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9巻
9-3
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喉元まで何かがこみ上げて、ただ感情のままに自分が動いているのを認識する。
〝なんて愚かな……まるで子供の癇癪。この世界唯一の神である私を否定して、一体どうするつもりなの? お前も魔族も、いえ、この世界の全ての住人は、私の加護なく生きていく事など出来ないのに〟
「笑わせるな。僕はそういう世界で十何年生きてきた。むしろ、神にべったり頼りきって生きるヒューマンの方が僕には理解出来ないんだよ!」
祝福だの加護だのと、ヒューマンなんて連中はどこかおかしい。
魔術も技術も、少しは自分達で発展させようと思うべきじゃないか。
女神にしたって、自分は唯一の神様だと偉そうにするなら、外見を磨く以外の事もしっかりと導いてやるのが役目じゃないかと思う。無駄に亜人を蔑む事ばかり教えやがって。
〝お前がいた世界と他の世界を同様に考える事自体が、無知の証拠よ。この世界では私がルール。従わない気なら、ここでお前を消しても良いのよ〟
「下手な脅しだね。もしお前にそれが出来るなら、前の拉致まがいの転移の後でそうしてたはずだろう。僕はお前の思惑通りに動かなかったみたいだから。お前は〝絶対のルール〟じゃない。嘘を言ってる。何が神だ、この歪んだ世界でさえ、全部を思い通りに出来ない欠陥品のくせに!」
女神については僕だって色々と考えてきた。
こいつは僕が想像する唯一神とか絶対神みたいな、全知全能の類じゃない。世界の現状もそれを物語っている。
今だって神様のルールとやらで縛られて直接手出しが出来ないから、僕を使って勇者を助けさせようとしているじゃないか。
苦肉の策だってのが僕にも透けて見える。
〝……そう。この領域に呼んでやっただけでも、お前には過ぎた扱いだったようね。私の姿を見る事なく、お前はここで――〟
あ……。
背筋に冷気が這った気がした。
〝女神様、ご面会の方々がこれ以上待たせるつもりなら実力で入ると仰ってます!〟
突然、何か別の声が空間に響く。かなり焦った感じだ。
女神は苛立ちを隠さず、それに応じる。
〝っ! 何度も何度も! 察しなさいよ、会いたくないって言っているのを!〟
背に感じた冷たい気配が遠のいたのを感じて、気持ちが落ち着いていくのが分かった。
こみあげたものが静かに胃の方に戻っていくような。
……言いすぎたか?
怒りのあまり、理性を無視して暴言を吐いていた。
こいつ相手に冷静でいようとするのは、今の僕にはまだ難しい。それだけ言いたい事も色々溜まっている。用事だけ言われて都合よく使われるのは本当に我慢出来ない。
今ここでこいつとやり合って、どこまで戦えるか。
正直、やってみたい気もする。――いや、していた。
でも、正気にかえって周りを見ると、識はガタガタと震えている。
武者震いじゃない。恐怖で全身を震わせていた。
識を相当な危険に晒してしまった。
正直、僕には女神と戦った時の勝率がまだはっきりとは分からない。
識には何かの指標があって、その上で震えているのかもしれない。
女神には僕を消せない何らかの理由があると思っていたけど、もしかして裏道を使えば抜けられる程度の障害だった? だとすれば、やっぱり今は時期尚早なのか……。
割って入ってくれた女神の配下らしい声に少し感謝する。ニンフとか呼ばれてたっけか。
僕にとっては考える時間が出来た。
女神達の声が漏れ聞こえてくる。
〝しかしながら、原初の世界よりの……〟
〝分かった! すぐに行くわ! お前は戻ってあいつらを宥めて――〟
〝きゃ、きゃあああああああああ〟
突如、何やら尋常じゃない悲鳴が響いた。
〝く、まさか強引に!? あの脳筋!〟
あいつが明らかに動揺している様子が声から伝わってくる。
〝ミスミ! 貴方が私に不満を持っているのは理解したわ。ならこれを最後にしましょう。以降、貴方が積極的にヒューマンに敵対しない限り、お前には干渉しない。これでどうかしら?〟
なかなか良い提案な気がする。
でも、素直に受けてやるんじゃ気が収まらない。ついさっき消されかけたかもしれないとはいえ、女神への怒りが萎えたわけじゃないんだから。
戦えないまでも、何かしらの意趣返しはしたい。
「それじゃ足りないな。お前の要請で、僕とは直接関わりのない勇者を助けに行くんだろう?」
〝……なるほどね。ご褒美が欲しくてゴネたって事。ふん、人間はその欲深さが気に入らないのよ。私のヒューマンも、ベースになった人間のその部分だけは取り除けなかった。ヒューマンでありながら人間として生きていたお前にはお似合いね。……とは言え、今の命拾いもそうだけれど、お前は運が良い。今は交渉に割く時間すら惜しい。望みを言いなさい、ただしすぐに〟
すぐ!? どうする、何を望む?
はっきり言って考えなしの嫌がらせ目的だったから、パッと思いつかない。
今の僕に必要なもの?
