経ったような気がするが、やはり帰る気にはなれなかった。
全ては今更の話だ。
故の手紙だった。
手紙の返信は思わぬ形で、パウロの下へと返ってきた。
それは親父の使いだと言う、古い友人の訪問だった。
友人の話を聞いて、これは一つの転機なのではないか、とパウロは思った。
このまま“いつか行ければ……”と思っているだけでは、自分は一生村に寄り付かないかもしれない……
村に行くなら今しかない、と思った。
それに、多少なりとも金銭が出るのは嬉しいものだ。
先立つものはいくらあっても困らないのだから。
パウロは、これは“帰る”のではなく、仕事の間“滞在”するだけだと自分に言い聞かせて、友人の申し出を引き受ける事にしたのだった。
十数年ぶりに戻ってきた我が家は、記憶の中の物より幾ばくか小さいような気がした。
それが、自分が大きくなったからだと理解するのに数瞬を要した。
パウロはただ、実家の玄関の前に佇んでいるだけだった。
時刻は日が沈んで久しい頃。あたりはすっかり暗闇に覆われていた。
窓からは、チロチロと中の明かりが漏れているのが見て取れたが、会話らしいものは聞こえてこなかった。
パウロは扉をノックしようと手を伸ばし、叩く寸でにその手が止まり、手を下ろして逡巡……
そして、また手を扉へと伸ばすと言う事をパウロは幾度も繰り返していた。
何を言われるか分からないと言う怖さがあった、面と向かい合う恥ずかしさがあった……
そもそも、初めになんと言葉を交わせばいいのか分からなかった。
そんな諸々の感情がない交ぜになって、パウロは最後の一歩を踏み出せずにいたのだった。
と……
突然、パウロの目の前で玄関の扉がなんの前触れも無く開いた。
扉の向こうに居たのは、記憶の中の父親よりも幾分年老いた父親の姿だった。
「っ……」
「そんなとこで何しんだよ?
でかい図体でんなとこに立たれてたら邪魔で仕方ねぇんだけどよぉ?
ぼーっと突っ立ってるだけなら、さっさと入りな」
「親父……俺は……その……」
突然の事に、とっさに言葉が出来ない。
こんな時、なんと言えばいいのか……
「ったく……何をぶつくさ言っとる。お前は何をしにここに来たんだ?
村を手伝う為に帰って来てくれたんじゃねぇーのか?
だったら、少しはシャキッとせんか」
パウロは父親からの最初の一言は、厳しい叱責が飛んでくるものと覚悟をしていたが、父親の反応は思いに反していたって普通のものだった。
それこそ、たまに戻ってきた息子に声を掛けるような感じだった。
拍子抜けした所為か、若干の落ち着きを取り戻したパウロは自分が何をしにここに来たのか、何を言いにここに来たのかを改めて強く思い返し、覚悟を決めて言葉を発した。
「親父……」
「さっきから何だ? 何度も呼びやがっ……」
「すまなかった」
「……ふんっ!
んな言葉はなぁ、10年くらい前にもう聞いてんだよ。
んなくだらない事言ってないで、はよう入れ……」
「ああ……」
たったそれだけの事で、長年胸に支えていたものが、ストンと落ちた気がした。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
これで、棟梁に関する話はおしまいです。
次回からはまた新しい話が始まります。
話には上がっていたけど、姿を現していなかったヤツが出てくる予定です。
事前に準備を整えていた訳じゃない。
衝動的に村を飛び出したのだから、必要なものなど碌に用意などしていなかった。
それでも、パウロは持てるだけの荷物を持って村を出たのだった。
そこでパウロが見たのは、苛烈なまでの生存競争の社会だった。
適当に仕事を見つけて金を貯めて、そうしたらまた次の町を目指そう……そんなパウロが描いていた青写真は脆くも破れ去った。
パウロは村の外の世界を、まるで知らなかったのだ……
