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第十話 雪花舞う季節に

Act.4-01

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 車から降りてから、紫織は宏樹の一歩後ろを着いて行くように砂浜へ足を踏み入れた。
 そこに広がる光景は、あの時と全く変わっていない。人は全くいないし、夏の海と違って打ち寄せてくる波が高い。
「うう……、さすがに寒いな」
 宏樹は肩を竦めながら、両腕で自らの身体を抱き締めている。
 紫織もまた、時おり吹き付けてくる差すような潮風に顔をしかめた。
(そういえば、彼女とどうなったんだろ)
 姿勢を全く崩さずに海を眺めている宏樹を見上げながら、紫織はふと思った。
 前に海に来た時は、宏樹はどこか思いつめている様子だった。はっきりとは口に出さなかったものの、それでも、何かあったことだけは確かに感じ取った。
 宏樹は必要以上に自分のことを話さない。もちろん、宏樹にとっては紫織はまだまだ子供だからという認識が強いからだろうが、それ以上に、他人に甘えることが人一倍下手なのだ。
(宏樹君は、朋也が生まれてからはずっと〈お兄ちゃん〉だったんだしね)
 しばしの間、宏樹に視線を注いでいたら、それに気付いたのか、宏樹が首を動かしてこちらを見た。
「どうした? 何か言いたそうだな?」
 そう訊ねられた紫織は、慌てて目を逸らした。
「う、ううん! 何でもないよ!」
 そんなのは全くの嘘だが、かと言って、改めて彼女のことも訊きづらい。
 紫織はそのまま、自分が立っている砂浜の上に視線を落とした。
 宏樹にはたくさん訊きたいことがある。半面で、全てを知るのが怖い。それならばいっそのこと、何も知らないまま、ただ宏樹の側にいる方がよっぽど幸せだと思う。
(結局は、私のわがままだよね……)
 砂をつま先で蹴りながら、紫織は自らを嘲るように微苦笑を浮かべる。他人の幸せを願えない自分の小ささ、そして何より、どんなことをしてでも宏樹を手に入れたがっている自分自身の愚かさに。
「ま、色々あったからなあ」
 宏樹が不意に口を開いた。
 紫織は弾かれたように顔を上げると、再び宏樹に視線を向けた。
 宏樹は小さく笑みを湛えながら、自分より小さな紫織を見下ろしている。
「俺はめんどくさがりのくせに、ひとつのことに執着すると、いつまでもそれを追い続ける癖があるから……。相手がどんなに嫌がっていると分かっていても、相手の口からはっきりと拒絶されない限りは、好きなオモチャを独占したがるガキと同じで、いつまでも放そうとしない。
 ただ……、最終的には、俺が手酷いことを言って突き放してしまったんだよな……。――あいつ、どれだけ傷付いてしまったか……」
 そこまで言うと、宏樹は先ほどまでの笑みを消し去り、口を噤んでしまった。
 紫織は目を見開いたまま、宏樹の表情を覗う。
 彼の真顔は何度か目にしている。しかし、今、紫織の目の前にいる宏樹は、今にも泣き出してしまうのではないかと思えるほど苦しみに満ちていた。
 紫織の胸が、酷く痛み出した。
 自分はあまりにもちっぽけだ。宏樹の支えとなるには、まだまだ未熟であると充分に自覚しているが、それでも、彼の心の傷を少しでも癒したいと切望した。
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