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その84:戦闘と戦争と政治

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 呉軍港に停泊中の戦艦陸奥。
 おそらく、来月中には聯合艦隊司令部はここから、陸に上がる予定だ。
 その、陸奥の艦内。

 聯合艦隊司令長官になってしまった俺にとって、非常に困惑する事態が発生していた。

 長官私室につながる応接室。
 そこに、俺ともう一人の男、そして女神様が出現していた。
 女神様と同じように、俺の体から光の珠が現れ、それが人型をなし、その男になったのだ。

 今、この部屋にいるのは、2人と1柱だ。
 
「女神様の言ってることは、本当か……」

 その2人の内一人の方。つまり俺は言った。
 応接室の椅子に座ってふて腐れている1柱だ。
 俺にとっての全ての元凶ともいえる女神様。
 俺は、これ以上ないというくらい、胡散くさい物を見る目でその1柱を見つめていた。

「だから、オヌシは吾の力で、時空を超え、この山本五十六に憑依させ、軍事作戦面だけをやらせたのだ!」

「その、女神様の力って……」

「吾は愚かな人間に『勘違い』と『度忘れ』を引き起こせるのだ! 自由自在になのだ!」

 それは、一種の記憶操作なのだが、すげぇ、安っぽく聞こえるのはなぜだ?

「ま、簡単にいえば、そこの女神様の言うとおりってことだな」

 髪を短く切った男。光の珠から人型となった男だ。
 背は低いが、がっちりとした分厚い身体をした男が俺の前に座っている。
 俺はこの男の名前を知っている。
 俺にとっては、歴史上の人物だ。今まで会っていた人物もそうなのだが、格が違うといっていい。

 山本五十六聯合艦隊長官。本物の方だ――
 
 来客用の豪華なソファー。俺の真正面に座っている。
 なんというか、その目の圧力がもの凄いんだけどぉ……
 源田実の鋭い眼光とはまた違った。視線の圧力というか、オーラがけた違い。

「吾の『封印』を破りよって! このクソがぁぁ!!」

 手足をバタバタさせ、怒りをあらわにする女神。
 
「封印って……」

 俺の言葉に、本物の山本五十六が口を開いた。

「要するに、自分はこの女神様に『封印』され、軍事作戦以外のあれやこれやをやっていたってわけだな」

 妙に気さくな感じで話しかけてくる山本五十六大将。
 映画とか、本とかのイメージとは全く違う。

「つまり、一人の体を俺と山本長官が分け合って、時間を過ごしていたってことか……」

「まあ、そうだろうな。女神様の言う『勘違い』と『度忘れ』の能力でだ」

 それで、俺は感じていた疑問が氷解してきた。
 俺は、普段なにをしていたのか?

 実際、山本五十六には家族がいる。愛人もいる。
 しかも、筆まめで、手紙をいっぱい書いている。
 俺はそんなことをした記憶が無い。
 この太平洋戦争、主に対米戦争について四六時中考えていた記憶だけある。
 日常という物がすっぽり抜けていたんだ。いくら戦争中だって、人としての日常が抜けるはずがない。

 それが、この目の前の女神様の「勘違い」と「度忘れ」という神の力のせいだったのか……
 人には、日常生活があるってことを「度忘れ」し、戦争しかない生活が普通だと「勘違い」していたんだ。
 恐ろしいんだか、安っぽいんだか、判断に困る。

「なんちゅー、迷惑な女神だ……」

 俺は自分の胸の内に生じた思いを、つぶやくように口にしていた。

「これも、大日本帝國を勝利させるためなのだ! オヌシの軍事的才能ならば、この戦争に勝利できるのだ!」

「いや、そんな評価されても…… 困るんだけど」

「事実、ここまで日本は勝っているのだ! 勝ちまくって、勝ちまくって、大東亜共栄圏の確立と八紘一宇がもはや目前なのだあぁぁ!」

 この女神様のいた次元では、大日本帝国は勝利している。
 アメリカに巨大隕石激突連発と、巨大台風による艦隊全滅という、アホウのような展開でだ。
 ちなみに、それはこの女神様の力などではない。