村を出て数日もしないうちに、持っていた食料は底を突いてしまった。
食べ物を買おうにも金などない。
金を得るために仕事を探そうにも、何処も人手は十分と雇ってはくれない……
結局、ありつけた仕事と言えば、日雇いで低賃金な重労働ばかりだった。
それでも、働かねば金は得られず、金がなければ食う事も出来ない。
パウロは必死に働いたが、そんな無茶が長続きするはずもなく……
パウロは倒れた。
それも周りに何も無い街道でだ。
近くの町で、男手を集めていると言う話を聞いたので、試しに向かっていた最中だった。
街道で行き倒れて、助かる確率は高くない。
まず、往来する人間が少ないのだ。
これでは、生きている間に発見してもらえるかどうかが怪しい。
縦んば、発見してもらえても、その人物が助けてくれるとは限らないのだ。
仮に、パウロが身なりのいい格好でもしていれば、謝礼目的で助けてくれる者が現れる可能性は無くは無いのだが、生憎とその時の服装は何処からどう見てもだだの貧乏にのそれだった。
最悪、助けるどころか身包みを剥がされて放置……と言う事も十分にあり得たのだ。
まぁ、剥ぐ物など何も持ち合わせてはいなかったが。
“こんなところで死ぬのか……”
と、パウロは薄れいく意識の中で、自分の滑稽さに笑いが込み上げてきた。
自分は、何がしたくて村を飛び出したのか……
少なくとも、こんな所で野垂れ死ぬ為ではなかったはずだ。
悔しいとか……辛いとか……悲しいとか……
そういう感情よりも、ただ“情けない”と、そう思った。
結局自分は、何一つ成し遂げる事無く死ぬのだと……
パウロはそんな感情を胸に、ただ静かに意識を失っていったのだった……
パウロがまず初めに見たのは、見慣れない天井だった。
そもそも天井を見上げて目を覚ます、と言う事自体この時のパウロにはとても珍しい事だった。
宿屋に泊まる金など無い。
だから、いつもボロの布切れに包まって野宿をしていた。
街中にいる時は軒下で、運が良ければ納屋で眠りに就いた。
ボーっと天井を眺めていると、どうやら自分は何処かに運ばれたらしい事に気がついた。
身の回りを確認してみる。
寝かされているのはやわらかいベッドで、着ていた服も自分の物ではなくなっていた。
ベッドの近くには、村を出た時に持ち出したボロのバッグが転がっていた。
中身は……無くなって困るものなど入っていないので、どうでもよかった。
それだけの時間を使って、パウロはようやく自分が助かった事を理解したのだった。
それは、ただの偶然。
そして、ただの幸運でしかなかった
しばらくボーっとしていると、パウロの下に白いアゴ髭をたっぷりと蓄えた小柄な老人がやって来た。
パウロを拾ったのは、木工業……特に大工仕事を専門に行っている者たちの集団だった。
とは言え、大体10人前後の小さな集団だったが。
彼らは、定期的に近場の町や村を巡っては、僅かばかりの食料、僅かばかりの金銭と引き換えに建物の修繕などを請け負って生活をしていた。
たまにだが遠出をする事もあった。そして、パウロを拾ったのはまさにそんな遠出の最中の事だった。
老人は、その集団の頭目だった。
パウロは老人に助けてもらった事に礼を言うと、これ以上迷惑をかけぬ様すぐさま立ち去ろうとしたのだが、老人にそれを止められてしまった。
そして、老人はパウロになぜあんな所で行き倒れていたのかと、それ以外にも根掘り葉掘りと尋ねて来た。
正直煩わしいと思ったが、命を救ってもらった手前パウロは聞かれるがまま全てを話した。
育った村に居づらさを感じていた事、父親と喧嘩をして村を飛び出した事、割の良い仕事が見つからず日雇いの仕事で食い繋いで居た事、そして、体力が尽きて行き倒れた事……
パウロの話を一通り聞いた老人は、大きな声で豪快に笑うとパウロに“ならば、ウチでお前を雇ってやる”と、パウロを仲間に誘ってきたのだった。
なぜ自分を……?
