アンズトレイル

ふみ

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「あの、行き先は……」
「まずは一番最寄りのコンビニに行こうか。いろいろ買いたいし」
 検索欄にコンビニと打ち込む。一キロ先に何軒かあるようだ。どのコンビニがいいのだろう。問いを口にしかけてやっぱりやめた。とりあえず近付いてから聞いてみよう。
 直進することを伝えると、ゆっくりと車は走りだした。いくら走っても田園風景と車内の重苦しい空気は変わらない。つい、太ももの上に置いた手を握ってしまう。かつて経験した高校入試の面接のような雰囲気に、強張った手が震えだした。
「ねえ。名前は?」
 ラジオも音楽も流れていない静かな車内。エンジン音だけが聞こえる中で女性が呟いた。
「えっと、杏(あんず)です」
「もしかしさ、杏って果物と同じ漢字? 一文字のやつ?」
「はい」
「おお。私も同じ漢字で杏珠(あんじゅ)っていうの。目的地も近くて名前も似てるなんてすごい偶然」
 ぱっと咲いた笑顔につられ、つい口元がほころぶ。確かにすごい偶然だけれど、その差がなんだか悲しかった。
「そうですね。すごいです」
 口を閉じたことで訪れる静寂。何を話していいのか分からず、ひたすらに黙っていると唐突に杏珠さんが噴き出した。何か思い出したのだろうか。つい目を丸くしてしまった。
「意外に無口なんだ」
「え、ああ、はい。すみません」
 咎められたような気がしてとっさに謝った。しかし杏珠さんは「怒っているわけじゃなくて」と小さく首を振った。
「ヒッチハイクをしているから、こう、活発なイメージがあったの。私の勝手な先入観だけど」
 言いたいことは分かる。私のように暗くて無口な人間がヒッチハイクなんてするわけがないもの。私が杏珠さんの立場なら気になってしまう。
「どうしてヒッチハイクしてるの?」
「えっと」
 頭に浮かんだ理由がぼやける。身の上話なんか話し慣れていない。きちんと話せるだろうか。
「言えない理由?」
「あ、いや、その、小さい頃に見た、ヒッチハイクを題材にした映画に憧れて、いつかやってみたいと思ってて」
「映画に? へえすごい。ご両親に止められなかったの?」
 杏珠さんが目を見開く。
「なんとか説得して、夏休みにようやく挑戦できたんです」
「なるほどね。行動力はあるんだ。ふふ、そっか」
 微笑む杏珠さん。どう返していいのか分からない。それに乗せてもらっている分際で黙ったままでいいのだろうか。いや、杏珠さんを楽しませた方がいいに決まっている。
「あの」
「うん?」
 勢い任せに口を開くも、頭には何も浮かばない。何か、何か続くような話題をしないとまずい。
「な、何でもないです」
「そっか」
 杏珠さんから逃げるように視線を車窓へ。静岡に着くまでずっとこの調子なのだろうか。自分が嫌になる。どうしてこうなのだろう。
「もしかして無理に話そうとしてない?」
「えっ」
 突然の問いに声が上ずる。ゆっくりと杏珠さんを視界に入れた。
「よくよく考えたらさ、見ず知らずの人とすぐに話せるのって、距離感が間違ってると思わない?」
「それは、まあ」
「今風に言えば距離感がバグってるってやつ? それなら初めはぎこちなくても、だんだん仲良く話せた方がいいと思うの」
「な、なるほど」
「だからさ、無理に話さなくていいから、私の質問に答えていくのはどう?」
 こくこくと首を振る。にんまりと笑う杏珠さんが唇に人差し指を当て、すぐにこちらに視線をやった。
「さっき言ってた映画って、どんな映画なの?」
「洋画でして、小さな兄弟がヒッチハイクしながらおじいちゃんの家を目指すっていう映画です」
「小さな兄弟か。見たことあるかも……ハイカーズだっけ?」
 グローブボックスに当てていた視線が弧を描く。杏珠さんと目が合う。素早く頷けば表情はさらに柔らかくなった。
「たしか九十年代の映画だよね。昔の洋画が好きなの?」
「昔というか、そこまで昔ではなくて」
 いつの間にか胸元に上がった手が勝手に動き始める。
「えっと、九十年代の洋画ならほとんど見ていて、一番好きなのはハイカーズなんです。小さな兄弟がヒッチハイクで旅をしながら背伸びをして、大人のように何のために生きるのか考える辺りが――」
 我に、返った。返ってしまった。ゆっくりと杏珠さんから目を背ける。またやってしまった。どうでもいい自分語り。映画を語る時に熱くなる悪い癖が出てしまった。
「すみません、でした」
 身を縮こまらせ頭を下げる。
「何が?」
「いきなり話し始めて、すみませんでした」
「それが?」
「え、あの、えっと、うざい、ですよね」
 膝に置かれた手を固く握り締めた。
「私の話なんてつまらないし、乗せてもらったのに不快な気持ちにさせてすみません」
 俯いて杏珠さんを視界から外す。後悔が止まらない。どうしてあんなつまらない話を口にしたのだろう。誰も興味なんかないのに。
「私はあんちゃんの話、聞いてて楽しいよ」
 軽い声色に、重くのしかかっていた何かは一瞬で消えた。あんちゃん、あんちゃん、あんちゃん。耳から入ってきたそれが頭の中をぐるぐると回る。私を、あんちゃんと呼んでくれた。その驚きにしばらくまばたきを繰り返すしかなかった。
「どうしたの?」
「いえ、あの、えっと、あんちゃんというのは?」
「あんちゃんはあんちゃんでしょ」
 杏珠さんが小さな笑みを口元に浮かべた。
「しばらく一緒にいるから、難しいことは考えないで気楽に行こう? ね、あんちゃん」
 ハンドルを握る杏珠さんの口元はほころび、どこか気恥ずかしそう。この表情、このせりふ。どこかで見たことがあると思ったらそうか。ハイカーズのあの場面と同じだ。
 小さな兄弟とトラックドライバーが打ち解け合う場面。それを杏珠さんはまねたんだ。完全一致ではないものの、ニュアンスはほとんど同じ。確かこの後は、兄弟がドライバーを親しみを込めてあだ名で……うそ。
 熱いまなざしを膝小僧へ逃がした。私が杏珠さんを、あだ名で? そんな、呼べるわけがない。会ってまだ十五分もたっていない大人をなれなれしく呼ぶなんて無理だ。
 それでも、もしも呼んだら喜んでくれるだろうか。
 走行音が沈黙を支え、もう少しだけ考える猶予を与えてくれた。杏(あん)さん、杏さん。胸の中で何度も唱え、声が出ないように口を動かす。勇気を出して音にすればいい。大丈夫、失うものは何もないのだから。
「ありがとうございます。杏さん」
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