装備品はドワーフが作ってくれる。魔法関連は既にこいつがくれた〝理解〟があるし、多分魔力の量だけなら女神を上回っているだろう。となると、この外見を変えてもらうとか?
……冗談じゃないな。僕は生まれてからずっとこの姿で生きてきた。こいつに弄ってもらってまで美形になりたいなんて全く思わない。
どうしよう。
〝時間切れ。望む物も決めずに何かを欲しがるだなんて、餓鬼みたいな卑しさね〟
「……ならば、この方に共通語の祝福を頂きたい。これまで神殿では貴女を警戒して頼んでおりませんでしたから」
立ち尽くす僕の横から、声が割って入った。
識?
そうか、言葉。共通語が使えれば便利だ。筆談に慣れすぎていたから、まるで考えてなかった。
それなら、大きすぎない手頃な望みに思える。
〝お前の発言を許した覚えはないわよ、雑魚。でも……ふぅん。ミスミの子、お前共通語話せないの?〟
「ああ、お前の呪いの所為でな」
〝私はヒューマンの言葉だけを除外した理解を与えただけよ。学習しても話せないなんて、亜人に劣る無能ね。事実、あれらは学んで共通語を話せているでしょうに〟
「……言い争いを始める時間はあるのか? 女神」
あ、特に意識しないのにタメ口になってる。僕はどれだけこいつが嫌いなんだ。
〝様が抜けているわよ。どこまでも腹が立つ事。流石は私の世界を捨てた者の子。良いわ、その程度なら先払いであげましょう……あら、入らない? おかしいわね。こんなもの、入らないはずがないのに〟
僕の頭、脳みそが両手で掴まれて揉まれているような、異様な感じがした。
共通語の祝福ってこんな気持ち悪いのかよ!?
「ぐ、ううっ」
〝苦しいの? 妙ね。……でも良いわよね、望んだのは貴方なんだから。それで何があっても私は知らないわ。後で死んでも私の責任ではないと、理解しておきなさいよ〟
頭の中をまさぐられる感覚が強くなる。まるで揉み潰されたような不気味な感触と、偏頭痛を思わせる鋭い痛みが断続的に響く。
うっ、最悪の気分だ。
こいつの前で呻くなんて死んでも嫌だから、表情を歪ませるだけで苦痛に耐える。
こみ上げる強い嘔吐感に、ただただ閉口した。
〝ふん、これで終わり。では約束したわよ。人から持ちかけた神との約定、果たさぬならその時は覚悟しておくのね。勇者に迫る危機を排し……そうね、ついでにあのステラ砦も落としなさい。出来なければ死ね、いえ死んでもやるのよ〟
「内容、は……勇者の保護、ステラ砦を落とす。この二点、間違いないな?」
女神との取引を確認する。
くそっ、これで共通語を話せなかったらこいつ絶対許さん。
〝……ええ、さっさと消えなさい! うっ、もう来たの? 今こちらから――〟
突如来る浮遊感。
これも、前と同じか。
女神の気配が言葉と共に急激に遠ざかる。
言いたい事ばっかり言って、こちらの返答を待たないのは基本的に変わらないんだな。さっきの交渉が成立したのが奇跡に思える。
もしかして、原初の世界の客がどうのっていう話が追い風になってくれたのか。どうか、あの虫がその客から酷い目に遭わされますように。
「若様、鼻血が……それに目からも血が出ています」
鼻の下と目尻を手で拭うと、ベッタリと血がついていた。
「え、ホントだ。くそ、あいつ人の体に何か無茶したんじゃないだろうな」
鼻血くらいは経験あるけど、血涙なんてやばそうだぞ?
「若様、あれは……やはり神です。私など戦力になれる気がしませんでした。ですがいつの日か……いえ、近いうちに必ず――!」
識は女神に対して自分の無力さを思い知ったみたいだ。巴と澪は、識から後でこの話を聞いてどう感じるんだろう。ちょっと気になる。
だけど、識が無念を伝える言葉は、最後まで続かなかった。
僕と識が外的な力で密着させられる。
無理矢理押し込められる嫌な感覚が身を包む。
そして……。
僕らは捻られるような感触を味わいながら、急激に下方に撃ち出された。
恐らくは今回も高高度から。
「お、おおおおおお!?」
突然の落下に慌てふためく識。
「識、その決意は嬉しいよ。お互い、頑張ろう」
「若様!? ここここれは一体!?」
「僕は三回目だからね。いい加減、悟るよ。もうテーマパークの絶叫系も全部いける気がするんだ。リミア王都直行便でしょ多分」
喚く識に抱きつかれながら、雲を突き破って恐らく戦場に落ちていく。視界がぐるぐる回る中で、僕は至って冷静だった。
まだ激突までは大分あるように思える。
着地の制御はセルフサービスだろうから、早めに動く必要があるな。
あいつの事だから、月読様がしてくれたみたいな着地の保護は多分期待出来ない。
そうだ、女神は今頃取り込み中だろうし、巴と澪に位置を伝えて呼んでおこうか。
……待てよ。
巴と、澪。この二人なら……。
識も言っていた。
亜空の皆をもっと評価するべきだって。
だったら、うん。
もう……動いてしまおう。
世界もいい感じで混乱しているみたいだし。
(巴、澪)
僕は二人に念話を繋ぐ。
識はまだ大分混乱している様子だから、彼への指示は後にしよう。
(……ご無事でしたか、若。大事ありませんか?)