そんな気持ちが強かったが、この時のパウロに断る理由などなかった。
パウロは渡りに舟とばかりに、その話に飛びついた。
そして大工仕事のいろはを、パウロはこの老人から学んでいった。
パウロの大工としての技能知識は、この時に身に付けたものだ。
パウロ自身、この大工仕事と言うものが気に入っていたからなのか、または余程パウロに向いていたからのか、彼は周りが驚くような速度でその技術を習得していった。
今まで、何も残せなかったこの手が……何も成し遂げられなかったこの手が……
そんな手から、次々と形あるものが作り出されている。
そして、それを皆が喜んでくれていた。
パウロはその事に、喜びを通り越して感動すら感じていた。
パウロが老人の集団に仲間入りしてからの数年は、実に充実した日々を送っていた。
決して暮らしは楽ではなかったが、気心の知れた仲間と肩を並べて食べる食事はたとえ貧相なものであったとしても何故か美味く感じられた。
彼らに帰る特定の場所はなかった。
定住していないからだ。
彼らの住居はその移動手段として用いている箱型の馬車だった。
馬車で眠り、馬車で起き、そして馬車で移動していた。
さながら、回遊職能民とでも言うべき生活を送っていたのだ。
パウロが助けられた時に寝かされていた場所は、彼らの目的地であった農村の民家だった、と言う訳だ。
誰が、どんな理由でこの場にいるのかパウロは知らない。
パウロだけではない。
皆知らないのだ。
互いに詮索はしない。それが集団の中の暗黙のルールだった。
全てを知っているのは、頭目である老人ただ一人。
ただ皆に共通している事と言えば、この老人によってこの場にいる、と言う事実だった。
しかし……
そんな生活は、ある日突然終わりを迎えた。
町での建物の建築、修繕に類する行為のその一切が“組合制”になったのだ。
“組合”に属していない者がこれらの行為を行った場合、厳しい罰則の対象とされた。
また、金銭を受け取っての家具の製造や補修もまた、同じく処罰の対象となっていた。
“組合”に加入さえすれば済む話ではあったが、“組合”に加入するためには膨大な入会金を支払わねばならなかった。
とてもパウロたちに払える金額ではない。
これによって、パウロたちの収入は激減することになった。
町での仕事は言わば書き入れ時だ。
建物が多く、また飲食店などからはテーブルやイスの修繕依頼が多く舞い込んだ。
その一切が禁止とされてしまっては……
村からの小口の依頼だけでは、到底生活など送れるはずもなかった。
不運……いや、不幸は重なるのが世の常だ。
町での仕事が一切出来なくなった年の冬……頭目である老人が倒れた。
病に侵されたのだ……
医者に見せようにも金は無い。薬を買おうにも金は無い。
助けを求めたが、誰も彼もが自分の事で手一杯で、他人に差し伸べる余裕なんてありはしなかった……
老人は、途方に暮れる皆を前にただ穏やかに息を引き取った。
……世を恨んではいけない、人を恨んではいけないと、そう言い残して。
それが、パウロにとって近しい人との初めての死別だった。
この集団は、良くも悪くも老人を中心にした集団だった。
老人亡き後、集団からは一人、また一人と離れていった。
今更誰かが新しい頭目になって、集団を率いる……と言う気には、誰もなれなかったのだ。
誰かが一人離れるたび、手元に残った僅かな物を形見分けの様に分け与えていった。
時には箱馬車を売って、金銭に換えてそれを分け与えた。
結局、最後まで残っていたのはパウロだけだった。
そして、パウロに残されたものは、老人が使っていた大工道具一式だけだった。
それでよかった……いや、それがよかった。
パウロは老人の道具を手に、当て所なく歩き始めた。
ただ、昔のような焦燥感はまるで感じていなかった……
老人からは、生き方を教わった、生きる術も教わった。
もう、村を飛び出したばかりの頃とは違うのだ。
あの頃の何も出来ない自分とは……
今にして思えば、あの頃の自分は子どもだったのだと思いしらさせれる。
何も知らず、何も出来ず、ただうまく行かない事にイライラしているだけの子どもだったのだと。
村に手紙を書こう……
それは、パウロなりのけじめだった。
内容は何でもいい、今自分が何をしているか、何処にいるか、そして必ず書こう……
すまなかった……と。
パウロはもう、村に帰るつもりはなかった。
だから、手紙だ。
でもいつか……
いつの日か、自分の言葉で伝えたいとも思っていた……
そうして、パウロの誰にも頼らない自分の一歩を踏み出したのだった。
その後、数年をパウロはアストリアス王国を放浪する事に使った。
目的なんて無かったが、世界を見て回ろうと思ったのだ。
