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鎮守府大将軍

1557年・苦境

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 『京・九条屋敷』鷹司義信・黒影・織田信長

 率直に言って、関白就任以来地獄のような日々が続いていた。御上や朝廷の御用で昇殿するだけでなく、後奈良院からも御下問があり院に昇殿せねばならに事も多くなったからだ。

 その結果として頸・特に胸鎖乳突筋が神経凝りしてしまった。そしてその凝りが頚腕神経叢・星状神経節を圧迫することで、背部肩甲骨内側縁・俗に言う「けんびきが凝る」という状態が常時起こってしまう。しかもそれが高じて頭痛まで発症し、遂には吐き気が起こってゲロゲロ状態になってしまった。

 元々神経が細い俺だが、特に対人ストレスには弱いのだ。今までは産まれ運が良かったため、武田家の嫡男として他人に気を使うことが少なくて済んでいた。精々信玄からの切腹処置を回避することに気を使うくらいだった。だが今は御上と後奈良院に加えて、魑魅魍魎ともいえる陰湿な公家衆の相手をしないといけない。

 大叔父の薫陶と、後世の連中の批判が気になって御所で傲岸不遜になどふるまえない。だから官職など就きたくなかったのだ!

 率直に御上や院に御会いすると緊張してしまって肩が凝ると申し上げて、極力宮中の参内は遠慮させてもらうことにした。だが陰湿な公家衆は、嫌がる俺を無理やり参内させることで、自分たちの権威を高めようと画策しやがった。

 これに黒影がいつになく激怒した。闇影と相談して、嫌がらせした公家衆の屋敷を誰も出入りできないように包囲したのだ。出入りしようとする者を邪魔するため、戦傷で戦えなくなり傷病兵扶持を支給されている者を屯させ、「我らを生涯扶持してくださる鷹司様を、宮中で嫌がらせする者は公卿であろうと許さん。」と押し込め状態にしたのだ。

 そのため公卿の屋敷は、食料の搬入はもちろん糞尿の搬出すらできない状態になった。しかも昔母が萱振(かやふり)に住んでいたころの実話なのだが。小学校でクラスメイトと喧嘩をしたら、何百人という大人が家を取り巻き焚火を始めたそうだ。いつ家を放火されるかわからず、その恐怖に2度と喧嘩はしないと誓ったそうだ。同様に傷病兵の集団も、公卿の家を囲んで焚火を始めた。

 流石に焚火まで始めると、近所の住民も火事が怖くて見て見ぬ振りが出来ず、京の治安を預かる織田信長に相談を持ち掛けることになった。警邏部隊が即座に駆けつけるも、相手が京を回復するために傷ついた鷹司家傷病兵のため手出しが出来ない。まして中には共に轡を並べて戦った戦友がいたりする。命令と情の間で板挟みになった上に、理由を聞くと鷹司卿に宮中で陰湿な行動をとった報復だという。とても一兵卒が処理できる問題ではなく、スゴスゴと警邏本部に戻り信長に報告した。

 これには信長も困り果てて俺に相談しようとしたのだが、生憎俺は神経凝りのせいで床についてゲロゲロしていた。まあ京を押さえて御上と後奈良院の安全を確保したから、安心したことで今まで精神力で抑えていた疲れが出ていたのだろう。

 ここで黒影が本来なら許されないことをした、信長の俺への謁見願を拒否したのだ。本来なら、軍師の1人に数えられる信長の謁見願を黒影が遮ることは許されない。だが今回は俺が病気で寝込んでいるからと拒否したのだ。

 だがこれに素直に引き下がる信長ではない。俺の世情での評判と宮中での評判が落ちること持ち出して、曲げて謁見を取り次げと再三再四申し込んだ。最後は黒影が鷹司家の政を壟断するつもりかと詰め寄ったのだ。

 そこで黒影も折れて、報告はするが会わすわけにはいかない、返事は必ず直ぐに伝えると俺に報告に来た。信長もこれ以上この件で黒影と争いたくなかったのか、素直に待っているようだ。

 「閣下、どういたしましょう?」

 「焚火だけはやめさせろ。」

 「承りました。」

 頭痛と吐き気に苦しむ俺にそれ以上は聞かず黒影は部屋を出て行ってくれた。

 「閣下からの御言葉を伝える、焚火だけはやめろ。」

 「承りました。」

 信長はそれだけ聞けば十分と出ていったようだ。結果として信長は、俺の言葉通り焚火だけを禁止して包囲を続けさせた。御上と後奈良院すら殺せと進言した信長だ、立場を弁えない公家衆など殺して構わないと思っているのかもしれない。正直頭痛と吐き気で思考力が低下しているので、家臣たちを信じて後は任せることにした。

 翌日遂に御上からに御召しがあった!


