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第一部 幼年期

第八十三話 ガナッシュ・クリマム

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 ガナッシュ・クリマムが、愛と美の女神の加護を受けたのは、彼が13歳になった年のことだった。

 クリマム家の長男として生まれたガナッシュは、美しかった母親の美貌を受け継いだ美しさに、生まれた瞬間からちやほやされて育った。
 特に、彼の父親は美しいものに目がなかった為、とにかくガナッシュを可愛がった。
 愛息のわがままなら何でも聞いてやるその可愛がりように、物心つく頃には見た目は天使、中身は悪魔の小さな暴君がすっかり出来上がっていたのである。

 だからある意味、現在のガナッシュが出来上がってしまったのはそのせいもあるとも言える。
 まあ、もともとの本人の資質ももちろんあったのだろうが。

 蜂蜜色の髪に青い瞳、整った甘い顔立ちのガナッシュは、とにかく周囲から愛されて育った。
 だが、彼はそれだけでは満足せずに、更に多くを求めた。
 他の者へ向けられた愛情すらも自分のものにしようと、彼は時に意地悪く、時にずる賢く立ち回った。
 そして、周囲の人々が徐々に彼の見た目と中身がそぐわないことに気付き始めた頃、彼の人生に転機が訪れた。

 愛と美の女神の加護を受けたのである。

 その事実を知った瞬間、ガナッシュは驚喜した。
 与えられた恩恵も素晴らしかった。
 [魅了]はガナッシュが正に求めていた能力であり、彼は積極的にその能力を活用した。まずは近しい人から、そして徐々にそうでない人々へも。

 [魅了]の能力に人数制限はなかったが永続的ではなく、かかりやすい、かかりにくいといった個人差もあった。
 だが、たくさんの人へ能力を使ううちに、肉体的接触が深ければ深いほど、魅了の効果を及ぼしやすいことが分かってきた。
 それに気付いてから、ガナッシュは積極的に己の肉体を使うことも覚えた。

 更に、副次的効果として、長年魅了を掛け続けると、相手の性格さえも思う様に出来る事も分かってきた。
 いわゆる洗脳というやつだ。
 真面目な人間に悪事を働かせたり、信念を持つ人間に裏切りを働かせたり……思いつく限り、様々なことをやってきた。
 そうしてガナッシュは、徐々に自分の帝国を作り上げていったのである。

 だが、地方貴族である父の領地はちっぽけなもの。
 成長するにつれ、ガナッシュは物足りなさを感じるようになっていた。
 そんな時、彼はルバーノ家の実状を知った。

 ルバーノ家はクリマム家の本家筋にあたり、同じ地方貴族とはいえども、格が違った。
 地方都市であるアズベルグを治め、領地もクリマム家とは比べものにならないほどには広い。
 更に都合の良いことに、ルバーノの現当主には娘しかいなかった。
 そこに、付け入る隙があると、ガナッシュは考えた。

 それからは、己の地盤を固めつつも、ルバーノに入り込むための計画を練り続けた。
 少なくない数の間者を送り込み、ルバーノの情報も集め、当主には一人、弟がいることも知った。
 だが、その弟はずいぶん前に家を出奔しており、自分の計画の邪魔にはならないだろうと思っていた。
 あの日、ルバーノに放っていた間者の一人から、その情報を得るまでは。

 間者は言った。
 ルバーノに当主の弟が帰ってくる。そのことで当主はかなり浮かれているようだ、と。

 冗談ではないと思った。
 当主に息子はなく、彼は年の離れた弟を大層可愛がっていたと言うのは周知の事実。
 当主が戻ってきた弟を、後継に指名しないとも限らない。
 そうなってしまえば、ガナッシュの食い込む隙など全くなくなってしまうことだろう。

 そんなこと、許せるはずもなかった。
 ルバーノはいずれ自分のものになるのだ。それを邪魔する奴は、誰であろうと許しはしない。

 ガナッシュは、己の子飼いの盗賊団に早速連絡を取った。
 昔、自分の護衛係をしていた男をそそのかして作らせた、小遣い稼ぎの為の集団である。
 今までも、何度か汚れ仕事をさせていたが、今回も一働きしてもらうつもりだった。

 そうして、全てがうまくいったはずだった。
 娘達に取り入るための先方として、己の息のかかったメイドも送り込んだし、弟を失ったルバーノの当主にはもう、娘達しかいないーそのはずだったのに、誤算は小さな赤ん坊の形をして現れた。

 シュリナスカ・ルバーノ。ガナッシュが盗賊団に始末させたジョゼット・ルバーノの忘れ形見。
 その忌々しい赤ん坊は、母親ともども生き残り、ルバーノに取り入った。
 そして今や、立派なルバーノの跡継ぎ様である。

 そこにはガナッシュがいずれ入り込む予定だった。誰かがいてもらっては困るのだ。
 ガナッシュは、その赤ん坊も、父親同様死んでもらうことにした。

 まずは送り込んでいたメイドに打診したが、今は赤ん坊に注目が集まっており、下手に動くとバレてしまうと言う。
 ガナッシュは、渋々機会を待つことにした。アズベルグに送り込んだ間者達に、シュリの情報はどんな些細な事でも報告するよう、指示を飛ばして。

 だが、それほど待つことなく、機会は訪れた。
 シュリが護衛と二人、領主の所有する森の中の狩猟小屋を使うらしいと言うのだ。
 まだ、狩りを楽しむ年でもないだろうになぜとは思ったが、念の為、盗賊団を動かした。徒労に終わるだろうと、そう思いつつも。

 だが、そうはならず、ガナッシュの求めたものは、今、彼の目の前に居た。
 盗賊の頭領のザーズが、粗末な籠をガナッシュの前にそっと差し出す。
 ガナッシュは頷いてその中をのぞき込み、そして雷に打たれたような衝撃を覚えた。

 そこには美があった。
 今まで己を写す鏡の中にしか見たことがないと思っていた、いや、それ以上の圧倒的な美が。

 かなわない、と思った。
 それと同時に思う。自分より美しい者など許せない。排除しなくては、と。
 だが、それを実行に移す前にその声が脳裏に響いた。
 それは甘美で華やかで魅惑的な声。
 かつて、13の年に加護を頂いたときに一度だけ、耳にしたことのある声だった。

 その声はこう言っていた。
 その子はアタシのものにするから手を出しちゃダメーと。
 神の声に、ガナッシュは逆らえない。
 シュリに向かって手を差し伸べるような姿勢のまま、彼は固まったように動けなかった。
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