井田いづ

井田いづ

ゆっくりのんびり書きます。ファンタジーと妖怪譚が好きな大豆、

【蛇足SS③】夜珠あやかし手帖 のっぺらぼう(美成と夜四郎)

夜四郎は美成を窺い見る。
「すぐに出られるんですか」
「いいや、もう少しは後片付けがある」
「よかった。流石にたまが寂しがりますから」
「まめに手紙くらい出すさ。一応あんたに宛てたいが……あんた本当にこんなところに野宿してんのかい? どう送ればいいのさ」
「……いえ」
言い淀んでから、ややあって言葉を足す。
「柳橋近くの辻家という屋敷に、離れを借りております」
嘘は言っていない。

 辻家の屋敷の離れには、夜四郎の暮らしていた空間はある。今は使っていないだけだ。
「ただ、今は別な仕事があるので帰ってないのですよ。いつそこへ戻るとも約束できませんから、手紙はたま宛にしていただいた方が確実でしょう」
美成はパチリと瞬きをひとつした。
「……辻?」
「どうか?」
「辻さまの家の夜四郎って言やさ、あのお家騒動を起こした浅葱夜四郎じゃないか」
「……いえ、私はたまの兄ですよ」
「……」
「そういえば、そんなこともありましたねえ」
夜四郎はふっとつぶやいた。

 あの家であった騒動は思いの外、世間に漏れていたらしい。しかも、かなり捻じ曲がった形で。
「──残念ながら、今の俺はうだつの上がらない侍の端くれでしかありません。ご覧の通りのね」
「はん、そんなら馬鹿正直に言わずに誤魔化してもよかったろうにさ。まったく、やれやれだよ。妹さんにやたら似てないとは思ったけど」
「それなりに似てますよ」
「はいはい、兄さんがそういうならそうなんだろうね。ああ、あんたはただのおたまさんの兄貴、それだけなんだ」
美成はあっさりと折れた。

 美成はよいしょと腰を上げた。
「藪蛇になる前に帰るかな」
「おや、もうお帰りですか……全くおもてなしも出来ずに申し訳ないことです」
「最初から期待しちゃいないよ。まァさ、新居が決まれば連絡するし、近くに来たら遊びに来なよ。おたまさん連れてさ」
「是非。たまは貴方に懐いてましたから」
「物好きな子だよねえ」
「本当に」
「兄を名乗るならちゃんと守っておやりよ。あの子、危なっかしいんだから」
「無論です」
「……今回のことで礼は言えないけど。それでも、この騒動があってさ、あんたらに会えて、それだけはよかったと思う」
手を振った美成は何処かすっきりとした顔をしていた。
 夜四郎に別れを告げると、彼はさっさと歩き始めた。振り返りもせず、まっすぐに明るい道をゆく。
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登録日 2022.10.17 00:37

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