殆どが徒歩の旅だ。
国中を歩く事は出来なかったが、少しでも多くのものを見たいと思った。
旅は思いの外苦労は少なかった。
特に食うには困らなかった、と言うのが大きいだろう。
パウロは僅かばかりの食料と引き換えに、建物や家具の修繕をして旅を続けていたのだ。
“組合”制度が禁止にしているのは、あくまで“金銭のやり取り”であって食料は含まれてはいなかったのだ。
町では何度か役人にしょっぴかれそうになったが、この理屈を武器に逃げ回っていた。
お蔭様で、現在では文面が改定されており“金銭に類するもの”とされ、同じ理屈は通用しなくなってしまっていたが……
あと、この“組合”制度が農村部に適応されていないのも助かった。
以前のような大所帯で村に居つくのには無理があったが、今は自分一人しかいない。
小規模程度の村なら、家や家具の修繕などの引き換えに食料を分けてもらいながら生活することは無理ではなかった。
そんな旅を続けているうちに、パウロはふと自分が故郷のラッセ村の近くまで来ている事に気がついた。
しばらくの間は、この村にいるつもりだったので、ついでという気持ちで村に手紙を書いた。
初めて手紙を書いてから、随分と時間が経ったような気がするが、やはり帰る気にはなれなかった。
全ては今更の話だ。
故の手紙だった。
手紙の返信は思わぬ形で、パウロの下へと返ってきた。
それは親父の使いだと言う、古い友人の訪問だった。
友人の話を聞いて、これは一つの転機なのではないか、とパウロは思った。
このまま“いつか行ければ……”と思っているだけでは、自分は一生村に寄り付かないかもしれない……
村に行くなら今しかない、と思った。
それに、多少なりとも金銭が出るのは嬉しいものだ。
先立つものはいくらあっても困らないのだから。
パウロは、これは“帰る”のではなく、仕事の間“滞在”するだけだと自分に言い聞かせて、友人の申し出を引き受ける事にしたのだった。
十数年ぶりに戻ってきた我が家は、記憶の中の物より幾ばくか小さいような気がした。
それが、自分が大きくなったからだと理解するのに数瞬を要した。
パウロはただ、実家の玄関の前に佇んでいるだけだった。
時刻は日が沈んで久しい頃。あたりはすっかり暗闇に覆われていた。
窓からは、チロチロと中の明かりが漏れているのが見て取れたが、会話らしいものは聞こえてこなかった。
パウロは扉をノックしようと手を伸ばし、叩く寸でにその手が止まり、手を下ろして逡巡……
そして、また手を扉へと伸ばすと言う事をパウロは幾度も繰り返していた。
何を言われるか分からないと言う怖さがあった、面と向かい合う恥ずかしさがあった……
そもそも、初めになんと言葉を交わせばいいのか分からなかった。
そんな諸々の感情がない交ぜになって、パウロは最後の一歩を踏み出せずにいたのだった。
と……
突然、パウロの目の前で玄関の扉がなんの前触れも無く開いた。
扉の向こうに居たのは、記憶の中の父親よりも幾分年老いた父親の姿だった。
「っ……」
「そんなとこで何しんだよ?
でかい図体でんなとこに立たれてたら邪魔で仕方ねぇんだけどよぉ?
ぼーっと突っ立ってるだけなら、さっさと入りな」
「親父……俺は……その……」
突然の事に、とっさに言葉が出来ない。
こんな時、なんと言えばいいのか……
「ったく……何をぶつくさ言っとる。お前は何をしにここに来たんだ?
村を手伝う為に帰って来てくれたんじゃねぇーのか?
だったら、少しはシャキッとせんか」
パウロは父親からの最初の一言は、厳しい叱責が飛んでくるものと覚悟をしていたが、父親の反応は思いに反していたって普通のものだった。
それこそ、たまに戻ってきた息子に声を掛けるような感じだった。
拍子抜けした所為か、若干の落ち着きを取り戻したパウロは自分が何をしにここに来たのか、何を言いにここに来たのかを改めて強く思い返し、覚悟を決めて言葉を発した。
「親父……」
「さっきから何だ? 何度も呼びやがっ……」
「すまなかった」
「……ふんっ!
んな言葉はなぁ、10年くらい前にもう聞いてんだよ。
んなくだらない事言ってないで、はよう入れ……」
「ああ……」
たったそれだけの事で、長年胸に支えていたものが、ストンと落ちた気がした。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
これで、棟梁に関する話はおしまいです。
次回からはまた新しい話が始まります。
話には上がっていたけど、姿を現していなかったヤツが出てくる予定です。
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