「不安を感じる人」の心がすっと楽になる考え方

作家の芥川龍之介が自分の将来に対する「ぼんやりした不安」のため、35歳の時に自死したのは有名な話であるが、ユング自身も中年期にフロイトと決別し、以降何年にもわたる精神的な危機を経験した。中年期は、不安に捕まって死に引きずり込まれることもある「逢魔の時」といえるのかもしれない。

ただし、中年期が始まるのが36歳としたユングの考えは、彼の実体験に基づいているのではないかと思う。私の心理臨床経験では、これは必ずしも対応しない印象である。

20代後半~30代前半に中年期的な心性に突入している人はいるし、60代~70代に入ってから不安が立ち現れて危機を迎える人もいる。

いずれにしても、ここで私が言いたいのは、時期はそれぞれの人によってまちまちだけれども、人生において不安が顕在化するときはいつか必ず来るのではないか、ということである。

そして多くの場合、人生の節目の時期に不安はその姿を鮮明にする。なぜなら、節目の時期というのは、これまでうまくいっていたことがうまくいかなくなるからこそ訪れるもので、失敗や負けを契機としていることがほとんどだからである。

失敗して負けたことは変化へのチャンス

そもそも心理療法は、人生でつまずき、立ち止まらざるをえなくなったとき――つまり、人が不運や不幸に見舞われ、失敗や負けを経験したときに初めて成立する営みといえる。

多くの心理学やそれに基づいた心理療法は、基本的に、今回は失敗したり負けたりしても、次は成功し勝つことを目指している。

一方、ユング心理学やユング派の心理療法は、成功することや勝つことにあまり興味がない。その人が今、失敗して負け、立ち止まったことに意義を見出す。

ユングは、失敗したり負けたりしたときにこそ立ち止まることができ、そこには変化へのチャンスが生まれると考えていた。

もちろん、成功することや勝つことに意味がないというわけではなく、人生にはさまざまな段階があり、成功したり勝ったりすることが大事になる時期もある。

成功し、勝つこと、もしくはそれを目指すことは、ユングの言うところの人生の前半、すなわち中年にさしかかるまでの間の人生において、社会に適応していくための原動力や推進力になり得る。個人差や置かれた状況にもよるが、特に若いうちは、成功して勝つことが人生の中心的な課題になる場合がある。

しかし、ずっと成功して勝ち続けられるほど人生は甘くなく、やがてほとんどの人に失敗するときや負けるときが訪れる。

挫折や脱落、離婚や別離、病気という形かもしれない。いじめやパワハラ、セクハラなどの人災や、天災などの理不尽な出来事に襲われる形かもしれない。あるいは、成功し勝っていると思っていたものの、その虚しさに気づいたり、実は負けているのではないかと感じる形なのかもしれない。

つまり、人生も人も多面的で、物事はトータルで見ないとわからないということ。今成功して勝っていても次に失敗して負けたり、勝っているように見えても実は負けていたり、ある側面では成功していても、別の側面では失敗していたりもするのである。

だからもし、あなたが不安に押しつぶされそうになったら、一度立ち止まり、その失敗や負けが、自分の人生や生き方をトータルで見たとき、どのような意味を持つのか、考えてみてほしい。自分にしっくりくるオリジナルの意味を見つけられるかどうかで、その人の人生の方向性が変わっていく。

失敗することで人は成長する

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失敗や負けは人のこころに手痛い傷を負わせるが、その傷はその人をオンリーワンの存在にしていく可能性を持つ。新品の革靴が、傷がついたり汚れたりしながらだんだん足に馴染んでいき、その人にとっての唯一無二の靴になっていくように。

一度ついた傷は消えない。けれども、その傷は、その人と他の人とを分けるものでもある。いわば、傷は、その人をその人たらしめる。だから、ユング心理学では、自分の傷を見つめ、自分のものとして引き受けていくことを大事にしている。

今のような不安な時代を生きていくにあたり、ユング心理学は自分の行く道を照らしてくれる灯のような存在だと私は感じている。それは、人生という1人で進むしかない孤独な道程に意味と方向性を与え、かなりの安心をもたらしてくれるのではないだろうか。