「一流」と「二流以下の人」を見分ける唯一の方法

筆者は2000年、Amazonの記者会見のスタッフとしてジェフ・ベゾス氏をもてなした(写真: Paul Morigi/Getty)

Amazon.co.jpが立ち上がる2000年11月1日。当時、私は博報堂の社員で、Amazonの日本進出を広めるための記者会見の運営スタッフとして働いていた。

日本のメディアといかに接するかを決めるため、ベゾス氏と同社の広報担当者らと一緒に打ち合わせをしていた。氏は日本とアメリカのメディアとの違いに驚きながらも、終始ジョークを交えながら「分かったよ。君たちの言うとおりにする」などと言い続けていた。

会議も無事終了し、ようやく一息つけそうになった23時ごろ。広報担当者から電話がきた。

「あのぉ~、ジェフが朝から寿司を食べたいと言っているのですが、さすがにそんな時間にお寿司屋さんは開いていないですよね……」

広告代理店社員たるもの、クライアントの要求には応えなくてはならない。翌日朝4時30分、私は築地市場へ向かった。人気店の「寿司大」でおまかせ寿司を桶で12個ほど頼み、タクシーでベゾス氏の宿泊先まで運んだのだ。

届けた寿司を食べ満足したベゾス氏。最後には「あなたが買ってきてくれたのですね、ありがとう! こんなに朝早くから食べられるとは」と丁寧に感謝してくれた。

渡邉氏にしろ、ベゾス氏にしろ凡人からすると、無茶苦茶な要求もしてくるかもしれない。それでも一緒にいて不快な思いは一切しなかったし、誠意を持って対応すれば、2人ともそれに応えてくれた。

「一流」と「二流以下の人」を分けるもの

さて、正確に数えたことはないが、私はライター・編集者・作家として、経済人だけでなく有名芸能人や政治家などさまざまな一流とされる人と会ってきた。

組織のトップなら、サイバーエージェント代表の藤田晋氏や、マガジンハウスのライフスタイル誌「BRUTUS」編集長の西田善太氏。芸能人や政治家なら、関根勤氏やうつみ宮土理氏、馬淵澄夫氏、細野豪志氏など、どの方も本当に物腰柔らかい、丁寧な人ばかり。また、自身が編集として担当したラーメンズの片桐仁氏や光浦靖子氏、格闘家の青木真也氏も低姿勢だった。

一方で、これまで私が不快な思いを強いられたり、無礼な対応をされた相手は、今回紹介したような人よりもむしろ格下の人が多かった。要するに、「中途半端な地位にもかかわらず、調子に乗ってしまった連中」だ。

たとえば一時期、編集者として頻繁に仕事を発注していたライターがいる。彼は仕事ぶりも悪くなかったし、こちらの要望にもしっかりと応えてくれる信頼できる相手だった。だが途中、書いた本がヒットしたせいか、次第に態度が尊大になっていった。最終的には私に対してもあからさまに偉そうな態度を見せるようになり、仕事も頼みづらくなった(というか、したくなくなった)。

会社員の中にも、昇進をきっかけに態度が豹変する人間がいる。それがきっかけで仕事ぶりに磨きがかかったり、より頼りがいのある存在になるのならいいのだが、やたらとマウンティングするようになったり、部下や取引先の人間をぞんざいに扱うようになったケースも見てきた。

残念ながら、彼らがその後、より高い地位に着けたという話は聞かない。結局、自分を評価するのは他人だ。それまでは低姿勢であったがゆえにうまくいっていたが、その謙虚さを失ってしまった結果、出世の道が閉ざされたのかもしれない。

とうわけで、どんな時も低姿勢であったほうが人に好かれるものだし、大物になった後も低姿勢であり続ければ、それだけで見る人は評価してくれるのが世の中だ。出世には己のスキルを磨くことも大事だが、低姿勢であることも必要なスキルだろう。