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4巻
4-2
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◇ ◆ ◇
クロエの鼻は折れていた。
俺の使えるヒールでは骨折を治せそうにないので、頑張って涙を流してクロエにかけてやる。俺の涙はあらゆる傷を治せるので、すぐに快癒した。
にしても、アネントの一撃は重かったようだ。おそらくミミールも実力は高めだろうな。
騒ぎが落ち着くのを待って、俺はクロエとイレーヌと町の広場に移動、ベンチで休むことにした。そして、イレーヌの頭に手を乗せながら尋ねる。
「クロエについて相談したいことって、あいつらか?」
「……いえ、あの人たちに会ったのは今日が初めてですので」
「そうなの? じゃあどういうことよ」
イレーヌは、クロエのことを少し気にしながらも、意を決したように話しだす。
「あそこまで露骨ではありませんが、クロエさんをからかう人は他にもいるんです。だから……」
あの二人が顕著なだけで、似たようなやつは多いらしい。ギルドには粗野なやつも多いから不思議でもない。普段から、娼婦の娘と見下されてきたってわけか。
チラッと視線を送ると、クロエが平素よりトーンの落ちた声音で語り始めた。
「私の母が娼婦をしていたのは本当なんだ。母は大勢の男性客を取ることで有名だった」
「でも軽蔑はしてない、感じか?」
重々しくクロエはうなずくと、遠くのくじら雲を見つめる。
「……私の父は、王都にある騎士学校を卒業したあと、傭兵の仕事に就いた」
「騎士学校を出たのに騎士じゃないと?」
「うむ、誰でも騎士になれるわけではないのだ。平民の父にはコネもなかった。そこで傭兵として生計を立て、私や母を養ってくれていた。……父の夢は、私を立派な騎士にすることだったな。私も騎士に憧れを抱いていたので、十二歳になると迷いなく騎士学校を受験し、合格した」
その辺はさすがだ。クロエの才能からすれば順当な結果ともいえるが。
けど、順風満帆な人生を送るのはなかなか難しいらしい。
「護衛の最中、父は盗賊に襲われて亡くなったんだ。私と母はしばらく悲しみに暮れたよ。だが、泣いてばかりもいられない。私はどうにか前を向いたが、すぐに問題が生じた。騎士学校の生徒はほとんどが貴族や大商人の子たちで、学費が高いことで有名なんだ。父の稼ぎ無しでは、とても通えるところではない。学費を払えないため、私は学校を辞めることを決意した」
でも、クロエの母はそれを許さなかった。学費は自分が働いてどうにかするから、立派な騎士になれと言ってくれたらしい。
とはいえ、クロエの母は腕に覚えがない。冒険者みたいな職業は無理だ。
だからといって、チマチマ稼いでたら騎士学校の学費は払えない。王都で一人暮らしをするクロエの生活費も捻出しなくてはならない。
そこで、娼婦になったというわけだった。死んだ父とクロエの夢をどうしても叶えさせてあげたかったってやつだな。
「そういう経緯か。きっと美人だったんだろ? で、有名になったと」
「母はいつしか、町で一番有名な娼婦になっていた。王都からたまにグリザードに戻ってくると、通りすがりの男性たちが母の噂をしていることもあった。母は自分の人生を傷つけて、私の道を切り開いてくれたんだ」
感謝したが、その一方で苦悩したとクロエは言う。騎士学校を辞めようと思ったことは一度や二度じゃないそうだ。
そして不幸ってのは、そう短くないスパンで続けてやってきたりする。
「入学してから数年。学校でいつものように無心で剣を振っていると、通達が届いたんだ。母が死んだと。……感染症だったようだ。最後のほうは動くことも満足にできなかったらしい。それでも母は、私に遺産まで残してくれていた。私にとってはこれ以上ない母親だったよ」
その後、クロエは騎士学校を辞めた。正確には、退学を余儀なくされたようだ。
放心状態での剣が通用するほど、騎士学校は甘くはなかったと。
それから騎士の道を断たれたクロエは王都を去り、母の眠るグリザードへと帰還した。しおれてしまった心に活力を与えたのは、意外にも、母を馬鹿にする人々だったらしい。
「多くの人が母を軽蔑していた。私は母の亡きあとも、母を侮辱する人が多いことが悔しかったんだ。いつしか、その汚名を晴らすことが私の目標となっていたな……」
邪竜や魔王にこだわっていたのも、すべては高名になるためだった。自身が賞賛される存在になれば、母を見下す人間も減ると考えて。
「だがどうも、私はあまり優秀ではないようだ」
何も達成できなかったと、消え入りそうな声で話す。
世の中、実力があっても上手くいくことばかりじゃない。クロエの肩に、俺は手をかける。
「俺は、個人的には努力賞とかやりたいけどな。おまえと母親に」
「ありがとう……」
「確かに母親を馬鹿にされるのは辛いと思うけどよ、人間なんて本当にテキトーだからな。自分に責任の生じない噂話なんか大好きで、嫌なやつになると人を馬鹿にできる話題を常に探してたりするわけ。そういうのを説得しようとしても、なかなか厳しいんじゃねえの」
「……そう、……だろうか」
「おまえの母親は、町の皆が話すような人間じゃない。それを知っていたのは昨日までクロエだけだったかもしれないけどさ、でも、今は他に二人いる。だよな?」
俺が確認すると、涙目になっていたイレーヌが首を大きく縦に振る。
クロエはなかなか言葉が出てこない様子だったが、その表情は柔らかくなっていた。完全にではなくても、多少は報われたと感じてくれたのかもしれない。
ツツーッと、クロエの頬を一筋の涙が伝い落ちた。