すぐに巴からの返事。澪も鼻息荒く応える。
(あの女神! 今度は何をされたのですか若様! お怪我などはございませんか!?)
(大丈夫だよ、二人とも。識が一応あいつを感じているから、後で聞いて参考にしてみて。で、二人に頼みがあるんだけど)
(もちろん、どこへなりと参りますぞ。今どちらです?)
(お任せくださいませ!! すぐにでもお傍に――)
(今は多分リミア王都上空。でも、二人はここに来なくて良い)
(っ!?)
(えっ!?)
巴と澪が僕の言葉の内容に驚く。
んー、どうしようか。
翼人とゴルゴンはやっぱりまだ不安だ。
なら……。
(巴、澪。こっちは僕と識で大丈夫。だからお前達と、それにハイランドオークとミスティオリザードで希望する者がいれば、その彼らで)
一旦言葉を止める。
巴は僕の言わんとしている内容を察したのだろう、言葉にならない熱が感情に混じり、こちらにまで伝わってきた。
(ケリュネオンをとれ)
その場所の情報自体あまり知らないから、細かな指示などは僕には出来ない。
だから追加で幾つか大まかな事だけ伝えて、あとは巴と澪に指揮を任せて。
ロナが変異体を放った事により、当初の計画とは少しだけ形を変えたが、作戦を発動させた。
念話を切って大きく息を吐く。
それじゃあ、後は……。
戦場が近付いていると意識すればするほど、不思議と頭が冷たく冴えていくのが分かる。
所詮僕は飛び抜けた才能があるわけじゃないけど、こういうのは少しゾクゾクする。
殻を破っている瞬間のような、一段上に歩を進める感覚。
「識、着地の制御は僕がやるから、しばらく姿を隠せるように周りを闇で覆ってくれる?」
「わ、分かりました。やってみます」
「それからね……」
眼下に炎上する大きな街を確認出来た。
夜を照らす明かりじゃなくて、街を焼かれているのだと分かる距離。
ギリギリで間に合ったな。
僕と識の姿は金色の光の尾をつけた黒い玉に包まれて、リミアの王都へ突っ込んでいった。
◇◆◇◆◇
「……のう、澪」
「……」
「滾るな」
「……ええ、震えるほどに」
亜空にいた巴と澪は、向き合いもせず各々前を向いたまま目を閉じていた。
女神の干渉。主の二度目の拉致。
真と一緒にいた識にも幾つか言いたい事があった二人だが、真から告げられた言葉に衝撃を受け、そんな些細な事は忘れてしまっていた。
それは真の意識の変化を感じさせる命令だった。
「これで亜空に四季が訪れますわね。嬉しいでしょう巴さん」
「ふふ、分かって聞いておるだろう澪。〝そんな事〟今はどうでも良い」
巴は身を支配する喜びと、際限なく高まっていく士気に打ち震えながら口元を歪める。
真に願ったはずの亜空の四季。
なのに彼女はそれを、そんな事と言った。
「初めてじゃ。若から、自分のために戦えと、戦場に赴けと命じられたのは。そうか、このような気持ちになれるものなんじゃなあ……。ケリュネオンを若が望まれ、そして儂らに〝手に入れろ〟と命じられた。くくく、くくくくく!」
「本当に……あの方のために動くのはもちろん嬉しいですが、こうして言葉に出して伝えられ、任されるというのが、ここまで心地好いとは」
彼女達にとって大事なのは、真が自発的な命令を下したという事実。
これまで真に色々と頼まれもしたし、命じられもした。
しかしそこにはいつも、真が純粋に欲するものを叶えるというよりは、別の意図が含まれる事ばかりだった。
ケリュネオンとて、最初はロッツガルド学園に勤める司書エヴァからもたらされた情報である。
しかし、真は自分の両親の事もあってこの国に強い興味を抱いた。
彼が自分で色々と考えて、それで〝欲しい〟と結論付けたのだ。
巴と澪の主人である深澄真。彼が欲しいと言ったものを、彼からの命令により手に入れて献上する。
主の私情を叶える。
二人にはそれが、堪らなく嬉しかった。
「まずは儂が示した場所だけで構わない、と若は仰ったが……分かるな、澪?」
「もちろん。一帯全てから魔族も、それに与するものも消えてもらいますわ」
「うむ、すぐにでも行って二人で暴れたいところじゃが。若は亜空に住む種族の事もお認めになりつつあるようじゃ。ここは奴らにもこの喜びを分けてやらねばならぬ。同じ亜空に暮らす若の民としてな」
「……ええ。リザードとオークでしたね」
真は二人に最低限の指示は出している。
かつてケリュネオンという国であった場所にある、巴が以前地図で示した地点付近を手に入れろ、と彼は命じた。
それに際して、巴と澪両名だけでなく、希望する者がいるのならハイランドオークとミスティオリザードも参加して構わないと言ったのだ。
亜空に住む亜人や魔物達を、ただ守護し、共に暮らす友人として見ていたこれまでの真からは想像も出来ない言葉である。
しかし、事実だ。
