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声が、いいとか。

字が、綺麗だとか。

そんなのは、好きになった後から気付いただけ。

本当は、字も、声も、どうだって構わない。

だってアイツがアイツなら、それでいいから。

全国大会、予選敗退ーーー
常勝チームの思ってもみない結末。

こんな時に限って、雨でも降るんじゃねえかって灰色の空の下。
試合終了のホイッスルが鳴り響く。
何もかも、全部終ったと思った。
完膚なきまでの敗北。
明日から何を目指して頑張りゃいいのか、わからない。
それくらい、カラダの中も外も、ボッロボロ。
これで雨降るなんて、どんだけ神様に見捨てられてんだよって、絶望的なシチュエーション。
もう一歩も動けない。動きたくない。
そんな自暴自棄になったオレの肩を強く抱き寄せ、「行くぞ」って、オレを引っ張ってくれたのは、お前だけ。

苦しくて、喉の奥が灼ける。
足が縺れ、ガクリと膝が崩れて転びそうになるのを、アイツが差し出した腕にしっかりと支えられた。

なあ、これが、どれだけオレの心を奮えさせたか、わかるか?
もう、何もいらないって、思った。
お前が傍にいてくれたら、他には何にもいらない。

17歳の、オレの胸に湧いたこの感情は、きっと、一生消える事はない。

例えそれが、決して自分の口から出る事が叶わないとしてもーーー

景華大学付属東山吹高等学校。
80年の歴史を誇る由緒正しきお坊ちゃん学校は、文武両道を地で行く良家の男子が集まる県内でも有数の有名私立高校ーーー、と、呼ばれていたのも、少し前の事。
同じ市内に出来た、超有名私立大学の付属高校が出来てからは、すっかり人気が薄れ、志望校高校偏差値ランキングも5位以内からぐっと下がって、今や18位という中途半端。
生徒の質も家柄も、どちらかというと、名門の家の出よりは一発当てた成金者、プチセレブと呼ばれる、血筋や出身に関係ない、ある程度の金持ちの子ども達が通うようになりつつある。
その理由の一つに、東山吹高校の看板となる、スポーツ特待生の存在があった。
優良男児の文武両道が、本気で謳われていたのも、はるか昭和の時代の話だ。
今やどこの私立高校も、学校の名前を売るため、スポーツに特化した体育課を作り、中でも野球やサッカーなどの人気メジャースポーツでの全国大会への出場に力を入れている。

こと、東山吹高校では、サッカー部に力を入れていて、部員総数は全国二位、264人。
殆どの部員が、全国から集められ、県内から入学した生徒はごくわずか。
が、このスカウト活動が功を奏し、東山吹男子高校はサッカー全国大会出場の常連校として知名度を上げ、その名は全国に知れるところとなった。

「あ、やあ・・っやめ・・ッ」
「バカ、声出すな・・!」

誰かと争うような声がして、吉岡は思わず立ち止まった。
校舎からもサッカーグラウンドからも、少し距離のある倉庫の傍。
誰かと囁き合う声と、衣擦れの音、時折聞こえてくる物音を、吉岡は頭の中で統合し、額に手を当てて項垂れる。
どうして、気付いてしまったのか。
我ながら、アイツのこんなシーンに出くわしてしまう自分の勘の良さに呆れて、苦笑する。
「んーーーッ」
悲鳴にも似たくぐもった声が、鉄扉の付いた倉庫の中から聞こえ、それが一連の行為のフィニッシュだと教えてくれる。
「飲み物買ってきてやるよ」
どこかで聞いた、聞き覚えのある台詞に、吉岡は、声の主が誰かをはっきりと自覚した。