俺は、そんな彼女の背中を労るようにさする。
「苦しみながらも、ちゃんと前に進んでたんだよ」
少しキザな言い方になってしまったが、それを笑うやつは、ここにはいなかった。
いや、そういうわけでもない。
イレーヌ、クロエが、清麗な微笑を湛えていたのだから。
2 悪徳貴族オルセント
「エッ……、オルセント家と……、揉めた………、の……?」
夕食時、貴族の娘とケンカした話を伝えたら、ルシルは石化したみたいに動かなくなった。
俺、イレーヌ、クロエ、そしてスライムたちの視線が引きつったルシルの顔に集中している。
「その様子だと知ってるみたいだな」
つい忘れがちだけど、ルシルは立派な貴族の娘だ。
ほんと、スライムと変顔対決とかやってるから、上品さが潜んじゃうんだろうな。面白いからいいんだけど。もっとやれい。
なんてのんびり考えてたら、ルシルの時が動きだしたようだ。
「まっ、まずいわよそれはぁ! 本当に危険だわ!!」
「あ、そう」
「なにその薄い反応!?」
「だってよ、なにが危険なのかよくわかんねえから」
「そ、それもそうよね。なら、あたしが説明するからよく聞いて」
ルシルはナイフとフォークを置くと、珍しく真面目な顔で相手がどのくらいヤバいかを教えてくれた。
「オルセント家はね、この国においてかなり有力な貴族の一つなの。名家で存在感があって、王様だって無視できないような貴族なのよ。あの家の人間は例外なく優秀で、雇われている私兵ですら冒険者でいうならBかAクラスの実力があると言われてるし」
戦闘力の高い人間が不自然なほど集まっているらしい。また単純な力だけでなく、諜報活動や計略などの汚い面にも秀でていて、歴史を遡れば他の有力貴族たちをいくつも失脚させてきたと。
元々は王国に住んでいたみたいだが、五年ほど前からグリザードに拠点を移した。その理由ってのが――。
「王族の監視から逃れるためって噂よ」
「あー、悪事がバレたってやつだな」
「そうなのよ、魔道具を多く隠し持っているっぽくて」
この国では、強力な魔道具や未知の道具を見つけたら、王やら領主やらに報告する義務がある。これを怠ると、殺人と同じレベルの罪に問われるのだ。
ちょっと重すぎねえか……、と思ったけど、そうでもないか。
一振りで人を殺せる魔道具が謀反者に大量に渡るようなことがあれば、国が崩壊してもおかしくない。
そういう事情もあって、王国は魔道具についてかなり厳しい法を定めている。魔道具を探知する魔道具なんてのもあると。
オルセント家は隠し持っている宝を探られるのが嫌で、王国から離れたこの地に引っ越してきた……。というのが、貴族間では常識とのこと。
「誇り高き家柄、強力な魔道具、優秀な部下……、と。そんなふうに何でも持ってると、ああいうひねくれた人間ができやすいのかもなー」
俺が緊張感のないあくびを漏らすと、ルシルが深刻そうな表情で告げる。
「ねえジャー、冗談抜きで危険なのよ。魔道具の中には軍事兵器にも匹敵する強力な武器だってあるんだから」
「武器なら俺たちだって持ってるだろ。剣とか弓とか杖とか、……勇気心とか……」
やべ、冗談にしても恥ずかしすぎんだけど今の! なんとなく、小五のときに作った必殺技ノートのことを思い出してしまった。小五で中二病にかかってたとか、ある意味俺ってエリートだったんじゃねえかな。
そんな俺の一言をスルーして、さらにルシルは続ける。
「……武器は置いておくとしても、あの家は普通じゃないから。令嬢本人がめちゃくちゃ強いの。ミミールとアネントのコンビは有名よ。クロエだってわかるでしょ」
「うむ、ギルドでも一、二を争う有名人だ。アネントは雇われ人だと聞いたが、異常な強さだった。そしてミミールにも彼女と同等の力があると聞く。……やはり、あの噂は本当なのだろうか」
「噂ってなんですか?」
イレーヌがクロエに尋ねると、ルシルが「あたしが説明するぅ!」とばかりに一本指を立て、妙な間を取る。
間とかいいから早くしゃべってちょうだい。
「実はね、オルセント家って――――、死人をいっぱい出してるの」
「はい?」
首を傾げるイレーヌのその反応、すごく共感できる。恐怖感を演出しているんだろうけど、なんか微妙なんだよなぁ。
ルシルも伝わらなくて焦ったのか、早口で補足する。
「あう……、あ、あのね、オルセント家の子供ってミミール以外にもあと二人いるのね。だけど、両親が生んだのは、本当は十人を超えているって話」
「つまり、三分の二以上が死んでいるってことですよね。……病気でしょうか?」
「ううん、ほとんどが魔物に殺されてる」
なんとも矛盾する話だ。
一般家庭ですら、そんな高確率で子供が死ぬことはない。それにもかかわらず、その辺の冒険者が束になっても敵わないやつらに護衛された貴族の子供たちがそんだけ死ぬってことは、何か裏があるんだろう。
「説は二つあって、一つは才能のない子を事故死に見せかけて殺してる」
間引きみたいなもんか。
けど、貧困とか障害児とかではなく、「弱い」だけで殺されるとは。
「もう一つの説は……、過酷な環境に子供を投げ捨てて、生き残った子だけを我が子に認定している、ね」
獅子は我が子を千尋の谷に落とす、だっけ。
本気で似たようなことをやるやつがいるのか。頭イカれてるけど、そういう環境で育てられたなら、ミミールの言動も納得できる。こっちが事実なような気もしてきた。
「そもそも、オルセント家で生まれた子たちは普通より優秀だと思うんだけどね。オルセント家では、強い子を途絶えさせないために伴侶となる人間は厳選するらしいから」
「結婚相手は実力者だけってか」
「そ。両親も祖父母も優秀だからどの血が色濃く出ても大丈夫、みたいな考え方らしいわ」
