女神なんてお断りですっ。

紫南

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6巻

6-3

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「バトラール? どっかで聞いた事があるような……」
「サラちゃんにはまだ教えてなかったね。まぁ、そのうちね」
「いや、悪いが知りたくねぇ。絶対、ろくなもんじゃねぇだろ……」

 好奇心旺盛おうせいなザランだが、ティアに関する事のみ、なんでも知りたいとは思えなくなっていた。ルクスは、そんなザランの判断を支持する。

「ザランさん……良い判断です……」

 珍しく褒められたザランは、ティアに出会ってから身につけた、おのれの処世術を自慢した。

「おう。爆弾は投下される前に処理しないとな」
「「なるほど」」

 深くうなずいたのは、ベリアローズとエルヴァストだ。しかし、エルヴァストはすぐに笑顔で指摘する。

「でもまぁ。ザランさんは、それが分かっていても上手く処理できていないけどな」
「……」
「エル様も、痛いところを突くの得意ですよね……」
「そうか?」

 ルクスの言葉に、エルヴァストは笑みを深めた。それにベリアローズは呆れた表情を浮かべる。落ち込んだザランの事は、三人とも綺麗に無視していた。


 冒険者ギルドに着いた一行は、昼時の喧噪けんそうの中に足を踏み入れる。そこで、顔見知りの冒険者を見つけた。

「あ、三バカちゃん」
「「「ティア様っ」」」
「声が大きいよ。おバカ」

 忠犬よろしく走ってきたトーイ、チーク、ツバン。いつもティアは棍棒こんぼうやレディスハルバードという武器で迎撃げいげきしているのだが、今回はヒョイとけてみた。
 ティアの後ろにいた者達も反射的に退いていたので、絶対に迎撃げいげきされると身構えていた三人は、そのまま外に転がり出ていった。

「おバカさん」

 呆れるティアに、むくりと起き上がった三人は笑顔を見せる。

けるなんてっ」
「予想外っ」
「新しいっ!」
「……なんでお前ら、ちょっと嬉しそうなんだよ……」

 顔から地面に突っ込んだせいで汚れてしまっているが、そんな事は気にせず嬉しそうに顔を輝かせる三人。頭は大丈夫なのかと心配になるザランだった。

「ちょっとエムっ気があるだけだから大丈夫だよ。サラちゃんと一緒だね」
「ちげぇよっ!!」

 全力で否定するザランに、ティアは「えっ」と目を見開いてみせた。

「自覚がないのは危ないよ?」
「ふざけんなっ! 自覚も何も、そんな性癖せいへき持ってねぇっ! ……おいっ、なんでお前らまでそんな顔してんだよっ!?」

 三人が信じられないといった様子でザランを見る。ザランは冗談じゃねぇと顔をしかめた。

「ザランさん、落ち着いてください。大丈夫です。分かってますから」

 ルクスが神妙しんみょうな顔でそう告げる。分かってくれたかと、ザランは少しだけ表情をゆるめた。しかし、そこはティアに染まっているルクスだ。真の理解者にはなりえない。