 『京・九条屋敷』鷹司義信・黒影

 「どうなされますか?」

 「神経を病んでとても参内は叶わぬ、関白太政大臣の御役目を返上して諏訪に帰ると御伝えしてくれ。」

 「承りました」

 俺は今回のことを自分から仕掛けたわけではないし、命じたわけでもないが、徹底的に利用させてもらうことにした。自分でも性格が悪いと思うが、御上にも後奈良院にも現実を再認識してもらうことにした。

 御上と後奈良院には忠誠を尽くすつもりだが、公卿のためにこれほど辛い頭痛と吐き気を我慢するつもりはない。別に足利が京を押さえても、近江にそれなりの兵さえ駐屯させておけば、俺が諏訪にいても何の問題もない。足利が皇室を害することなどあり得ない。こんなことをすれば天下の諸侯をすべて敵に回し、袋叩きになることは必定だからだ。

 そこで御役目を返上して諏訪に帰ると言上したのだが、ここで虎繁が気を利かせてくれた。俺から公家衆への扶持を停止したうえ、支配領域の家職銭の運上も止めると通告してくれたのだ。これを聞き知った御祖父様・義御父上に加え、実信・公之も官職を返上して領国に帰ると言上したのだ。遂には扶持と家職銭を確保し続けたい鷹司派の公家衆が、一斉に官職の返上と下向願いを御上に差し出した。

 これには御上も驚かれて、再三再四御見舞いを遣わされたのだが、俺もとてもではないが正使を御迎え出来る状態ではないので、心苦しくも門前払いにするしかなかった。まあ多少は反省して頂きたいという思いがなかったわけではないが、頭が割れるような痛みと四六時中の吐き気に苦しんでいたのは間違いない。

 困り果てられた御上は、後奈良院と覚院宮に相談されたうえで、俺に陰湿な苛めを行い報復の強制閉門を受けている公家を勅勘処分となされた。出仕停止だけでなく公式に閉門籠居処分が科せられ、二条卿とその側近に至っては大内家のこともあり追放刑となり周防に下向することになった。

 最終的に俺と鷹司派の辞任騒動はうやむやになり、俺も宮中に参内する必要がなくなった。御上も公家衆も、俺が官職にとどまり京に駐屯することの方が大切だと判断してくれたようだ。

 参内自由の勅命を受けて、俺の神経症はあっさりと完治したが、決して仮病ではない!

 神経症が回復した後は、足利連合に対して積極的に動いた。まずは以前から行っていた調略に重点を置いた。史実で豊臣秀吉が播磨攻めを行った際、黒田官兵衛(小寺官兵衛)を中心に国衆・自侍の調略を行った。しかし秀吉の身分が低く1度は調略に応じたものの、秀吉が軍勢を他方面への応援に軍勢を移動させると、気位の高い播磨の名族たちは背いたと読んだことがある。

 本当のことはわからないが、それが本当なら鷹司家の権威は武器となる。赤松家の当主で置塩城城主・赤松晴政、三木城主・別所安治、御着城主・小寺則職・小寺政職親子を中心に播磨の守護・国衆・自侍に調略を仕掛けた。

 特に年貢確保のため山城国を離れ、家祖の冷泉為相以来相伝の所領播磨細川庄に下向していた冷泉為純に仲介を依頼した。天文7年(1538年)に従五位下に叙されて以降様々な官職を歴任したが。長らく播磨国細川庄に下向し領主化しており、冷泉派の歌人としても周辺の国衆と付き合いがあったため、調略にうってつけの人材だった。

 その上で諏訪から運ばせた膨大な軍資金を投入した。史実で秀吉が行った備中高松城の水攻め費用は、銭が63万5040貫で米は6万3504石だった。だが俺は食料となる米を使う気はなかった。むしろ買い占めて兵糧攻めにするつもりだった。もちろん三木城の干殺しや鳥取城の飢殺しのような凄惨な作戦は取りたくない。

 事前に軍資金の差で兵糧を買い占め、民や雑兵に格の違いを見せつけ、足利連合から離反させたいのだ。誰だって命は惜しいし腹一杯飯も食いたい、碌に兵糧も支給されず負けると分かっている方に味方するものは少ない。人質を取られたり自身の命がかかっていれば別だが、そうでなければとっとと逃げ出すはずだ。まして俺は支配域の新田開発を進めている、逃げてくれば最低でも小作人として生きていけるのだ。いや戦う気があれば武士になることも不可能ではないのだ。

 調略には相手の性格と立場によって使う方法を変えた。関白太政大臣としての地位・丹波を移動した大軍による直接兵力の威圧・銭による即物的な誘惑・食料買い占めによる貧民の盗賊化による治安悪化・高値になった食料を奪い俺に売るために領内に入り込んだ野武士・盗賊団の跳梁跋扈など間接的に領内を荒らすこと。そしてこれらを複合的に駆使するなど、やれる限りの事前準備を行った。

 播磨国内の混乱は目を覆うばかりとなったが、これによって摂津に本拠地を移した足利連合は、播磨から援軍を得ることができなくなった。同時に大和・紀伊・和泉の国衆・地侍にも調略を仕掛けたが、鷹司領に接する国での治安悪化は、領民に被害が出る可能性があったため、兵糧の買い占めだけは行わなかった。

 今回は俺の神経症の影響もあったが、じっくりと半年以上時間をかけて、京の地固めを行い領地を接する国衆・地侍の調略根回しも行った。そして播磨討ち入りのため支配下の国衆・地侍に参集を命じた。
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