生まれる前から選別して、生まれたあとも試練を与えてさらなる選別重ねんのかよ。どうせその後も、血のにじむような特訓とかあるんだろう。
俺、オルセント家の子供じゃなくてよかったわ。
「とにかく、このままオルセント家が黙っているとは思えないの。お父様にも争いにならなくて済むよう頼んでみるわ」
「別にいいって。王の言うことだって聞かないやつらだろ。表面上は理解したフリして、陰で襲ってくるのがオチだから。だったら、正々堂々と仕掛けてきてもらったほうがいい」
そこで、クロエが頭を下げてくる。申し訳なさそうに。
「すまない、こんなことになってしまって」
「別に謝ることじゃねえから。俺が攻撃したのも原因の一つだし」
「そうですよ、クロエさんは何も悪くありません!」
「ジャーにもイレーヌにも気を遣わせてばかりだな。……次、彼女たちがキミたちに危害を加えてきたときは、私も剣を抜くよ」
覚悟の決まった目をしているので、クロエはもう大丈夫だろう。迷いさえなければ、あいつらにだって引けを取らない実力者だ。
ところで、スラパチとスラミまでやる気ある顔をしている。スライレは相変わらず弱気だが。
「おやびん、おいらたちも、たたかいます!」
「ええ、家族を殺すやつらになんて負けないわ!」
「僕は……、あんまり……、戦いたくないけど……」
気持ちはありがたいが、とりあえず宥めておく。
「あのな、俺一人でもぜんぜん勝てる相手だから大丈夫。気持ちだけ受け取っとくわ」
「そうですか……?」
「魔道具探してきて、おやびんに渡すこともできるのよ?」
「うん、だから魔道具なくても大丈夫だっての」
スラパチたちは森から出たり、闘技場で戦ったり、案外無鉄砲なところがあるから困る。
本気で探してきそうなので、対抗する魔道具探しなんてしなくていいと、一応釘を刺しておく。
戦闘に有用なのは簡単に見つかるもんでもないだろうし、仮にあっても使いこなせるかわからない。というか、使いこなせない自信があるんですけどー。
でも、俺には魔法と剣技と竜化があるし、どんな強敵が相手だろうと不足はないだろう。いや――、俺にはあれが足りないか。
――気合い。
どうも俺ってば、そういうのに乏しいからな。
高校時代のマラソン大会でも、ダラダラ走ってたら体育教師に何回も活入れられたっけ。
気合いを入れろとか、気合いはどうしたとか、人生は気合いで十割乗り切れるとか、気合い気合いうっさかったわ。
でも今考えると、ああいうのも大事なのかもしれない。
社会に出てから、会社に入ってから、死ぬほど気合いが要求されるもんな。
朝五時に出勤しないなんて気合いが足りない、午後十時前に帰るなんて気合いが足りない、六時間も睡眠を取るなんて気合いが足りない、休日出勤しないなんて気合いが足りない。
アニマルのおやじもビビるくらい、社会に出ると気合いが重要になってくる。
いや、それブラック企業だけだー。なんでもそうだけど、気合いもほどほどが一番だろう。
◇ ◆ ◇
翌日はいつも通りの朝だった。
クロエとイレーヌはギルドに向かったし、ルシルとスライムたちは一緒に学校へ登校した。俺だけノンビリしていて二度寝までした気もするが、実は俺も今日はそこそこ忙しい。
午前中は邪竜教改め、銀竜教で演説があるのだ。そんなわけで、人生において大事らしい気合いを入れてから、教会へ足を運ぶ。そして、握手とかハグとかアイドルっぽい活動してから、皆の前で偉そうに人生論を語った。
生きる上で大切なのは夢だ! 的な話を適当にしておいたのだ。学校の校長とかが話してた受け売りなんだけど、それなりにウケてたから良しとしよう。
つーか、あの人たちには、なに話してもウケるんだけどね。
午後からはフリータイムなので、暇つぶしにコスプレ専門店、コスプレサイコーを訪れた。
それなりに客が入ってるし、異世界人にもコスプレの需要はあるらしい。
客は女だけかと思いきや、オッサンが軍服着て悦に入ってたりする。とはいえ、その気持ちもわからなくもない。自分が強くなった気がするんだよな。
「よ、儲かってるか?」
「ははっ。僕はね、お金のためだけに、この店を開いているんじゃないのさ~」
軽い口調で店長のタケシが答える。一応、何のために経営しているのか尋ねてみた。
「決まってるよ。僕は幸せを売りたいんだ」
「すげーもん売ってんだな」
「服にはそういう力があるからね~。例えば、自分が最高にカッコ悪いと思ってる服を着て一日を過ごしてみてよ。気分は落ち込むし、人のいるところに行きたくなくなるよね? 行動が変われば、人生だって変わっていく。たかが服、されど服なんだ」
へえ、確かに一理あるかもしれない。
俺もマワシ一つで外歩けって言われたら戸惑うもん。職務質問されても「ど、どすこい……」って答えるので精一杯だし。
「ファッションオタクの鏡だな、タケシは」
「そう言ってもらえると嬉しいね。それはそうと、ジャーくんさ、最近また事件でも起こした?」
「またってなんだよ。起こしてねえ……、こともない」
やっぱりな、と納得顔をするタケシ。
「昨日さー、変なおじさんが来て、銀髪の青年について何か知らないかって訊いてきたんだよね。その青年の特徴がジャーくんそのものだったから」
「あ~、俺銀竜教では有名だからさ。それ関係の人かもな」
「いや、そんな好意的な感じじゃないんだ。平民を装ってたけど、目つきとかがやたら鋭くてさ。どうも危ない系の人っぽいから、ジャーくんの情報は隠したんだけど……。ウチだけじゃなく、いろいろ嗅ぎ回ってたっぽいよ。君なら大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「気を遣ってもらってサンキュな」
