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第32話 触れない距離の終わり
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第32話 触れない距離の終わり
境界線というものは、壊れる時よりも、意味を失う時の方が静かだ。
セーブル・フォン・グラナートは、その夜、書斎で一人考え込んでいた。
ヴェルティアと交わした言葉。
「選ばれる理由」。
そして――互いに「選び続ける」と確認した事実。
(……もう、触れない距離は)
守るためのものではない。
かといって、破るための壁でもない。
それは、
役目を終えつつある線だった。
ノックの音がする。
「……セーブル」
彼女だ。
「入ってくれ」
扉が開き、ヴェルティアが姿を見せた。
いつもの簡素な装い。
だが、その表情は、どこか決意を帯びている。
「……お話、いいですか」
「ああ」
彼女は、椅子ではなく、机の前に立ったまま話し始めた。
「先ほどの言葉……」
彼女の声は、落ち着いている。
「選び続ける、と言いましたが」
セーブルは、黙って聞いている。
「それは、
距離を保ち続ける、という意味ではありません」
その言葉が、静かに落ちた。
「……確認だが」
彼は、低く問う。
「君は、
越えることを、選ぶという意味か」
ヴェルティアは、一瞬だけ視線を落とした。
そして――顔を上げる。
「はい」
逃げない。
「触れない距離が、
私たちを守ってくれたのは事実です」
一歩、前に進む。
「でも今は……」
さらに一歩。
距離は、これまでで最も近い。
「その距離が、
必要なくなったと感じています」
セーブルの喉が、小さく鳴った。
(……来た)
抑制では、もう足りない。
理性でも、止められない。
だが、それは――
衝動ではない。
「……私は」
彼は、低く言った。
「君を、失う可能性を含めて、
越えることになる」
「分かっています」
即答。
「でも……」
ヴェルティアは、はっきりと言う。
「失う可能性を恐れて、
選ばないのは――
私たちらしくありません」
その言葉に、
セーブルの中で、何かが完全にほどけた。
「……触れてもいいのか」
それは、許可を求める声だった。
ヴェルティアは、迷わず頷く。
「はい」
たった一歩。
それだけで、距離は消えた。
セーブルの手が、
初めて、彼女の肩に触れる。
強くない。
確かめるような、慎重な接触。
ヴェルティアは、身じろぎ一つしなかった。
(……大丈夫だ)
それが、無言の答えだった。
彼の手は、ゆっくりと彼女の背に回る。
抱き寄せる――
というほど、強くはない。
だが、逃げ場のない距離。
「……触れない距離は」
セーブルが、低く言う。
「終わったな」
「はい」
ヴェルティアは、彼の胸元に額を寄せた。
「役目を、果たしました」
それは、
破壊ではなく、
卒業だった。
互いの体温が、確かに伝わる。
言葉よりも、雄弁な事実。
「……戻れないぞ」
確認するように、彼が言う。
「戻りません」
ヴェルティアは、はっきり答えた。
「戻る必要が、ありませんから」
その瞬間、
セーブルは彼女を、はっきりと抱きしめた。
初めての、迷いのない接触。
急がない。
奪わない。
ただ、
選んだ結果として、触れる。
長い沈黙。
だが、そこに緊張はない。
「……白い結婚は」
ヴェルティアが、静かに言った。
「もう、過去ですね」
「ああ」
セーブルは、彼女の髪に顔を埋める。
「完全に」
その言葉に、
ヴェルティアの胸が、静かに満たされていく。
(……やっと)
守るための距離ではなく、
選んだ近さ。
それが、今ここにある。
夜は、深く静かだ。
だが、二人の間に、
もう“境界線”は存在しなかった。
触れない距離は、終わった。
そして――
選び続ける関係が、
本当の意味で、始まった。
境界線というものは、壊れる時よりも、意味を失う時の方が静かだ。
セーブル・フォン・グラナートは、その夜、書斎で一人考え込んでいた。
ヴェルティアと交わした言葉。
「選ばれる理由」。
そして――互いに「選び続ける」と確認した事実。
(……もう、触れない距離は)
守るためのものではない。
かといって、破るための壁でもない。
それは、
役目を終えつつある線だった。
ノックの音がする。
「……セーブル」
彼女だ。
「入ってくれ」
扉が開き、ヴェルティアが姿を見せた。
いつもの簡素な装い。
だが、その表情は、どこか決意を帯びている。
「……お話、いいですか」
「ああ」
彼女は、椅子ではなく、机の前に立ったまま話し始めた。
「先ほどの言葉……」
彼女の声は、落ち着いている。
「選び続ける、と言いましたが」
セーブルは、黙って聞いている。
「それは、
距離を保ち続ける、という意味ではありません」
その言葉が、静かに落ちた。
「……確認だが」
彼は、低く問う。
「君は、
越えることを、選ぶという意味か」
ヴェルティアは、一瞬だけ視線を落とした。
そして――顔を上げる。
「はい」
逃げない。
「触れない距離が、
私たちを守ってくれたのは事実です」
一歩、前に進む。
「でも今は……」
さらに一歩。
距離は、これまでで最も近い。
「その距離が、
必要なくなったと感じています」
セーブルの喉が、小さく鳴った。
(……来た)
抑制では、もう足りない。
理性でも、止められない。
だが、それは――
衝動ではない。
「……私は」
彼は、低く言った。
「君を、失う可能性を含めて、
越えることになる」
「分かっています」
即答。
「でも……」
ヴェルティアは、はっきりと言う。
「失う可能性を恐れて、
選ばないのは――
私たちらしくありません」
その言葉に、
セーブルの中で、何かが完全にほどけた。
「……触れてもいいのか」
それは、許可を求める声だった。
ヴェルティアは、迷わず頷く。
「はい」
たった一歩。
それだけで、距離は消えた。
セーブルの手が、
初めて、彼女の肩に触れる。
強くない。
確かめるような、慎重な接触。
ヴェルティアは、身じろぎ一つしなかった。
(……大丈夫だ)
それが、無言の答えだった。
彼の手は、ゆっくりと彼女の背に回る。
抱き寄せる――
というほど、強くはない。
だが、逃げ場のない距離。
「……触れない距離は」
セーブルが、低く言う。
「終わったな」
「はい」
ヴェルティアは、彼の胸元に額を寄せた。
「役目を、果たしました」
それは、
破壊ではなく、
卒業だった。
互いの体温が、確かに伝わる。
言葉よりも、雄弁な事実。
「……戻れないぞ」
確認するように、彼が言う。
「戻りません」
ヴェルティアは、はっきり答えた。
「戻る必要が、ありませんから」
その瞬間、
セーブルは彼女を、はっきりと抱きしめた。
初めての、迷いのない接触。
急がない。
奪わない。
ただ、
選んだ結果として、触れる。
長い沈黙。
だが、そこに緊張はない。
「……白い結婚は」
ヴェルティアが、静かに言った。
「もう、過去ですね」
「ああ」
セーブルは、彼女の髪に顔を埋める。
「完全に」
その言葉に、
ヴェルティアの胸が、静かに満たされていく。
(……やっと)
守るための距離ではなく、
選んだ近さ。
それが、今ここにある。
夜は、深く静かだ。
だが、二人の間に、
もう“境界線”は存在しなかった。
触れない距離は、終わった。
そして――
選び続ける関係が、
本当の意味で、始まった。
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