「ザランさんは、ティアの期待を裏切れないだけですもんね」
「……ルクス……お前が味方じゃねぇって、今はっきりしたぜ……」

 ザランが視線を向けた先にいたベリアローズとエルヴァストも、さっと目をそらした。

「やだなぁ、サラちゃん。私は味方だよ。寂しくて会いに来ちゃうほど、私の事を想ってくれてたんだもんね」
「本気で言ってんなら、マジですげぇよっ!」

 からかわれていると分かっていても、ツッコまずにはいられないザランだった。
 ティアはそんなザランの事などもう忘れたように、あっさりと頭を切り替える。

「さぁ、アデル、キルシュ、行くよ。カードの更新」
「うんっ」
「ああ」

 今日ここへ来たのは、Eランクになった二人の更新手続きのためだった。

「マジで味方がいねぇ……」

 うつろな目になったザランの事など、誰も眼中にない。アデルとキルシュも、立派にティアに染まっていた。

「三人だけで大丈夫か?」

 ルクスがついていこうかと申し出たが、初めての事でもないし問題はないとティアは断る。
 ティアがアデルとキルシュを連れてカウンターで手続きする間、ルクス達は喫茶スペースで待つ事になった。
 今日は休息日だ。平日は他の仕事をしている者達も、冒険者としての仕事を求めてやってくる。
 冒険者ギルドには休息日はない。むしろ稼ぎ時である。よって、それぞれの窓口には短くない列ができていた。

「すごい人だね」
「うん。そろそろ収穫祭が近いから、それまでになるべく稼ごうって人が増えるんだよ」
「なるほど。祭りで買い物をするためか。そういえば、この時期になると護衛の者達も休みの度に出かけていたな。もしかして、ギルドで仕事を探していたのだろうか?」

 貴族に仕える護衛達もこうした休みの日は、小遣い稼ぎや鍛錬たんれんのためにやってくるのだ。

「そうだよ。……あ、ほら。リーンさん久しぶり~」

 ティアが声をかけたのは、別の窓口に並ぶ知り合いだ。彼も貴族に仕える者の一人だった。

「おっ。一週間ぶり。もしかして更新か?」
「ようやくね。王都の方だったら即日結果が出るみたいだけど、こっちは遅くてダメだね」
「そうだなぁ。けど、きっと受かってるぜ」
「えへへ」

 他の二人には分からない会話をするティア。先日出会った陽気な彼は、まだ短い付き合いだがティアのお気に入りになっていた。

「そっちは友達か? ん? 坊ちゃん……なはずはないか。そんじゃ、またな」

 リーンは一瞬、キルシュの顔を見て首をかしげた。だが、それはないなと何かを考え直し、列が動いたのでそのまま手を振って行ってしまった。

「キルシュって、家に仕えてる人達とあんまり顔合わせない方?」

 ティアがリーンの背中を見ながらキルシュに尋ねる。
 質問の意図が分からず、キルシュは怪訝けげんに思いながらも答えた。

「そうだな。人数も多いし、大抵は父上について王都と領地を行き来しているから、顔を合わせる機会は少ない」
「そっか。だからリーンさんの事も分かんないんだ。まぁ、こんなところにキルシュがいるなんて向こうも思わないもんね」
「どういう事だ? まさか……彼はうちの護衛なのか?」

 勘の良いキルシュはティアの言い方で察する。これにティアがあっさり答えた。

「そう。なんか、侯爵って冒険者が嫌いなんだって? 領都りょうとの冒険者ギルドは侯爵の圧力で閉鎖寸前だって聞いたよ。だからリーンさん、休みの日はわざわざここのギルドまで来て仕事してるんだ。侯爵が王都にいる時も、王都のギルドじゃなくて学園街まで来るの。大変だよね」
「……知らなかった……」

 自分の家に仕えてくれている人が、そんな苦労をしてまで冒険者として活動しているとは思わなかったのだろう。キルシュは少々ショックを受けていた。だが、そんなキルシュの心情など知らず、アデルは気になっていた事をティアに尋ねる。