その後、もう少し世間話をしてから、俺はタケシの元を去った。
おそらく目つきの鋭いおっさんは、金髪黒髪コンビの差し金だろう。実力者でありながら、相手のことを徹底的に調べてから攻勢に転じるというわけか。
あの貴族、やっぱ油断はできない相手なんだろう。諜報力にも優れてるって言ってたし、俺が邪竜だってバレるのも時間の問題っぽい。そのときに、邪竜と知って相手が引くか、または逆に敵意を燃やすか……。
まあどっちでもいいや。来るなら来ればいいし、逃げるならそれでもいい。
とりあえず肉でも食おう、と道を歩いていたら、俺の名を大声で叫ぶ女がいた。
「いたーっ! ジャー、大変なの~~!」
猛牛みたいな勢いで俺のところに走ってきたのは、まだ学校にいるはずのルシルだった。
「おまえ、学校はどうしたわけ?」
「今日は午前で終わりで、今帰宅途中だったんだけど、ヤバいことになっちゃったの! ヤバすぎる事態なんだからぁ!」
軽い感じでヤバいヤバい口にするから、そんなにヤバいわけないだろと余裕ぶってたら、本当にヤバい事態でブッと唾吐いちまった。
「スラパチたちが、いなくなっちゃったの!!」
決定的な場所でシュートをはずしたサッカー選手みたいに、俺は大げさに頭を抱えた。
いなくなった=攫われた、で間違いないだろう。手を回してくるにしても早すぎるだろ。しかも俺じゃなく、まさかスライムを狙ってくるとは……。
「魔物が入れない店に用があったの。だから皆には外で待っててもらったんだけど、店を出たらいなくなってて。周囲の人に聞いたら、数人の男が連れていったって」
「マジかよ」
「や、やっぱりオルセント家、かしら?」
「タイミング的にそうだろうな」
「うわぁ……、ごめんなさい……」
そう言って今にも泣きそうになるルシル。その鼻を、俺は指でギュッとつまむ。
「泣かなくていいって。誘拐するやつのほうが悪いわけだし。それより、オルセント家の場所とかわかる?」
「それならわかるわ! 付いてきて!」
「おう」
こうして俺たちはオルセント家へ急いだ。
◇ ◆ ◇
有力貴族というだけあって、オルセント家は立派な洋館に住んでいた。
三階建てで、壁は白で統一させている。庭もあり門もあるというのに、門兵は見当たらなかった。
理由はすぐにわかった。俺たちが入ろうとしたら、見えない壁に阻まれたのだ。
「結界ってやつ?」
以前、森を出るときにクロエが張ったのもこんな感じだった。
内側からは普通に出てこられる仕組みなんだよな。使い手によってはだいぶ細かな設定ができると聞いたし、オルセント家の人間は自由に出入りできるのか? スライムも通ったはずだから一時的に解除可能って感じかね。
「ちょっと魔法使ってみるわね」
思うところがあるのか、ルシルは杖先に大きな火の玉を作り、それを放った。うん、かなり威力ありそうじゃねえか。
こりゃ壁も壊せるか、と期待した刹那。壁に弾かれてしまった。 「うう、やっぱりダメみたい」
「……正面が無理なら、上からならどうだろうな」
そう言って俺が翼を出そうとしたところで……。キィ、蝶番がわずかに軋む音が聞こえ、玄関のドアが開いた。
中から出てきたのは、オールバックの髪型をした二十後半くらいの背の高い男だ。
シワ一つない白シャツの上にベストを着ており、下は滑らかな生地のスラックス。色白で品の良さそうな顔をしているので、使用人とかではなさそうだな。
顔形は整っているが、どことなく影のある感じがする。
「どちら様かな?」
不敵な笑みを浮かべながら、男はゆったりとした足取りで門の近くまでやってきた。
「この家にスライムがいるよな? あれは俺の使い魔みたいなやつでな」
「あぁ……、君が彼らの話していたおやびんって人か」
「どんな理由であいつらを攫った?」
「攫った? おれが聞いている話とは違うね。おれは魔物がウロついていたから捕らえたと聞いている。この町では魔物使いが同行していない魔物は退治しても構わないことになっているんだが」
そういう法があるのかとルシルに視線を流すと、マズいという顔だ。あるらしい。
オールバックは俺の全身を眺めたあと、隣にいるルシルに注目する。そして胸に手を当てると、大仰にお辞儀をした。
「お会いするのは初めてですね、ルシルお嬢様。父がいつもフォード公爵のお世話になっております。長子のスタルブ・オルセントです」
「あ、と、ええ。初めまして」
戸惑いながらもルシルはお辞儀を返す。領主の娘なわけだし、知られていても何の不思議もない。
これはこれで悪くない展開なんじゃねえのか。権力に頼るのはどうかと思うが、他に手もないしな。
「はて、ルシルお嬢様がおれの家にどんなご用で?」
「えっと、私は彼の友達で、スライムを返してほしいの。あの三匹は人間に害はなくて……」
「そういうことでしたか。もしやそちらの彼は、邪竜のジャーさんでは?」
ルシルは言葉に詰まり、どう反応すべきか迷っている。文脈こそ疑問系だが、その語調は確信しているかのようだった。やはり俺が邪竜だという情報はすでに知られていたか。
この家には勝手に情報が入ってくるのか、それとも意図的に俺の情報を収集したのか。
後者だろうな。
タケシのところをウロついていた男のこともあるし、そう考えるのが自然だ。そして、おそらくこいつは、金髪女から俺と揉めたことなどを聞いているはずだ。
「ああ、俺がジャーだ」
「やっぱりそうだ。妹から銀髪の男性と揉めたと聞いたけど、君だよね。……妹は、腕は立つんだけどまだまだ精神的に未熟でね。妹に代わって謝るよ。すまなかった」
スタルブは、別に貴族でもない俺に対してなんの迷いもなく頭を下げた。
