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物音で目が覚めた。目の前にあるクリーム色の壁がはっきりと見える。それに耳に入ってくるアナウンサーの淡々とした語り口。もう寝たふりなんかする必要もない。勢いよく体を起こした。
寝起きと視力のせいでぼやける世界。けれど栗色の髪がぶら下がる背中と、淡い桃色のルームウェアははっきりと見える。とっさに蘇る昨夜のできごと。先に起きて、旅の中止をどう伝えるか考えていたのだろうか。
枕元に転がるスマホに手を伸ばした。午前八時過ぎ。夜更かししたわりにいつも通りに起きられたようだ。
「あの、おはようございます」
ベッド上で後ろ手をつき、テレビを眺める背中に声をかけた。けれども振り返ってはくれない。返事もない。テレビに夢中になって聞こえていないのだろうか。
ナイトテーブルから眼鏡を取り、朝から騒がしいテレビを視界に入れた。
『付近で目撃された不審な人物の行方を追っており』
ぷつん、と住宅街が映る画面が消えた。ぼうっとテレビを見つめていると杏さんが振り返った。
「ああ、起きてたんだ」
昨夜見た悲しそうな表情は微塵もない。ほんわかとした、優しい笑みがそこにあった。けれども手放しでは喜べない。これから大事な話があるのだから。
「おはようございます」
「うん、おはよ。ねえあんちゃん」
杏さんがベッドをバネのようにし、反動をつけて立ち上がった。きた。分かってる。それがいい。そうするのが二人にとって最善なんだ。ふわふわとした覚悟を抱き、カーペットに足を降ろした。
「今まで、ありがとうございました」
腰から折り畳むように頭を下げた。カーペットを見続けているとなぜか泣いてしまいそうになる。
「えっと、何が?」
「今日で終わりなので、お礼が言いたくて」
「終わり? 何が?」
「この旅がです」
「そうなの? もしかして急用? だったらおうちまで送ってあげるけど」
「いえ、その、杏さんの都合というかお願いというか。愛知に戻るんですよね?」
「私が?」
すっとんきょうな声にようやく頭を上げた。何やら話が嚙み合っていない。
「私の都合で愛知に帰るの? どうして?」
「それは」
昨夜のことを口にしかけて、すんでのところでやめた。
「また迷惑がどうこう考えてるの? 何度も言ったけれど、私がそうしたいからここにいるの。迷惑なんて思ってないよ」
「そうではなくて、昨日電話で」
胸に仕舞った秘密はあっさりと口から漏れた。盗み聞きを咎められないか怖くて顔を伏せる。しかし杏さんは何も発しようとしない。
「電話?」
「昨日、聞いたんです。杏さんと彼氏さんが電話で話しているのを」
「昨日のいつ?」
「夜中です。時間は分かりません」
「そんな時間に電話するわけないじゃん。夢見たんじゃない?」
「そんなはずは……」
「あ、分かった。昨日みたいに考え過ぎて勘違いしたんだ。あんちゃんそういうところあるもんね。安心して。まだまだ旅は終わらないから」
あれが夢だとは信じられない。けれども当の本人は知らないと言っているし、帰るつもりもないらしい。それなら、それでいいか。
「すみません。ちょっと寝ぼけてたみたいです」
「朝からびっくりした。そうだ、これ見て」
胸を撫で降ろした杏さんの手に、ガラケーが握られている。
「今朝撮ったんだ」
差し出されたガラケーに映っていたのは、画質の粗い私の寝顔。口まで開けて女子高生とは到底思えない。恥ずかしさと小さな不愉快に目をつむってしまった。
「かわいくてつい撮っちゃった。やっぱりあんちゃんはコンタクトが似合うって」
また言っている。きっと杏さんのかわいいは、マスコット的な意味合いなのだろう。そんなかわいさ、私はいらない。どうせなら杏さんのような顔になりたい。