「ねぇティア。受かってるって言ってたけど、なんの事?」
「あ~、実は今日はアデルとキルシュのカードだけじゃなくて、私のカードも更新するために来たんだ~」

 少々ばつが悪そうにティアが言えば、キルシュが目を細めた。

「Bランクのお前が更新? まさか……」

 そこで唐突に声がかかった。

「嬢ちゃん達。何しに来たんだ? ここはお子様が来るような場所じゃねぇぜ?」

 ティア達の後ろに並んだ男が、ニヤニヤしながら見下すように言った。

「おじさんも、カードの更新?」

 ティアは無邪気さを前面に出した笑顔で問う。

「そうだぜ? だから、嬢ちゃん達は後ろへ並びな。おじさんは更新したら、すぐに仕事しなきゃならんからな。忙しいんだ」
「そっか。でも、順番だから」

 暑いねぇと言いながら、ティアはアイテムボックスに入っていたおうぎを取り出し、パタパタとあおぎ出す。すると、ムッとした男の後ろに並ぶ二人組も参戦した。

「間違ってもお遊びやデートで来るようなところじゃねぇぞ?」
「そうそう。それにこのおじさんは、もうじきBランクになるって人だ。仕事の邪魔しちゃダメだろう?」

 二人の言葉に満足したのか、男は得意げに鼻を鳴らす。

「ふんっ。おじさんは忙しいからな。休息日だからって遊んでる暇はねぇんだ。ほら、分かったらさっさと後ろへ並ぶといい」

 周りの冒険者達はチラチラと見ているが、誰もティア達を助けようとはしない。アデルは不安げにティアへと目を向ける。キルシュも、自分より数倍は大きな男に突っかかるつもりはないらしく、どうするのかとティアに視線で尋ねた。

孤立無援こりつむえんって、燃えるよねっ」

 そのうきうきとした声を聞いて、しまったと思うアデルとキルシュ。だが時既に遅く、ティアが決定的な台詞せりふを口にした。

「大丈夫だよ、おじさん。ギルドの職員は優秀だもん。すぐに順番が回ってくるからね」
「何?」

 要約すると『大人しく待ってなさい』だ。それに気付き、男が顔を赤らめる。

「ふっ、ふざけやがって! ガキが来るような場所じゃねぇんだよ!!」

 そう叫ぶように言った男は、ティアに向かって手を伸ばす。だがアデルもキルシュも動けない。当然だろう。男の怒気を浴びてしまったのだ。それも冒険者という、真の戦いを知る者の怒気だ。教師や親に叱られるのとはわけが違う。
 しかし、ティアだけは冷静だった。手にしていたおうぎを閉じ、伸びてきた男の手をけるように一閃いっせんさせる。たったそれだけで、男の腕から指に至るまで全てがグニャリと曲がった。

「ぐっ、ひっ、ぐおぉぉぉぉッ」
「うるさい」

 冷めた態度でそう言ったティアは、ひょいっと飛び上がる。そして男の首の後ろへ手刀ならぬ足刀を叩き込むと、あっさり気絶させてしまった。

「あ~、うるさかった。ホント、暑苦しいおじさんって迷惑。……ねぇ、そこの人達。このおじさん邪魔だから、けといてくれる?」
「「っ……!?」」

 ティアは後ろにいた二人組に後処理を頼むと、何事もなかったように前に向き直った。

「ティア、あのおじさん大丈夫なの?」
「おい、殺してないだろうなっ?」

 そんなアデルとキルシュの言葉に、ティアは不思議そうに返す。

「何が? ただ、失礼な手を砕いただけだよ? あんなの乙女のたしなみの一つじゃん。女の子は、自分の身を自分で守れなきゃね」

 当たり前の事をしただけだよと言うティアに、周りの冒険者達は固まった。

「ん? なんか静かになったけど、なんかあった?」
「いや……お前が原因だからな?」

 キルシュが顔を引きつらせるが、ティアは全く意味が分からないと首をかしげる。
 ヒュースリー伯爵領の領都サルバでは、これくらいの事でいちいち静まり返ったりはしなかった。ティアの制裁など、受けた方が悪いのだと誰もが認識していたためだ。

「冒険者同士のいざこざなんて、本人同士の責任だもん。他人が気にする必要ないんだよ?」

 そう口にするティアに、周りの冒険者達が驚いて目を見張る。
 ティアが本物の冒険者だと、ようやく認識したようだ。
 そんな周りの事など気にせず、アデルがかがみ込んで男の手を確認していた。