本当にあの妹と血が繋がっているんだろうか。でも、心から頭を下げている感じはしないのでやっぱ兄妹かも。
クロエの鼻は折れていた。
俺の使えるヒールでは骨折を治せそうにないので、頑張って涙を流してクロエにかけてやる。俺の涙はあらゆる傷を治せるので、すぐに快癒した。
にしても、アネントの一撃は重かったようだ。おそらくミミールも実力は高めだろうな。
騒ぎが落ち着くのを待って、俺はクロエとイレーヌと町の広場に移動、ベンチで休むことにした。そして、イレーヌの頭に手を乗せながら尋ねる。
「クロエについて相談したいことって、あいつらか?」
「……いえ、あの人たちに会ったのは今日が初めてですので」
「そうなの? じゃあどういうことよ」
イレーヌは、クロエのことを少し気にしながらも、意を決したように話しだす。
「あそこまで露骨ではありませんが、クロエさんをからかう人は他にもいるんです。だから……」
あの二人が顕著なだけで、似たようなやつは多いらしい。ギルドには粗野なやつも多いから不思議でもない。普段から、娼婦の娘と見下されてきたってわけか。
チラッと視線を送ると、クロエが平素よりトーンの落ちた声音で語り始めた。
「私の母が娼婦をしていたのは本当なんだ。母は大勢の男性客を取ることで有名だった」
「でも軽蔑はしてない、感じか?」
重々しくクロエはうなずくと、遠くのくじら雲を見つめる。
「……私の父は、王都にある騎士学校を卒業したあと、傭兵の仕事に就いた」
「騎士学校を出たのに騎士じゃないと?」
「うむ、誰でも騎士になれるわけではないのだ。平民の父にはコネもなかった。そこで傭兵として生計を立て、私や母を養ってくれていた。……父の夢は、私を立派な騎士にすることだったな。私も騎士に憧れを抱いていたので、十二歳になると迷いなく騎士学校を受験し、合格した」
その辺はさすがだ。クロエの才能からすれば順当な結果ともいえるが。
けど、順風満帆な人生を送るのはなかなか難しいらしい。
「護衛の最中、父は盗賊に襲われて亡くなったんだ。私と母はしばらく悲しみに暮れたよ。だが、泣いてばかりもいられない。私はどうにか前を向いたが、すぐに問題が生じた。騎士学校の生徒はほとんどが貴族や大商人の子たちで、学費が高いことで有名なんだ。父の稼ぎ無しでは、とても通えるところではない。学費を払えないため、私は学校を辞めることを決意した」
でも、クロエの母はそれを許さなかった。学費は自分が働いてどうにかするから、立派な騎士になれと言ってくれたらしい。
とはいえ、クロエの母は腕に覚えがない。冒険者みたいな職業は無理だ。
だからといって、チマチマ稼いでたら騎士学校の学費は払えない。王都で一人暮らしをするクロエの生活費も捻出しなくてはならない。
そこで、娼婦になったというわけだった。死んだ父とクロエの夢をどうしても叶えさせてあげたかったってやつだな。
「そういう経緯か。きっと美人だったんだろ? で、有名になったと」
「母はいつしか、町で一番有名な娼婦になっていた。王都からたまにグリザードに戻ってくると、通りすがりの男性たちが母の噂をしていることもあった。母は自分の人生を傷つけて、私の道を切り開いてくれたんだ」
感謝したが、その一方で苦悩したとクロエは言う。騎士学校を辞めようと思ったことは一度や二度じゃないそうだ。
そして不幸ってのは、そう短くないスパンで続けてやってきたりする。
「入学してから数年。学校でいつものように無心で剣を振っていると、通達が届いたんだ。母が死んだと。……感染症だったようだ。最後のほうは動くことも満足にできなかったらしい。それでも母は、私に遺産まで残してくれていた。私にとってはこれ以上ない母親だったよ」
その後、クロエは騎士学校を辞めた。正確には、退学を余儀なくされたようだ。
放心状態での剣が通用するほど、騎士学校は甘くはなかったと。
それから騎士の道を断たれたクロエは王都を去り、母の眠るグリザードへと帰還した。しおれてしまった心に活力を与えたのは、意外にも、母を馬鹿にする人々だったらしい。
「多くの人が母を軽蔑していた。私は母の亡きあとも、母を侮辱する人が多いことが悔しかったんだ。いつしか、その汚名を晴らすことが私の目標となっていたな……」
邪竜や魔王にこだわっていたのも、すべては高名になるためだった。自身が賞賛される存在になれば、母を見下す人間も減ると考えて。
「だがどうも、私はあまり優秀ではないようだ」
何も達成できなかったと、消え入りそうな声で話す。
世の中、実力があっても上手くいくことばかりじゃない。クロエの肩に、俺は手をかける。
「俺は、個人的には努力賞とかやりたいけどな。おまえと母親に」
「ありがとう……」
「確かに母親を馬鹿にされるのは辛いと思うけどよ、人間なんて本当にテキトーだからな。自分に責任の生じない噂話なんか大好きで、嫌なやつになると人を馬鹿にできる話題を常に探してたりするわけ。そういうのを説得しようとしても、なかなか厳しいんじゃねえの」
「……そう、……だろうか」
「おまえの母親は、町の皆が話すような人間じゃない。それを知っていたのは昨日までクロエだけだったかもしれないけどさ、でも、今は他に二人いる。だよな?」
俺が確認すると、涙目になっていたイレーヌが首を大きく縦に振る。
クロエはなかなか言葉が出てこない様子だったが、その表情は柔らかくなっていた。完全にではなくても、多少は報われたと感じてくれたのかもしれない。
ツツーッと、クロエの頬を一筋の涙が伝い落ちた。
俺は、そんな彼女の背中を労るようにさする。
「苦しみながらも、ちゃんと前に進んでたんだよ」
少しキザな言い方になってしまったが、それを笑うやつは、ここにはいなかった。
いや、そういうわけでもない。
