精神科医が分析する織田信長の残虐さ…「反社会性人格障害」「サイコパス」は本当か

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織田信長の像(愛知県・長興寺所蔵)。日本の戦国時代~安土桃山時代の武将、戦国大名。尾張国の戦国大名・織田信秀の子として生まれる。(画像はWikipediaより)

 織田信長が、日本の長い歴史のなかでもっとも光り輝く「スーパースター」であることは間違いない。信長については毀誉褒貶が激しいが、現代でも数々の物語やドラマに登場し、専門の学者からも歴史好きの人からも常に注目されているこの武将は、いったいどのような人物であったのか。

 後世になって創作された過剰な「伝説」も含まれているようだが、桶狭間の戦いの劇的な勝利に始まる難敵たちとの合戦、比叡山の焼き討ちなど旧勢力に対する過酷な対処、楽市楽座などの先進的な経済政策などを見るにつけ、信長が「天才」であったことは明らかであろう。

 さらに安土城を建立し天下統一まであと一歩というところまで迫ったにもかかわらず、日本史における最大の謎のひとつ「本能寺の変」による悲劇的な最期を迎えたことで、“信長伝説”の陰影はさらに濃厚なものになったのである。

 信長は、中世的な伝統を破壊した改革者として語られることが多い。何よりも、群雄割拠の戦国時代を乗り越えて、「天下統一」「天下布武」を目指したことは、ほかにはない唯一無二の視点であったとされる。

信長は「反社会性パーソナリティ障害」で「サイコパス」

 信長以外の戦国大名は、自らの領土の拡大を目指しはしたが、天下統一を考えることはなかった。名将といわれる武田信玄も上杉謙信もそういった存在であったし、秀吉や家康さえも、信長というお手本がいたからこそ「天下取り」を目指すことができたのである。

 信長の登場がなければ、日本の戦国時代はその後もえんえんと続いていたかもしれないし、日本が統一されないままであれば、日本の一部がヨーロッパの植民地になっていた可能性さえ考えられる。(藤田達生『信長革命』角川選書)

 一方、信長のパーソナリティについては、批判の対象となることがまれではない。極悪非道とまではいかないが、サディスティックで容赦なく、慈悲のかけらもなく敵を殲滅するというイメージで語られることが多い。さらに、信長は「反社会性パーソナリティ障害」で、他人に対して冷酷なサイコパスだと指摘している人までいる。

 こういったイメージは、宗教勢力との戦いにおいて、信長のまさに敵を「根絶やし」にしようとしたことに原因があるようだ。早川智氏は、次のように彼のサディスティックな傾向を指摘している。

「信長は謀反を繰り返す弟・勘十郎信行を清洲城で自らの手で謀殺、有名な比叡山延暦寺の焼き討ちや、伊勢長島の一向宗門徒の虐殺、長年家老をつとめた佐久間信盛や林道勝ら無能な家臣の追放など、いかに戦国時代とはいえ、無情な振る舞いが多い。徳富蘇峰は『信長の性格は心理学上の謎と云わねばならぬ。(中略)不正を憎み之を懲罰するを以って、宛も一種の愉快としたらしく思われた』としており、サディズムがあったのではないかと王丸勇教授は指摘している」(早川智『戦国武将を診る』朝日新聞出版)

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京都市と滋賀県大津市にまたがる天台宗総本山、比叡山延暦寺の根本中堂。1571年に織田信長によって大量虐殺が行われたといわれている。(画像はWikipediaより)

越前で一向宗門徒1万2000人をなで斬りに

 実際、対立する宗教勢力に対して、信長の取った政策は容赦のない苛烈なものだった。吉本健二氏は、信長が残忍で冷酷非情と見なされた原因のひとつとして、天正3(1575)年に信長が、越前の本願寺門徒との戦いの後に、京都所司代の村井貞勝に宛てた手紙の内容を挙げている。(吉本健二『手紙から読み解く戦国武将 意外な真実』学研プラス)