「うわぁ……本当に手がグニャグニャ……気持ち悪い……」
「自業自得だよ。きっと利き手だろうから、この後のお仕事はできないだろうね。あ、そうなると、今日無理にカードの更新しなくて良いはずだから……やっぱ、このおじさん邪魔になるし、外に捨ててきてもらおうかな」

 ティアの無慈悲な言葉に、周りの冒険者達が顔色を悪くしていく。そこへ、呆れたような声が届いた。

「ティア……お前って奴は……」
「あ、ルクス。ちょうど良かった。このゴミ……じゃなかった。このおじさん、みんなの邪魔になるから外に捨ててきてくれない?」

 ひたいに手を当てて項垂うなだれるルクスに、ティアはそう告げる。
 ティアが作り出した惨状に、ルクスが溜め息をついた時だった。

「ルクス。そのお嬢ちゃんは悪くないよ」
「え?」

 その声に聞き覚えがあったルクスは、驚いて声の方へと目を向ける。

「お、お袋……っ!?」
「よっ、ルクス。久しぶり」

 そこには片手を上げて、快活な笑顔を見せる女性がいた。

「お袋?」

 ティアが首をかしげて覗き込む。

「とりあえず、悪いのはそのバカだから外に捨ててきな。私も仕事の登録をするから、それが済んだら話をしよう。そのお嬢ちゃんもまだ並んでるしね」

 そう言ってウィンクする女性に、ティアは思わず胸を押さえる。

「カルねえ以外の女の人にトキメクなんてっ」

 素敵すぎると、ティアは目を輝かせた。


「ほら。早くその大男をどけな。皆の邪魔になるだろう?」
「……はい……」

 ルクスは渋々しぶしぶといった様子で大男を引きずっていった。ギルドの喧噪けんそうもようやく戻ってくる。

「ルクスさんって、力あるんだね」
「え? あぁ……まぁ、そうだね」

 素直に感心するアデルに、ティアは適当に返す。ルクスなら大男でも運べると分かっていたためと、ルクスの母親らしい女性に夢中だったためだ。

「カルねえやナルカさんにも負けない格好良さっ……さすがはゲイルパパっ! ナイスな妻だよっ!!」

 ぐっとこぶしを握り締め、ティアはゲイルを称えた。そんな様子を隣で見ていたアデルとキルシュは、ティアの琴線きんせんに触れた女性を確認してから、再びティアへと目を戻す。

「目が輝いてるね」
「……いかにも好きそうだものな……」
「うん。ティアと一緒に暴れてくれそうな人だもんね」
「更に手がつけられなくなるパターンだな」
「ティアを止められる人は今でもいないから、考えるだけムダかも」
「確かに……」

 十歳とは思えないほど、アデルとキルシュはティアに関して達観していた。

「あれ? ティア。順番が来たみたいだよ?」
「本当だっ。そんじゃ更新~」

 なぜかいきなり前がひらけて順番が回ってきた事を、アデルは不思議に思った。だが、ティアが普通にカウンターへと足を進めたので、すぐにその違和感を忘れてしまう。

「……も、申し訳ない……」

 キルシュが、いつの間にかティア達の後ろへ回っていた冒険者達に頭を下げる。

「いやいや、こっちこそ、嫌な思いさせたからな……」
「そうだぞ。これにりず、仲良くやろうや」
「頑張れよ」
「……ありがとうございます……」

 これ以上被害を出さないためにと、冒険者達が一致団結した結果だった。

「キルシュ~。早く~」
「あ、あぁ」

 順番をゆずってくれた冒険者達にもう一度頭を下げたキルシュは、ティアとアデルが待つカウンターへと急いだ。

「貴族っぽいが、できた子だな」
「あぁ……あんな子もいるのか」
「苦労するな……」

 冒険者達の中でキルシュの株が飛躍的に上がった事には、当の本人さえ気付かない。
 ティアのそばにいる事で、キルシュは人として確実に成長しているのだった。


 ティア達はカードの更新を終え、喫茶スペースにいる年長組と合流した。

「ティア……ここはサルバじゃないんだぞ」

 顔を合わせてすぐに注意したのは、ベリアローズだ。

「うん? だって、冒険者ギルドはどこも変わらないよ?」
「それはそうなんだろうが……ここの人達はまだティアの危険性を知らないだろう?」

 他の年長組と、三バカまでもが神妙しんみょううなずく。そこに、大男を運んでいったルクスが戻ってきた。
 さすがに外へ捨ててくるような無慈悲な事はできないと、ギルドの救護所に事情を説明して預けて来たようだ。