そうだろうと思ってたけど、本当に、そうだったって・・。

『当たり』を引いてしまった自分自身に、頭痛がする。
もしかしたら・・、という気持ちが、自分をこの場に留めたのだが、その結果に、自分でも困惑してしまう。
そして、この扉を中から開けるのが誰かわかっていながら、自分はこの場でわざわざアイツが出て来るのを待っていた。
待っていたって仕方がない。
この期に及んで、声の主がアイツじゃないなんて事はないだろう。
そう思うのに、間違いであって欲しいと思う気持ちが、自分をその場に留めさせていた。

元々、灯りも付いていないような外の倉庫から出て来たのは、針山のように短髪が毛羽立った甲斐谷だ。
フットサルメーカーが最近売り出しているデザイン性のある白とグレーのボーダーにピンクの水玉模様の入ったトレーニングウェア、その短パンの下からは、膝丈の黒のスパッツが覗いている。
サッカーソックスは緩く足首に下ろし、外した脛当てを腰履きした短パンの背中側のゴムに挟んだだらしない格好をしているが、強面でも顔の造作がいいので、どんな格好をしていても、回りに『アリ』だと思わせてしまう役得な人種だ。

「お前さ、もう少し場所選んだら?」

オレの掛け声に、驚いた甲斐谷が、一瞬こっちを見て、目を見開いた。
「吉岡」
一重で切れ長、無骨な甲斐谷の視線がきつく顰められ、吉岡を捉える。
この一見、野性味溢れる男らしい顔立ちが、一体どんな風に睦言を紡ぎ、どうやって同性を口説くのか、自分に興味がないと言ったら嘘になる。
つい半年程前までの甲斐谷は、色恋などとは全く無縁、部活が命のサッカーバカだった筈だ。

それが、いつの間にか、手当たり次第に、部員を口説きまくってヤリまくっていると噂になり、白昼堂々、新校舎と旧校舎を繋ぐ連絡通路の真ん中で、甲斐谷を取り合って、サッカー部員同士が掴み合いの喧嘩となる騒動が起きた。
そこから、甲斐谷の淫らな男友好関係が次々と発覚し、それでカラダの関係を持った相手達から総スカンを食らうかと思えば、実際は、そうはならなかった。
それも、甲斐谷の見た目が、人を惹き付けるに値する容姿であるが所以。
180cmを超える長身に、体脂肪10%以下の筋肉質なカラダと、無骨で無愛想な顔。
愛想がない分、男らしく見えるから、同性から見ても、憧れの対象に見える。
そんな男に惹かれ、カラダだけの付き合いでもいいから寝てみたいと思うのは、思春期の飢えた男心ではないだろうか。

そんな訳で、甲斐谷が男がイケると見込んだ同性嗜好者達が、こぞって甲斐谷に接触を開始し、結果、更なるライバルの浮上に、甲斐谷と関係を持っていた彼らは呆気に取られると同時に焦った。これ以上、他の誰かに、横取りされて堪るかと必死になって甲斐谷を繋ぎ留めた。
自分は甲斐谷に口説かれた、という自負もある。
彼らは、紳士協定を組み、他の男子の誘惑から甲斐谷を守るという使命の元、関係を続ける事に落ち着いた、という訳だ。

