上 下
74 / 131
モロビトコゾリテ

3

しおりを挟む
子供の足だ。そう遠くへは行っていないはずだが、駅前は人通りが多くてなかなか見つからない。
最初は、追いかけて事情を聞くだけに留めようと思っていたのだが、だんだんと心配の方向が変わっていった。彼女が走って行った方向は、駅の方だ。そのまま電車にでも乗って家に帰ってくれているのなら、むしろ安心なのだが、駅を通り越して東口側にでも行かれていたら、大変だ。向こうは、駅前を少し離れただけで人通りも疎らになり、行き交う人の質も様変わりする。
子供が一人で歩き回るには、危険な場所だ。
取り越し苦労なら、それでいい。ぼくは駅を越えて東口側を探してみることにした。
人通りの多い駅前を抜けて、歩くこと数分。アーティスト通りに差し掛かると、案の定、見覚えのあるお団子頭が目に飛び込んできた。格好も、さっき見かけた美果ちゃんに間違いなさそうだ。
ぼくは駆け足になり、「見つけたっ!」と声をかけた。
「一人でこんな所に来たら危ないじゃないか」
そう言って、再び背後から迫り、肩を掴んだそのとき、不意をつくようにぼくの背後から、「ブッ、ツクパッ」とすごく聞き覚えのある嫌な音が聞こえてきた。振り返ると、そこには四人組の姿が………。

「再び参上マッドサイファー
 kotaのリズムでやってますわー
 さっきはやってくれたな冴えない店員
 逆に冴え渡る全身、いや脳内
 調子はどうだい? 俺にお題をちょうだい
 やりたいほうだい、にかましてくスキルこれがフロウだ!」

う、うわぁぁっ、マッドサイファーだ!?
なんで一日に何度もこいつらに絡まれなければならないのだろう。
ぼく、狙われてたりするのかな?
考えたくもないので、逃げ出そうと試みるも、気付けば背後に二人が立ち、四人でぼくと美香ちゃんを取り囲んだような形になった。
なんだろうこの状況。別に暴力を振るわれているわけではないけれど、だぼついた格好の四人組に取り囲まれ、ボイパとラップをひたすら聞かされ続けるというのは相当なストレスだ。
それに、すぐ後ろを見ると、美果ちゃんが完全に怯えた様子で動けなくなっていた。ぼくは、少しでも彼女の恐怖が和らげばいいと思い、頭を撫でる。その間も、なんとかマッドサイファーから解放されようと、「やめて下さい」と言うが、「俺たちはライムとフロウ以外聞く耳持たねえ」と、ぼく以上のコミュニケーション障害を露呈させた。

もう、ぼくにはこのとんでない状況をどうすることもできない。
誰か助けてっ!
心の中でヒーローを呼ぶときみたいに助けを求める。
すると、足音とともに現れた人物が、「なにやってんだ?」と言って、立ち止まる。ぼくはその姿を見て、思わず子供のように声をあげてしまった。

「アカサビさんっ!」

ぼくを取り囲むようにして立つマッドサイファーの連中。その背後に佇む、真っ赤な髪の男は、ぼくらの街の正義の味方。アカサビの通り名が示す通り、相変わらずくすんだ鉄錆び色の髪は、以前会ったときよりも少し長くなっていた。

「おう、間久辺。久しぶりじゃねえか。テメエ元気にしてたのかよ?」
「いや、あの、アカサビさん。世間話ができる状況ではないんですけど」
「ああ? なんだよお前、また面倒事に巻き込まれてるのか? まさか、また自分から首突っ込んでんじゃねえだろうな?」
「今回は違いますよ。普通に歩いてたら、この四人組に絡まれたんです」
「ふーん。まあいいや。お前が首を突っ込んだにしろ、巻き込まれたにしろ、関係ねえーーー」
アカサビさんの突き放すような言葉に、一瞬見捨てられるのではないかと恐怖したが、彼は右手を持ち上げると、指を一本ずつ折り曲げていき、ゆっくりとした動作で握り拳をつくると、言った。