「ティア。頼むから人的被害は出さないでくれ。目立つだろう?」

 迷惑だろう、ではなく目立つだろうと言うところが甘いのだが、それにルクスは気付かない。

「むぅ……ルクスは私があんな男に触られてもいいの?」
「っよ、良くないっ……が、もう少し対処の仕方があるだろう」

 ティアとルクスのやり取りを見ていたザランが、ベリアローズ達に小声で尋ねる。

「なぁ……最近のルクスは、ティアに弱みでも握られてんのか?」
「「えっ……」」
「な、なんだよ」

 三バカ達やアデルとキルシュまでもが、信じられないものを見るような目でザランを見る。

「あんなに分かりやすいのに……」

 アデルが思わずといったようにつぶやく。

「だな。僕でも分かる」

 うなずきながら同意するのはキルシュだ。

「あれじゃないのか? やっぱりザランさんもティア様を……」
「そうか。ルクスさんをライバルだと認めたくないんだな」
「……ザランさんに二口いこうかな……?」

 三バカ達は、神妙しんみょうな面持ちのままコソコソと話し合っていた。

「この場合は、伝えるべきか?」
「知らないままは気の毒だろう」
「そ、そうだな」

 ベリアローズとエルヴァストが最終判断を下す。そして、ベリアローズがザランに告げた。

「惚れた弱みです」
「は?」

 この後、しばらくザランの思考は止まったままだった。

「なんだか楽しそうだねぇ」

 その声を聞いたティアは、満面の笑みで振り返った。

「あっ、確か……クレアさんっ」
「おや。私の名前を知っているのかい? こんな可愛い子が、嬉しいねぇ」

 ティアは以前、ゲイルが話してくれた事を思い出していた。

「女だけのパーティで、旦那さん達と壮大な追いかけっこをしてるんだよねっ!」
「あははっ。よく知ってるねぇ」
「うん。ゲイルパパに聞いたの」
「そうかい、そうかい……ん? パパ?」

 ニコニコと笑顔を向けるティアを見たまま、クレアが固まる。そして突然、そばにいたルクスの胸倉をつかんだ。

「ルクスっ。どういう事か説明しな」
「うっ、な、なんだよ突然っ……く、苦しいって……っ!」

 ルクスとほとんど身長の変わらないクレアだが、体格がそれほど良いわけではない。それでも、ルクスの足が床から離れたのはしっかり確認できた。

「ゲイルの奴ッ。浮気なんてしてないだろうねっ! はっきりおしっ!」
「いや、だからっ。話を聞けって!」
「それが母親に向かって使う言葉かいっ!」
「どうしろって言うんだよっ!!」

 周りの冒険者達は、いつの間にかテーブルごと距離をとっていた。

「何これっ。トキメキが止まらないんだけどっ!」
「……ティア……なんとかするんだ」

 爆弾を落としたのはお前だろうと、ベリアローズがティアに目で訴えた。

「むぅ……ラジャ」

 確かにこのままではルクスが危ないと、ティアはヒョイっと椅子の上に立つ。

「クレアママ。別の理由もあるんだけど、分かりやすい方で言うと、ルクスが私の『未来の夫候補』だから、ゲイルさんをパパって呼んでるの」
「え……ルクス、本当かい?」

 クレアの視線を受け、ルクスはコクコクとうなずいた。
 毒気を抜かれたクレアが、ルクスをストンと床に下ろす。
 ルクスは何度か咳払いをし、乱れた服を直すと、ほっと息をついた。
 ゲイルをパパと呼ぶのは、伯爵令嬢ティアラールと冒険者ティアを別人に見せかけるための作戦でもあるのだが、それは後でじっくり話せばいい事だ。