真は希望者と言ったが、巴も澪も確信している。
この話を伝えれば、ロッツガルドからの呼び出しに備えて待機していた部隊以外の者までもが参加したがると。
むしろ、巴などは既にロッツガルドに呼ばれてしまったリザード達の方がハズレを引いたのかもしれない、とすら思っていた。
すぐさま二人は、亜空での真の住まいを出て、それぞれの種族に事情を伝えに行った。
時を置かずして、巴が向かったリザードの居住地、澪が向かったオークの居住地で咆哮が湧き起こる。
歓喜の雄叫びだ。
巴と澪は満足げに頷き、出撃について真の言葉と目的を神妙な面持ちの戦士達に伝えた。
「若も別の場所で戦っておられる。良いか、完全なる勝利を若に届けよ」
「お前達が亜空で過ごした訓練の日々、そしてそれをお認めになられた若様。どちらも裏切る事は許しません、全力をもって臨みなさい」
筆頭に立つ巴と澪の言葉が静かに響く。
次いで、亜空でも滅多に見ないほど巨大な霧の門が出現した。
この時、言葉はなかった。
歩き出す二人を追い、リザードとオークの混成部隊が門をくぐり、静かに消えていく。
内に秘めた熱が、口を開く事で僅かでも外に漏れるのを嫌ったのか、爆発するその瞬間までじっくりと溜めているのか、それは分からない。
亜空はこの日、初陣を迎える。
2
「疲れる、などと言う時ではありませんものね」
澪が左手を前に出した。
特に強く力を込めて、手ではなく袖から解放のイメージを放つ。
彼女を中心にして不可視の魔力が高速で広がっていく。もしも見る事が叶ったなら、それは幾重にも重なった巨大な蜘蛛の巣の形だと分かるだろう。
澪が人の身を得た後、不得手であった感知の力を高めるために身につけた術だ。
「期待しておるよ、澪」
隣に立つ巴が、腕組みしながらチラリと目をやる。
「ええ、期待なさいませ。いきますわ」
ケリュネオン。
かつてヒューマンの小国があった場所。
深澄真――いや、クズノハ商会代表ライドウに従う者達が今、この地にいた。
巴と澪を先頭にして、ずらりと並んだ魔物達。荒野にいたハイランドオークとミスティオリザードだ。数こそ合わせて百名にも満たないが、いずれも並外れた猛者達である。
皆完全武装しており、月明かりに照らされて、時折武具が鈍く光を反射していた。
その彼らが、澪の言葉に呼応するように、「おお!」と感嘆の声を上げた。
「網と共有か。実に便利な術じゃ。周りの事が手に取るように分かる」
満足そうな巴の言葉。
澪が自らの感知するエリアを他者と共有させた瞬間だった。
範囲にして約二十キロ。今回の作戦エリアを考えると十分すぎる広さである。
実質彼女が感知するエリアはもっと広大なのだが、その全てを共有しても意味はないと判断しての事だった。
例外的に巴とは全てのエリアを共有していたが、オークとリザードには作戦エリアを含む限定的な範囲の感知を共有するに留まった。
巴がレーダーと言ったのは的確な表現だ。
亜空から出現した部隊は今、個人個人が頭の中にレーダーを表示しているような状態にある。
まだ接敵もしていないのに、これから攻め入る拠点にどの程度の敵がいて、戦力がどう偏っているのかすら完全に把握していた。
「さて、夜襲ですわねえ。どれほど足掻いてくれるのか……」
澪が不敵に微笑む。
「宣戦布告も……必要ない。もう〝済んでおる〟からな。若の意向、此度は全て汲む」
「ええ。ああ……もう我慢できません。行きますわ、お先に失礼」
澪が一歩を踏み出すと、その姿がゆらりと消えた。
「む、澪! ……致し方なし、か。儂も完全に同感じゃしな。お前達、儂も今宵は手加減が出来るか分からぬ。澪は砦の奥か。なら儂は亜空の門を確保しに行く。しばらく儂らには近寄るでないぞ」
巴は澪の行き先を確認して笑みを浮かべると、部隊を振り返る。
普段なかなか見る事のない闘志に満ちた巴の表情と言葉に、オークもリザードも神妙に頷く。
隠せぬ熱を、その瞳に宿しながら。
「皆も、同じ気持ちであろうな。ハイランドオークよ、ミスティオリザードよ、存分に暴れよ。逃げる者は追わずとも良い。分かっておるな、これは表向きケリュネオンと魔族の戦争じゃ」
巴はそこで一度言葉を切り、大きく息を吸った。
抜き放った太刀で天を突き、皆の意思を集める。
「若に捧げる戦じゃ! 歯向かう者全てを! 徹底的に! 蹂躙してみせよ!!」
言うが早いか、巴は地を蹴り宙に浮き上がる。次の瞬間には霧に包まれて消えていた。
怒号のような雄叫びが一帯に響き渡り、勢い余って天に色とりどりのブレスが輝く。
ミスティオリザードの仕業だ。
開戦、いや殲滅の始まりだった。
〝なんて愚かな……まるで子供の癇癪。この世界唯一の神である私を否定して、一体どうするつもりなの? お前も魔族も、いえ、この世界の全ての住人は、私の加護なく生きていく事など出来ないのに〟
