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あたしの話
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無言で地下鉄にのり、無言で最寄り駅で降りた。
「明日、出勤しろよ。」
降りる間際に言われたセリフにあたしは無言で頷いてみせた。
部屋に入って鍵をかけ、チェーンをかける。
持っていたカバンが手から滑り落ちた。
やはり、相手には恋人がいた。
それも凄く綺麗な人。
仕事も出来そうな、隣に立っていても違和感のない人だった。
おまけに右手に指輪までしていた。
あたしは彼から指輪を貰ったことはない。
何度かプレゼントは何がいいか尋ねられ、その度に外での食事や近郊の旅行を提案してきた。
あたしが欲していたのは見えないもの。
絆されて、流されるように付き合い始めたけどちゃんと好きになりたかった。
彼自身を見て話して、好きだよって言えるようになりたかった。
誰にも渡したくないと、そう思えるようになる前に彼と一緒に過ごす時間が減っていった。
そんなあたしを彼は知っていたのかもしれない。
だから彼は…。
こんな日がくることは覚悟していたし、口紅のついたマグカップを見つけてしまった日からわかっていたはず。
なのに。
実際に目にしたらあたしは。
涙を抑えられなかった。
翌朝。
食欲がなくてコーヒーだけを口にして家を出る。
出勤したあたしを見て何人かの同僚が声をかけてきたが、昨夜見たDVDで大泣きしてしまった、見る日を間違えたと言い訳すれば皆納得してくれた。
木瀬さんはあたしの顔を見て苦笑しただけだった。
「郵便持ってきました。」
昼前に総務の人がきて郵便物を置いていく。
「ランチ、付き合ってもらうわよ。」
郵便物を置きながらドスの効いた声。
同期の女子リーダーのような存在の友人だ。
あたしは頷いた。
「あんたが転勤を受けるとは思わなかったわ。」
彼女はそう口を開いた。
「そう?」
「アレと上手く行ってないの?」
彼女は天丼、あたしはミニうどん。
昼になってもあたしは食欲がわかなかった。
こんなことは初めてだ。
「上手くいってるもなにも…。」
「洗いざらい吐きなさいよ。」
彼女と2人で食事に行くのは久しぶりだ。
もともと恋人である男と知り合ったきっかけの合コンに誘ったのも彼女だった。
そんなこともあり、ホワイトデーのプレゼントを貰ってから相手には会っていなかったことや、先日相手の家で口紅のついたマグカップを見つけてしまったこと、昨夜木瀬さんと食事に行った帰りにデート中らしき相手に会ってしまったことを話した。
「で、別れるの?」
「うん。」
別れるも何ももう相手はこちらに何の感情もないだろうけど。
あたしの顔をみて困ったような表情をするくらいだから。
「あんたが決めたことをとやかく言うつもりはないけど。
そういうことになった原因はあんたにも相手にもあるってことだけは覚えておきなさいよ。」
「うん。」
「転勤の件は誰にも言わないわ。
関連書類、あたしが捌くからあたしに回して。
それと。」
それと?
「あんたのスマホ、電源切れてる。」
何だって!
あたしは慌ててバッグからスマホを取り出す。
完全に電源は切れていてあたしはバッテリーに繋ぐ。
昨夜LINEを送ってからスマホは触らなかったから気がつかなかったようだ。
ミニうどんを食べ終えてあたしたちは会社のあるビルへと戻った。
デスクへ戻る前にトイレに入り、個室でスマホに触れる。
画面を確認すると着信15件、LINE5件、LINEの無料通話10件。
全てが相手からだった。
中身は確認せずに既読にする。
「お仕事中に失礼します。友人に指摘されて電源が落ちていたことに気がつきました。ご連絡頂いていたのに対応できず申し訳ありませんでした。」
送信してあたしは電源を切った。
あたしはその週、ひたすら仕事に打ち込んだ。
ただでさえ溜まっている仕事の上に引き継ぎ書類、転勤に伴う引っ越し関連の書類があったからとても仕事がはかどった。
転勤を知らない同僚は驚いていて、知っている役職者は苦笑していた。
「今日はスマホ触ってないんだな。」
地下鉄の駅で木瀬さんに声をかけられた。
「今週末は荷造りしないと、来週末は一緒に出張ですよね。」
出張という名の九州の支社に挨拶に行くことになっている。
多少の引き継ぎも受ける。
相手は妊婦さんだというから異動が急かされている。
新しい仕事は営業補助だそうだ。
「その次の週末は最大のイベントが待ってるし?」
「ゴールデンウィーク前、転勤前の最大のイベントですね。」
「その前に、俺とデートしない?」
「は?」
基本、あたしはプライベートタイムに職場の人と一緒に過ごすことはあまりない。
平日職場で顔を合わせているのにわざわざ休みの日にまで合わせることはないと思うからだ。
「新聞社に勤める友達が展覧会のチケットをくれたんだが、誘う相手がいなくて。」
「いやいや。
木瀬さんに誘われたら女性なら誰でも喜んでついていくでしょう?」
「目の前に喜んでついていかない人がいますがね。」
「あたしのこと、女性だと認識してくださっていたんですね。」
「入社した時から女性と認識していますがね。
で、俺が誘っているのは君なんだけど。」
こんな積極的な木瀬さんは貴重だ。
「ところで何の展覧会ですか?」
尋ねると木瀬さんは苦笑して絵本の原画展だと言った。
「面白そうですね。」
そう答えたあたしを木瀬さんは驚いた顔でみる。