「クレアさん……相変わらずっすね……」
「あははっ。すまないねぇ。どうも昔から早合点はやがてんで。マスターにもよく叱られたよ」

 片手を腰に当てて豪快に笑うクレアに、ザランが顔を引きつらせていた。

「マスターって……もしかして、シェリーの事?」

 ティアが椅子から飛び降りて尋ねる。それに気付いたルクスが、靴で汚れた椅子の座面を布で払った。

「ありがとうルクス」

 そう言ってから椅子に座り、クレアにも空いている席を勧めるティア。目を丸くしていたクレアだが、ティアと目が合ったのに気付くと、すぐに破顔はがんする。

「ふ~ん。なんだかいいねぇ」

 クレアが満足げな笑みを向けると、ルクスは恥ずかしそうに顔をそむけた。それにも満足げにうなずいてから、クレアは勧められた椅子に座った。

「ふふっ。……あぁ、マスターの話だったね。私がマスターって呼ぶのは、後にも先にもサルバ支部の偏屈へんくつエルフ様だけだよ」
「ぷっ、偏屈へんくつっ。そう言えちゃうなんて、クレアママすごいよ!」

 シェリスの陰口は、言いたくてもなかなか勇気がいる。『口にしたら呪われる』とさえ言われているのだ。それを当然のように口にしたクレアに、ティアは少し嬉しくなる。

「こっちの方がびっくりだよ。マスターの元の名前を、お嬢ちゃんは知ってるんだね。ギルド内でも、ほとんど知られてなかったんだよ?」

 ただでさえ、あまり他人と関わりを持とうとしないシェリスだ。世間話のついでに聞くという事もありえない。

「マスターは、身の上話なんて絶対しないだろ? 私がその名前を知ってるのは、若い頃にあそこで働いてたからだしね。それも、たまたま手紙の宛名がその名前だったから知れたってだけで」

 クレアは、今サルバ支部で受付をしているマーナの前任者らしい。シェリスのサポートもする立場で、十代の頃から三十代で結婚するまで働いていたという。

「それでもすごいよ! だって、シェリーが前の名前だって説明したって事だもんね。クレアさんを信頼してた証拠だよ」
「ふふふっ。そうかい? まぁ、悪い気はしないね。懐かないネコがこっちを向いてくれたみたいなもんだし」
「あははっ」

 ティアは笑いながらも、シェリスが決して孤独ではなかったのだと分かり、ホッとする。
 そんな中、クレアは目を細めてザランの顔を確認していた。

「ん? もしかしてお前、サラ坊かい?」
「……その呼び名は勘弁してくれよ……」
「本当なのかいっ? あの可愛かった私らのアイドルが……なんてこった……」

 クレアは顔をしかめてザランを見る。

「そんなにガッカリする事かよっ!」
「バカだねぇ。あのままだったら今頃結婚してただろうに……って、まだしてないよね?」
「確認の仕方がおかしいだろ!!」

 まさかねと、若干失礼なクレアだった。

「サラちゃん。大丈夫だよ。いつまでも『便利なヒモ男』の席は空けておくからねっ」
「どの辺が大丈夫なんだよっ! そんな席空けとくなっ!! むしろ作るなッ!!」

 そんなティアとザランの掛け合いを聞きながら、クレアは笑いをこらえて『サラちゃんっ』、『サラちゃんっ』とつぶやいていた。

「何ツボにはまってんだよっ」
「くっ……あははははっ。その見た目でサラちゃんっ。イイっ! サイコー!」

 これからは私もそう呼ぼうと言うクレアに、ザランはうつろな目をしていた。


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