イレーヌ、クロエが、清麗な微笑を湛えていたのだから。
2 悪徳貴族オルセント
「エッ……、オルセント家と……、揉めた………、の……?」
夕食時、貴族の娘とケンカした話を伝えたら、ルシルは石化したみたいに動かなくなった。
俺、イレーヌ、クロエ、そしてスライムたちの視線が引きつったルシルの顔に集中している。
「その様子だと知ってるみたいだな」
つい忘れがちだけど、ルシルは立派な貴族の娘だ。
ほんと、スライムと変顔対決とかやってるから、上品さが潜んじゃうんだろうな。面白いからいいんだけど。もっとやれい。
なんてのんびり考えてたら、ルシルの時が動きだしたようだ。
「まっ、まずいわよそれはぁ! 本当に危険だわ!!」
「あ、そう」
「なにその薄い反応!?」
「だってよ、なにが危険なのかよくわかんねえから」
「そ、それもそうよね。なら、あたしが説明するからよく聞いて」
ルシルはナイフとフォークを置くと、珍しく真面目な顔で相手がどのくらいヤバいかを教えてくれた。
「オルセント家はね、この国においてかなり有力な貴族の一つなの。名家で存在感があって、王様だって無視できないような貴族なのよ。あの家の人間は例外なく優秀で、雇われている私兵ですら冒険者でいうならBかAクラスの実力があると言われてるし」
戦闘力の高い人間が不自然なほど集まっているらしい。また単純な力だけでなく、諜報活動や計略などの汚い面にも秀でていて、歴史を遡れば他の有力貴族たちをいくつも失脚させてきたと。
元々は王国に住んでいたみたいだが、五年ほど前からグリザードに拠点を移した。その理由ってのが――。
「王族の監視から逃れるためって噂よ」
「あー、悪事がバレたってやつだな」
「そうなのよ、魔道具を多く隠し持っているっぽくて」
この国では、強力な魔道具や未知の道具を見つけたら、王やら領主やらに報告する義務がある。これを怠ると、殺人と同じレベルの罪に問われるのだ。
ちょっと重すぎねえか……、と思ったけど、そうでもないか。
一振りで人を殺せる魔道具が謀反者に大量に渡るようなことがあれば、国が崩壊してもおかしくない。
そういう事情もあって、王国は魔道具についてかなり厳しい法を定めている。魔道具を探知する魔道具なんてのもあると。
オルセント家は隠し持っている宝を探られるのが嫌で、王国から離れたこの地に引っ越してきた……。というのが、貴族間では常識とのこと。
「誇り高き家柄、強力な魔道具、優秀な部下……、と。そんなふうに何でも持ってると、ああいうひねくれた人間ができやすいのかもなー」
俺が緊張感のないあくびを漏らすと、ルシルが深刻そうな表情で告げる。
「ねえジャー、冗談抜きで危険なのよ。魔道具の中には軍事兵器にも匹敵する強力な武器だってあるんだから」
「武器なら俺たちだって持ってるだろ。剣とか弓とか杖とか、……勇気心とか……」
やべ、冗談にしても恥ずかしすぎんだけど今の! なんとなく、小五のときに作った必殺技ノートのことを思い出してしまった。小五で中二病にかかってたとか、ある意味俺ってエリートだったんじゃねえかな。
そんな俺の一言をスルーして、さらにルシルは続ける。
「……武器は置いておくとしても、あの家は普通じゃないから。令嬢本人がめちゃくちゃ強いの。ミミールとアネントのコンビは有名よ。クロエだってわかるでしょ」
「うむ、ギルドでも一、二を争う有名人だ。アネントは雇われ人だと聞いたが、異常な強さだった。そしてミミールにも彼女と同等の力があると聞く。……やはり、あの噂は本当なのだろうか」
「噂ってなんですか?」
イレーヌがクロエに尋ねると、ルシルが「あたしが説明するぅ!」とばかりに一本指を立て、妙な間を取る。
間とかいいから早くしゃべってちょうだい。
「実はね、オルセント家って――――、死人をいっぱい出してるの」
「はい?」
首を傾げるイレーヌのその反応、すごく共感できる。恐怖感を演出しているんだろうけど、なんか微妙なんだよなぁ。
ルシルも伝わらなくて焦ったのか、早口で補足する。
「あう……、あ、あのね、オルセント家の子供ってミミール以外にもあと二人いるのね。だけど、両親が生んだのは、本当は十人を超えているって話」
「つまり、三分の二以上が死んでいるってことですよね。……病気でしょうか?」
「ううん、ほとんどが魔物に殺されてる」
なんとも矛盾する話だ。
一般家庭ですら、そんな高確率で子供が死ぬことはない。それにもかかわらず、その辺の冒険者が束になっても敵わないやつらに護衛された貴族の子供たちがそんだけ死ぬってことは、何か裏があるんだろう。
「説は二つあって、一つは才能のない子を事故死に見せかけて殺してる」
間引きみたいなもんか。
けど、貧困とか障害児とかではなく、「弱い」だけで殺されるとは。
「もう一つの説は……、過酷な環境に子供を投げ捨てて、生き残った子だけを我が子に認定している、ね」
獅子は我が子を千尋の谷に落とす、だっけ。
本気で似たようなことをやるやつがいるのか。頭イカれてるけど、そういう環境で育てられたなら、ミミールの言動も納得できる。こっちが事実なような気もしてきた。
「そもそも、オルセント家で生まれた子たちは普通より優秀だと思うんだけどね。オルセント家では、強い子を途絶えさせないために伴侶となる人間は厳選するらしいから」
「結婚相手は実力者だけってか」
「そ。両親も祖父母も優秀だからどの血が色濃く出ても大丈夫、みたいな考え方らしいわ」
生まれる前から選別して、生まれたあとも試練を与えてさらなる選別重ねんのかよ。どうせその後も、血のにじむような特訓とかあるんだろう。
俺、オルセント家の子供じゃなくてよかったわ。