日曜日の朝、木瀬さんの使う最寄り駅のホームで待ち合わせを約束した。
「明日、出勤しろよ。」
降りる間際に言われたセリフにあたしは無言で頷いてみせた。
部屋に入って鍵をかけ、チェーンをかける。
持っていたカバンが手から滑り落ちた。
やはり、相手には恋人がいた。
それも凄く綺麗な人。
仕事も出来そうな、隣に立っていても違和感のない人だった。
おまけに右手に指輪までしていた。
あたしは彼から指輪を貰ったことはない。
何度かプレゼントは何がいいか尋ねられ、その度に外での食事や近郊の旅行を提案してきた。
あたしが欲していたのは見えないもの。
絆されて、流されるように付き合い始めたけどちゃんと好きになりたかった。
彼自身を見て話して、好きだよって言えるようになりたかった。
誰にも渡したくないと、そう思えるようになる前に彼と一緒に過ごす時間が減っていった。
そんなあたしを彼は知っていたのかもしれない。
だから彼は…。
こんな日がくることは覚悟していたし、口紅のついたマグカップを見つけてしまった日からわかっていたはず。
なのに。
実際に目にしたらあたしは。
涙を抑えられなかった。
翌朝。
食欲がなくてコーヒーだけを口にして家を出る。
出勤したあたしを見て何人かの同僚が声をかけてきたが、昨夜見たDVDで大泣きしてしまった、見る日を間違えたと言い訳すれば皆納得してくれた。
木瀬さんはあたしの顔を見て苦笑しただけだった。
「郵便持ってきました。」
昼前に総務の人がきて郵便物を置いていく。
「ランチ、付き合ってもらうわよ。」
郵便物を置きながらドスの効いた声。
同期の女子リーダーのような存在の友人だ。
あたしは頷いた。
「あんたが転勤を受けるとは思わなかったわ。」
彼女はそう口を開いた。
「そう?」
「アレと上手く行ってないの?」
彼女は天丼、あたしはミニうどん。
昼になってもあたしは食欲がわかなかった。
こんなことは初めてだ。
「上手くいってるもなにも…。」
「洗いざらい吐きなさいよ。」
彼女と2人で食事に行くのは久しぶりだ。
もともと恋人である男と知り合ったきっかけの合コンに誘ったのも彼女だった。
そんなこともあり、ホワイトデーのプレゼントを貰ってから相手には会っていなかったことや、先日相手の家で口紅のついたマグカップを見つけてしまったこと、昨夜木瀬さんと食事に行った帰りにデート中らしき相手に会ってしまったことを話した。
「で、別れるの?」
「うん。」
別れるも何ももう相手はこちらに何の感情もないだろうけど。
あたしの顔をみて困ったような表情をするくらいだから。
「あんたが決めたことをとやかく言うつもりはないけど。
そういうことになった原因はあんたにも相手にもあるってことだけは覚えておきなさいよ。」
「うん。」
「転勤の件は誰にも言わないわ。
関連書類、あたしが捌くからあたしに回して。
それと。」
それと?
「あんたのスマホ、電源切れてる。」
何だって!
あたしは慌ててバッグからスマホを取り出す。
完全に電源は切れていてあたしはバッテリーに繋ぐ。
昨夜LINEを送ってからスマホは触らなかったから気がつかなかったようだ。
ミニうどんを食べ終えてあたしたちは会社のあるビルへと戻った。
デスクへ戻る前にトイレに入り、個室でスマホに触れる。
画面を確認すると着信15件、LINE5件、LINEの無料通話10件。
全てが相手からだった。
中身は確認せずに既読にする。
「お仕事中に失礼します。友人に指摘されて電源が落ちていたことに気がつきました。ご連絡頂いていたのに対応できず申し訳ありませんでした。」
送信してあたしは電源を切った。
あたしはその週、ひたすら仕事に打ち込んだ。
ただでさえ溜まっている仕事の上に引き継ぎ書類、転勤に伴う引っ越し関連の書類があったからとても仕事がはかどった。
転勤を知らない同僚は驚いていて、知っている役職者は苦笑していた。
「今日はスマホ触ってないんだな。」
地下鉄の駅で木瀬さんに声をかけられた。
「今週末は荷造りしないと、来週末は一緒に出張ですよね。」
出張という名の九州の支社に挨拶に行くことになっている。
多少の引き継ぎも受ける。
相手は妊婦さんだというから異動が急かされている。
新しい仕事は営業補助だそうだ。
「その次の週末は最大のイベントが待ってるし?」
「ゴールデンウィーク前、転勤前の最大のイベントですね。」
「その前に、俺とデートしない?」
「は?」
基本、あたしはプライベートタイムに職場の人と一緒に過ごすことはあまりない。
平日職場で顔を合わせているのにわざわざ休みの日にまで合わせることはないと思うからだ。
「新聞社に勤める友達が展覧会のチケットをくれたんだが、誘う相手がいなくて。」
「いやいや。
木瀬さんに誘われたら女性なら誰でも喜んでついていくでしょう?」
「目の前に喜んでついていかない人がいますがね。」
「あたしのこと、女性だと認識してくださっていたんですね。」
「入社した時から女性と認識していますがね。
で、俺が誘っているのは君なんだけど。」
こんな積極的な木瀬さんは貴重だ。
「ところで何の展覧会ですか?」
尋ねると木瀬さんは苦笑して絵本の原画展だと言った。
「面白そうですね。」
そう答えたあたしを木瀬さんは驚いた顔でみる。
日曜日の朝、木瀬さんの使う最寄り駅のホームで待ち合わせを約束した。
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