「首なんか振ってどうしたの?」
「ああ、いえ。顔洗ってきますね」
とっさに苦笑いを浮かべ、浴室へと逃げ込んだ。寝起きでぼさぼさの髪と目やにの付いた目元。どこからどう見てもかわいくない。杏さんは目につく全てにかわいいと言ってしまう人なのだろうか。
しかし悪い気はしない。だらしない自分が映った鏡に向って、にっと笑ってみた。ぎこちない。杏さんどころかクラスで底辺レベルの笑みに小さなため息がこぼれた。
慣れないことはするもんじゃない。頬を叩くように顔を洗って浴室を出た。
「ね。朝ご飯どうしよっか」
部屋に戻れば杏さんが着替えていた。下着姿の杏さんを見ないようにして口を開く。
「一階のレストランはどうですか」
「メニュー少なかったから、ちょっとね」
行きたくないと顔にはっきり書いてある。となるとチェックアウトを済ませ、どこかに寄るしかないか。というか、今日はどこへ行くのだろう。
「あんちゃんはどこで食べたい?」
「私は、特に。あの、今日はどこに行くんですか」
着替え終わり、髪をとかす杏さん。その姿はモデルのように美しくても、あれこれを知ってしまったせいか、なぜか親近感が湧いてしまう。
「今日は駄菓子屋と遊園地に寄ってから、夕方ぐらいに静岡に入るつもり。明日には富士急に……」
流れるように滑る櫛が止まった。杏さんも口を半分ほど開けて固まっている。何か思い出したのだろうか。
「そういえばあんちゃんさ」
杏さんが櫛を置いてこちらへやってきた。
「自殺するのに富士急に行くの? 最後の思い出作り的なやつ?」
「あれは、その、富士山の近くに行くためのうそでして。本当は富士山に行きたかったんです」
「ああ、樹海か。あそこ有名だよね」
手をポンと叩く杏さん。話題とリアクションが噛み合っていない。これから死ぬ人間を前に、どうしてこうも明るくなれるのだろう。別に止めてほしいわけじゃあないけれど。
「愛知からわざわざ富士山に行くって大変じゃない? うちで首吊った方が楽だと思うけれど」
「うちだと決心が揺らぎそうだったので」
寝起きと視力のせいでぼやける世界。けれど栗色の髪がぶら下がる背中と、淡い桃色のルームウェアははっきりと見える。とっさに蘇る昨夜のできごと。先に起きて、旅の中止をどう伝えるか考えていたのだろうか。
枕元に転がるスマホに手を伸ばした。午前八時過ぎ。夜更かししたわりにいつも通りに起きられたようだ。
「あの、おはようございます」
ベッド上で後ろ手をつき、テレビを眺める背中に声をかけた。けれども振り返ってはくれない。返事もない。テレビに夢中になって聞こえていないのだろうか。
ナイトテーブルから眼鏡を取り、朝から騒がしいテレビを視界に入れた。
『付近で目撃された不審な人物の行方を追っており』
ぷつん、と住宅街が映る画面が消えた。ぼうっとテレビを見つめていると杏さんが振り返った。
「ああ、起きてたんだ」
昨夜見た悲しそうな表情は微塵もない。ほんわかとした、優しい笑みがそこにあった。けれども手放しでは喜べない。これから大事な話があるのだから。
「おはようございます」
「うん、おはよ。ねえあんちゃん」
杏さんがベッドをバネのようにし、反動をつけて立ち上がった。きた。分かってる。それがいい。そうするのが二人にとって最善なんだ。ふわふわとした覚悟を抱き、カーペットに足を降ろした。
「今まで、ありがとうございました」
腰から折り畳むように頭を下げた。カーペットを見続けているとなぜか泣いてしまいそうになる。
「えっと、何が?」
「今日で終わりなので、お礼が言いたくて」
「終わり? 何が?」
「この旅がです」
「そうなの? もしかして急用? だったらおうちまで送ってあげるけど」
「いえ、その、杏さんの都合というかお願いというか。愛知に戻るんですよね?」
