アンズトレイル

ふみ

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 朝食と着替えの回収を済ませ、ホテルをチェックアウトしたのは十一時頃。太陽は相変わらず働き者で、街中に日差しを振りまいていた。
 きっと今日も蝉の声がどこまでも追いかけてくるのだろう。車内で快適なエアコンに包まれている私には、あまり関係なさそうだけれど。
「その駄菓子屋ってどんな所なんですか」
 膝の上で組んだ手で指遊び。他に好奇心の逃げ場がなかった。
「着いてからのお楽しみ。その方がドキドキするでしょ」
「別にドキドキしなくても。普通の駄菓子屋ですよね?」
「それはどうかなあ。ひょっとしたら海外のお菓子だけを集めたお店かもよ? そうだ、あんちゃんもこれ食べる?」
 杏さんの手のひらに転がる小さなチョコレート。私が買ってきたやつだ。お礼を述べて口に入れるとミルク感が広がった。これなら何個でも食べられそう。
「どう? おいしい?」
「はい。ミルク感すごいですね」
「他にもいろいろあるよ」
 杏さんがチョコレート入りの小袋を手渡してきた。カラフルなパッケージに書かれた、四種のチョコレートアソートという文字。たくさんあった方が杏さんも喜ぶと買ったけれど、大当たりだったらしい。
「ミルク、ビター、ホワイト、キャラメル。私的にはキャラメルが一番おいしかったかな」
「キャラメルチョコですか?」
「うん。甘いもの同士の組み合わせなんて最高だもの。あんちゃんも食べてみて」
 小袋を覗く。すぐに黄土色のキャラメルチョコを見付け、口へと運んだ。口全体がキャラメルの風味に包まれる。いつも食べているキャラメルポップコーンよりも強い主張。これはこれでおいしいけれど、個人的にチョコレートは苦めが好き。
「私はビターの方が好きですかね」
「ビター? あんちゃんってば大人。あれ、ちょっと待ってね」
 チョコ話を繰り広げていると、杏さんが路肩に車を止めた。ハザード音に包まれる車内。携帯電話を触る杏さんの横で辺りを見回した。
 物珍しいものは特に何もない。時折、車や自転車が音を立てるだけの閑静な住宅街。駄菓子屋の立地としては完璧なのだろうけど。
「ね、あんちゃん。マップ開いて、やまおかやって入れてみて。全部ひらがなでさ」
 杏さんが肩を寄せてきた。言われたとおりに打ち込み、すぐに表示された情報と現在地を見比べた。
「このお店、ですかね。一本横の通りですよ」
「そうなの? 見せて見せて」
 互いにスマホと携帯電話を並べた。表示された地図は多少違うものの、同じ場所を指している。けれども杏さんの地図はなぜか現在地がずれていた。
「なんだ、現在地がおかしかったんだ。せっかく一人で行こうと思ってたのに。最初からあんちゃんに案内してもらえばよかった」
 すぐに車が動きだし、細い路地を抜けて一つ隣の道へ。右折した先で目に入った景色に前のめりに体を起こした。
「あそこですか?」
 目の前を通り過ぎる古びた看板。そこには確かに『駄菓子やまおかや』と書いてあった。店先のゲーム機らしき機械と、ガラス戸の中に見えるお菓子の山。そういうものは卒業したと思っていたけれど、胸は確かに高鳴り始めていた。
「学生の頃によく通ってたんだ。たまにおまけをもらったり誕生日プレゼントをもらったりしてさ。大人になってからは、帰省するたびにお土産を持って行ってるの」
 なるほど。今回はお土産と一緒に荷物を預けるわけか。
「その頃から甘いものが好きだったんですか?」
「それしか娯楽がなかったから。彼とも一度だけ来たことがあって、今年の夏も行こうって話してたんだ」
「なる、ほど」
 思わず顔を伏せる。二日目になっても彼氏さんの話になると気まずい。
「あそこで荷物預けて、適当に駄菓子買って遊園地行こうか。あ、駄菓子は買ってあげるから迷惑とか思っちゃ駄目だからね?」
 先に釘を刺され、私にできるのはお礼を口にするだけ。自分を卑下しそうになるのを飲み込んで疑問をぶつけてみた。
「ありがとうございます。あの、今回は預けるんですか?」
 今まで捨てて埋めてきたものだから、次もそうなると思っていた。けれど杏さんは首を振り、駄菓子屋から少し離れたコインパーキングに駐車してから口を開いた。
「さすがに知り合いの敷地に埋めるのは難しいからね。また今度取りに来るからって預ける方が簡単でしょ? 残り二つはどこかに埋めるだろうけど」
 残り二つ、思い出の品を置けば終わり。つまり、旅が終わる。
 もともと終わりには命を絶つと決めていたから、今更心残りはない。杏さんとの旅は今までの人生の中で、最も楽しい時間だったと胸を張って言える。だからだろうか。
 もっと杏さんと関わっていたいと、心が叫び出したのは。
「あんちゃん出ないの?」
 いつの間にか杏さんが外へ出ていた。
「すみません。考えごとしていて」
 もたもたとシートベルトを外す。貴重品だけポケットに突っ込んで外へと飛び出した。
「何買おうか考えてたんでしょ? 分かる分かる。想像するだけで楽しみだよね」
 笑顔で颯爽と歩きだす杏さん。昨日と変わらないシャツ姿と、肩にかけられた大きなショルダーバッグ。荷物の中身も別れ際に聞けるだろうか。そんな機会、ずっと来なければいいのに。
 余計なことを胸の奥に仕舞い、杏さんと並んで歩く。照り付ける太陽に汗を浮かばせながら、とりとめのない話を口にする。そうしてたどり着いたのは何の変哲もない小さな商店街。ぼんやりと寂しげな雰囲気の中に駄菓子屋はぽつんと立っていた。
 錆びた看板と自販機、それから大きなゲーム機。いつか見た、昭和時代を題材にした映画の駄菓子屋そのもの。夏休み中の子どもたちの声も相まって、まるで映像の中から飛び出したよう。
 レトロという時代に生きていなくても、懐かしいという感情がなくても、開けっ放しのガラス戸をくぐるとなぜか笑みがこぼれてしまった。
 子どもたちの視線を独占するこげ茶色の棚。そこに敷き詰められた数々の駄菓子。ほんの少しの恥ずかしさを抱えながら店の中をじっくり眺めていると、店の奥から杏さんの声が聞こえた。
「おばあちゃん久しぶりっ」
「杏珠かい? あらまあ、久しぶりだね。十年くらい?」
「去年来たでしょ、もう」
 杏さんの表情は見えないけれど、左右に揺れるポニーテールが全てを物語っている。坂本食堂で見た光景とほとんど同じ。杏さんの人当たりのよさは、学生の頃からだったんだ。そう勝手に解釈して、じっと見つめるわけにもいかず駄菓子へと視線を戻した。
 子どもたちの話し声、外から聞こえる小銭の音、幻聴とも思えるほど遠くから響く蝉の声。体験したことのない夏の中で、ただじっと杏さんを待った。
「おまたせ。何買うか決まった?」
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