「吾の力を使って、大日本帝國を敗戦に追い込んだ、元凶を排除。そこに、優秀な人材の魂を憑依させる。完ぺきな作戦だったのだ!!」

 バーンと胸を張って、女神様が言い放つ。
 髪は以前の長髪から短くなっている。
 ただ、衣装は最近愛用のミリTシャツではなく、女神らしいひらひらした服になっていた。

 俺は頭痛がしてきた。アメリカ相手にしながら、このクソ厄介な女神を相手にしなければいけない。
 何というハンデ戦なのだ……

 だいたいゲームで勝っただけで、ニートでただの軍ヲタの俺を優秀な人材とか……
 いい加減にしろ本当に。

「おいおい、自分は敗戦の元凶なのかい?」

 口を開いたのは、本物の山本五十六だった。
 苦笑をうかべながら、女神様を見つめている。

「そうなのだ! この大日本帝國を敗戦に追い込んだ、愚将をなんとかしないと勝利はあり得ないのだ!」

 女神様が、山本五十六大将を指さして非難する。

「大人しく、戦争に首を突っ込まず、『勘違い』と『度忘れ』の日常世界に封印されるのだ! 平穏な日常の壁を破りよって……」

 俺は、うんざりした気持ちになった。
 俺に戦争ばかり考えさせてたというのも、女神の力なのだろうか……
 要するに、俺自身もある意味、戦争だけの世界に封印されていたということだ。

 しかし、途中で封印を破られるとか、大したことねーよ、この女神様。
 まあ、大したことができるなら、俺なんかの力を借りるとは思えんし。

 しかし、ろくでもない。本当にろくでもない。

 女神様を見つめていた、山本五十六の本物が、くるりとこっちを向いた。
 分厚い唇に大きな目が、尋常ではない意思の強さを感じさせる。

「なあ、キミよ」

「あ、はい――」

 俺は反射的に背筋を伸ばして返事をしてしまう。
 
「まあ、そう硬くなるなよ、同じ体を使っていた身じゃないか」

 山本五十六はそう言うと、言葉を続けた。

「日本は負けるんだな――」

 ねめつける様な視線を投げかけ、ヌルリとした言葉を俺に投げかけた。

「負けます。1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾。日本は焼け野原になって、負けます」

「昭和20年か…… あと、3年だな…… そうか」

「負けぬわぁぁ!! 大日本帝國に敗北などないのだぁ! 女神の吾が歴史を変えてみせるのだぁ!」

 俺は叫ぶ女神様を見た。拳を握りしめ、気合いの入った絶叫の声。それがワンワンと室内に響き渡る。

「そんな、歴史を変えたかったら、アメリカの方のルーズベルトあたりに誰かを憑依させた方が早かったんじゃないですか?」

 俺は、率直な疑問をぶつけた。憑依させる力と、勘違い、度忘れの能力があれば、アメリカの方にこそ使えばいいのだ。

「無理なのだ!」

「なんでですか?」

「吾は英語など分からんのだ! 言葉が分からんから吾の神の力が通じないのだ!」

「そうですか……」

 俺はガックリと首を落す。もはや反論する意欲も削れてくる。

「ところで、キミさ、えー、山本君でいいかい?」

「はあ、まあ同じ苗字ですからね」

 俺の苗字も山本なのだ。五十六ではなく「功児」であったが。

「負けた日本はどうなった? まあ、君、山本君がいるわけだから、日本という国が無くなったわけではないだろうがな」

「立ち上がりましたよ。日本は焼け野原から立ち上がって急成長。今は少なくとも世界でもトップレベルの科学技術を持った、豊かな国になってます」

「ほう…… 畏れ多くも――」

 すっと背筋を伸ばし、山本五十六が口を開けた。
 この時代の人間であれば、当然気にすることを口にした。
 俺は、昭和が64年まで続き、今は平成XX年であることを言った。