「私が?」
すっとんきょうな声にようやく頭を上げた。何やら話が嚙み合っていない。
「私の都合で愛知に帰るの? どうして?」
「それは」
昨夜のことを口にしかけて、すんでのところでやめた。
「また迷惑がどうこう考えてるの? 何度も言ったけれど、私がそうしたいからここにいるの。迷惑なんて思ってないよ」
「そうではなくて、昨日電話で」
胸に仕舞った秘密はあっさりと口から漏れた。盗み聞きを咎められないか怖くて顔を伏せる。しかし杏さんは何も発しようとしない。
「電話?」
「昨日、聞いたんです。杏さんと彼氏さんが電話で話しているのを」
「昨日のいつ?」
「夜中です。時間は分かりません」
「そんな時間に電話するわけないじゃん。夢見たんじゃない?」
「そんなはずは……」
「あ、分かった。昨日みたいに考え過ぎて勘違いしたんだ。あんちゃんそういうところあるもんね。安心して。まだまだ旅は終わらないから」
あれが夢だとは信じられない。けれども当の本人は知らないと言っているし、帰るつもりもないらしい。それなら、それでいいか。
「すみません。ちょっと寝ぼけてたみたいです」
「朝からびっくりした。そうだ、これ見て」
胸を撫で降ろした杏さんの手に、ガラケーが握られている。
「今朝撮ったんだ」
差し出されたガラケーに映っていたのは、画質の粗い私の寝顔。口まで開けて女子高生とは到底思えない。恥ずかしさと小さな不愉快に目をつむってしまった。
「かわいくてつい撮っちゃった。やっぱりあんちゃんはコンタクトが似合うって」
また言っている。きっと杏さんのかわいいは、マスコット的な意味合いなのだろう。そんなかわいさ、私はいらない。どうせなら杏さんのような顔になりたい。
「首なんか振ってどうしたの?」
「ああ、いえ。顔洗ってきますね」
とっさに苦笑いを浮かべ、浴室へと逃げ込んだ。寝起きでぼさぼさの髪と目やにの付いた目元。どこからどう見てもかわいくない。杏さんは目につく全てにかわいいと言ってしまう人なのだろうか。
しかし悪い気はしない。だらしない自分が映った鏡に向って、にっと笑ってみた。ぎこちない。杏さんどころかクラスで底辺レベルの笑みに小さなため息がこぼれた。
慣れないことはするもんじゃない。頬を叩くように顔を洗って浴室を出た。
「ね。朝ご飯どうしよっか」
部屋に戻れば杏さんが着替えていた。下着姿の杏さんを見ないようにして口を開く。
「一階のレストランはどうですか」
「メニュー少なかったから、ちょっとね」
行きたくないと顔にはっきり書いてある。となるとチェックアウトを済ませ、どこかに寄るしかないか。というか、今日はどこへ行くのだろう。
「あんちゃんはどこで食べたい?」
「私は、特に。あの、今日はどこに行くんですか」
着替え終わり、髪をとかす杏さん。その姿はモデルのように美しくても、あれこれを知ってしまったせいか、なぜか親近感が湧いてしまう。
「今日は駄菓子屋と遊園地に寄ってから、夕方ぐらいに静岡に入るつもり。明日には富士急に……」
流れるように滑る櫛が止まった。杏さんも口を半分ほど開けて固まっている。何か思い出したのだろうか。
「そういえばあんちゃんさ」
杏さんが櫛を置いてこちらへやってきた。
「自殺するのに富士急に行くの? 最後の思い出作り的なやつ?」
「あれは、その、富士山の近くに行くためのうそでして。本当は富士山に行きたかったんです」
「ああ、樹海か。あそこ有名だよね」
手をポンと叩く杏さん。話題とリアクションが噛み合っていない。これから死ぬ人間を前に、どうしてこうも明るくなれるのだろう。別に止めてほしいわけじゃあないけれど。
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