1
当時13歳の私は、普通の家族が欲しかった。 いや、必要としていたのだ。 今、50歳手前にして、思う事は、 はちゃめちゃな、泥沼な人生だったけれど 自分が選んだ、結婚相手と出会い 家庭を築けてからは、 それなりに、良い人生歩んでいて 大変な山ばかりだけど、この先の人生も 悪いもんじゃないよって、 当時の中学1年生の自分に 色んな事、話してやりたい 13歳だった1月13日、 我が家が崩壊した日だ。 だから、13日は、どの月でも、未だに嫌いな日でもある。 当時、私は、中学1年で、2つ上には、姉がおり中学3年高校受験生だった。 私が12歳の夏頃だったか わたしには、6歳上にも兄がいて、 友達が運転する車が自動車事故を起こし、 兄は、自分の車だったが助手席に乗っていたようで、怪我をし入院したので、 母と整備工場へ向かい 車内の荷物を引き払いに向かった。 私は、兄の車を見て、直ぐにわかった。 すぐさまに、車内から、シンナーを吸引していたであろう袋を、咄嗟にしまった。 袋と言っても、昔は、衣類が店頭に並んでいる時に入っていた袋には、0.5ミリくらい 厚みがあり、まるで今なら、テーブルの上に掛けているシートのような厚みがある袋だった、恐らく、普通のビニールでは、シンナーで溶けて穴が開いてしまうから、衣類が入っていた厚みがある袋に入れて吸っていたのだろうと思う。 その袋には、シンナーを吸わせたティッシュが丸めて3つくらい入っていた、そう、兄の部屋を掃除すると、こんな物が、容易く出て来ては、片付けていたからだ。 そして、車内には、もちろん、シンナーが入っていたであろう、茶色い空容器の瓶があった。 車内は、血まみれの小銭なども、紙袋に入れ持ち帰った。 シンナーの痕跡は、母親に見つからぬように、家の裏の隅に隠し、父にそっと伝え、 父に片づけて貰った。 この事故から、自動車保険の担当者と、 母親が恋仲になるには、そう時間が掛からなかった。 その半年後には 家族を捨て、蒸発してしまったのだから。 母親が蒸発し出て行った年齢は、 当時51くらいだった。 私も、その歳に近くなり母親にもなったが、未だに母親がした行動になど、理解すら出来ない。 破天荒な生き方をし 子供を捨て、子供の人生まで狂わせてしまうなんて、私には、出来ないなと、この歳になっても、未だに思う。
24h.ポイント 0pt
小説 184,599 位 / 184,599件 エッセイ・ノンフィクション 7,808 位 / 7,808件
文字数 2,125 最終更新日 2021.09.27 登録日 2021.09.27
1