 すっと、体の力を抜いて、山本五十六はその短く太い胴体の重みをソファーに預けた。

「俺の戦争のやり方は間違っていたのかい? 俺は本当に愚将だと思うかい?」

「それは…… 俺なんかが、評価できるもんじゃないです」

「いや、キミはよくやっているじゃないか、今のところ、優位に戦っているといっていいだろう」

 やはり、自分の評価ってのが気になるのだろうか。
 本物の山本五十六は、俺の目を覗きこむようにしジッと黙った。
 俺の答えを待っていた。

「まあ、一部にはそう言う意見もありますね。軍政家としては、超一流。作戦家としては…… ちょっとというような」

 俺は当たり障りのない返答をする。
 戦後、旧海軍士官でも、彼を「凡将」、「愚将」と評価する人は少なくない。

 はっきりとそう言った声が大きくなったのは「日本は勝てた戦争を、山本五十六のせいで負けた」言い出した文化人が出始めてからだろうか。
 真珠湾攻撃と同時に、ハワイを占領しろとか、無茶なこと言っている学者もいた。まあ、歴史学者ではなかったけど。
 日米戦の敗因は、作戦レベルでどうのこうのではなく(作戦レベルでも負けてたけど)、もし、作戦で勝り、戦闘で勝利をし続けても、いつか負ける戦争をしてしまったことだ。
 アメリカとの戦争になってしまったことが最大の敗因だろう。
 
「へぇ、そうかい。まあ、敗軍の将が愚将と評価されるのは、当然であろうなぁ」

 山本五十六はそう言うと、腕を組んだ。
 そして、大きな眼をつぶって、口を真一文字に結んだ。
 俺の言ったのは、一般的によく言われることだ。当たり障りのないことを言ったつもりだ。

 気分を害したのか?
 山本五十六は黙り込んでしまった。
 ピクリとも動かない。
 複雑な性格で、本心を明かさないという評価を戦後受けたりしている。
 どうにも、底が見えないというか、真意が測りかねる人間であるのは確かだろう。

「俺が上手くいっているのは、歴史をある程度知っていたからですよ」

「そうかい」

 山本五十六は目を開け、短く答えた。

「アメリカだって莫迦じゃない。歴史を知った上で対応策を行ったとしても、更にそれに対応するだけの国力と柔軟性がある国ですから。もう、俺の力じゃヤバいとこまできてますよ――」

 実際、今の日本は状況から言えば史実より優位に戦争を続けている。
 マッカーサーをフィリピンに封じ込めた。
 そして、ニューギニアへの侵攻。
 それによって、オーストラリアに本土防衛最優先という、史実でもあった考え方を取らせることができた。
 オーストラリアが巨大な兵站基地になり、ニューギニアを起点として、フィリピン方面に行くルートはしばらくは心配しなくてもいいと思う。
 まあ、ポートモレスビーへの補給など、予断を許さぬ状況もあるが、史実よりは大分マシだ。

 ソロモン方面では、ラバウルを中心に、前衛基地を整備し、どちらかというと攻勢防御という形をとっている。
 航空機、艦船による攻撃は攻勢のベクトルを見せているが、これ以上島嶼の陣取り合戦をする気はない。
 島嶼への輸送は制空権内だけに限定しているのだ。

「敵空母は大分沈めたんだろ?」

「沈めまくったのだ! コイツは、凄いぞ! もはやアメ公の空母はヨークタウンしか残っていないのだぁぁ! こっちは、隼鷹、飛鷹を入れれば、正規空母が7隻もあるのだぁ!!」

 大和田通信所の解析情報では、サラトガがしぶとく生き残っている可能性があったが、女神様の言っていることは大きく間違っていない。

「それで、守勢か?」

「搭乗員の消耗が半端じゃないです。航空戦は―― 空母(入れ物)はありますが、乗せる航空隊、人がいないんです」

 実際はそれほど、酷いというわけではない。
 ただ、ベテランの多くは教員配置として、とにかく、搭乗員の養成を行っているところだ。
 日本は学徒動員が非常事態のように語られるが、アメリカはパールハーバーの翌日には大学が空っぽになったという国だ。
 史実の通り、大学生の戦争に対する感じ方が大分違っていた。
 それは、攻められた国と、攻めた国の意識の違いなのかもしれないが。

「長期戦じゃ勝ち目がないだろう―― 敗戦を先に延ばすだけだ」

 山本五十六は、やはり短期決戦論者だった。

「ええ、戦争じゃ勝てません。勝てるわけがない。何をやっても負けます。日米開戦の時点で詰んでます」

 俺は思い切って言った。

「山本君――」

 本物の山本五十六は俺を真剣な目で見つめていた。
 やはり、生粋の軍人相手にこの言葉はまずかったか?
 いや、そもそも、勝ち目がないというのは、山本五十六本人がよく知っていたことだ。