「とにかく、このままオルセント家が黙っているとは思えないの。お父様にも争いにならなくて済むよう頼んでみるわ」
「別にいいって。王の言うことだって聞かないやつらだろ。表面上は理解したフリして、陰で襲ってくるのがオチだから。だったら、正々堂々と仕掛けてきてもらったほうがいい」
そこで、クロエが頭を下げてくる。申し訳なさそうに。
「すまない、こんなことになってしまって」
「別に謝ることじゃねえから。俺が攻撃したのも原因の一つだし」
「そうですよ、クロエさんは何も悪くありません!」
「ジャーにもイレーヌにも気を遣わせてばかりだな。……次、彼女たちがキミたちに危害を加えてきたときは、私も剣を抜くよ」
覚悟の決まった目をしているので、クロエはもう大丈夫だろう。迷いさえなければ、あいつらにだって引けを取らない実力者だ。
ところで、スラパチとスラミまでやる気ある顔をしている。スライレは相変わらず弱気だが。
「おやびん、おいらたちも、たたかいます!」
「ええ、家族を殺すやつらになんて負けないわ!」
「僕は……、あんまり……、戦いたくないけど……」
気持ちはありがたいが、とりあえず宥めておく。
「あのな、俺一人でもぜんぜん勝てる相手だから大丈夫。気持ちだけ受け取っとくわ」
「そうですか……?」
「魔道具探してきて、おやびんに渡すこともできるのよ?」
「うん、だから魔道具なくても大丈夫だっての」
スラパチたちは森から出たり、闘技場で戦ったり、案外無鉄砲なところがあるから困る。
本気で探してきそうなので、対抗する魔道具探しなんてしなくていいと、一応釘を刺しておく。
戦闘に有用なのは簡単に見つかるもんでもないだろうし、仮にあっても使いこなせるかわからない。というか、使いこなせない自信があるんですけどー。
でも、俺には魔法と剣技と竜化があるし、どんな強敵が相手だろうと不足はないだろう。いや――、俺にはあれが足りないか。
――気合い。
どうも俺ってば、そういうのに乏しいからな。
高校時代のマラソン大会でも、ダラダラ走ってたら体育教師に何回も活入れられたっけ。
気合いを入れろとか、気合いはどうしたとか、人生は気合いで十割乗り切れるとか、気合い気合いうっさかったわ。
でも今考えると、ああいうのも大事なのかもしれない。
社会に出てから、会社に入ってから、死ぬほど気合いが要求されるもんな。
朝五時に出勤しないなんて気合いが足りない、午後十時前に帰るなんて気合いが足りない、六時間も睡眠を取るなんて気合いが足りない、休日出勤しないなんて気合いが足りない。
アニマルのおやじもビビるくらい、社会に出ると気合いが重要になってくる。
いや、それブラック企業だけだー。なんでもそうだけど、気合いもほどほどが一番だろう。
◇ ◆ ◇
翌日はいつも通りの朝だった。
クロエとイレーヌはギルドに向かったし、ルシルとスライムたちは一緒に学校へ登校した。俺だけノンビリしていて二度寝までした気もするが、実は俺も今日はそこそこ忙しい。
午前中は邪竜教改め、銀竜教で演説があるのだ。そんなわけで、人生において大事らしい気合いを入れてから、教会へ足を運ぶ。そして、握手とかハグとかアイドルっぽい活動してから、皆の前で偉そうに人生論を語った。
生きる上で大切なのは夢だ! 的な話を適当にしておいたのだ。学校の校長とかが話してた受け売りなんだけど、それなりにウケてたから良しとしよう。
つーか、あの人たちには、なに話してもウケるんだけどね。
午後からはフリータイムなので、暇つぶしにコスプレ専門店、コスプレサイコーを訪れた。
それなりに客が入ってるし、異世界人にもコスプレの需要はあるらしい。
客は女だけかと思いきや、オッサンが軍服着て悦に入ってたりする。とはいえ、その気持ちもわからなくもない。自分が強くなった気がするんだよな。
「よ、儲かってるか?」
「ははっ。僕はね、お金のためだけに、この店を開いているんじゃないのさ~」
軽い口調で店長のタケシが答える。一応、何のために経営しているのか尋ねてみた。
「決まってるよ。僕は幸せを売りたいんだ」
「すげーもん売ってんだな」
「服にはそういう力があるからね~。例えば、自分が最高にカッコ悪いと思ってる服を着て一日を過ごしてみてよ。気分は落ち込むし、人のいるところに行きたくなくなるよね? 行動が変われば、人生だって変わっていく。たかが服、されど服なんだ」
へえ、確かに一理あるかもしれない。
俺もマワシ一つで外歩けって言われたら戸惑うもん。職務質問されても「ど、どすこい……」って答えるので精一杯だし。
「ファッションオタクの鏡だな、タケシは」
「そう言ってもらえると嬉しいね。それはそうと、ジャーくんさ、最近また事件でも起こした?」
「またってなんだよ。起こしてねえ……、こともない」
やっぱりな、と納得顔をするタケシ。
「昨日さー、変なおじさんが来て、銀髪の青年について何か知らないかって訊いてきたんだよね。その青年の特徴がジャーくんそのものだったから」
「あ~、俺銀竜教では有名だからさ。それ関係の人かもな」
「いや、そんな好意的な感じじゃないんだ。平民を装ってたけど、目つきとかがやたら鋭くてさ。どうも危ない系の人っぽいから、ジャーくんの情報は隠したんだけど……。ウチだけじゃなく、いろいろ嗅ぎ回ってたっぽいよ。君なら大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「気を遣ってもらってサンキュな」
その後、もう少し世間話をしてから、俺はタケシの元を去った。
おそらく目つきの鋭いおっさんは、金髪黒髪コンビの差し金だろう。実力者でありながら、相手のことを徹底的に調べてから攻勢に転じるというわけか。