「笑わせるな。僕はそういう世界で十何年生きてきた。むしろ、神にべったり頼りきって生きるヒューマンの方が僕には理解出来ないんだよ!」
祝福だの加護だのと、ヒューマンなんて連中はどこかおかしい。
魔術も技術も、少しは自分達で発展させようと思うべきじゃないか。
女神にしたって、自分は唯一の神様だと偉そうにするなら、外見を磨く以外の事もしっかりと導いてやるのが役目じゃないかと思う。無駄に亜人を蔑む事ばかり教えやがって。
〝お前がいた世界と他の世界を同様に考える事自体が、無知の証拠よ。この世界では私がルール。従わない気なら、ここでお前を消しても良いのよ〟
「下手な脅しだね。もしお前にそれが出来るなら、前の拉致まがいの転移の後でそうしてたはずだろう。僕はお前の思惑通りに動かなかったみたいだから。お前は〝絶対のルール〟じゃない。嘘を言ってる。何が神だ、この歪んだ世界でさえ、全部を思い通りに出来ない欠陥品のくせに!」
女神については僕だって色々と考えてきた。
こいつは僕が想像する唯一神とか絶対神みたいな、全知全能の類じゃない。世界の現状もそれを物語っている。
今だって神様のルールとやらで縛られて直接手出しが出来ないから、僕を使って勇者を助けさせようとしているじゃないか。
苦肉の策だってのが僕にも透けて見える。
〝……そう。この領域に呼んでやっただけでも、お前には過ぎた扱いだったようね。私の姿を見る事なく、お前はここで――〟
あ……。
背筋に冷気が這った気がした。
〝女神様、ご面会の方々がこれ以上待たせるつもりなら実力で入ると仰ってます!〟
突然、何か別の声が空間に響く。かなり焦った感じだ。
女神は苛立ちを隠さず、それに応じる。
〝っ! 何度も何度も! 察しなさいよ、会いたくないって言っているのを!〟
背に感じた冷たい気配が遠のいたのを感じて、気持ちが落ち着いていくのが分かった。
こみあげたものが静かに胃の方に戻っていくような。
……言いすぎたか?
怒りのあまり、理性を無視して暴言を吐いていた。
こいつ相手に冷静でいようとするのは、今の僕にはまだ難しい。それだけ言いたい事も色々溜まっている。用事だけ言われて都合よく使われるのは本当に我慢出来ない。
今ここでこいつとやり合って、どこまで戦えるか。
正直、やってみたい気もする。――いや、していた。
でも、正気にかえって周りを見ると、識はガタガタと震えている。
武者震いじゃない。恐怖で全身を震わせていた。
識を相当な危険に晒してしまった。
正直、僕には女神と戦った時の勝率がまだはっきりとは分からない。
識には何かの指標があって、その上で震えているのかもしれない。
女神には僕を消せない何らかの理由があると思っていたけど、もしかして裏道を使えば抜けられる程度の障害だった? だとすれば、やっぱり今は時期尚早なのか……。
割って入ってくれた女神の配下らしい声に少し感謝する。ニンフとか呼ばれてたっけか。
僕にとっては考える時間が出来た。
女神達の声が漏れ聞こえてくる。
〝しかしながら、原初の世界よりの……〟
〝分かった! すぐに行くわ! お前は戻ってあいつらを宥めて――〟
〝きゃ、きゃあああああああああ〟
突如、何やら尋常じゃない悲鳴が響いた。
〝く、まさか強引に!? あの脳筋!〟
あいつが明らかに動揺している様子が声から伝わってくる。
〝ミスミ! 貴方が私に不満を持っているのは理解したわ。ならこれを最後にしましょう。以降、貴方が積極的にヒューマンに敵対しない限り、お前には干渉しない。これでどうかしら?〟
なかなか良い提案な気がする。
でも、素直に受けてやるんじゃ気が収まらない。ついさっき消されかけたかもしれないとはいえ、女神への怒りが萎えたわけじゃないんだから。
戦えないまでも、何かしらの意趣返しはしたい。
「それじゃ足りないな。お前の要請で、僕とは直接関わりのない勇者を助けに行くんだろう?」
〝……なるほどね。ご褒美が欲しくてゴネたって事。ふん、人間はその欲深さが気に入らないのよ。私のヒューマンも、ベースになった人間のその部分だけは取り除けなかった。ヒューマンでありながら人間として生きていたお前にはお似合いね。……とは言え、今の命拾いもそうだけれど、お前は運が良い。今は交渉に割く時間すら惜しい。望みを言いなさい、ただしすぐに〟
すぐ!? どうする、何を望む?
はっきり言って考えなしの嫌がらせ目的だったから、パッと思いつかない。
今の僕に必要なもの?
装備品はドワーフが作ってくれる。魔法関連は既にこいつがくれた〝理解〟があるし、多分魔力の量だけなら女神を上回っているだろう。となると、この外見を変えてもらうとか?