「君の考えが、今一つ、自分には分かりかねるな。負けが分かっていて長期戦か?」

 本物の山本五十六が俺の考えを分からないのは当然だった。
 戦後の国際関係、ソビエトの台頭と冷戦。中国の赤化など、その後の未来を知っている後知恵から来た結論なのだから。
 1942年という「今」に立っている人間にそのことが分かるわけがない。どんなに優秀だとしてもだ。

「史実より、マシな戦後を作る。少なくとも日本を焼け野原にだけはしたくないです」

 俺は持論を展開した。
 戦後生まれる、米ソの対立。ドイツの敗北後だ。
 その後、更に力を残した大日本帝国と戦い続ける損得勘定。
 アメリカの国民感情はともかく、連合国の考えでは主敵はドイツなのだ。
 ドイツとの戦争が終わった中、日本相手に大量の血を流し、そして勢力を増すソ連を放置するのか?

 すくなくとも、アメリカの政権内部には対日穏健派といっていい勢力が存在する。
 共産主義を非常に敵視している勢力もある。その逆も……
 そして、その政治バランスについて、俺は一応の知識があるつもりだ。

「ほう、ソ連とアメリカの対立か…… アメリカの政治判断か……」

「生産力、正面兵力のぶつかり合いじゃ、絶対に勝てません。短期決戦も無理です。アメリカの世論と日本の世論がそれを許しませんよ――」

 アメリカの国民がやられっぱなしで、講和を認めるか?
 それはまずない。しかも、長期戦になれば、勝てるのは分かっている話だ。
 後は、どういう戦後環境をアメリカが望んでいるかだ。
 日本がアメリカと敵国にならない。少なくとも対ソビエトに対し共同歩調をとれると判断したら――

 ただ、アメリカも難しいが、日本国内も難しい。
 実際、戦闘では勝っているだけに、収拾をつけるのは困難だ。
 大陸で戦う陸軍をどうするかだ。
 そもそも、中国問題の延長線上に、この日米戦争がある。
 大陸問題を解決しないでの終わりは困難だ。
 
 アメリカとの戦争を終わらせ、大陸での戦争も終わらせる。
 で、その戦争の結果、得られたものは「平和だけ」という状況。
 これに、国民が納得するかだ。
 戦闘には勝ちまくっている報道を毎日繰り返している。
 戦意高揚は、戦争を終わらせにくくしている。

 結局、戦争が終わったときには、国民が憎悪を向けるスケープゴートが必要になるかもしれない。

「そうか―― やはり、組織と政治の問題になるか――」

 山本五十六は俺の話を聞き終わると、つぶやくように言った。
 
「それは?」

「要は、アメリカが戦争を止める十分な理由を作り出すこと。キミはそれを考えているんだろう? そして、同時に国内世論も納得させる」

 本物の山本五十六は静かな口調でいった。

「自分は、連続した軍事的な攻勢により、アメリカが折れると考えていた。それは、間違いってことだな」

「おそらくは。多分、ハワイを攻略しても、アメリカは白旗を上げないと思います。西海岸に上陸しますか? そんなことが出来ないことは十分分かってますよね」

「まあ、ハワイまでならと思うが…… 西海岸は奇跡でも起こらん限り、無理だな――」

「その奇跡が起きたとしても、アメリカは降参しませんよ。むしろ徹底的に戦ってきますよ」

 俺の言葉に山本五十六は腕を組んで、天井を見ていた。考えているようだった。
 戦後様々な評価を得ることになる人物であるが、おそらく傑物であり、現時点の日本海軍の中では最優秀の人間の1人だ。
 それは、完ぺきな人物であるということと、イコールではないが。

「戦闘の優位で、有利な政治状況を作るってことだな。少なくともアメリカに戦争を続けるのは損と考えさせるほどに」

 俺の言っていたことを端的な言葉で彼は言い換えた。

「まずは、海軍だな―― 軍令部、海軍省…… 最終的な絵図をどうするかだ……」

 それは、軍人というよりは、もっと大きな範囲を俯瞰(ふかん)して語っている言葉のようであった。
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