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第七章:最果ての隠れ家、あるいは癒えない傷
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王宮を追放されてから、十の夜が過ぎた。
辿り着いたのは、王国の北端――
地図からも忘れ去られたような、辺境の古い別荘だった。
冬の先触れを告げる風が、隙間だらけの壁を叩き、暖炉の火を心許なく揺らしている。
アリアは粗末な木椅子に腰を下ろし、ひび割れた窓の向こうを見つめていた。
かつてはシルクの寝具に包まれていた身体を、今はカイルが村で調達してきた、安価な羊毛の毛布が守っている。
「アリア様……お粥ができました」
背後から、穏やかな声が届く。
「少しでも、召し上がってください」
煤けた鍋を抱え、台所から現れたカイルは、甲冑を脱ぎ、動きやすい革の服に身を包んでいた。
その姿は以前よりも逞しく、そしてどこか、自然に溶け込む野性を帯びている。
「……ありがとう、カイル」
アリアは微かに微笑む。
「でも……ごめんなさい。あまり、食欲がなくて……」
「そうですか」
責めることなく、カイルは静かに彼女の前へ膝をついた。
その距離は、王宮にいた頃よりも、ずっと近い。
「それでも、少しだけ。
お身体を壊されてしまったら……セシル王女の思う壺です」
彼はそう言って、スプーンを取り、丁寧に息を吹きかけてから、そっとアリアの唇元へ運ぶ。
「……ほら。熱くありません」
その献身に、アリアの胸がきゅっと締めつけられた。
「……ねえ、カイル」
掠れた声で問いかける。
「どうして……どうして、私を責めないの?
私のせいで、貴方は騎士の誉れも、未来も……すべて失ってしまったのに」
カイルはスプーンを置き、アリアの冷えた手を両手で包み込んだ。
剣を握り続けてきた掌の硬さが、今は不思議なほど優しい。
「未来なら……ここにあります」
そう言って、彼は懐からそっと取り出した。
それは、アリアがかつて彼に与えた
《守護の飾り》。
王宮を去る際、騎士の証を捨てた彼にとって、今やそれだけが“誇り”だった。
「アリア様」
カイルは、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「貴女が王女でなくなっても……
私の主であることに、何ひとつ変わりはありません」
一瞬、言葉を探すように視線を落とし、そして続ける。
「……いいえ。
肩書きを失った今だからこそ、私は初めて――
貴女を“一人の女性”として、守れる気がするのです」
静かな告白だった。
けれど、その奥には、長年押し殺されてきた想いが、確かに宿っている。
「……カイル……」
アリアは堪えきれず、彼の肩に顔を埋めた。
一瞬の躊躇の後、カイルは壊れ物を扱うように、彼女の背中へ腕を回す。
「……ここにいてください。
私が……必ず、守ります」
薪の爆ぜる音。
重なり合う、二人分の鼓動。
この小さな別荘だけが、世界で唯一、安全な場所に思えた。
――だが。
その静寂を裂くように、窓の外で、鋭い羽音がした。
カイルの表情が、一瞬で引き締まる。
「……アリア様。下がってください」
彼は窓の外を睨み、腰の剣を引き抜く。
その乾いた抜剣の音は、束の間の安らぎの終わりを告げていた。
夜空を旋回するのは、
セシルが放った 《伝書鷹》。
そして二人の知らぬ王都では――
レオンが「アリアとカイルが辺境で睦まじく暮らしている」という、
歪められた報告を受け取り、
嫉妬と憎悪を、さらに深く募らせていたのだった。
辿り着いたのは、王国の北端――
地図からも忘れ去られたような、辺境の古い別荘だった。
冬の先触れを告げる風が、隙間だらけの壁を叩き、暖炉の火を心許なく揺らしている。
アリアは粗末な木椅子に腰を下ろし、ひび割れた窓の向こうを見つめていた。
かつてはシルクの寝具に包まれていた身体を、今はカイルが村で調達してきた、安価な羊毛の毛布が守っている。
「アリア様……お粥ができました」
背後から、穏やかな声が届く。
「少しでも、召し上がってください」
煤けた鍋を抱え、台所から現れたカイルは、甲冑を脱ぎ、動きやすい革の服に身を包んでいた。
その姿は以前よりも逞しく、そしてどこか、自然に溶け込む野性を帯びている。
「……ありがとう、カイル」
アリアは微かに微笑む。
「でも……ごめんなさい。あまり、食欲がなくて……」
「そうですか」
責めることなく、カイルは静かに彼女の前へ膝をついた。
その距離は、王宮にいた頃よりも、ずっと近い。
「それでも、少しだけ。
お身体を壊されてしまったら……セシル王女の思う壺です」
彼はそう言って、スプーンを取り、丁寧に息を吹きかけてから、そっとアリアの唇元へ運ぶ。
「……ほら。熱くありません」
その献身に、アリアの胸がきゅっと締めつけられた。
「……ねえ、カイル」
掠れた声で問いかける。
「どうして……どうして、私を責めないの?
私のせいで、貴方は騎士の誉れも、未来も……すべて失ってしまったのに」
カイルはスプーンを置き、アリアの冷えた手を両手で包み込んだ。
剣を握り続けてきた掌の硬さが、今は不思議なほど優しい。
「未来なら……ここにあります」
そう言って、彼は懐からそっと取り出した。
それは、アリアがかつて彼に与えた
《守護の飾り》。
王宮を去る際、騎士の証を捨てた彼にとって、今やそれだけが“誇り”だった。
「アリア様」
カイルは、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「貴女が王女でなくなっても……
私の主であることに、何ひとつ変わりはありません」
一瞬、言葉を探すように視線を落とし、そして続ける。
「……いいえ。
肩書きを失った今だからこそ、私は初めて――
貴女を“一人の女性”として、守れる気がするのです」
静かな告白だった。
けれど、その奥には、長年押し殺されてきた想いが、確かに宿っている。
「……カイル……」
アリアは堪えきれず、彼の肩に顔を埋めた。
一瞬の躊躇の後、カイルは壊れ物を扱うように、彼女の背中へ腕を回す。
「……ここにいてください。
私が……必ず、守ります」
薪の爆ぜる音。
重なり合う、二人分の鼓動。
この小さな別荘だけが、世界で唯一、安全な場所に思えた。
――だが。
その静寂を裂くように、窓の外で、鋭い羽音がした。
カイルの表情が、一瞬で引き締まる。
「……アリア様。下がってください」
彼は窓の外を睨み、腰の剣を引き抜く。
その乾いた抜剣の音は、束の間の安らぎの終わりを告げていた。
夜空を旋回するのは、
セシルが放った 《伝書鷹》。
そして二人の知らぬ王都では――
レオンが「アリアとカイルが辺境で睦まじく暮らしている」という、
歪められた報告を受け取り、
嫉妬と憎悪を、さらに深く募らせていたのだった。
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