……冗談じゃないな。僕は生まれてからずっとこの姿で生きてきた。こいつに弄ってもらってまで美形になりたいなんて全く思わない。
どうしよう。
〝時間切れ。望む物も決めずに何かを欲しがるだなんて、餓鬼みたいな卑しさね〟
「……ならば、この方に共通語の祝福を頂きたい。これまで神殿では貴女を警戒して頼んでおりませんでしたから」
立ち尽くす僕の横から、声が割って入った。
識?
そうか、言葉。共通語が使えれば便利だ。筆談に慣れすぎていたから、まるで考えてなかった。
それなら、大きすぎない手頃な望みに思える。
〝お前の発言を許した覚えはないわよ、雑魚。でも……ふぅん。ミスミの子、お前共通語話せないの?〟
「ああ、お前の呪いの所為でな」
〝私はヒューマンの言葉だけを除外した理解を与えただけよ。学習しても話せないなんて、亜人に劣る無能ね。事実、あれらは学んで共通語を話せているでしょうに〟
「……言い争いを始める時間はあるのか? 女神」
あ、特に意識しないのにタメ口になってる。僕はどれだけこいつが嫌いなんだ。
〝様が抜けているわよ。どこまでも腹が立つ事。流石は私の世界を捨てた者の子。良いわ、その程度なら先払いであげましょう……あら、入らない? おかしいわね。こんなもの、入らないはずがないのに〟
僕の頭、脳みそが両手で掴まれて揉まれているような、異様な感じがした。
共通語の祝福ってこんな気持ち悪いのかよ!?
「ぐ、ううっ」
〝苦しいの? 妙ね。……でも良いわよね、望んだのは貴方なんだから。それで何があっても私は知らないわ。後で死んでも私の責任ではないと、理解しておきなさいよ〟
頭の中をまさぐられる感覚が強くなる。まるで揉み潰されたような不気味な感触と、偏頭痛を思わせる鋭い痛みが断続的に響く。
うっ、最悪の気分だ。
こいつの前で呻くなんて死んでも嫌だから、表情を歪ませるだけで苦痛に耐える。
こみ上げる強い嘔吐感に、ただただ閉口した。
〝ふん、これで終わり。では約束したわよ。人から持ちかけた神との約定、果たさぬならその時は覚悟しておくのね。勇者に迫る危機を排し……そうね、ついでにあのステラ砦も落としなさい。出来なければ死ね、いえ死んでもやるのよ〟
「内容、は……勇者の保護、ステラ砦を落とす。この二点、間違いないな?」
女神との取引を確認する。
くそっ、これで共通語を話せなかったらこいつ絶対許さん。
〝……ええ、さっさと消えなさい! うっ、もう来たの? 今こちらから――〟
突如来る浮遊感。
これも、前と同じか。
女神の気配が言葉と共に急激に遠ざかる。
言いたい事ばっかり言って、こちらの返答を待たないのは基本的に変わらないんだな。さっきの交渉が成立したのが奇跡に思える。
もしかして、原初の世界の客がどうのっていう話が追い風になってくれたのか。どうか、あの虫がその客から酷い目に遭わされますように。
「若様、鼻血が……それに目からも血が出ています」
鼻の下と目尻を手で拭うと、ベッタリと血がついていた。
「え、ホントだ。くそ、あいつ人の体に何か無茶したんじゃないだろうな」
鼻血くらいは経験あるけど、血涙なんてやばそうだぞ?
「若様、あれは……やはり神です。私など戦力になれる気がしませんでした。ですがいつの日か……いえ、近いうちに必ず――!」
識は女神に対して自分の無力さを思い知ったみたいだ。巴と澪は、識から後でこの話を聞いてどう感じるんだろう。ちょっと気になる。
だけど、識が無念を伝える言葉は、最後まで続かなかった。
僕と識が外的な力で密着させられる。
無理矢理押し込められる嫌な感覚が身を包む。
そして……。
僕らは捻られるような感触を味わいながら、急激に下方に撃ち出された。
恐らくは今回も高高度から。
「お、おおおおおお!?」
突然の落下に慌てふためく識。
「識、その決意は嬉しいよ。お互い、頑張ろう」
「若様!? ここここれは一体!?」
「僕は三回目だからね。いい加減、悟るよ。もうテーマパークの絶叫系も全部いける気がするんだ。リミア王都直行便でしょ多分」
喚く識に抱きつかれながら、雲を突き破って恐らく戦場に落ちていく。視界がぐるぐる回る中で、僕は至って冷静だった。
まだ激突までは大分あるように思える。
着地の制御はセルフサービスだろうから、早めに動く必要があるな。
あいつの事だから、月読様がしてくれたみたいな着地の保護は多分期待出来ない。
そうだ、女神は今頃取り込み中だろうし、巴と澪に位置を伝えて呼んでおこうか。
……待てよ。
巴と、澪。この二人なら……。
識も言っていた。
亜空の皆をもっと評価するべきだって。
だったら、うん。
もう……動いてしまおう。
世界もいい感じで混乱しているみたいだし。
(巴、澪)
僕は二人に念話を繋ぐ。
識はまだ大分混乱している様子だから、彼への指示は後にしよう。
(……ご無事でしたか、若。大事ありませんか?)