あの貴族、やっぱ油断はできない相手なんだろう。諜報力にも優れてるって言ってたし、俺が邪竜だってバレるのも時間の問題っぽい。そのときに、邪竜と知って相手が引くか、または逆に敵意を燃やすか……。
まあどっちでもいいや。来るなら来ればいいし、逃げるならそれでもいい。
とりあえず肉でも食おう、と道を歩いていたら、俺の名を大声で叫ぶ女がいた。
「いたーっ! ジャー、大変なの~~!」
猛牛みたいな勢いで俺のところに走ってきたのは、まだ学校にいるはずのルシルだった。
「おまえ、学校はどうしたわけ?」
「今日は午前で終わりで、今帰宅途中だったんだけど、ヤバいことになっちゃったの! ヤバすぎる事態なんだからぁ!」
軽い感じでヤバいヤバい口にするから、そんなにヤバいわけないだろと余裕ぶってたら、本当にヤバい事態でブッと唾吐いちまった。
「スラパチたちが、いなくなっちゃったの!!」
決定的な場所でシュートをはずしたサッカー選手みたいに、俺は大げさに頭を抱えた。
いなくなった=攫われた、で間違いないだろう。手を回してくるにしても早すぎるだろ。しかも俺じゃなく、まさかスライムを狙ってくるとは……。
「魔物が入れない店に用があったの。だから皆には外で待っててもらったんだけど、店を出たらいなくなってて。周囲の人に聞いたら、数人の男が連れていったって」
「マジかよ」
「や、やっぱりオルセント家、かしら?」
「タイミング的にそうだろうな」
「うわぁ……、ごめんなさい……」
そう言って今にも泣きそうになるルシル。その鼻を、俺は指でギュッとつまむ。
「泣かなくていいって。誘拐するやつのほうが悪いわけだし。それより、オルセント家の場所とかわかる?」
「それならわかるわ! 付いてきて!」
「おう」
こうして俺たちはオルセント家へ急いだ。
◇ ◆ ◇
有力貴族というだけあって、オルセント家は立派な洋館に住んでいた。
三階建てで、壁は白で統一させている。庭もあり門もあるというのに、門兵は見当たらなかった。
理由はすぐにわかった。俺たちが入ろうとしたら、見えない壁に阻まれたのだ。
「結界ってやつ?」
以前、森を出るときにクロエが張ったのもこんな感じだった。
内側からは普通に出てこられる仕組みなんだよな。使い手によってはだいぶ細かな設定ができると聞いたし、オルセント家の人間は自由に出入りできるのか? スライムも通ったはずだから一時的に解除可能って感じかね。
「ちょっと魔法使ってみるわね」
思うところがあるのか、ルシルは杖先に大きな火の玉を作り、それを放った。うん、かなり威力ありそうじゃねえか。
こりゃ壁も壊せるか、と期待した刹那。壁に弾かれてしまった。 「うう、やっぱりダメみたい」
「……正面が無理なら、上からならどうだろうな」
そう言って俺が翼を出そうとしたところで……。キィ、蝶番がわずかに軋む音が聞こえ、玄関のドアが開いた。
中から出てきたのは、オールバックの髪型をした二十後半くらいの背の高い男だ。
シワ一つない白シャツの上にベストを着ており、下は滑らかな生地のスラックス。色白で品の良さそうな顔をしているので、使用人とかではなさそうだな。
顔形は整っているが、どことなく影のある感じがする。
「どちら様かな?」
不敵な笑みを浮かべながら、男はゆったりとした足取りで門の近くまでやってきた。
「この家にスライムがいるよな? あれは俺の使い魔みたいなやつでな」
「あぁ……、君が彼らの話していたおやびんって人か」
「どんな理由であいつらを攫った?」
「攫った? おれが聞いている話とは違うね。おれは魔物がウロついていたから捕らえたと聞いている。この町では魔物使いが同行していない魔物は退治しても構わないことになっているんだが」
そういう法があるのかとルシルに視線を流すと、マズいという顔だ。あるらしい。
オールバックは俺の全身を眺めたあと、隣にいるルシルに注目する。そして胸に手を当てると、大仰にお辞儀をした。
「お会いするのは初めてですね、ルシルお嬢様。父がいつもフォード公爵のお世話になっております。長子のスタルブ・オルセントです」
「あ、と、ええ。初めまして」
戸惑いながらもルシルはお辞儀を返す。領主の娘なわけだし、知られていても何の不思議もない。
これはこれで悪くない展開なんじゃねえのか。権力に頼るのはどうかと思うが、他に手もないしな。
「はて、ルシルお嬢様がおれの家にどんなご用で?」
「えっと、私は彼の友達で、スライムを返してほしいの。あの三匹は人間に害はなくて……」
「そういうことでしたか。もしやそちらの彼は、邪竜のジャーさんでは?」
ルシルは言葉に詰まり、どう反応すべきか迷っている。文脈こそ疑問系だが、その語調は確信しているかのようだった。やはり俺が邪竜だという情報はすでに知られていたか。
この家には勝手に情報が入ってくるのか、それとも意図的に俺の情報を収集したのか。
後者だろうな。
タケシのところをウロついていた男のこともあるし、そう考えるのが自然だ。そして、おそらくこいつは、金髪女から俺と揉めたことなどを聞いているはずだ。
「ああ、俺がジャーだ」
「やっぱりそうだ。妹から銀髪の男性と揉めたと聞いたけど、君だよね。……妹は、腕は立つんだけどまだまだ精神的に未熟でね。妹に代わって謝るよ。すまなかった」
スタルブは、別に貴族でもない俺に対してなんの迷いもなく頭を下げた。
本当にあの妹と血が繋がっているんだろうか。でも、心から頭を下げている感じはしないのでやっぱ兄妹かも。
応援ありがとうございます!
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