「関係ねえーーーどんな事情があったとしても、オレはお前を助けるだけだ」

思わず男でも惚れてしまいそうになる発言だったが、アカサビさんの纏う雰囲気が殺気だったものに変わり、マッドサイファーに向けられているはずなのにぼくまで怖くなってしまった。
だけど、四人組からしたらそれ以上に恐ろしかったのだろう。
あるいは、彼らも『元最強の喧嘩屋』の異名を持つアカサビさんのことを知っていたのだろうか。逃げ出す足の速さは、目をみはるものがあった。
立ち去る間際、MCアキンドは言った。

「急用を思い出した。だからアカサビっ! 待てと言われても俺たちは待たないっ!」

わかりづらいけれど、『アカサビ』と『またない』で辛うじて韻を踏んでいる。だけど、そもそも彼は韻を踏まないとこの場から立ち去ることができない呪いにでもかかっているのだろうか。だとしたら不憫でならないな。
まあいい。ぼくは久々に会ったアカサビさんに、挨拶とお礼を口にした。
「礼なんて別にいい。そもそもオレは、お前に助けられた恩の半分もまだ返せていない」
ああ、アカサビさんが不良たちに狙われた事件のことか。あれからもう一月以上も経つというのに、律儀な人だ。別にお礼がしてもらいたくて行動したつもりはないが、アカサビさんに友人として認められたことは素直に嬉しいし、誇らしいことだ。
「ところで間久辺。後ろのガキは、お前の関係者か?」
ハッとして振り返るぼく。まずい、完全に忘れていた。
だけど、美果ちゃんは動かずにずっとその場所に立っていた。
逃げられてしまうかと思ったが、怖くて動けなくなったのか?
そう考えてもみたが、少女は怯えているというよりも、むしろぼくのことを気遣うような視線で見ていた。
まさか、追ってきたぼくがマッドサイファーの連中に絡まれたことに責任を感じているのか?
ぼくは、心配そうにこっちを見る少女に近付き、ため息を一つ吐くと、ゆっくりとした動作で、再び頭を撫でた。
「もう大丈夫。それに、ぼくも平気だよ。とっても強いお兄ちゃんに助けてもらったから」
そう言ってアカサビさんの方を指さすと、美果ちゃんはぼくの後ろに隠れて、アカサビさんを見ようともしない。小さく消え入りそうな声で、「……怖い」という声が聞こえて、ぼくは慌てて顔をあげた。
アカサビさんはよろめきながら近くの壁に手をつくと、「……フツーにショックだ」と言って、肩を落とす。
いや、まあ素直な反応だとは思うよ。
小さい子供というのは、空気の変化に敏感だったりするから、さっきの殺気バリバリのアカサビさんを見て、怖いと思うのは当然だ。
可哀想ではあったけれど、最強の男が、ショックを受けてふらつく姿がおかしくて、思わずクスクスと笑ってしまう。すると、アカサビさんはムッとした顔になり、「笑うなよ」と言いながらぼくのことを軽く小突いた。
じゃれ合いの力加減を知らないのか、アカサビさんの力は思ったよりも強く、ぼくはふらっと体勢を崩しそうになる。
その瞬間、「テメエ、なにしてやがるっ!」と、道の先、アーティスト通りの入り口から駆けてくる人影が見えた。
その姿を見て、ぼくは大いに驚いた。
「侭さんっ!?」
いきなり現れた甲津侭は、アカサビさんの正面にやって来ると、バチバチにガンつけ始めた。
かつてこの街を仕切っていた伝説的不良だが、現在は更正して街の外で働いていたはずの彼が、どうしてここにいるのだろうか。
直接本人に聞いてしまうのが早いのだが、アカサビさんと睨み合うのに忙しそうなので、邪魔するのはやめよう。決してトラブルに巻き込まれるのが面倒だとか、そういうことではないのを事前に言っておこう。
まあ、考えるといったって、侭さんが街に戻っている理由なんて一つしかない。今日はクリスマスイブだし、きっと与儀さんと過ごすために戻ってきたのだろう。そんな的確な名推理を頭の中でまとめあげている内に、アカサビさんと侭さんは、まさに一触即発といった具合にバチバチに睨み合っていた。
「いきなりなんなんだオッサン? オレになんか文句あんのか、あ?」
アカサビさんのその怒気のこもった言葉に、侭さんも負けないくらい怒りに満ちた様子で答える。