すぐに巴からの返事。澪も鼻息荒く応える。
(あの女神! 今度は何をされたのですか若様! お怪我などはございませんか!?)
(大丈夫だよ、二人とも。識が一応あいつを感じているから、後で聞いて参考にしてみて。で、二人に頼みがあるんだけど)
(もちろん、どこへなりと参りますぞ。今どちらです?)
(お任せくださいませ!! すぐにでもお傍に――)
(今は多分リミア王都上空。でも、二人はここに来なくて良い)
(っ!?)
(えっ!?)
巴と澪が僕の言葉の内容に驚く。
んー、どうしようか。
翼人とゴルゴンはやっぱりまだ不安だ。
なら……。
(巴、澪。こっちは僕と識で大丈夫。だからお前達と、それにハイランドオークとミスティオリザードで希望する者がいれば、その彼らで)
一旦言葉を止める。
巴は僕の言わんとしている内容を察したのだろう、言葉にならない熱が感情に混じり、こちらにまで伝わってきた。
(ケリュネオンをとれ)
その場所の情報自体あまり知らないから、細かな指示などは僕には出来ない。
だから追加で幾つか大まかな事だけ伝えて、あとは巴と澪に指揮を任せて。
ロナが変異体を放った事により、当初の計画とは少しだけ形を変えたが、作戦を発動させた。
念話を切って大きく息を吐く。
それじゃあ、後は……。
戦場が近付いていると意識すればするほど、不思議と頭が冷たく冴えていくのが分かる。
所詮僕は飛び抜けた才能があるわけじゃないけど、こういうのは少しゾクゾクする。
殻を破っている瞬間のような、一段上に歩を進める感覚。
「識、着地の制御は僕がやるから、しばらく姿を隠せるように周りを闇で覆ってくれる?」
「わ、分かりました。やってみます」
「それからね……」
眼下に炎上する大きな街を確認出来た。
夜を照らす明かりじゃなくて、街を焼かれているのだと分かる距離。
ギリギリで間に合ったな。
僕と識の姿は金色の光の尾をつけた黒い玉に包まれて、リミアの王都へ突っ込んでいった。
◇◆◇◆◇
「……のう、澪」
「……」
「滾るな」
「……ええ、震えるほどに」
亜空にいた巴と澪は、向き合いもせず各々前を向いたまま目を閉じていた。
女神の干渉。主の二度目の拉致。
真と一緒にいた識にも幾つか言いたい事があった二人だが、真から告げられた言葉に衝撃を受け、そんな些細な事は忘れてしまっていた。
それは真の意識の変化を感じさせる命令だった。
「これで亜空に四季が訪れますわね。嬉しいでしょう巴さん」
「ふふ、分かって聞いておるだろう澪。〝そんな事〟今はどうでも良い」
巴は身を支配する喜びと、際限なく高まっていく士気に打ち震えながら口元を歪める。
真に願ったはずの亜空の四季。
なのに彼女はそれを、そんな事と言った。
「初めてじゃ。若から、自分のために戦えと、戦場に赴けと命じられたのは。そうか、このような気持ちになれるものなんじゃなあ……。ケリュネオンを若が望まれ、そして儂らに〝手に入れろ〟と命じられた。くくく、くくくくく!」
「本当に……あの方のために動くのはもちろん嬉しいですが、こうして言葉に出して伝えられ、任されるというのが、ここまで心地好いとは」
彼女達にとって大事なのは、真が自発的な命令を下したという事実。
これまで真に色々と頼まれもしたし、命じられもした。
しかしそこにはいつも、真が純粋に欲するものを叶えるというよりは、別の意図が含まれる事ばかりだった。
ケリュネオンとて、最初はロッツガルド学園に勤める司書エヴァからもたらされた情報である。
しかし、真は自分の両親の事もあってこの国に強い興味を抱いた。
彼が自分で色々と考えて、それで〝欲しい〟と結論付けたのだ。
巴と澪の主人である深澄真。彼が欲しいと言ったものを、彼からの命令により手に入れて献上する。
主の私情を叶える。
二人にはそれが、堪らなく嬉しかった。
「まずは儂が示した場所だけで構わない、と若は仰ったが……分かるな、澪?」
「もちろん。一帯全てから魔族も、それに与するものも消えてもらいますわ」
「うむ、すぐにでも行って二人で暴れたいところじゃが。若は亜空に住む種族の事もお認めになりつつあるようじゃ。ここは奴らにもこの喜びを分けてやらねばならぬ。同じ亜空に暮らす若の民としてな」
「……ええ。リザードとオークでしたね」
真は二人に最低限の指示は出している。
かつてケリュネオンという国であった場所にある、巴が以前地図で示した地点付近を手に入れろ、と彼は命じた。
それに際して、巴と澪両名だけでなく、希望する者がいるのならハイランドオークとミスティオリザードも参加して構わないと言ったのだ。
亜空に住む亜人や魔物達を、ただ守護し、共に暮らす友人として見ていたこれまでの真からは想像も出来ない言葉である。