いや、紳士が聞いて呆れる話だろう。

まじまじと、吉岡は、甲斐谷の顔を覗き込む。
一体、この男が何と言って男を組み伏しているのか。
もう甲斐谷とは、2年の付き合いになり、悪戯程度のキスをした事はある仲だが、甲斐谷がどんな顔をしてセックスをしているのかは、想像し難い。
そんな吉岡の視線を遮るように甲斐谷が、掌で吉岡の顔を覆う。
「見てんじゃねえ」
「わ」
目の前に手を翳され、反射的に避けようとしたせいで、体が傾いだ。
が、同時に目の前の視界を奪われたせいで、バランスを立て直せず、慌てて伸ばした腕で甲斐谷の体に抱きついた。
一瞬、息を飲むような緊張に体を強ばらせた甲斐谷が、戸惑いの後に、吉岡の肩を抱き返してくる。
「アブネエな」
「どっちがだよ?お前が、手、出したから転びそうになったんだろ?」
舌打ちする甲斐谷の肩口で、吉岡が溜め息を零す。
「アホ、レギュラーが転んで怪我でもしたら、シャレになんねえっつーの」
「はいはい。でも、お前のせいで転びそうになったんだぞ。オレは普通にしてたら、転ぶなんてないもんね。運動神経の塊だもんね」
「ったく、可愛くねえ・・」
眉を顰める甲斐谷に、吉岡は笑ってしまう。
自分と変わらない体格の男相手に、正直、可愛いは無い。
「オレが可愛かったら、ヤバいだろ」
そう言って、甲斐谷の体に回していた腕を解いて下ろしたが、甲斐谷の腕は自分の体から解けない。
「マジ、ムカつく・・」
そう言って、甲斐谷の首が動いた。
頭の高さが一緒で、額がぶつかりそうになる。
体をホールドされているから避けようがなく、吉岡が衝撃に堪え、思わず目を閉じると、さっき自分の隣でへの字に曲がっていた唇が、自分の唇の上にぴったりと合わさった。
「ん・・」
抗議の声を上げようとしたが、甲斐谷の熱い掌が自分の首の後ろを捉える。
その手の熱さが、吉岡から抵抗する力を奪ってしまう。
急所を押えられ、罵倒しようとしていた言葉さえ喉の奥に消えていた。
キスは、ただ肉感を食むような、啄むだけの軽いものだったが、唇が離れても、額を合わせたままの甲斐谷に、至近距離で溜め息を吐かれた吉岡は、眉根を釣り上げた。
「勝手にキスしといて、何、溜め息吐いてんだよ。この色情魔」
「ヤったばっかのとこに、出てくるお前が悪りーんだろ」
「発情期の牛か、お前は」
「うるせーな。あーマジ、最悪・・」
それでも、体を離そうとしない甲斐谷に、吉岡も溜め息を吐いた。
「お前さ・・なにやってんの?」
「なにって何だよ」
「こんなじゃなかったじゃん。どうしちゃったんだよ?なんで、こんな性欲魔人になっちゃったんだよ?」
吉岡の言葉に、甲斐谷が薄く笑う。
久しぶりに見る親友の笑顔に、吉岡も口元を緩めた。
すると、視線を自分に当てていた甲斐谷が、吉岡を抱く腕に力を入れる。
「お前、最悪」
そう言って、強く、自分の体を胸に抱き込んでくる甲斐谷に、吉岡は掛ける言葉を失くした。

何が最悪なのか、わからない。
アレの現場を、親友である自分に知られたことだろうか?
それとも、弾みで自分とキスしてしまったこと?
もしかして、キスされるのを強くオレが抵抗しなかったから?

いや、全てが、最悪なのかも知れない。

そう思うと、やりきれない気持ちになった。
甲斐谷が、こんな風になる前に、自分は助けになってやれなかったのだろうか。
そう思うのは、甲斐谷がただ自分の享楽のために爛れた関係を築いているとは思えないからだ。

ーーー苦しいんだろうか。

何も話さない甲斐谷に、吉岡はただ黙って抱き竦められていた。
自分が何も言わなければ、きっと、甲斐谷は腕を解かない。
それがわかっているから、吉岡も腕を解けとは言わなかった。
この腕は、甲斐谷の訴えなのだ。
それがどんな訴えなのかはわからないが、きっと、こうすることで、この男は自分に何か救いを求めている筈なのだ。
これは、めったに泣き言を言わない親友の間違った方を向いた甘えだが、それを享受してやるのも、また親友である自分だけの使命だと思い、吉岡は自分から甲斐谷の唇へと触れるだけのキスをした。
そのキスが、慰めだと知っているからか、甲斐谷は一度、目を見張り、再び「最悪」と吉岡を罵った後、骨が軋むくらい強く、吉岡の体を抱き締めたのだった。

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