「文句なら大有りなんだよクソガキ! テメエ、間久辺に手ぇ出すなら俺が黙ってねえぞっ!」
ん? ちょっと待って、これ完全に勘違いしてるパターンのやつだ。
さっき、アカサビさんがぼくのことを軽く小突いた場面を見ていた侭さんは、どうやらぼくを助けようとして駆け付けてくれたみたいだ。
これはまずい。そう思い、ぼくが止めに入ろうとすると、それよりも先にアカサビさんが感情的になりながら、「オレと間久辺の問題だ。部外者は黙ってろ!」と反論する。
「黙ってられないんだよ。俺はそこの間久辺ってやつに、でっけぇ借りがあるんだ。だからなクソガキ、テメエをぶちのめしてでも助け出すぜっ」
ぼくは思った。侭さん、あなたも律儀過ぎますよ。
感謝されるのは悪い気はしないんだけど、別に見返りが欲しくて行動したつもりはないし、それに、その感謝が裏目に出てしまった結果、街で衝突してはいけない二人がいまにもぶつかり合いになりそうだ。
性質が悪いことに、この二人、ぼくのためとか言いながら全然ぼくの言葉を聞いてくれない。
やばい、本当どうしよう。
頭を抱えていると、荒い息づかいと足音が近付いてくることに気付き、ぼくは顔をあげる。向こうから走ってくる見覚えのある姿を見て、思わず助けを求めた。
「丁度良いところに来てくれたっ。助けて、江津!」
今度現れたのは、上下ジャージ姿でロードワークをしていた江津だった。以前、桜通り商店街から駅まで来るのがランニングコースだと話していたが、どうやらこの道をいつも使っているようだ。
江津は立ち止まると、「なんの騒ぎだ?」と首をひねった。
だが、困り果ているぼくと、口論する二人の人物を見て、なにかを悟ったのか、江津は表情を険しくさせた。
「あの男、確かこの前、シャッター通り商店街で間久辺のことボコボコにしてたヤツじゃないかっ! まさか、また襲いに来たのか? だったら許せねえ。俺のこの身に代えてもお前を守ってやる。そうでもしないと、俺は一生、間久辺に頭があがらねえからな」
クソッ、ここにも慌てん坊さんが一人っ!
いきなり現れたスポーツマン江津も含め、もはや三つ巴の戦いにまで発展しそうな三人を、ぼくは必死に止めようと試みたが、熱くなって話を聞いてくれない。
三人は、相変わらず睨み合ったままだ。なにかの切っ掛けで掴み合いでも始まってしまいそうなこの状況。もうぼくには手に負えなかった。
これなら、マッドサイファーの方がいくらか扱いやすいかな。
そんな現実逃避をしていても始まらないので、ここは新たに助けを呼ぶしかない。そう決断したぼくは、慌てて電話をかける。
偶然近くを走っていたらしく、バイクを飛ばしてやってくると、ヘルメットをかなぐり捨てて、「無事かっ、間久辺!」と大きな声を張り上げながら現れたのは、御堂数。この収集のつかない状況をなんとかしてもらうために召喚した、ぼくの友人だ。
御堂はぼくを見てから、三つ巴の三人を見て、ため息を漏らした。
「お前ら……なにやってるんだ?」
そうして、睨み合う三人を慣れた様子で引き離していく御堂。流石は街を仕切る不良グループで幹部を務めるだけのことはあるなーっと感心しながら眺めていると、御堂はぼくの方を見て、一言こう言った。
「モテモテじゃないか間久辺、羨ましい」
思わずため息をついたぼくは、思った。
こんなモテ期はごめんだ、と。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:129,796pt お気に入り:2,256

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49,424pt お気に入り:4,903

婚約破棄?私には既に夫がいますが?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:95,846pt お気に入り:720

Bグループの少年

青春 / 連載中 24h.ポイント:4,828pt お気に入り:8,332

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。