しかし、事実だ。
真は希望者と言ったが、巴も澪も確信している。
この話を伝えれば、ロッツガルドからの呼び出しに備えて待機していた部隊以外の者までもが参加したがると。
むしろ、巴などは既にロッツガルドに呼ばれてしまったリザード達の方がハズレを引いたのかもしれない、とすら思っていた。
すぐさま二人は、亜空での真の住まいを出て、それぞれの種族に事情を伝えに行った。
時を置かずして、巴が向かったリザードの居住地、澪が向かったオークの居住地で咆哮が湧き起こる。
歓喜の雄叫びだ。
巴と澪は満足げに頷き、出撃について真の言葉と目的を神妙な面持ちの戦士達に伝えた。
「若も別の場所で戦っておられる。良いか、完全なる勝利を若に届けよ」
「お前達が亜空で過ごした訓練の日々、そしてそれをお認めになられた若様。どちらも裏切る事は許しません、全力をもって臨みなさい」
筆頭に立つ巴と澪の言葉が静かに響く。
次いで、亜空でも滅多に見ないほど巨大な霧の門が出現した。
この時、言葉はなかった。
歩き出す二人を追い、リザードとオークの混成部隊が門をくぐり、静かに消えていく。
内に秘めた熱が、口を開く事で僅かでも外に漏れるのを嫌ったのか、爆発するその瞬間までじっくりと溜めているのか、それは分からない。
亜空はこの日、初陣を迎える。
2
「疲れる、などと言う時ではありませんものね」
澪が左手を前に出した。
特に強く力を込めて、手ではなく袖から解放のイメージを放つ。
彼女を中心にして不可視の魔力が高速で広がっていく。もしも見る事が叶ったなら、それは幾重にも重なった巨大な蜘蛛の巣の形だと分かるだろう。
澪が人の身を得た後、不得手であった感知の力を高めるために身につけた術だ。
「期待しておるよ、澪」
隣に立つ巴が、腕組みしながらチラリと目をやる。
「ええ、期待なさいませ。いきますわ」
ケリュネオン。
かつてヒューマンの小国があった場所。
深澄真――いや、クズノハ商会代表ライドウに従う者達が今、この地にいた。
巴と澪を先頭にして、ずらりと並んだ魔物達。荒野にいたハイランドオークとミスティオリザードだ。数こそ合わせて百名にも満たないが、いずれも並外れた猛者達である。
皆完全武装しており、月明かりに照らされて、時折武具が鈍く光を反射していた。
その彼らが、澪の言葉に呼応するように、「おお!」と感嘆の声を上げた。
「網と共有か。実に便利な術じゃ。周りの事が手に取るように分かる」
満足そうな巴の言葉。
澪が自らの感知するエリアを他者と共有させた瞬間だった。
範囲にして約二十キロ。今回の作戦エリアを考えると十分すぎる広さである。
実質彼女が感知するエリアはもっと広大なのだが、その全てを共有しても意味はないと判断しての事だった。
例外的に巴とは全てのエリアを共有していたが、オークとリザードには作戦エリアを含む限定的な範囲の感知を共有するに留まった。
巴がレーダーと言ったのは的確な表現だ。
亜空から出現した部隊は今、個人個人が頭の中にレーダーを表示しているような状態にある。
まだ接敵もしていないのに、これから攻め入る拠点にどの程度の敵がいて、戦力がどう偏っているのかすら完全に把握していた。
「さて、夜襲ですわねえ。どれほど足掻いてくれるのか……」
澪が不敵に微笑む。
「宣戦布告も……必要ない。もう〝済んでおる〟からな。若の意向、此度は全て汲む」
「ええ。ああ……もう我慢できません。行きますわ、お先に失礼」
澪が一歩を踏み出すと、その姿がゆらりと消えた。
「む、澪! ……致し方なし、か。儂も完全に同感じゃしな。お前達、儂も今宵は手加減が出来るか分からぬ。澪は砦の奥か。なら儂は亜空の門を確保しに行く。しばらく儂らには近寄るでないぞ」
巴は澪の行き先を確認して笑みを浮かべると、部隊を振り返る。
普段なかなか見る事のない闘志に満ちた巴の表情と言葉に、オークもリザードも神妙に頷く。
隠せぬ熱を、その瞳に宿しながら。
「皆も、同じ気持ちであろうな。ハイランドオークよ、ミスティオリザードよ、存分に暴れよ。逃げる者は追わずとも良い。分かっておるな、これは表向きケリュネオンと魔族の戦争じゃ」
巴はそこで一度言葉を切り、大きく息を吸った。
抜き放った太刀で天を突き、皆の意思を集める。
「若に捧げる戦じゃ! 歯向かう者全てを! 徹底的に! 蹂躙してみせよ!!」
言うが早いか、巴は地を蹴り宙に浮き上がる。次の瞬間には霧に包まれて消えていた。
怒号のような雄叫びが一帯に響き渡り、勢い余って天に色とりどりのブレスが輝く。
ミスティオリザードの仕業だ。
開戦、いや殲滅の始まりだった。
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